本日も購入し、無事に食べ終えた。
　「食べながら歩きましょう、ナイト様」と言われたのだが、出来ぬ事を正直に告げた。歩きながら食べた事がないと。
　ロガはあの琥珀色の瞳に驚きを乗せ、そして優しい笑顔で、
「じゃ、家の傍でいいですか？」
「よい」
　買ったコロッケを小脇に抱え、帰宅した。
　コロッケ自体は無事に食べ終える事が出来た。昨日の夕食で練習した甲斐があったというものだ！
　さて、今日は戻ってから夕食で　“歩き食べ”　の練習に入ろう。
　食べ歩きは見て覚えているので、イメージトレーニングは万全だ。
　宮殿で開かれる宴の四割は立食なのでな。余は一人設えられた座に就き、皆の挨拶を受けているだけだが。宴の前に余は食事を取って向かうのだ、食べている暇などないのでな。
　だが宴は皿を持ち、給仕達が上手く立ち振る舞っているから成り立っているような物であり、一人でコロッケを手に持ちながら歩き、ロガと会話しつつ息を吹きかけ咀嚼し嚥下しつつ再び会話……難し過ぎる。
　だが、ロガにつりあうような男になる為に、食べ歩きを！　……つりあってどうする気だ？　シュスタークよ……何を言っているのだろうか？　自分で言ったのだが。
　……具体的にロガにつりあう男とは……
『顔を見ても驚かない』であろうか？　これはもう大丈……ああ！　顔についての謝罪をしておらぬ！　……コロッケ食べている場合ではない……いやっ！　だがコロッケも！
　どうやったらロガにつり合うのか？　戻ってからデウデシオンに意見を求めてみよう。意見だけで、最後は自分でまとめるとして。
　さて、ネックレスを与え……いや、贈ろう！
　本来ならばケースに入れて来るのだが、皆に『ケースは止めて、ハンカチに包んだ方が受け取りやすいです』と言われたので、そのようにしてきた。胸元に『ハンカチに包んだネックレスを入れるポケット』をあつらえた服も作らせた。これならば、簡単に取り出す事も可能！
　何時も良き仕事をしてくれるな！　デウデシオンよ。
　さてと、さりげなく、そう『さりげなく』取り出さねば。濃紺のサテンのハンカチを取り出す…………その、な……サテンは仕方ないとしても、濃紺はなあ。濃紺以外を贈物に使用すると、四大公爵が目の色変えて争いになる。
　ケシュマリスタの緑、ロヴィニアの空色、テルロバールノルの緋色、エヴェドリットの赤、そして皇帝の白。普通は片親の実家の色と皇帝色を混ぜて使うのだが、今は皇帝ではなく一介の貴族、そう桜墓侯爵！　だが、皇帝である以上　“贈物の包装に使う色”　は細心の注意を払わねばならぬのだ……。というわけで、何処にも角が立たず、尚且つ父の実家ロヴィニアに近い色をやっとの思いで選定したのだ。
「ロガ。これを貰ってくれぬか？」
　長い長い、各王家の意地の張り合い……何時もの事だが、それらを経てやっとお前に贈る事ができる。余はハンカチを開き、白銀の細いチェーンを琥珀の粒が飾っているシンプルなネックレスを差し出した。
　通常ならば、これは四連くらい重ねて使うものだろう。これ一つだと、とても地味で身に付けている者を観た事などないのだが、奴隷はこれで充分だと言われた。
　そうなのかも知れないが……奴隷はこれで充分というのは、少々……まあ、皆そのように言ったのだからそうなのかもしれないが。何時かこれを十連程にしたもので首を飾ってやりたい。
「なんですか？　これ」
　差し出されたそれを、おずおずと受け取ったロガは不思議そう眺めている。
「ネックレスだ」
「ネックレス？」
「首に付ける飾りだ」
「高いものなんじゃ……」
「平気だ。お前に似合うのを作ってもらったのだ。い、嫌か？　このデザイン嫌いか？　兄が発注してくれたのだが、その嫌いなら違うデザインの物を作らせるぞ」
　ロガは首を振った後、
「足枷とかじゃないんですか？」
　『変』な事を言ってきた。
　足枷？
「は？　足枷？　何故だ」
　そもそも、足枷とは『枷』であって装飾品では……それは、確かにどの装飾品も元を辿れば枷であるが……そんな事はどうでも良い！　足枷だと？
「奴隷が付けていい飾りは、足枷だけだって」
　聞いた事もない。そもそも足枷とは、実物は見た事はないが拘束具の一種であったはずだ。
「そんな事はない。それは間違いだ……これ、嫌いか？」
「嫌いじゃない、凄い綺麗で、もっとよく観てもいいですか？」
「ああ」
「うわぁあ……」
　小さなネックレスを光にかざして『綺麗だ』と言っておるロガの姿。それを観ていると、連れて帰りたくなる……はぁ？　何を思っておるのだ、シュスターク？　連れて帰る？　何処に？　余が戻る場所は宮殿、宮殿にロガを連れて帰ってどうする……？
　はて？　先ほどから余は何を言っておるのであろう？
「みてみて、ボーデン！　綺麗でしょう。ナイトオリバルド様が持ってきてくれたの！」
「それはお前へのプレゼントだ、受け取ってくれるか？」
「本当にいいんですか？」
「無論。何よりも我輩の周囲には、その細く華奢なネックレスが似合う者はおらぬ」
　余の周囲に居るのは実父であるデキアクローテムスを除けば、皆2m越えている男ばかりだ。そんな華奢なネックレス、誰の首にも回らぬ。
「どれ、首につけてやろう」
　余はネックレスを受け取り、首筋の辺りを見た。
「おや？　何か髪についておるぞ、ほら」
　項の辺りに何か　“ふわふわ”　とした物が付いておる？　何であろうか？　このままであると風で飛んでいきかねぬ。目的があって付けているのであれば困るであろうから、掴んでロガに差し出した。
「……ごめんなさい」
「どうした？」
「埃が付いてて……」
　ほう！　これが埃か！　あの箒で掃除する物体。
「気にする事ではなかろう？」
　掃除している途中で付いたのだろうな。
「…………」
　ロガの首が、かなり下を向く。
「どうした？」
　目の辺りを腕で擦ったロガが、少し疲れたような、寂しいような笑顔で、
「な、なんでもないです。目がちょっと痛かっただけです。つけてくれますか？」
　……何か悪い事でも仕出かしたのであろうか？　いや、だが、本当に目が痛かっただけならば……それよりも今はネックレスを……あ、ロガの首綺麗だなあ。特に手入れされておる項ではないが、美しい。ロガは背筋が綺麗だか……
「ああ……ロガ、済まぬ！」
　ネックレスの付け方、習ってこなかった！
　わ、解らん！　変な事をして、首筋に傷をつけるわけにもゆかぬ！
「どうしました？」
　こんな細い首、余が力を込めてネックレスを引っ張ったりしたら傷つくに違いない！
「我輩、他人につけた事なかったので、よく解らぬ。あ、明日でもよいか？　練習してくるゆえに。これは持っていてくれ」
　歩きながら食べる他に、ネックレスを他人につける練習も。難しい、何と難しいのだ！　毎日が大忙しである！
「本当に貰っていいんですか？」
「もちろんだ！　よければ色々持ってくるぞ」
「これ一個で充分です！　……こ、今度は、身体綺麗に拭いておきますから」
「？　どうした？　何の事だ」
「埃……とか」
「気にせずとも良……気になるものなのか？」
「ナイトオリバルド様は、気になりませんか？」
「全く。埃については前々から尋ねようと思っておったのだ。記念に持って帰っても良いか、兄弟達に見せてやる」
「は、はい……」
「感謝する。ではな、ロガ。また明日も会おう」
　ポケットに埃をしまい、ネックレスを包むハンカチを渡す。それを受け取ったロガの手を余の両手で包み込み明日の約束をした。
　ロガの手は小さくはあったが、とても確りとしておった。
　節はゴツゴツとして、爪は形を整えられておらず、磨かれてもいない。それでも小さく……何かとても小さく、それでも仕事をしているのだと思うと、不思議であった。
「は、はい！」

　食べ歩きの練習、ネックレスを付ける練習、そして埃を……

「陛下……それは……」
　今余は、デウデシオンとクラタビア（第八庶子）とその妻を前にしておる。
　いやな、ネックレスの付け方の練習台にクラタビアの妻がなってくれる事になったので。クラタビアの妻は余の兄弟の中で最も華奢なので、練習する相手としたのだ。それには何の問題もない……だが、
「年頃の娘は、異性に後れ毛に付いた埃を取られるなど」
　埃を取って　“見せた事”　が駄目だったらしい。そのような場合は見て見ぬフリをして、そっと埃をポケットにしまうか捨ててしまうのが最良の策であったのだと……知らなかった。
　ふっ……誰も教えてくれぬからな。……だがそれを言っても始まるまい。もしかしなくとも、これらの事は『機微』即ち空気を読むことなのであろう。
　皇帝は空気読まんでも生きてゆけるからなあ。むしろ周囲が必死に空気を読むから……
「デウデシオン、この場合の事態収拾策は」
　眉間の縦皺の深いデウデシオンは、手で顔を覆いながら、
「少々お待ちください。男女の機微となると、このデウデシオンには荷が重過ぎると申しますか、興味がないと申しますか、正直苦手なので。ぶっちゃけ策一つすら、思い浮かびはいたしませぬ」
　済まぬな、デウデシオン。
　そなたは、女が大嫌いであったなあ。
　その後、妻子持ちの兄弟達が妻をも交えて激論を交わした結果の対処法を持ち、余はロガの元へと向かった。
　クラタビアの妻も混じっていたので、ネックレス着用練習はまた後日。それにしても皆、朝まで議論を交わしたとは……迷惑をかけて済まぬ。だが、どうしてもロガに謝罪せねばならぬのだ！　皆の努力は無駄にはせぬ！
「ではな、タバイ……戻って寝ていても良いぞ」
「心配ありがたくいただきます。ですがこれでも陛下の身辺の安全を図る近衛兵団団長、陛下の身の安全を守らずに寝る事などできません」
「そうか。ならば心行くまで警護せよ。余は参る」
「成功を祈らせていただいております」

　皆の睡眠時間を削った策、見事に成功させよう！