馬に乗ってくる事はできなかったが、本日は『買い食い』に行く。生まれては始めての買い食い……ふー、無事に終えることが出来るであろうか？
　何か失態を犯してしまうのではないだろうか？　いや、今から失敗する事を恐れてはいかん、成功だけをシミュレートするのだ、シュスタークよ！　……成功例がないので、どうシミュレートしていいのかは解らぬが。
　掌に握り締めた硬貨一枚（300円相当）と何時も持ってきている昼食。
「ロガ！」
　余がロガと毎日話が出来るのはロガの仕事が少ない為。それは皇帝として憂えるべき事なのであろうが……余個人としては何故か嬉しい。来訪を待っていてくれ、一緒に昼食を取りまた明日の約束をするだけのことなのだが。
「ナイトオリバルド様！」
　家の周りを箒で掃除しておったロガは、片側しか見えぬ顔で笑った。
　このような事を言えば勝手であろうが、何時の日かもう片方の顔も見せてもらいたい。一度、泡を吹いて……以下省略……してしまった身としては『気にしないで顔を出せばいい』とはとても言えぬ。
　ロガにバスケットを渡すと、
「今日もいい香りのお料理ですね」
　元気に笑う。うぉぉぉ！　本当に申し訳ない。お前の顔を見て失神して……以下省略……してしまった余を、許して……って、それを言いに来ていたような……も、もう謝罪したか？　思い出せぬ。確りしろ！　シュスターク！
　思い出すのは後にして、今はこれからの事を。
「今日は料理を少々減らして持って来た。後で兄弟の肉屋にコロッケなる物を買いに行って食べようではないか。それで、金はこれで良いか？」
　握っている硬貨を落としてしまう前にロガに渡そう！　余のことだ、少しでも気を抜けば硬貨を落としてしまうに違いない。そう思い、ロガの前に手を差し出し手を開くが、
「いらないです！　お金は私が払います！」
　拒否されてしまった。
「え？」
「び、貧乏ですけど、そのくらいはありますから！」
　ロガは言いながらポケットから、色が変色した硬貨を三枚取り出した。
　確かデウデシオンが言っていたな。『施しを嫌う者もいる』
　無論好きな者も多いが、貴族から金銭を与えられるのを嫌うものも確かに存在するようだ。
　ロガがその部類に入るのであろう。
　『施しを嫌う人間を好む者』もいれば『自分の施しを受けぬ事を怒る者』もいるという。それで余はどうかというと、別にどうとも思わぬ。だが……生活が苦しいと聞いた以上、ただここで引き下がる訳にはいかぬ気がする。
「いや、だが……その……まあ、まずこれを受け取ってくれぬか」
「は、はい」
　ロガの手に硬貨を置き、深呼吸をして話をする。
「今日はお前の金で支払ってもらおう。だが明日は我輩の金で頼む、それで良いか？」
「あの……」
「ロガがどのように思っておるかは知らぬが、我輩……この硬貨を使うのを楽しみにして来たのだ。奴隷は知らぬそうだが、貴族はこれで支払うのが普通だ。これを特殊な機械に通せば良い」
　デウデシオンから渡されたカードだ。
　惑星一個が購入できる程度、入金されておるらしい。小銭程度なのは、落として他の者に使われても良いようにするためだ。
「銀行ですか」
「それに近いものだ。だから、今日始めて硬貨を使うのだ。昨日兄にコロッケなるもの料金を支払い食べにくるように言われたと伝えたところ、硬貨が必要だと言われ大至急用意させた。我輩は今まで自分の資産を使用した事もなかったので、自分の　“金”　を使うのはこれが初めてで……とても使いたい」
「あの……」
「だが我輩は品物と硬貨で取引を成立させたことは無い……故に、正式な硬貨の使い方が解らぬので教えてくれるか？　その一枚は受講料として受け取って欲しい」
「じゅこう……りょう？」
「知識に対する代価……あ、難しく考えるな。そのような事にも金を払うのが貴族なのだ」
「はい」
　もうすっかりと散ってしまった桜の花、次は……毒蛾の幼虫が降ってくるのか……危険ではないか？
「ロガ。この桜の木に毒蛾が付いておった事は無いか」
「？　ないですよ」
「な、ならば良い。食べ終えたら向かおう」
　こうして軽めの昼食を終えて、余はロガに連れられて町に出た。何時も居る草木に囲まれた墓場とは違う、ザラザラと乾燥した土の道。剥げ落ちんばかりの壁の建物。
　背が高い建物はなく、大体が二,三階建ての、ヒビの入った窓硝子などがはまっている。
　だが、奴隷は余が思っていたよりも少なかった。余は帝星の街中にも出た事がないので正確なことは解らぬし、帝星で民衆を見るのは式典の際に広場を見下ろせるバルコニーに出るだけであるのだが……式典の際、広場には多数人がおった。
「人が少ないな」
「増えると直ぐ移民団用にまとめて、どこか遠くに連れて行かれちゃうから」
　ああ、そう言えばそのような事もしておったな。
　そんな話をしつつ、余はロガと共に雑多な地区にはいった。人が雑多なのではなく、店舗？　らしいものが雑多である。纏まりなく並んでいる商品達と、視線……。さすがに幾ら身分を窶し、地味な格好をしても貴族は目立つのであろうな。
　ロガと共にその視線を受けつつ、肉屋の前に立った。
　赤々とした肉がぶら下がっており、それらの向こう側にシャバラがおった。
「ホントに来たのか！　おい！　逃げたぞ！」
　表現できぬ何らかの音の後、バサバサバサ！　と音を立てて……走っておる！　走っておる！
「くっ！？　首が！」
　余は腰を抜かして地面にへたり込んだ。
　と、と、とり……が、首なくて……血を噴出しながら……は、走って、走っている！　どういう事だ！
「捌いてたんだよ。鶏は首斬っても走るんだよ。ちゃんと捕まえておけよ、ロレン」
　そ、そうなのか……し、知らなかった。
　思わず我々かと思った……我々は首を切り落としたくらいでは死なぬからなあ。我々皇族と四大公爵の処刑方法通りに、手足を切ってから首を切り落とせば良いのに。
「び、吃驚しちゃいました？」
「だ、大丈夫だ。あれに似た者は知っておるので」
　嗚呼、己がアレに似た特性を持っておって良かった。でなければ、今肉屋の前でもロガの前で行った失態と同じ事をする所であった。
　……一度くらい処刑を行った事があれば、これ程までに驚かずに済んだだろうが、幸いな事に余は二十年即位していながら、一度たりとも皇族・四大公爵縁の者を処刑したことはない。出来る事なら、一生しないで終えたいと、内なる野望を持っておる。……これを野望と言わないのは良くわかるし、せねばならぬ時には逃げずに役割を果たすが、でも！　出来るなら首など切り落としたくない！　あの意識を失わない処置を施すのはどうかと……。
何にせよ、余とロガは無事にコロッケの購入に成功した。『揚げたてだから、気つけろよ』と紙に二個ほど包まれたそれをロガが受け取り、硬貨を渡しておった。
　ロガは『首なし鶏の大脱走』を見て腰を抜かした余を気遣って『違う所で食べましょう。ここ羽根とか血が一杯だから』などと言ってくれた。
　本来ならば年長である余がそれらの事を……無理だな。だが、何時かは！
　ロガに手を引かれ、広場に出る。広場といってもただ地面が広がるだけのものであるが。何と申せばよいか……とても物悲しい。
　奴隷たちの住居の痛み具合、そして誰も管理していないような荒れ果てた土地。帝星から僅かの距離にある、余の奴隷達の住居。何故であろうか、涙が出てきそうであった。
「ナイトオリバルド様が持ってきてくれるお料理ほど美味しくないですけど」
　ロガは包みを二つに別け、コロッケを包んで余に渡してくれた。
　それを受け取りながら余は思う。ロガと共にあれば何か出来そうな気がする。受け取ったそれを両手で掴みながらロガを見る。同じように掴んでロガは『サクリ』とコロッケに噛み付いた。
「では、食べてみ……っ！！！！！」
　余は同じように噛み付き、悶絶した。くっ！　口の中が！　熱いぃ！
「ナイトオリバルド様！！」
　おまけに口内に与えられた衝撃によって、手に持っていたコロッケまで落としてしまった。
「あ、熱いのだな。手袋越しの感触とは随分と温度は違うようで……」
　そういえば食べる前にロガは『ふーふー』と何かしておった。あれがコロッケを食する為の必須行為であり、それは説明などされずとも誰でも解る行為なのだな！　昨日、硬貨の使い方のみしか学べなかった余の大失態！　膝を付き、手をつき項垂れておったらロガが、
「私口付けたのでもよければ……」
　差し出してくれた。
　何だ……地面についている腕が震えだしそうで、
「あ、あの」
　何を言って良いのか解らぬ。きつね色の衣で包まれたコロッケ、その端が小さく欠けた跡。小さな歯型と、心配そうな表情。
　声が出ない。
　余は、人前で話す事に対して緊張はせぬ。それだけが仕事であるのだから……だが、声がでない。緊張しておるのか。
「唇とかもこうですけど、うつったりしないって。うつる病気だったら隔離されてるから！」
　声を出せ！　シュスターク！　ロガが余計な心配をしておる！　これ以上顔に関して傷を深くするな！
「お前はどうするのだ？　ロガ」
　余は立ち上がり、ロガが一口食べたコロッケを受け取る。
「私は落ちたのでも、土払えば平気ですよ」
　そう言って、ロガは拾い上げ土をはらう。
　食べさせてはいけないような気がする！　な、何と言えばよい……いや、その！
　余はロガのコロッケを奪い取り、口に全部入れた。土がじゃりじゃりとして、やはり口にさせなくて良かった！　その後、手に持っているのも口に入れた。
　これをロガに返せば肉腫に対して含みがあると取られるやも知れぬ！　こ、これが余の精一杯だ！
　口の中は火傷したようだが、そんな事はどうでもいい。
「ロ、ロガ。余はお前の顔の事など全く気にしておらぬ。感染する等と一度も思った事はない！　それを証明する為に、奪い取るように食べさせてもらった！　あっ！　明日！　もう一度一緒に食べに行こうな！　二つとも食べてしまって悪かったな！　では、また明日！」

唇が痛い！　痛い！　口の中も痛い！　早く治療しようと余は駆け出した。

「ありがとう！　ナイトオリバルド様！」

　……でも良いや、痛くとも伝わったのならば……。