繋いだこの手はそのままに − 234
念のために警備についているキュラは、つまらなさを隠さずに本を読んでいた。
ラティランクレンラセオの笑い声が耳について、どんな本を読んでもまったく頭に入ってこないのだ。
「キュラ、王の様子はどうだね」
そこに皇君が悪びれた素振りもなく現れた。
「皇君さまの方がご存じでは」
”この人はいつでも態度変わらないな”と思いながら本を閉じて立ち上がり、頭を下げる。
「まあね。そうそう、我輩は大宮殿に残ることになってね。王のお怒りを和らげるために、中和剤を持って来たんだ」
「……どうぞ」
キュラは扉の前から身を脇にうつして”どうぞ”と手で合図をおくる。だが皇君は動かず、手元の薬を眺めながら、聞いて欲しいのか? 言いたいだけなのか? 判断し難い態度で、キュラが聞きたいとも思わない話をし始めた。
「キュラ」
「はい」
「我輩はこの通りザンダマイアスで居場所がなくて、居場所を得るために色々なことをしたよ」
ケシュマリスタでは《ザンダマイアス》は両性具有と同じく隔離される。その皇君がいかにして”皇君”となったのか?
「……」
キュラには”解らない”
多くの者は知らず、帝国宰相であるデウデシオンも知らない。皇君がここへ来て”皇君”となった理由は日の目を観ることなく、消えてゆくのが最良だとキュラは思った。
ケシュマリスタではザンダマイアスに名を付けることはない。だが皇君はオリヴィアストル・バーティネイフィルディ・メーディンクロロッセウという、いかにもケスヴァーンターンらしい名を持っている。
だがその名を先々代の王が与えていなかった。では誰が王の子に名を付けることができたのか?
名を持たなかった王子に名付けた人は、皇君を”皇君”として迎えた人物 ―― 皇帝 ―― 以外考えられない。
だからキュラは解らない振りをする。そうしなければ死ぬと、覚えのある感覚が肌を覆うからだ。
「その結果、我輩は居場所を手に入れることができた。だがこれが他者の不幸の上にあることも知っているから、手放す覚悟を持って生きてきた。大宮殿を出る際にすべてを失うだろうと思いながら。切望していた居場所ではあったが持つと意外に辛くて、手放せること少しだけ嬉しくも思っていたのだ。だがね、陛下と皇后が残ってくれと言ったので、残ることにした。面倒に巻き込まれて、これからも必死にこの居場所に縋るのだ」
「……」
―― まさか陛下の祖母の死に……これ程の人が関係していたとは
キュラは懺悔ではなく、あったことを懐かしむように語る皇君の言葉を前にし、早くこの場から逃げたいと感じていた。
シュスタークに暗示をかけた罰として処刑されたラグラディドネス。それに深く関わったディブレシアの夫たち。そして処刑した王たち。
「みんな罪人だと言っておこう。だから気にする必要はない。誰も彼も罪の見返りとして場所を手に入れた」
「……」
ディブレシアが言われている通りの女ではないことは、シュスタークの暗示解除宣言でキュラも解っていた。それ以上深入りしてはならないことも。
「我輩もキュラもこういう形でしか居場所を手に入れられないのだ。不幸の上に得た幸せであろうが大丈夫だ。胸を張って享受するが良い」
「なにがですか?」
「カルニスタミアが呼んでいるよ。行ってきなさい。ラティランクレンラセオのことは任せておきなさい」
「……失礼します」
「カルニスタミアが一緒なら大丈夫だろう。カルニスタミアにとってもね」
扉を開き皇君は笑いで体が暴れるために縛られているラティランクレンラセオの傍へと近付き、
「ラティランクレンラセオ、良い薬を持って来たよ。はいはい、今度は間違わないから。大丈夫、エーダリロクに調整してもらった物だから。すぐに良くなるよ」
耳元で囁き、先日”間違って”投与した時と同じように注射器にセットして首筋に打った。
「アメ=アヒニアンの子だったらしいけどね」
**********
ラグラディドネス皇太后を処刑した理由は《公にできないもの》だったのだよ。
陛下に暗示を掛けるようにティアランゼ様に依頼したから? 確かにそうだが、あの暗示は必要だとも感じていた。
だが罰するとティアランゼ様は言われた。
《公にできない理由を作る》とな。
ティアランゼ様はクルティルザーダ帝のただ一人の御子であった。だからティアランゼ様が皇位継承権を喪失すると帝国は混乱してしまう。
確かに「ディブレシア帝」ではあったが、あることでその権利は失われてしまう。
そう、親が子を産むとね。再婚はいいけれども子は駄目だ。
ラグラディドネスがクルティルザーダ帝以外の男の子を孕めば、ティアランゼ様の皇位継承権は失われる、即位していたとしても。
そうだ、彼女は妊娠した。妊娠させられたと言ったほうが正しいだろうね。
皇帝の母君に暴行する、その役割を仰せつかったのは……ねえ。
もちろん困るよ。王家としてはティアランゼ様から皇位継承権が失われてしまっては。そうだよ、折角誕生したシュスターク陛下の継承権まで失われてしまうのだ。
だから抵抗はしたのだけれど、
「余に犯されるか? 王ども。貴様等全員を搾り取って殺すことなど容易いぞ。ここにいる夫どもを殺そうか? そして次ぎに貴様等の息子をもらおうとするかな。貴様等が子を作る速さと、余が貴様等の子を搾り取り殺す速さ、どちらが上かな? 貴様等なら解っているのではないか?」
ラグラディドネス一人の命と王家の存亡だ、天秤にかけた者は誰一人いなかっただろう……そう我輩は思うね。
王たちは陥落して、ティアランゼ様の忠実なる僕である私たちが向かったよ。向かう前に一つだけ頼んだ。
それは”誰の子であるか?”を絶対に調べないで欲しいということだ。
ラグラディドネスを殺すために誕生した命は、ラグラディドネスと共に去った。誰の子かは解らない。
後悔? していないよ。
我輩は後悔などはしないタイプでねえ。嫌ではあったかもしれないけれど、自分がもう一度ティアランゼ様の寝所に入ることを考えれば、むしろ率先して行動していたかもしれないね。
ラグラディドネスが自らあんなことを仕掛けなければ、おそらく……デキアクローテムスが同じ目に遭っていただろう。幼帝である陛下から”外戚血統による後ろ盾”を奪うのが目的だから。そう、ティアランゼ様は最初から帝国宰相はデウデシオンと決めていたのだ。
皇帝陛下がお決めになったことだ、我輩はただ従うしかなかったのだよ。
**********
”正気”を取り戻したラティランクレンラセオは、数名の部下を連れ皇君に言われた時刻に言われた場所にやってきた。
待ち合わせ場所は帝后宮の高い位置から繋がる橋で、二十段ほどの階段があり、内海に白い陸橋がかかっている。
波風は強くラティランクレンラセオの黄金髪が乱れ、陽光を乱反射する。挙式用に整えられた青空に、その黄金髪と白い橋が生える。
部下の一人がラティランクレンラセオに耳打ちをした。
「王。先日、大宮殿でブラベリシスを見かけたというものが」
「……」
―― そうそう、ブラベリシスがねえ……君には関係ないか
”治療”にやってきた皇君が口にした名前。
表情や態度から皇君がブラベリシスを殺害したことを、遠退く意識のなかでラティランクレンラセオは感じ取っていた。
「ラティランクレンラセオ王」
皇君に声を掛けられラティランクレンラセオは振り返った。
「皇君……なに用だ? 高い位置から私に声をかけるとは」
後ろの高い位置から声を掛けられるとは思ってもいなかった。かつての皇君宮、現皇后宮とこの白い橋は繋がっているので、向かい側からやってくるとばかり考えていたため。
「皇后からお話したいことがあるそうです」
キャッセルが遠慮なくラティランクレンラセオに照準を合わせ、皇君がロガの手を引いて現れる。
「王……」
一発で複数の箇所を狙い撃つことの出来る銃。その銃のポインタは、すべてラティランクレンラセオの頭にある十四個の核を捉えている。
「全員、即刻消えろ。それとブラベリシスのことは放っておけ」
人間には見えない種類の光なので、ロガはラティランクレンラセオの顔に照準が定められていることは解らない。
「御意」
部下たちは”即刻消えろ”の命令を受けて、近くに用意しておいた移動艇を呼び飛び乗って去っていった。
彼らの姿が消えるまで皇君はロガの手を握り、キャッセルから「大丈夫ですよ」と聞いて手を離す。
「どうぞ」
「はい」
ロガは階段を一段一段踏みしめながら降り、橋の上にいるラティランクレンラセオと目線の位置が同じになる場所で立ち止まり、話しかけた。
「お引き留めしたのは、どうしてもお話したいことがあったからです」
「なんでしょうか?」
「ヤシャルさんを預からせていただきます。私はヤシャルさんとさほど年齢に差がないので、なにができるか? 私自身わかりませんが、預けていただいたからには出来る限りのことはいたしますので、許可していただきたいのです」
「そのようなこと、気にする必要はありません」
「未成年者を預かる際、親御さんに許可をとるのは当然のことだと思います」
―― 未成年者を預かる際、親御さんに許可をとるのは当然のことだと思います ――
ロガの世界で常識として言った言葉だが、これがラティランクレンラセオの人間に対する燻る憎悪に酸素を送り込む。
「息子は将来、貴方の敵になるでしょう。だから処分をお勧めします、皇后」
「私はそうは思いません」
「貴方を裏切った男の息子なのに?」
心地良い潮風がロガの、そしてラティランクレンラセオの頬を撫でる。温くなく冷たくもなく、心地良い潮風が。
橋から離れた海で、背の青い魚の集団が近付き海面を泡立たせ銀に彩る。そして魚が跳ねる。
「ケシュマリスタ王、あなたは私ではなく人類を嫌い、嫌っているから当然のことをしたまでであって、裏切ったわけではない―― 違いますか?」
琥珀色の瞳に強さを宿した美しい顔。背筋をまっすぐに伸ばし、ケシュマリスタのように小首を傾げるでもなく、ロヴィニアのように値踏みするわけでもなく、テルロバールノルのように見下すわけでもなく、エヴェドリットのように挑発するでもなく、さりとて真摯というほどの気負いなくロガは言う。
「正解です」
「だからこそこうして話合いに来たのです。長年の溝が対話によって埋まるとは思いません。この溝は大きく深く果てが見えない。でも人間である私と《人造人間》であるあなたが対話することにより、埋めることは不可能であっても、橋を架けることくらいはできると考えています」
―― 人間どもが好む喋り方だな。なあ《カレンティンシス》人間の意識を持った両性具有よ
「人造人間を拒まぬことが良いことではない。人間は”受け入れる”や”認める”ことを美化する傾向がある。人間が認めたのだから人造人間も認めて欲しいと言うのも、お前達人間が好む言い分だ。私はな、ヤシャルが嫌いなのだよ。どうして嫌いか解るか? あの男は人間なのだ」
「人間……」
「人間は言った、創造主である人間に従えと。お前等人造人間を生み出した人間に従えと。人間は人造人間の父であり母であると! 生み出した者が必然的に上位となる世界、それが人間の世界だ。造り出した者の意志が上位であると、造り出した者が認めるから受け入れろと。それが造った父であり母である人間の意志であると、そうバレンス・シェートは言ったのだ。私たちの意志など無視してな。私たちは人間に造られたのだから、その意志は間違っているのだと人間は諭した。正しいのはいつだって人間だ! 滅びを望んだ私たちの願いは間違っていると、共存するのが正しいと、滅びを望むのは自らを否定することだからしてはいけないと、滅びを望む人造人間は間違っているとエドレ・シェートは断言した。人造人間は人間とは違い、個人の意志なく、全てが同じ考えをするとでも!」
「ラティランクレンラセオ!」
皇君が階上で叫びラティランクレンラセオの感情に氷の矢を突き刺し、その痛みで宥める。
「……」
「どうして王政を敷いたか知っているか? 王国というのは大体は親が王だ。親が無能であれば子が殺して乗っ取っても、結果さえ出れば誰も意義は唱えん。親を殺しても良い世界だと、ルクレツィア・テルロバールノルは私たちに囁いたのだ。私たち《人造人間》は生み出した相手をなによりも恨むのだ。父を父と慕うなど、人造人間にはあるまじき思考だ」
ラティランクレンラセオの普段とは違う態度に、皇君が階上から数段降りたが、足音を聞いたロガが振り返り、手で”やんわり”と制止して、ラティランクレンラセオへと向き直り、そのシュスタークと同じく左右の色の違う瞳を見つめて、聞いたことに対する答えを含めて意見を述べた。
「私も父を無条件で慕うことはないと思います。ご存じでしょうが、私の幼馴染みのゾイがそうでした。でも一方で、あなたはヤシャルさんに慕われている。それも真実です、それを認めているから、知っているからこそ拒否するのでしょう……今のように対話したいのです。対話した結果拒むことはあるかも知れませんが、何も知らない私はその判断すら下せません。あなたの望みが人間に拒まれることであるのなら、私との対話で拒むように仕向けてください」
ロガはシュスタークのただ一人の后であり、人造人間の中にいるただ一人の人間。
「それでも貴方は拒まない、そうであろう? 人間よ」
どれ程人造人間が嫌おうとも、人間は全てを認める ―― ラティランクレンラセオはそのことを誰よりも知っている。だからこそ過去があり、こうして《現在》があり、未来へと続いてゆくことも。
「解りません。でも人間と共存を望まなかった《人造人間》の末裔と共に生きて行きたいと私は願っています。過去に皆さんと決別したシェート親子が目指した共存ではなく、共にありたいと。もちろん私はシェート親子が目指した共存がどんなものなのか未だ知りませんが、皆さんが残した記録からその共存を知り、それ以外の方法で共に在ろうと考えています」
「これだから……人間は貪欲で……」
―― これをなんと言う……人間としか言わんな。ああ、これは人間だ
どれ程人間から奪おうとも、人間は人間であることを止めない。富を美を教育を、そして世界の支配権を奪おうとも、人造人間の前に立つのは人間で、傍に寄りそうのも人間。
人間を作りあげる”人間”とはなんなのか?
ラティランクレンラセオは知らない、ロガも知らない。彼は人造人間であり彼女は人間である。だだそれだけであり、それ以上のことは解ることはない、目指すことはあったとしても。
ラティランクレンラセオは頭を軽く振り、自分の思考を冷やしてロガを見つめる。
「皇后。僕はね、幻を見せることができるんだ。幻はね、効果的に使うのは中々に難しい。でもね、人間相手なら僕たちは最高の力を発揮できるんだ。何故なら、人間が観たいものを見せるために作られたからさ。君にお祝いとして、人間が追い求めた美を魅せようじゃないか」
そう言い、ラティランクレンラセオは左手を前に出し、人差し指と薬指でロガの両目に触れそうな位置で上から下へとなぞる。
その時ロガの脳裏に広がった《もの》
「綺麗だったろ?」
ロガはそれを生涯語ることはなかった。
「はい」
ラティランクレンラセオには、本当に美しかったと告げはした。
「君は気付いているだろうが、僕は触れただけで自分の考えを伝えることが出来る。この力はエターナ=ロターヌという。詳しくは陛下に聞きたまえ」
「解りました。……ということはロターヌ=エターナという力もあるということですね」
「……賢いね。さて”私”も話合いは嫌いではない。暴力よりよほど良い、よって対話を拒みはしない。では皇后、階段を登りあの二人のところへ戻っていただきたい。そして戻ったら、此方を向いていただきたい」
「解りました」
ロガは淡い桜色のドレスの裾を摘み、潮風に少し煽られながら階段を登ってゆく。そして待っていた皇君が差し出した手に手を置き、
「ありがとうございました、皇君……ヴェクターナ大公」
「肝が冷えました。これっきりにしていただきたいものです、皇后」
礼を言い、キャッセルにも微笑んで礼をしたあとに振り返る。
階下から見送っていたラティランクレンラセオは、振り返ったロガに向けて両手を広げる。一際大きな風が吹き、ラティランクレンラセオの黄金髪を、緑色の着衣の裾を舞い上がらせる。白い橋に膝をつき、白い手袋を嵌めた手を求めるように掲げる宣言する。
「皇后よ。人間である貴方にケスヴァーンターンは忠誠は誓わないが、ラティランクレンラセオはロガを愛そうではないか」
後にロガの美と優しさに多くの男女が彼女の忠実なる僕となる。特に男性は”ロガの使徒”と呼ばれ、その最初の人物こそが、ラティランクレンラセオであった。
ロガは驚き、自分が愛するのはシュスタークだと言おうかとも思ったが、ラティランクレンラセオは返事を望んでいないことを表情から読み取り、その美しい琥珀の瞳を閉じて頷き、皇君に手を引いてもらい大宮殿へと戻っていった。
「簒奪する理由が増えた。矛盾してはいるがな」
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