繋いだこの手はそのままに − 232
 笑い続けているラティランクレンラセオを背後から蹴る『マスク・オブ・儂』と名乗っているカルニスタミア。
 味方だとは思っていなかったラティランクレンラセオだが、殴られてはっきりと敵と判明したので、
「きさやああ。あああぎゃはああはは! いちたいはいああああ! ふひゃひゃひゃひゃひゃ! にょうしょうぶではなきゃきゃきゃきゃははははきゃはは!」
 何を言いたいのか解るような解らないような笑い声を上げる。
 ただ”この場面”で言いたいことは誰でも大体は理解できるので、デウデシオンが手を止めて、
「誰も一対一で勝負などとは言っていない。もっとも、マスク・オブ・儂とやらは私も知らぬが」
 返事だけはしてやった。無論、返事をするのが目的なのではなく、通信を繋ぐことが目的。
 画面に映し出される目を見開き白目を血走らせているラティランクレンラセオを見て、溜飲を下げようとしたのだが……

『まだまだ足りんな』

 この程度ではデウデシオンの怒りや復讐心などは収まらず。
 同じく映像を見たカルニスタミアもデウデシオンと同じ。ザウディンダルやカレンティンシスに対する公にはできない数々の暴行。正式な手順を踏み罰することが出来ないからこその復讐。
 だがそれでもカルニスタミアは冷静であった。
―― データが欲しいだけだから ――
 エーダリロクの言葉を思い出し、突然殴ることを止めて踊り出すことも忘れない。踊ることでなんのデータが蓄積されて、前線がどう変わると思っているのか? そう問い質す隙を与えない動き。
「あれは完全にカルニスタミアの動きだな」
 何をやっても超一流の王子は、空気を読まないことも超一流であった。
「ザセリアバ、あの動きがなんの役に立つのだ?」
「知るか。お前の弟が依頼したのなら、我が解る筈もない。天才の思考は思いも付かないからな。それにしても、よくこんな馬鹿げた依頼を引き受けたもんだな、カルニスタミア」
 エーダリロクはそんな依頼していないのだが「していない!」と宣言するわけにも、マスク・オブ・儂に「普通に動け」と指示を出すわけにもいかず、自分と機動装甲をリンクしている頭部に乗せたケーブル環を握って心の内で叫ぶ。

《よく解らんが諦めろ、エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル》

 機動装甲戦は専門外のザロナティオンが”マスク・オブ・儂か。面白いな”と思いながら慰めていた。
 華麗に踊る人間でいえば目の部分を黒塗装した機動装甲と、
「ぎぎゃっげひゃっ……ぎっ……あああぎゃああぁつ」
 笑い続けて血を吐いて内臓まで痙攣しはじめた王兼帝国騎士と、
「ふははははは! ひゃーはははははは! きひゃひゃひゃひゃひゃあー!」
 同じように笑い出し、殴る手にいっそう力が篭もる帝国宰相。
「ラティランクレンラセオは無事か」
 帝星で”どのタイミング”で止めさせようかと見守っているランクレイマセルシュが、これらに詳しいザセリアバに尋ねる。
「あの程度じゃ死なんだろうな。それにしても帝国宰相の野郎、えげつないってか、上手く外してるな」
 ザセリアバは破損数値を見ながら、無事を確認しつつ、計算されつくしている”ダメージが与えられた箇所”を見て頷く。
 殴れば即座に瀕死になる箇所を外し、僅かずつしかダメージを食らわない箇所を殴り続けるデウデシオン。
 ラティランクレンラセオに使った劇薬は薬の効果で決して意識を失うことはない。
 笑って胃の内容物から胃液、血に胆汁にその他諸々を吐いても、内臓と筋肉が痙攣しても決して意識を失うことはなく、延々と笑い続ける。
 この無限の笑いから逃れる方法は二つ。
 一つは中和剤を打つこと。もう一つは殴って壊すこと。痙攣している内臓も筋肉も、殴って破損すれば”止まる”という訳だ。
「殴られて気を失った方が楽だろうな」
「それにしても帝国宰相の笑い。誰かに似てる気がしないか?」
「我はとくに感じないが?」
 ランクレイマセルシュとザセリアバが傍観している脇で、
「ディブレシア帝じゃ、ランクレイマセルシュ」
 カレンティンシスが額に手を当て、眉間に皺を寄せて己の耳奧に残ってる笑い声を引き出し、検証して先代皇帝の名を出す。
 カレンティンシスよりも年少の二人、とくにザセリアバは最年少でディブレシアに会う機会がなかったので、
「それは知らなかった。ディブレシアな、そうかディブレシア帝か」
 カレンティンシスの言葉に驚く。
「ああ、そうだ、そうだ、ディブレシア帝だ。帝国宰相、あの男も色々言ってもディブレシア帝の血を色濃く引く男だな」
 ”以前の”デウデシオンならば言われたら無言で拒否したであろうが、

『今頃それを言われても、痛くも痒くもないわ! きひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃあー!』

 吹っ切れたデウデシオンには、これといったダメージにはならない。
「あれ、ディブレシア帝の息子ってのを良いことに、好き勝手しそうな勢いだな」
「トラウマというやつがなくなったのか……面倒だな」
 四十年近くに及ぶ屈折と、三十年近くに及ぶ実母からの虐待を乗り越え、愛する弟妹を手に入れた権力者。
 良く言って自由に。
 悪く言ったらどうにもできない。
「枷が外れた帝国宰相か……それよりも、カルニスタミア! 戦うのなら戦え! 貴様、テルロバールノル王子として! ……」
 弟同様、正統派に空気を読めないカレンティンシスの叫びを、
「黙ってろ、カレンティンシス」
 ザセリアバが羽交い締めにして口を手で覆う。
―― 離せ!
 と叫びたいが声を出すことも出来ず。

 宇宙空間で笑い声を上げながら、リンチを続ける二体。
「きしゃああああ! ぎゃははははは!」
「くたばれ、ラティランクレンラセオ! きーひゃひゃひゃひゃひゃあああー!」
 止めるタイミングを計りつつ「ちょっと手遅れにしても、あまり問題はないよな」と考えないでもない王たち。
「儂も遅れを取らぬように笑うか、はははははは!」
 正体バレバレな笑い声を上げる『マスク・オブ・儂』と、
「キャッセル兄、兄貴を止められないのか! タバイ兄が!」
 崩れ落ちたタバイの傍で、最強騎士に助けを求めるザウディンダル。
「えっとねー、無理。あのね、御免ねザウディンダル。私は殺すことはできても、生かして戦いを止めることは出来ないんだ。ラティランクレンラセオは殺さないように皇君さまから言われているから。まあ無理ってことだね」

―― 皇君殿下、愚弟に命令、ありがとうございます

 タバイは己の腹を抱き込みながら、キャッセルに厳重注意をしてくれた、迷惑極まりない皇君に礼をする。
「でも……ああ! ラティランクレンラセオ王の機体が重力につかまった! 落ちる!」
 デウデシオンに殴られていたラティランクレンラセオの機体が帝星重力に掴まり、
「ぎぇぎおはああ、がやあああ! ぎゃああああ!」
 笑い声が何時しか叫び声になったラティランクレンラセオは重力に掴まった機体を制御できずに、
「高貴なる一族の一人である儂の爪先にかかって落ちること、ありがたくおもえ! この下賤が!」
 テルロバールノル王家丸出しの叫びと共に、マスク・オブ・儂の足がラティランクレンラセオの機体の背中を蹴りつける。
「落ちちまう! 大宮殿に落ちて!」

 ザウディンダルが絶叫しているその頃、

「お昼ご飯、美味しかったですね」
「そうだな、ロガ」
「ナイトオリバルド様」
「なんだ? ロガ」
「瘡蓋できました。剥がしてみますか?」
 食後のコーヒータイム、ロガが手袋を脱ぎシュスタークに手の甲を見せていた。
「……こ、これが瘡蓋。剥がすってどうやって?」
「こんな感じで、爪を立てて」
「痛くないのか?」
「平気ですよ。でもラティランクレンラセオさんって不思議な方ですね。瘡蓋なんてナイトオリバルド様と同じで見ることないでしょうに」
「まあな。”瘡蓋を見ると剥がさずにはいられない”は……たしかに不思議だな。今は何をしているのだろうな、ラティランクレンラセオは」

「きゃははははは……きぃひゃぃひゃきぃきぃは! やああにゃああきはや!」

 その頃ラティランクレンラセオは、気が狂わんばかりに笑っていました。

 顔面蒼白になっているだけでは済まないのが、ラティランクレンラセオ陣営。
 王を一応助ける必要があるのだが、助ける方法がないので《慌てている》しかない。キュラも仕事をしていたように見せる必要があるので、様々な《不必要》な指示を出す。
 慌てていない人と言えば ―― ラティランクレンラセオは笑い薬に対しての耐性が弱いよ。どうだい? 作ってみたら。帝国騎士は薬物を扱うだろう。そうだキャッセルの元で作らせたら、まあラティランクレンラセオも解らないだろうねえ ―― この状況を提案した皇君オリヴィアストルだけ。
 彼だけはこの状況を優雅に眺め、
「本当に似ているな、ティアランゼ様の笑いに」
 過去を振り切ったデウデシオンに声援を送る。
「皇君さま、なにを笑っていらっしゃるんですか」
「いやあ、デウデシオンの笑い声が本当にティアランゼ様に似ていてねえ」
「ディブレシア帝って、そんなに低い声でしたっけ?」
「心胆が冷えるような低い声をお持ちだったよ。喘ぎ声もそれはもう低くて、我輩たちは縮み上がって、身を寄せ合っていたものだよ」
「縮んでも許してもらえなかったんですね」
「もちろんだとも」
 そんな話をしていると、モニタリングをしていた部下たちが一斉に声にならない叫びを上げる。
 ラティランクレンラセオの機体が制御不能になり、帝星に落下し始めたのだ。
「聞いて済みませんでした。おっかないことそれ以上回想しなくていいです、皇君さま。エーダリロク、うちの王様の落下予測ポイントを教えて……落下ポイントは……っと。よし僕行ってくるね」
 《この勝負》によって起こる事象の全てはエーダリロクが制御するので、キュラたちは黙ってモニタリングしているしかできない。
 エーダリロクは落下してくるラティランクレンラセオの機体や、降下を開始するだろうデウデシオンの機体を人間の目に映らないように光の屈折を変えることや、地表に衝突した際の衝撃を帝星気象監視システムに記録されないように手を打ったりと、次々に情報を改竄する。そのため他者は下手に手を出せないのだ。
 キュラは用意しておいた高速移動反重力ソーサーに飛び乗る。
「我輩も連れて行ってもらえるかね」
「いいですよ、皇君さま。しっかりと僕に掴まってくださいね。僕たちが使うのは性能だけが重視されてて、乗り心地なんかに気をつかったりしませんから」
 そう言いつつもキュラはソーサーの上で手を差し出し、それなりの礼儀をとる。
「ああ。掴まらせてもらおうか」
 皇君は遅いわけではないが、ゆったりと見える動作でソーサーに乗り、
「キュラの腰に手を回していいのかね」
「はいはい、好きにしてください。できるだけ体はくっつけて下さいね。では行きますよ、皇君さま」
 キュラはスロットルを回して、エーダリロクから教えてもらった落下ポイントへと急いだ。

―― 早く到着しないと……来たよ、降りてきたよ。帝国宰相!

 キュラはラティランクレンラセオことは嫌いで死んでしまえばいいと思う反面、見捨てたら次の王がヤシャルだと思えば《微妙》な気持ちになり、助けられるならば助けたほうがいいな……という気持ちに傾いてしまうのだ。
 そんな複雑な感情のキュラと、なにを考えているのか不明な皇君が向かっているポイントに、もう一組も向かう。
 落下してゆくラティランクレンラセオを追って、降下してきたデウデシオン。追加攻撃を加えようとしているデウデシオンを止めようと、ザウディンダルを抱いたタバイをキャッセルが軽く握り、ポイント目指して低空飛行を開始する。
 戦いを率先して止めたいわけではないが、止めなくてはいけない立場の二組が到着する前に、二体は落下した。
「きーひぃひゃきひゃはは」
 普通の人間なら窒息する程笑い続け、痙攣しながら、ラティランクレンラセオは転がり逃げ、
「しねぇ! ひーひゃひゃひゃひゃ!」
 逃げるラティランクレンラセオを踏みつけては蹴飛ばし、大宮殿の破壊行為に勤しむデウデシオン。

「キュラ、あれをどうやって止めるのかね」
「僕には無理ですね、皇君さま」
 先に到着したキュラと皇君が、弱っているもの嬲りに見える状況をいかに打開すべきかを……真剣に考えても無駄なので、考えている”ふり”をして見守る。
 そうしていると別方向から、これまた大宮殿を破壊して胸元にオーランドリスの紋章を象ったキャッセルの機体《ブランベルジェンカ・オリジン》が現れた。
 便宜上というか名目上は決闘で、一応敵対陣営同士なので対応策などの連携はないが、
「手から出て来たの団長閣下とザウディンダルだ。どうにかなりそうですね、皇君さま」
「そうだね。我輩の出番になるかと思って、緊張していたよ」
 どうにかしてもらえるだろうとケシュマリスタの二人は息をついた。
 もっとも皇君は、まったく緊張も事態収拾も考えてはいなかったが。
「兄上!」
 タバイが叫びながらザウディンダルを抱き上げて、ブランベルジェンカ・オリジンの肩の付け根まで移動する。キャッセルはブランベルジェンカ・オリジンの手を前方に出し、そこをザウディンダルが、
「ゆっくり指先に向かって歩いていけばいいんだな? タバイ兄」
「ああ。それで収まるとタウトライバが言っていた。危険なことがあったら……まあ一つの例外以外は守るから安心し、このタバイを信じて”もう止めて”と叫びながら行ってくれ」
 ”一つの例外”とは誰でもない、デウデシオンのことであるが、ザウディンダルとしてどんなことがあってもデウデシオンは危険にはならないので言葉を濁した。
 ザウディンダルは向き直り、白い機体の上をゆっくりと歩いてゆく。
「兄貴! もうやめてー!」
 先程まで狂ったように転がり逃げるラティランクレンラセオを追っていたデウデシオンは動きを止め、穏やかに近付いてきてブランベルジェンカ・オリジンの指に己の機体の指を絡ませて、操縦部を開いてバラーザダル液を捨ててザウディンダルを目指して駆けてくる。
 組まれた機動装甲の指の上で、二人は再開を果たし、
「兄貴、もう……」
「解った、それ以上言うな」
 周囲の目を憚ることなく熱い抱擁を交わす。
 くすんでしまったかつての白亜の大宮殿、皇帝の騎士である純白の機体と曖昧なる灰の機体の中心で、抱き合う二人。空には薄い白い雲がヴェールのようにかかっていた。
「……なにしてるのかなあ」
 事態は収拾したものの、キュラとしてはどうしても突っ込みたかった。
 特にブランベルジェンカ・オリジンの肩の付け根で、胃の痛みに耐えていることが一目で解るタバイの表情を見ると、どうしても言いたくなったのだ。
「さあ、我輩たちは操縦室から王を助け出そうか。一応その為に来たのだからね」
「はぁい、皇君さま。王、大丈夫ですか? 王。ラティランクレンラセオ王……開かないな。エーダリロク、外部操作で開いてくれない」
 殴って壊すのも面倒と、全てに権限が及ぶエーダリロクに頼む。
『了解』
 操作部が開き、バラーザダル液から転がり出て来たラティランクレンラセオ。
「きひやははははひゃきひゃきききゃふにゃああ、ふゅやあああああ!」
「うん、うん。ラティランクレンラセオ、君がなにを言っているのか、我輩には解らん。まあ落ち着きたまえ、中和剤を打ってあげるから」
 皇君は銃型の注射器を取りだし薬をセットする。”ぷしゅ”という音とともに薬が充填されたのを確認して首筋に近づけた。
「皇君さま! それオリヴィエルの原液!」
 ”オリヴィエル”はラティランクレンラセオに使われた笑い薬の名称。シリンダーの液体が減っていくのを眺めつつキュラは硬直する。
 皇君はと言うと、
「おや? 中和剤に自分の名前を書いて保管していたつもりだったんだがね。ははは、薬品名だったのか」
 ヴェクターナ大公オリヴィアストル。似ていると言えば似ているし名前も確かに記入されているが、どう見ても”わざと”
「やれ、大変なことになってしまったね。正気に戻ったラティランクレンラセオが恐いから、我輩は宮殿から去ることにしよう。これから引っ越すから、あとは任せたよ、キュラ」
「皇君さま! 逃げるのはいいですけれども、運ぶのは手伝って!」

 帝星でこのような状況になっている時、宇宙ではなにが起こっているかというと……

『タバイ兄さん。これで良いんですね』
「事態は無事……こらっ! キャッセル」
『宇宙が大変なことになってます。行きますよ、タバイ兄さん』
「待て! キャッセル。私を握っ……!」

 オーランドリス伯爵キャッセルが出撃しなくてはならない状況に。

 腕が振り払われた際にデウデシオンはザウディンダルを抱きそのまま地表に飛び降り、飛び去るキャッセルを黙って見送った。
「キャッセル兄、タバイ兄を握っていっちゃったよ」
「タバイであれば大丈夫だ。ザウディンダル、怪我はないか」
「ないよ。兄貴が庇ってくれたから」
 たしかにタバイは宇宙空間に飛び出しても平気ではあるが。
「少しは心配してやれよ……帝国宰相」
「ぎひぃあはああっっきゅはあああっあっぎゃあああああ!」
 暴れるラティランクレンラセオを持ち運ぶために拘束しているキュラが、声を潜めずに突っ込んだ。


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