ロガから《虫料理》の話を聞いたシュスタークはデウデシオンに取り計らうよう命じた。”畏まりました”と返事をしている時の下を向いていたデウデシオンの表情は、最愛の弟妹に見せられないものであった。
今日の夕食、ロガとシュスタークはロヴィニア王族関係の者たちと取る予定だったので、その時間をデウデシオンが、
―― ……となった。だから交換してもらおう、ロヴィニア王
―― そんな楽しいことならば喜んで。今回はお祝いだ、無料で譲る
今日起こったことと、今日これから起こることをランクレイマセルシュに説明し、予定変更することに成功。その後ザセリアバに連絡を送る。
予定が変わった理由から料理のメニューまで。額と首に青筋を立てて睨み付けるも、
『恨むのならまだ皇后を承認しない二王を恨むのだな。あの二名がまだ皇后を許可していないのが悪い。もしくは貴様を陥れること多しのランクレイマセルシュを恨め』
デウデシオンは上機嫌で通信を切った。
発狂寸前のザセリアバだが、馬鹿ではない。アルカルターヴァとケスヴァーンターンの二名がまだ同意していないことは承知しているので「皇后確定」と言い切れないことは充分に理解していた。ただ理解していることがなんの慰めになるのか? は、ザセリアバ自身も解らない。
事態の経緯を聞いたデ=ディキウレが、
「よろしいのですか? 長兄閣下」
明かりを完全に遮断した執務室を、モップで掃除しながら尋ねる。
「構わん……ザウディンダルが来たようだな。カーテンに隠れろ」
廊下側から入ってくる明かりもデ=ディキウレには厳禁なので、遮光カーテンの影に隠れて、
「兄貴!」
「もう少しゆっくりと入ってこい」
「ごめん。あのさ、掃除するって聞いたからこれ」
バロシアンから事情を聞いたザウディンダルは、エーダリロクに頼んで手に入れたS−555改良型を持ってやってきた。
ザウディンダルに抱かれていたS−555は部屋中に散らばる痕跡にライトが点滅し《降ろしてください、ザウディンダルさん。男はいかねばならない時があるのです》とばかりに、側面から拭き取り用の道具を出した。
「掃除させてもいい?」
「構わん」
水を得た魚、汚れを得た清掃機、そしてカーテンに巻かれているデ=ディキウレ。
「あれ? 兄貴。あそこに誰かいるの?」
「良い機会だ。出てこい、デ=ディキウレ」
―― カーテンの中心から現れたデ=ディキウレ兄貴は、一目でデ=ディキウレ兄貴だってわかった。だって動きが息子たちとそっくり……いや、息子たちがそっくりなのか
感動の対面を果たした弟二名に、
「私は夕食会に参加してくる。部屋を片付けたらデ=ディキウレ、ザウディンダルにケベトネイアを紹介してやれ。ではな」
部屋を任せて、デウデシオンは足取り軽く夕食会へと向かう。
たとえ食卓に乗るものが虫料理であろうとも、その調理方法を弟のアニアスをして「グロテスク調理法ですね」と言われていようとも。
**********
「ロガ」
「ナイトオリバルド様」
「今夜夕食に招いた。ロガが料理する事も伝えておいたぞ」
「ありがとうございます」
ロガはなにも疑わず、シュスタークも全く疑わず。
メーバリベユ侯爵と共に台所で料理の支度をしているロガを見つめながら、
―― そうか、虫料理好きであったのか。ザセリアバは虫がそれほど好きではないと聞いていたのだが……食べることは平気か。リスカートーフォンだからな
今度一緒に食事をする際には、料理メニューにある虫料理のコースでも頼むか……などと、ほんわか考えながら椅子に座っていると、台所からあり得ない音がしてきた。
轟音ではなく爆音でもない。だが決して心安らぐメロディーではない。
叫びでもなければ、動物の泣き声でもなく……
「調理する時はこんなに音がするのか」
「いいえ。皇后だけですよ。皇后の調理音ですわ」
「そうか。ロガだけなのか、ロガが調理しているとこういう音がするのか。覚えておこう」
「それがよろしいかと」
その音、一言で表すと《ロガの調理音》である。ちなみに自称詩人である皇君に師事したシュスタークのすべての語彙で言い表すと《弦が緩んだバイオリンを足の指で奏で、無数のグランドピアノ同士を激突させ、ハープの弦を切り裂きながら、ロヴィニア勢が横二百人並び硬貨を数え、あひるがふくろうの鳴き真似をしているような音。それらすべて重なっている》
親戚筋のビーレウストの暗黒史よりもマシな出来だが、ビーレウストと感性が似ているところは否めない。
そんな奇怪な音を上げながらロガは調理を続ける。
火にかかった油は油柱となっているのに油臭さはなく、シュスタークも嗅いだことのない匂いが充満する。
「ロガ、火傷などはしていないか?」
「火傷はしてませんけど、手の甲に擦り傷が。覚えはないんですけれど」
調理中は手袋を外しているので、手に怪我をしても不思議ではないのだが、油に虫を投入しているだけなのに、なぜか右手の甲が軽いが広範囲の擦り傷を負っていた。
「おお! 治療せねば」
普通ならば ―― なぜこんな怪我を? ―― とでも突っ込むところだが、シュスタークにそれを望むのは野暮というもの。
「あの、あとでいいですか? 今お料理中なので」
「痛くはないか?」
「痛いですけど、このくらいなら平気です。こんなのすぐに瘡蓋になっちゃいますよ」
「瘡蓋……」
「どうしたんですか? ナイトオリバルド様」
「あのなロガ……ああ! ロガ、油柱が一層巨大に! 天をつくかの如き!」
絶対に火災にならない安全鍋の本質が揺らぐ程の油の壁、そしてその壁を昇るかのごとき虫。
ザセリアバに食べてもらうためのロガお手製の虫料理がなんとか完成。
「レッシェルス様が食べたくても無理だったろうなあ。お父さん、料理上手だったから」
ロガは出来上がった”素揚げ”を前に、シュークリームを作ってくれた父のことを思い出す。決して失敗することなく上手に膨らむシュー。さほど料理が下手ではないゾイでも作れず、シャバラも五回に一回は失敗していた。ロガが作ると今目の前にある素揚げの状況とほぼ変わらない。
違うのは爆発したシューは料理として出せないが、爆発した虫は料理として出せる……そうロガが勘違いしていること。
皇后が望み皇帝が認めた時点で、それは全て正しいこととなるので帝国としては問題はない。
二人は正装に着換えて、ザセリアバたちの到着を待っていた。普通ならば待つことはないのだが、今回は急な予定変更と手料理ということもあり、待たねばならなくなった。
室内は必要最低限の人だけ。ほとんど召使いがいないのは、ザセリアバの我慢が限界になって暴れ出して被害が及ばぬように遠ざけて ―― 到着までの間、会話を楽しんでください ―― メーバリベユ侯爵が二人に違和感を持たせないように取り計らった。
「あと、その……本当にいいのか?」
「式典の最中は絶対に手袋着用ですから……」
「そうではなくて、痛いのであろう?」
「このくらい平気です。お見せしたら直ぐに治療してもらいますから」
ロガが負った擦り傷は治療していない。
理由は「瘡蓋」という単語にシュスタークが興味を持ったからだ。シュスタークたちは滅多なことでは瘡蓋などはできない。
小さな怪我も即座に機器で治療してしまう。
「あのな、ラティランクレンラセオが教えてくれたのだがな……」
「ラティランクレンラセオさんが?」
シュスタークは瘡蓋という存在を知っていても、見たことはない。皇帝の前にわざわざ負傷したままの姿で現れることはない。また”物が物”なので「実物を見てみたい」等といっては大事になると、シュスタークはこの年になるまで実際見たことがなかった。
「じゃあ、私の手に瘡蓋できるまで見ますか? 剥がしてもいいですよ。ちっちゃいから楽しくないとおもいますけど」
瘡蓋を見た事がないと語るシュスタークに見せてあげようと、
「手袋で隠れるから平気ですよね」
メーバリベユ侯爵に式典に差し支えないかどうかを尋ねる。
「はい。ですが皇后、よろしいのですか? 良かったら私が代わりに」
「ダメですよ、ナサニエルパウダさん。ナイトオリバルド様はそれが嫌だから、いままで瘡蓋に興味を持っても我慢してきたんですから」
シュスタークは望めば叶うが、叶えないままにしている物も多数ある。
「そうでした。陛下、失礼いたしました」
「いや……その、そんな大したものではないのだが」
「陛下」
「なんだ? メーバリベユ」
「先程のお話、聞いてしまったのですが、ケシュマリスタ王が……」
**********
「奴隷皇后恐るべしとでも言っておくか」
連絡を聞いたザベゲルン達が、生暖かさもなにもなくただ普通にザセリアバを見つめる。
「……」
連絡を受け取ったザセリアバはビーレウストに当たり散らしたが「俺が虫料理を作る方法教えて、勧めるように言った訳じゃねえ!」言い返されて「そんなことは解っている! ただの八つ当たりだ!」とザセリアバ叫んでしまい、ビーレウストから同情の眼差しを受けて腹立てて殴ったりと騒ぐも、根本的な解決にはならない。
ザセリアバは正式な衣装が届き、皇王族として正式に参列することになった元僭主の面々を見回し一人の男に目をつけた。
「貴様、我の代わりとなれ」
「……」
声を掛けられたのは投降元僭主の中でもっともザセリアバに近い容姿をしているエンデゲルシェント=エディンゲラ。
ザセリアバと同じという時点で彼の容姿は説明されたも同然なので省いても問題はない。
そんな彼個人の情報としては十七歳で、兄がディストヴィエルドで従兄がザベゲルン。
母はランクレイマセルシュから持ちかけられた賭けに乗って敗北したインヴァニエンス。
母の姉が直系主でザベゲルンの母にあたり、父の兄の一人がハネストの元夫でトリュベレイエスの父であるジャスィドバニオン。
大叔父はハネストの父であるケベトネイアとなる。
ちなみにトリュベレイエスの母親はハネストではない。
超回復能力は仲の悪い兄には及ばないが持ち、最大直系二十五メートル程の紅玉のようなバリアを張ることも可能。
容姿が容姿なので勘違いされそうだが、同性である男は生来興味範囲外。女は取り立てて好きというわけではないが、普通に興味はある……だったのだが、帝星襲撃の際にアウロハニアに一目惚れされて口説かれている最中。
非常に迷惑を被っているのだが、リスカートーフォンは基本「弱いやつが悪い」思考で、それは貞操においても同じ。《負けたら諦めろ。諦めるまで勝て》と誰も相手にしない。
伯父のジャスィドバニオンあたりは「帝国の重鎮の一人だ。聞けば未来の団長候補の一人だとか。帝国で地位を築く方法としては悪い話ではなかろう」と冷静に諭すわけではないが意見を述べる。
生まれた時から母がインヴァニエンスで兄がディストヴィエルドという”外れ”を引いていた彼は「ここでもか……」と肩を落としていた。
ただ肩を落としてる時間があるのは、何時もなら弟の恋路を実らせようと間違った応援をするタウトライバが、ただいま絶賛娘の名前考え中ではまってこないためである。タウトライバが復活したその時は事態は劇的に……。
エンデゲルシェントは虫を食べることには抵抗がないので、
「王の影武者を任されることになるだろうな」
「それはそれで良いが」
王の正装を着用し、
「では王は我の隣の席に」
ザセリアバはジャスィドバニオンと共に夕食会場へと向かった。途中で合流したデウデシオンに殴り掛かりたかったザセリアバだがじっと我慢し《王》の隣を歩いているヴィクトレイが、それとなく話しかけて気を逸らさせる。
「王は口を開くこともできぬそうだ」
「私の知ったことではない」
「それはそうだな」
デウデシオンとしては嫌われようとも何ら問題はない。元々信頼など存在せず、たまに手を組むだけのこと。互いに隙あらば排除しようという関係なのだ、手料理の披露会がもたらすものなど、ないに等しい。
会場入りし、
「来たか、ザセリアバ」
シュスタークは基本的に着衣でしか四大公爵を見分けられないので、当然ながら《王》に近付いてゆく。
そこにやって来たのが、
「お祖父さまの代わりにやってきた、わ☆た☆し! ハイネルズです!」
ケベトネイアの代理としてやってきたハイネルズ。ただやって来ただけでも厄介な彼は、ある目的を持っていた。又従兄の《エンデゲルシェント》と仲良くなろうと、手料理持参でやってきたのだ。その手料理も”虫料理の晩餐会”と勝手に解釈し、ならば負けずと作ってやってきた。
「エンデゲルシェントさん! 私の手料理受け取ってください!」
ハイネルズが《エンデゲルシェント》に向けたもの、それは”虫の海鼠巻き”
”このわた”を作るために内臓を抜いた海鼠に、虫を突っ込むというダイナミックさが売りの料理。
「……」
《エンデゲルシェント》の隣に立っていたジャスィドバニオンが目を逸らす。
―― 本物のエンデゲルシェントであれば、驚くが受け取って食べてみたことだろう
それというのもエンデゲルシェント、わりと海鼠が好きなのだ。ケベトネイアはそのことをハイネルズに教え……そして説明する必要もないが、ハイネルズの頭の中で「ぴこ☆ん」と音がするか電球が光るかして、創作料理を作ってやってきた……という訳だ。
これだけでも厄介なのに、
「ナサニエルパウダさん、あの奧にいらっしゃるリスカートーフォン公爵の案内を頼みます」
「奧? ですか」
「はい。ナイト……シュスターク陛下、その方はリスカートーフォン公爵ではありません。おそらくハイネルズさんの隣に立っている人の息子さんか甥御さんです」
ロガにはまったく通用していなかった。
ロガの特技を知らない者ばかりなので、この策が通用すると考えてやってきたのだ。
「……」
ロガの能力に覚えのあるデウデシオンは黙って、そして下を向き顔を手で覆い笑い出しそうなのを堪えて、
「陛下、騙すかたちになり、申し訳ございません。これは元僭主たちからの余興にございます。もっと騙せるかと思いましたが、皇后の眼力が宇宙屈指の物であること、このデウデシオンすっかりと失念しておりました」
「あ、ごめんなさい。私、気が回らなくて」
シュスタークの為に用意した ―― ロガはそう理解して謝るも、メーバリベユ侯爵はデウデシオンの言いたいことを完全に読み取った。
”虫嫌いで代役立ててきた”を隠し通すようにという無言の指示。
「いや、良いぞロガ。余は完全に騙された。して、お前は誰だ?」
シュスタークが気分を害するわけもなく「ロガが余興を先に当ててしまった事」に対しても怒るはずもない。
「エンデゲルシェントと申します。その皇后が言われた通り、隣に立つジャスィドバニオンの甥です」
「ほぉ! そうか。ロガ、あたっていたぞ。すごいな、ロガ」
「本当に素晴らしいですわ、皇后。私も陛下同様、すっかりと騙されてしまいました」
その後ザセリアバは王の席につき、ロガ自らが運んできた料理……
「お待た……きゃあ!」
「ロガ危ない!」
ロガが転びかけて、皿が吹き飛びザセリアバは頭から浴びることになった。ザセリアバの身体能力を持ってすれば避けられたが、飛んでくる通常の形状よりも酷くなった虫たちを見て、意識喪失。そのまま浴びることに。
脇にいたヴィクトレイが、腹を小突いて意識を取り戻させ、
「ありがたくいただこうではないか」
黄金髪に絡まった虫を摘みザセリアバの口に突っ込み、再度意識喪失。泡を吹くこともなく失禁することもなかったのは……ザセリアバの王らしさに寄るものなのか? 運であったのか? それは解らない。
「皇后よ。王はあまりの美味さに失神したようだ。失礼ながら幸せな世界から無理矢理連れて来るのも可哀相ゆえ、このまま夢をみさせておいても良いだろうか?」
これ以上は血をみることになるのは火を見るよりも明らかなので、上手く打ち切りあとは皆で虫料理を堪能しつつ話に花を咲かせた。
「ははは。まさか死闘を演じた相手とこうやって、ロガの手料理を囲んで話をすることになるとはな」
「我とて想像もしておらん。ところで奴隷……ではなく皇后、中々に料理が美味いな。さすが悪食下級貴族に仕えた父親が”食べさせたかった”というだけのことはある」
「ありがとうございます」
この後ザベゲルンは、ロガがビーレウストと共に作った破壊兵器並の菓子を消費してゆく役目を仰せつかった。虫料理以上の破壊力を持ったそれに、さしものザベゲルンも驚いたが、それを食べるだけで特別手当が出るので、資産不足の皇王族の一派の主として食べ続けた。そういった点では彼はロガに料理を止めるように忠告することはなく、この一件で大ダメージを食らったザセリアバは、後にロガに似た料理下手は王国では料理してはならないと王族法として定めた。
それというのも、ロガのこの料理下手は先天的なものなのか、親王大公にも遺伝してしまい、ザセリアバの息子の妃となった親王大公も御多分に漏れずの上に、ロガから虫料理好きと聞いてきて、舅であるザセリアバにロガほど破壊力はないが酷い虫料理を差し出し……結果として法制定となった。
人を殺しても罪にならないのに、料理下手が料理すると罪となる。エヴェドリットはそんな国である。
ちなみにエンデゲルシェントはハネルズの創作料理を、
「味はどうですか☆」
「悪くはない。一つ一つの味はいいが、もっと味付けを」
「素材の味ってやつですよ。物は言い様ってヤツですけれどね!」
切らずに一本のまま食べていた。
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