繋いだこの手はそのままに − 204
「誰じゃ。儂はライハ公爵じゃ」
「……俺はエーダリロク。ロヴィニアの王子だ」
「ほぉーもしかして噂に聞く、セゼナードか」
「そのとおり」
部屋に入る前に説明を聞いていたエーダリロクは、カルニスタミアの幼児化に普通に受け答えをする。話を聞いていなかったら驚いたかも知れないが、エーダリロク自身「肝が据わっている」ので驚かなかったかも知れない。
「積み木が欲しいって聞いたんだが。俺のやつ貸してやろうか」
「いいのか」
「いいぞー。でも兄に借りても良いか聞け」
「借りても良いか、兄上様」
「おお。構わんぞ」
「じゃあちょっとヨシュフィール公爵借りるぞ」
”ヨシュフィール公爵”はカレンティンシスが王子だった頃の爵位。カルニスタミアが五歳の頃には王太子位の”サフラローデス”が正式呼称になっている。他の王族ならまだしも、テルロバールノルはここら辺が徹底しているので、幼児化したカルニスタミアが意義を唱えないあたりに、
「いってらっしゃい、兄上様」
―― 三歳前後ってのは……妥当な線だな
「おお、待っておれ。カルニスタミアよ。アロドリアス、カルニスタミアの遊び相手を務めることを許可してやる」
「ありがたき幸せ」
エーダリロクは納得して、カレンティンシスを連れて一度部屋を出た。
「どうじゃ?」
「すぐに治るな」
「治ってしまうのか」
「治るの嫌なのか?」
エーダリロクが”ええ?”と言った表情でカレンティンシスを見ると、
「いや……その……治るのは良いのじゃが」
不必要に手足を動かして顔を背ける。
「俺から見るとあのカルニスは気持ち悪いけど”兄上様”はそんなことないんだ」
―― 俺の兄貴だったら斜め四十五度で殴って終わりだろうけどよ
「煩い! セゼナード」
兄弟の仲の良さに、少しばかり気持ち悪くなりつつ話を続ける。エーダリロクにとって幼児化したカルニスタミアはそのくらい気味悪かった。
「あんたカルニスのこと怒った? この状態じゃなくて、その前に」
「お、怒ったつもりはないが、周囲から見ると怒っている様じゃからして、結果として怒っているのじゃろうな」
「そうかい。推測だが、ストレスでちょっと現実逃避したんじゃねえか。これから測定機を”玩具だ”って言って持ってきて計るけど、まず間違いねえだろう」
「ストレス……」
「すぐに治るから、それまでの間カルニスのわがままを全面的に聞い叶えてやれよ」
「おお」
「あと、怒るのも禁止な。説教も禁止。この際行儀悪くても怒らない」
「言われなくても解っておるわ!」
言われなかったら絶対に行儀の悪さを叱っていただろうカレンティンシスに、
「俺たちは説明しなかったって後で言われるの大嫌いな性分でな」
取引のシビアさでは名を馳せる一族の男は”そいつは聞けないな”と言外に含みながら答える。
「……ところで、本当にすぐに治るのか? セゼナードよ」
「治る。ほとんど今のカルニスで、ちょっとだけ昔に戻ってるだけだからな」
「どういうことじゃ?」
「カルニスあんたを見て”兄上様”って言っただろ? ローグを見ても”ローグ”って言えるんだろ?」
「おお」
「そして俺をセゼナードだと信用した。本当に全てが幼児化していたら、この大人の俺をセゼナードだなんて信用しない。あんたやローグも同じだ。十五年以上経過しているのにも関わらず、あんたを兄だと誰にも聞かずに理解できた。それは現在のカルニスである部分が大きいことを意味している」
本当に全てが退行していたら ―― この世界には一人も知っている人などいない。
「……」
カルニスタミアは幼児化しているが、歳月を足して誰が誰なのかを理解できている。
「ちょっとだけ現実逃避したかった、ってとこだろ。身体にかかった負担も大きかったから、当人も知らないうちにストレスが溜まってたんじゃないか? 普通のカルニスじゃあ、あり得ない状態になったってところだ」
「解った」
「積み木作るから一緒に」
「セゼナード」
「なんですか?」
「この状態の記憶は元に戻ったらどうなる。カルニスタミアは全てを覚えているのか? それとも全て忘れるのか」
「解らないね。個体差って言葉に逃げさせてもらう。そのくらい稀なケースだ」
**********
リュゼクに警備されながらシュスタークは部屋へと戻った。
**********
「この胸から出て来る白い液体どうしたらいいか、相談に乗って貰おうとおもったんだけどなあ」
部屋に誰もいないのを良いことに、上半身裸になり乳首に貼っていたテープを剥がす。
「ザウディンダルさん? どうしたんですか? 怪我でも」
ロガが部屋へと戻ってきた。テープを剥がした胸を手で覆い隠しながら”まずい、まずい”と助け船になるかならないかは不明だが、シュスタークの行き先を聞く。
「あ、后殿下。あの陛下は?」
「ナイトオリバルド様でしたらアニアスさんと一緒にエーダリロクさんとビーレウストさんのところへ。なんでもお食事を一緒になさるそうです」
「あーそうでしたか」
「ザウディンダルさん? どうしたんですか」
「その……胸から白い液体が。あ! 后殿下近寄っちゃ駄目です! 危険な体液かもしれませから! 確認をしてから」
「私、ミスカネイアさんを呼んできますから。待っててくださいね」
ロガはザウディンダルの言う「危険」の意味は解らなかったが、身体の変調はミスカネイアに報告しなくてはならないと自ら呼びに行った。
胸をみたミスカネイアは、
「母乳でしょうね」
「いや、だって。ええ? 精子ってことは?」
自分の身体から母乳が出ているとは想像もしていなかったザウディンダルは、ザウディンダル以外の誰もが思うことを言われて取り乱す。
「検査しましょうね」
すぐに結果の出る検査の結果ザウディンダルの乳首から出ているのは、もちろん”母乳”であった。
「うわー! 母でもないのに母乳とか! ありえないだろ!」
頭を抱えてしまったザウディンダルと、
「ブラジャー用意しないと」
「リュゼク将軍にお願いしないとね」
「ええ! 将軍に知られるの……」
「衣類は全部あちらで用意してくださってるから。ザウディンダルの身体に合うブラジャーは持ち合わせがないのよ」
「何時も通り身体に合ってないのでいいよ! ミスカネイア義理姉さん!」
「そうはいかないのよ。それにどうしましょうね、母乳のほう」
ザウディンダルは全裸のままタオルを抱き締めるようにして、滲んでくる母乳を抑えていた。
「どうしたんですか? ミスカネイアさん」
「母乳をどうやって止めるか……ですわね。軍には薬はありませんし、あったとしても今のザウディンダルには使えませんので。話に聞くパッドのような物を用意するとしても、その基本型はありませんし。セゼナード公爵殿下に頼むしか、下着はリュゼク将軍に」
従軍している女性兵は薬物でコントロールされているので妊娠することはない。そして母乳をコントロールする薬もある。次ぎの授乳時間までを考えて止めるものや、完全に停止するものなど様々。人体にも生まれたばかりの子供にも害のない、一人一人にあわせた薬が簡単に手に入る。
母乳を停止させる薬を作ることは可能だが、ザウディンダルは現在薬物が一切使用できない。当人の身体にある成分だけで作ったとしても危うい状態で小康状態を保っているだけなので、体液の成分を変えるようなものは下手に投与しない方がいい。
「ミスカネイアさん」
リュゼクに足を運んで欲しいと連絡を入れたミスカネイアに、
「いかがなさいました? 后殿下」
「私が縫いますよ。ザウディンダルさんのブラに入れるパッド」
ロガは”任せてください”とばかりに笑顔で立候補した。
「よろしいのですか?」
ミスカネイアは裁縫などはできない。裁縫は機械や召使いに、貴族の趣味の一つに数えられる刺繍は”趣味ではなかった”ので、針など生まれてこのかた一度も持ったことはない。
「はい! 任せてください。裁縫箱取ってきます」
部屋から出て行ったロガを見送り、まだ上半身裸のザウディンダルにガウンを掛けてやっているとリュゼクがやってきた。
「何事じゃ」
ザウディンダルのブラジャーの依頼に、身体のデータを受け取ったリュゼクは難色を示すこともなかった。
「解った。すぐに用意させよう。ところで、この”隙間”はなんの為のものじゃ?」
リュゼクはブラジャーのサイズが記入された立体映像のパッドが入る部分をなぞる。
「それは母乳を受け止めるパッドを入れる箇所です」
「……なる程な。だが吸水性の高い布では駄目なのか」
「吸水性が高いと言っても、水だけではありませんから」
「では……そうか、母乳の吸収率が良い布なぞ軍にあるわけもないな」
ザウディンダルがいたたまれない気分で胸を押さえていると、
「持って来ました!」
ロガが笑顔で大きな裁縫箱を持って戻って来た。
「……」
ミスカネイアと話をしていたリュゼクは手で会話を制して、近付いてくるロガの傍へ向かい裁縫箱を丁寧に力強く取り上げた。
「あ、ありがとうござ……」
「正妃が荷物を手に持ち歩くとは何事じゃ」
王族や皇族は手に物を持つことはない。正妃であるロガも当然持ち歩くことは禁止されている。荷物を持つのは後ろに従う侍女たちであり、そうして権力を誇示する。
「あの」
「礼も要らぬ」
―― もとが奴隷じゃから仕方ないのじゃろうが
「はい。今度から注意します」
「それも要らぬ。正妃は正妃たれ。陛下の親族相手ならば良いが、儂等テルロバールノルには正妃であれ。儂等は正妃を望んでおる」
だが”奴隷だから”で済ませていてはロガの為にならない。
「……」
これらのことを事細かに口うるさく言う、それがテルロバールノル王家とその一門。
「いくら高慢でも良い、奴隷が想像しうる最大の高慢で儂等に接するがよい。だが安心せよ、儂等はそれ以上に高慢じゃ。元奴隷には辿り着けぬ高慢さを持っておる」
リュゼクはテーブルに裁縫箱を置き、椅子を引いて膝をつく。
「難しいじゃろうな」
「はい」
「努力せよ。その為の協力は惜しまぬ。殿下が陛下が望まれた正妃である以上、奴隷であろうが協力は惜しまぬ」
その後リュゼクはエーダリロクを呼びに向かった。途中で「カルニスタミア殿下が……」とアロドリアスに声を掛けられて、一度カルニスタミアの私室に戻り、これについてもエーダリロクに伝えねばと食堂へと向かい……
リュゼクに警備されながらシュスタークは部屋へと戻った。
寝室に向かう途中の部屋には、ボーデンとキュラティンセオイランサ、そしてタカルフォスがおり、ボーデン以外は皇帝に頭を下げる。
「隣の部屋にロガ達はおるのか?」
「そうですね。扉を開けましょうか?」
「ああ」
キュラが扉を開き、中に何も危険がないことを確認して”はいどうぞ”と笑顔で告げる。
「ロガ、ザウディンダル。大丈夫か?」
扉を抜けて声を掛けたシュスターク。
「うわあああ! 陛下! 嘘!」
キュラは良かったが、シュスタークには! と胸そより一層覆い隠し背を丸め赤くなるザウディンダル。
そのザウディンダルの羞恥にロガが立ち上がった。
裁縫箱に入れていた自作の小さな縫いぐるみを掴み、
「ナイトオリバルド様、入って来ちゃ駄目えぇぇ!」
渾身の力で投げつけた。飛んで来た縫いぐるみはリュゼクは掴むことは可能であったが敢えて掴まず、シュスタークは「?」となり顔に”ぽすり”とぶつかり、そうしてから掴んで背を向けた。
「解らんが、解った! ロガ」
シュスタークは意味も解らずに飛んで来た縫いぐるみを掴んで部屋を後にした。
”一体なにが?”と聞こうとした時、
「ぐるるる! ぐあああ!」
「ボーデン卿! 済まぬ! 余が悪かったああああ」
ボーデンが飛びかかり、シュスタークの頭に噛みついた。
《婦女子(一部分男性)が着換えている部屋に無許可で入るとは、たとえ皇帝であろうとも許されん!》とばかりに、老犬は力を振り絞り銀河で最も偉い人の頭に噛みつき唸る。
「陛下!」
「離れろ、この犬!」
リュゼクは当然のことを叫び、ボーデンに手を上げるが、
「お待ちになってください! リュゼク将軍。犬には犬の言い分といいますか!」
タカルフォスが羽交い締めして止める。
「馬鹿者。陛下が危害を加えられている時に手をこまねいている馬鹿がおるか!」
「ですがあの犬は陛下に全てを許されている犬です! 儂等が口を挟む問題では!」
「たとえ後で何が待っていようとも、儂は止める!」
「陛下が本気でしたら、ボーデン殿は既に!」
「陛下はお優しいからじゃあ!」
「ですから、その陛下のお優しさに!」
「離せ! タカルフォス。離さんと!」
―― ああー。これがデーケゼン公爵の忠義とタカルフォス伯爵の忠義の違いか。この思考の違いで暗黒時代に別々の王族に付いたんだろうな
キュラはそんなことを考えながら、すべてにおいて決定権が存在するシュスタークに声をかける。
「陛下。ボーデン卿を外せばいいですか?」
「ふぁああああ!」
「外しますね。失礼、ボーデン卿。そろそろ離して上げて欲しいな。君の体力から考えても、もう限界だろ?」
キュラがそう言い、両脇を掴んで軽く引っ張るとボーデンは、《まあ、許してやろうではないか》とあっさり離れた。
「ボーデン卿、済まなかった。余が悪かった」
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