繋いだこの手はそのままに −200
現在宇宙で最も偉いに違いない犬、ボーデン。
ロガの危機を救ったかの犬に朝食を差し出すと、自らに課していたシュスターク。むろん食事を自分で作るのではなく、入れられた皿をボーデンの前に差し出すだけなのだが、本人にとっては重要な仕事であった。
シュスタークは飛び起きて、そのまま支度へと向かった。もちろんロガもその後をついてゆく。キュラは用意が整うまで、寝室で待つことにした。
「君、邪魔し過ぎじゃない?」
さすがにシュスタークの声で起きたザウディンダルだったが、身体が起きただけでまだ意識は目覚めていない状態。
「……自分でもそう思う」
キュラはベッドの上で上半身を起こして、まだ呆けている状態のザウディンダルの背中に自分の背を合わせ、互いの反対側を向いている状態にして座る。
「帝国宰相、無事でよかったね……なんて言わないよ。あの人が生きてると、ラティランクレンラセオが蠢動して僕の面倒が増えるだけだからさ」
だが ―― 死んでくれたらよかったのに ―― と思いはしなかった。ボーデンの朝食のために着換えているシュスタークやロガのことを考えたら、帝国宰相は生存してもらわないと困る。キュラにとって皇帝シュスタークは立場的にも感情的にも、在位してもらわなくては困る存在。
―― 死んでくれたらよかったのに ―― キュラがそう言えるとしたら、帝国宰相が殺害されても二人に何ら被害が及ばないか、キュラ自身が守ってやれる立場でなくてはならない。キュラがそんな立場で権力を持っていたら、ラティランクレンラセオに使われることもない。だから、考えた結果《無事でよかったね……なんて言わないよ》となる
ザウディンダルは聞いてから背中を離し向き直り、キュラの背中に額を押しつけた。
「ごめん」
意図していなかった返事に驚いたキュラだが、振り返ったりはせずに黙っていた。
「俺さ、キュラがカルのこと好きなの解ってた」
ザウディンダルの突然の告白は、感じていた驚きを打ち消す程の衝撃をキュラに与えた。キュラは自分が衝撃を受けていることを気取られまいと背を向けたまま。
「俺、解ってたけど……俺よりカルのこと好きなの知ってたけど……」
―― 自分が思っているよりも自分は賢くないなあ
ザウディンダルにまで気付かれているとは思っていなかったキュラは、苦笑いを浮かべている下唇を一噛みして、何時も通りよりも素っ気なく”気付かれていたことなんて知っていたよ”とばかりに返す。
「カルニスタミアのことを好きなのは否定しないよ。君は僕がカルニスタミアのことを好きだと知って、罪悪感でも持ったの?」
「ああ、持った。俺さカルのこと好きだけど、お前の好きとは違うんだ。そういう意味での好きじゃない。そのことに気付いてた」
「答えるつもりっていうか、話したいなら話せば? その理由」
―― ザウディンダル、余もそなたも然程寿命は長くはない。言いたいことは言わねば時間が足りなくなる。……そうだ、余の中に存在する…… ――
「単純に言うと憧れだ。カルと一緒にいると広い世界に触れられるような気がしてな。兄貴たちと一緒にいるのは楽しいし、心も安らぐけれども、世界が小さいってのかなあ。両性具有なんだから狭い世界で身を小さくして存在するべきなんだろうけれど……何だろう……」
ザウディンダルはキュラの背に額を押しつけながら、テルロバールノル独特の刺繍が施されたシーツを見て、カルニスタミアと過ごした日々を思い出していた。
まさに王子の優しさで、年下ながら全てを許してくれる度量。その度量を前にして、たまに劣等感を覚えて八つ当たりしても許してくれる。
ザウディンダルには手に入れられない芸術品を帝星の自宅まで運び込み、二人きりで観賞したこともある。
テルロバールノル王家の楽器であるハープを、優美に力強く奏でる姿。榛色の柔らかい髪、健康的な白い肌にシュスタークよりは若干薄いが、まさに地球を移した蒼と翠の瞳。
「やっぱり憧れだな。絶対に届かない相手が声をかけてくれた……浮かれてたんだろうなあ」
両性具有であるザウディンダルにとって、シュスタークよりも遠く触れることなど叶わない存在。
キュラは”それを恋って言うんじゃないかな?”思ったが、当人がそうではないと言って、敵が減るなら余計なことを告げる必要もないだろうと。
「ビーレウストやエーダリロクでも良いじゃない」
「あいつら大宮殿在住の王子だろ。カルは実家を追われてもテルロバールノルの王子って感じがする」
王家の正統なる王子と両性具有の異端。
”終わらせてみれば”それは物語のような一時だった。
「カルニスタミアがカレンティンシス王の怒りを買って、王国追い出された原因は君だけどね」
「そうだった……」
「君ってさ、割と何でも持ってるよね」
むしろザウディンダルが持っていない物の方が少ない。当人がそれに気付かない限り、持っていない物ばかりを見ていることになる。だが持っている物が多いということは、それに関係する様々なことに責任を負うことも必要になってくる。
「そうだな、色々持ってる。二つの性も二つの……」
―― 血も ――
敗北し僭主になり果てた一族の末裔としての責任。この血の責任や責務を果たすことができるのは、皇帝のシュスタークですらできない。
ロガは奴隷の血を持って皇后になる。それは自ら決めて立った。ザウディンダルはザウディンダル以外の者にはなれないが、本当にザウディンダルになるためにハーベリエイクラーダ王女の血に決着を付ける必要がある。
「そうだね。あ、陛下の準備終わったみたいだから、僕は陛下のところに行く。時間潰しに丁度良かったよ」
”整いました”と召使いからの連絡を受けてキュラは立ち上がった。
「そうか。あ! そうだ、キュラ! カルは人に会えるくらいに回復した? 聞けば大怪我だったって」
「回復したってここの将軍様から聞いたよ。僕は要注意人物だから会えないけれどね。じゃあね」
黄金髪に白い肌ケシュマリスタの特徴を兼ね備えたキュラの笑顔。ザウディンダルには見慣れた筈のキュラの笑顔が、何時になく美しいものに見えた。
寝室に一人取り残される形になったザウディンダルは、高級で豪華な掛け布団を興味深く見る。豪華”そう”や高級”そう”ではなく、間違いなく「豪華で高級」
「高級そう……なんて言ったら、叱られるよな。ここの王様に」
皇帝の寝所に高級品以外を置くと思うか! と怒鳴る姿が、簡単に思い浮かべられる。
「……」
あまり考えないようにしていたザウディンダルだが、自分がカレンティンシス王と元を同じくしているとはとても思えなかった。
だが自分ではいくら思えなくても真実。
「兄」からも「エーダリロク」からも、そして「シュスターク」からもザウディンダルの父親はテルロバールノルの僭主であったとはっきりと言われた以上、真実として揺るぐことはない。
「ご飯食べられるかしら」
「ミスカネイア義理姉さん」
ミスカネイアが運んできてくれた、傍目から見たら遊んでいるのか? としか見えないような小さな料理が並べられたトレイを受け取り、
「もしかしてアニアス兄?」
「そうよ。デウデシオン様の生存が確認できて大喜びで作ってたの」
「そうか。……あのさ、ミスカネイア義理姉さん。これ食べたら少し出かけてもいい? 体調はもう……」
カルニスタミアに会うことに決めた。
帝星帰還後では忙しく面会するまで時間がかかるので、どうしても艦内で出来る事なら二人きりで話をしたいと願った。それが己の破滅に繋がろうとも。
「行き先を教えてくれるかしら? ザウディンダル」
「カルのところに行って話をしたいんだ」
「そう。じゃあ一応リュゼク将軍に連絡を入れておくわ」
「ありがとう」
「お部屋は近くだから、護衛も必要ないでしょう」
忙しいミスカネイアが部屋から去って、一人でトレイに乗っているアニアスの力作を目で楽しみ、舌でも楽しんで食べ終える。その当たりにタイミング良く《面会許可出たわよ。行ってらっしゃい、ザウディンダル》ミスカネイアから連絡が来た。
「ミスカネイア義理姉さんがリュゼク将軍に許可もらったのかな? いや、違うよな」
ミスカネイアとリュゼクは先日の僭主による皇帝襲撃の際に意気投合し、忙しい合間をぬって既に一度会合を持っていた。
義理姉の新しい関係を知らないザウディンダルは、パジャマを脱いで柔らかくなった身体と、昨日よりも膨らんでいる胸を鏡に映して項垂れる。
落ち込むくらいならば鏡にその身を映さなければ良いのにと指摘されそうだが、ザウディンダルとしては《一晩寝たら治っている》ことを期待しているので、どうしても見てしまいロガの憧れるサイズの胸を前に困惑と不安を吐き出す。
「胸嫌だなあ……早く萎まないかな……え?」
膨らみを掴んで予想外の事態に遭遇したザウディンダルは、ますます混乱し、
「早くカルニスタミアに会って、相談に乗ってもらわないと!」
手元にある物で応急処置を施して、カルニスタミアの元へと向かった。
シュスタークが使用している部屋は元々はカレンティンシスの私室で、その周囲には王族専用の部屋が四つ存在している。部屋といっても部屋に二十もの区切りがあり、広々とした空間がある「家」のような部屋だ。その一つがカルニスタミアに与えられており、カレンティンシスはそこに生活スペースを移していた。他の三部屋は元々は空きであったが、皇帝と共にやってきたタバイたちデウデシオン一派に一部屋、あとの二部屋はエーダリロクとビーレウストの居住区画として各一部屋ずつ与えられる形となった。
「あの……ザウディンダルです」
カレンティンシスと共にいると聞き、かなり緊張してザウディンダルは、扉を開けてもらうためにインターフォンを鳴らし名を告げる。
「勝手に入ってこい、ザウディンダル」
画面に現れた髪の短いカルニスタミアを画面越しながら前にして、
「あ、う……はい」
言葉を失いかけながら、扉を開いて中へと入った。
シュスタークの部屋同様、壁には部屋の使用者の名前三つの頭文字を使った、意匠を凝らしたモノグラムの壁紙が貼られている。
このモノグラム壁紙、一メートル四方で三百シザード(約四百万円)の代物。
「初めてみる色彩とデザイン……そっか! 陛下の初陣だから特注にして貼り替えたのか……相変わらずこういう所に費用を惜しまないなあ」
ザウディンダルは白が多く使われている壁紙の前で”納得がいった”と頷く。ザウディンダルが感じた通り、この壁紙は皇帝の初陣に従うカルニスタミアの為に作られたもの。
テルロバールノル王家はこれらの手間を惜しまないので、皇帝の訪問の有る無しに関わらず、王弟の壁紙もしっかりと新調していた。
他王の旗艦は、王のモノグラムの新調はあったが他の王族のデザインの新調と貼り替えはなかった。
ちなみに王たちのモノグラムは、名前だけではなく爵位と王位の頭文字を使用している。
具体的な例を挙げると、カレンティンシス王のモノグラムは、第一名カレンティンシスとテルロバールノルの王位、アルカルターヴァの公爵名の三つを使用した物。それを艦の皇帝が足を運ぶ可能性がある場所全てに貼った。その観点から見れば、皇帝の訪問があったことで壁紙を貼り替えた甲斐があったとも言える。
ザウディンダルはカルニスタミアの私室だと一目で解る壁紙が貼られた廊下を進み、扉を一つ一つ開いて、カルニスタミアの寝室に辿り着いた。
「どうした、ザウディンダル?」
扉越しに中を警戒しているザウディンダルに、早く来いと手招きする。
「う……ん。なんだろう、緊張してるってのかな」
「何じゃ?」
「……この部屋ってテルロバールノル王もいることがあるんだろ? 俺、王の私室って入ったことないから」
部屋の入り口で躊躇っていた理由の半分だけを口に、もう一つは語らなかった。ザウディンダルが部屋に入るのを躊躇ったもう一つの理由は、カルニスタミアの存在。
テルロバールノルの緋色に、皇帝を讃える白。軍人の証たる黒。高貴なる血の証明の金と、王以外の王族を表す銀。そしてカルニスタミアに与えられた薔薇色を帯びた茶色を使った壁紙と、大宮殿さながらの調度品の数々。
部屋の中にあって個性を主張しているそれらだが、部屋の主であるカルニスタミアがいることで、全ての統制が取れている。調度品だけで調和しているのではなく、カルニスタミアという主が存在しなければならない部屋。
帝星にあったカルニスタミアの屋敷に滞在したことは何度かあるザウディンダルだが、それとは違うまさにテルロバールノルの空間に圧倒されていた。
「そんなことか」
王国ではカルニスタミア専用の色にあたる落ち着いた紫色(薔薇色を帯びた茶)の天鵞絨の天蓋の下、シュスタークの夜着にも似たデザインの寝衣を着ているカルニスタミアに近付く。
「そりゃ、お前にしてみたら、些細なことだろうけどよ」
《髪が短いままだ》と聞いていたザウディンダルは、少し幼い感じになってるんじゃないだろうか? そう思っていたのだが、目の前のカルニスタミアは記憶にあるカルニスタミアそのまま。
カルニスタミアは見た目よりも本質のほうが《容姿》を形作っているので、髪が短くなった程度で若返ったように見えたりはしない。
―― みすぼらしい格好しても威厳で王族であることを隠せない
そういう存在なんだろうなと。解っていたことだが改めて納得してベッドの傍に用意されていた椅子に腰をかける。
「儂にとっても些細じゃねえよ。儂の怪我の治りが遅いのは、兄貴が同室のせいじゃ。会話が全て説教になる男と毎晩顔を突き合わせるはめになり、毎晩本当に説教されておる」
「なんか悪いことしたの……か?」
説教の内容は、僭主との戦いで瞬間移動を人前で使ったこと。
そうしなければ勝てなかったや、陛下に危害が及んだ……など。
「儂の行動の七割は兄貴のお心に沿わんようじゃ。知ったことではないが」
あの場面では”そうしなければ勝てなかった”のだが「それは貴様の実力が足りなかったからだ!」と。カレンティンシスの言い分は解らないが、感情は理解できるカルニスタミアは、何時も通り流して聞いていた。
「あの……まあいいや! あのな! カル無事で何よりだ」
「お前もな、ザウディンダル。そしてなによりも、帝国宰相が無事で良かったな」
「ああ」
「カル」
「なんじゃ?」
「リュゼク将軍とはもう会った?」
「会って大まかなことは聞いた。ザウディンダルのことを褒めていたぞ、あのリュゼクが褒めるのじゃ、余程のことをしたのじゃろう」
「……褒めただけ?」
「なんじゃ? 大絶賛でもされたかったのか。あのリュゼクが大絶賛は無理じゃろう。あれは兄でも絶賛はせぬわ。陛下ならば別じゃろうが」
「いや! 違う!」
「解っておる。リュゼクはお前のことを褒めただけじゃよ」
「本当に?」
「嘘を付いてはおらぬ」
「カル」
「ん?」
「俺さ……僭主の末裔なんだ。それもテルロバールノル系の。ハーベリエイクラーダ王女の末裔」
突然の告白ではあったが、一年近く前にビーレウストから《ザウディンダルがテルロバールノル僭主の末裔》であると聞いていたカルニスタミアは驚きはしなかった。
「……リュゼクに話したのか?」
そして話の流れから、そのことをザウディンダルが自らリュゼクに語ったとすぐに辿り着き”どうするべきか?”を考える。
「あの状況じゃあ喋らないわけにはいかなくて」
「どんな状況かは知らぬが、リュゼクに名乗ったのじゃな。してリュゼクはなんと? 口外せぬといわなかったのか?」
「誰にも言わないって言ったけど」
「ならば言う筈あるまい。あれはそういう奴じゃ」
「そうか……」
「信用してやれ。あれは両性具有も僭主も嫌いじゃが、嫌っていると同時に”皇帝陛下だけのもの”と”主家の血の末裔”には複雑な感情を持っておる。あまり追い詰めないのがよいじゃろう」
リュゼクが自分の所に来て、ザウディンダルの話をした理由と、カレンティンシスにも言いはしないだろうことを内心に留める。
「そうか……そうだよな。ところで、カル」
「なんじゃ?」
「お前俺の話聞いても、驚いて無い感じがするんだけど……」
「驚いてはおるが? 王族は人前で驚く姿をあまり見せてはならないのでな。内心は嵐が渦巻き驚いておるわい」
確かに驚いてはいないカルニスタミアだが、ここで初めて聞いたとしても自身の態度は”いまと変わらない”……と思うのだが、それはザウディンダルには言えない。
「いや、全然そうは見えないんだけど」
「そう見えるのであれば、仕方有るまい。驚いてみせようか?」
「いや良いよ……それでさ、話はかなり前に戻るんだけど、二人でブランベルジェンカを整備したときのことだけど、覚えてるか?」
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「どうした?」
「あのな……俺、お前にお願いがあるんだけど……」
「言ってみろ。よほどの事ではない限り協力してやるぞ」
その言葉に、ザウディンダルは頷き頬に触れている手をゆっくりと除けて、
「あの! ……この会戦終わったら! でもいい?」
笑顔を作り小首を傾げて尋ねてくる。
「ああ。戻ろうか、ザウディンダル……何にしても儂は、お前の背を押してやるしかできんからな」
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「ああ、覚えておる。あの時の話の続きか。そうじゃな、儂が怪我をして中々会えなかったからなあ。待たせたな」
話が切り替わったので、そのまま続けようと笑顔を浮かべて先を促す。
「いや待ったというか……会戦終了後だったら……いや、いいや」
ザウディンダルは頭を下げて耳まで真っ赤にして手を伸ばしてきた。
「友達になってくれないか?」
「……」
「両性具有でお前が刈る対称の僭主の末裔で、政治的には敵対勢力に属してるんだけど、友達になって欲しい」
実らなかった初恋というのは良く聞き美談になるが、実ったが壊れずに終わってしまった初恋はどんな結末を迎えるものなのか?
カルニスタミアは枕もとに置いている箱から手袋を取り出し着用し、
「顔をあげろ、ザウディンダル」
「……」
「喜んで」
「カル!」
その手を握り締める。
―― ああ、この恋は本当に終わったのだ
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