繋いだこの手はそのままに −190
 薄紫色の昼空と大きな二つの月。
 カレンティンシスの旗艦に余の旗艦から荷物を運んだりするので、少しばかり時間があいたので、余とロガは近くにあった”惑星”に降りた。
 無人の天然惑星で、人が住むことはできるが、空の色からも解るように定住にはあまり向かないという。
 たまに立ち寄り景色を楽しむ分には良いようだが。
「ナイトオリバルド様!」
 ロガの笑顔と原始の地球の夜空に似た大きな青い月と赤い月。
 ロガの膝の辺りまである緑の濃い草に覆われた大地。
「惑星に降りるの、久しぶりですね」
 笑顔で空気を吸い、久しぶりの大地に喜んでいる。
「……」
「ナイトオリバルド様?」

――  その人を殺すのは私です ――

 昨日のロガの声が甦る。
「余は……余は……」
 それ以上続かず、余は大地に泣き伏した。情けないと思うし、今言わなくてはならないと解っている。
 話すという行為にこの涙は不要だが、溢れ出してきて止まらない。
「どうしたんですか? ナイトオリバルド様。調子が悪いのでしたら」
 ロガが近寄ってきて膝をついて、余の背を撫でてくれている。両手で必死に、小さな手の平で。
「余は……余は、ロガを泣かせたり……人を殺させるために……連れてきたわけ……じゃないのに」
 幸せにしたかった。
 それ以上に幸せになりたかったことも否定はしない。
 情けない程に溢れ出し、草葉に落ちてゆく涙。泣かないでロガの顔を見て話さねばと思えど、思えど涙が止まらない。
「幸せにしたかったし、幸せになりたかった。その幸せにロガの涙や人を殺す決意なんかなかった!」
 違うのだ! そんなことをさせるつもりはなかった。
「ナイトオリバルド様……」
「この有様。そしてこの先も変わらない。余が皇帝である限り、ロガは……ロガは!」

《さあ、言え。言ってみろ》
 頭の中に声が響く。

「皇帝であることはやめない! 否定もしない! だが……」
「ナイトオリバルド様?」
「う……ああああ……」

 それは言わない。思ったこともない。だからこそ幸せにしたいという感情が……感情が……

**********


 泣き崩れたシュスタークを前に、ロガはなにをして良いのか解らなかったが、同時に誰もどうしていいのか解らないことも感じた。誰もシュスタークの機嫌を大きく損ねるようなことをする者はおらず”存在していた”としても、それは生きてはいない。
 世界はシュスタークの感情を大きく揺さぶることはない。良い方に傾けようと必死になるが、負の感情に似たものを持て余すようなことをする者は”ロガ以外”存在しない。
 ロガだけがシュスタークの感情を突き動かす。
「ナイトオリバルド様、ちょっと待っててくださいね」
 護衛として少し距離をおいて立っている、まだ異形化した状態のタバイに手招きしつつシュスタークの元を離れてあることを依頼した。
「お家とかここにすぐ作れますか? 立派なのじゃなくてもいいのです。ナイトオリバルド様と私二人いられるくらいの。食事は運んでいただけたら」
 考えながら話す。
 前もって考えていたことではないが、この状態のシュスタークをどうにかすることが出来るのは自分だけだろうとロガは考えて行動に映したのだ。慢心でもなんでもない、当然のこととして。
「すぐに用意いたします」
 人間の姿に戻りつつあるタバイが、戻った口を開き答える。
「それと……」
「なんで御座いましょう」
「今日一日だけ、私とナイトオリバルド様の二人きりにして欲しいのです」
 機嫌を取ると言えば聞こえは悪いが、真に機嫌を取り笑わせることが出来るとしたらそれはロガだけ。
「二人きりは無理です。私がこの惑星上で待機することをお許しください。身の危険がない限りは決して近寄りませんので」
「はい。ではお願いします。あとボーデンのこともよろしくお願いします」
 タバイに依頼したあと、声も出せずに泣いているシュスタークの元へと戻り、
「ナイトオリバルド様」
「……」
「一日くらい休みましょう。私がお側にいますから」
 背中をさすった。
 シュスタークは頭を振っては頷きを繰り返す。
「ずっとお側にいますから。安心してください」
 その言葉にも頭を振って否定して、頷き安堵しつつも、止まりかかっていた涙が溢れ出す。タバイが簡易の家を造り、内装を運び込んでロガの視力では解らない程の距離を取った。
「私はここにいますから。ナイトオリバルド様のお側に」
「…………」
 僅かな言葉の断片からシュスタークの苦悩の理由が自分の決断にあることを理解したロガだが、その決断と進む道は歩き出したら戻ることはできない。

―― もう少し残酷な方でもいいのに。贅沢な悩みだけれども……その分悲しいな。優しさを捨てて下さいって言えないし

 ロガが皇后として皇帝の隣を歩くために必要な決断である以上、認めて貰う必要がある。皇后として認められる。その第一歩は優しき皇帝シュスタークに、この有り様を認めて貰うことが必須。

 自分の倍どころか四倍以上ありそうな体の持ち主を精一杯抱き締めながらロガは”自分が”どうするべきかを考えていた。

**********


 作ってもらった簡易の家は、部屋が四部屋と生活に必要な水回りが整っていた。
 奴隷衛星に住んで居た頃のロガの家よりも余程立派なもので、家具などもそれなりの物が運び込まれた。
 泣くだけ泣いて無反応にちかい状態になってしまったシュスタークの口元に食事を運んだり、体を洗って髪を梳いたりしてベッドへと寝かせつける。
 眠るまで傍につき、握り締めていた手が重くなったことで体から力が抜けたのだろうと手を離して、ロガは改めて風呂に入り、自分の身支度を整えてから部屋へと戻ってきた。
「ナイトオリバルド様、起きちゃいましたか?」
 ベッドに腰を掛けて座っている”シュスターク”に、自分の身支度の音がうるさく、眠りの浅いシュスタークが目を覚ましたのだろうと思った。
 だがそれはシュスタークではなかった。
「……誰?」
 夜空の雲が風で流れ、青白い光が窓から差し込んできた。その光に照らし出されたシュスタークの表情はまったくの別人。
「きゅ……きゅる……きゅるる……くび……く……」
 言葉を発する都度、首が前屈みなり揺れる。
「あなたは……」
 ロガは目の前にいるのが《自分の首を軽く掴んで絞めた》存在であることに気付いた。だが逃げようとは感じなかった。逃げようと思っても逃げられないということもあるが、逃げるよりも先に色々なことを尋ねたい。それがロガの正直な気持ち。
「あの……お話をしたいと思っているのですが。お話できますか? たぶん、私が言うことは解るんですよね?」

―― おい。話させろよビシュミエラ
―― 煩い! 煩い! 煩い!
―― ほうら、奴隷が俺と話したいって言ってるぜ
―― ……! もうっ!

「あーあー。変な声だな」
―― 文句があるなら、声帯機能と言語機能返せよ!
「うるせえ」
「あ、あの……」
 喋り方も仕草も全く違う”誰か”
「待たせたな。俺はこいつの中にいるラードルストルバイアって人格だ」
「二重人格? というものですか?」
 ロガは”ラードルストルバイア”の近くで膝を折って見上げて話しかけた。
「椅子に座れ。床に膝折られたら小さすぎて見えねえ。それで表現としちゃあ二重人格だろうな。でもよ、そういう類の二重人格じゃねえ。俺は昔存在していた」
「えっと……」
 テーブルにおいていた冷たい緑茶をカップに注ぎラードルストルバイアに差し出し受け取ってもらってから椅子に座る。
「別人格の戯言だとおもって聞けよ。こいつの先祖にあたるザロナティオンの兄だった男だ」
「ラードルスト……ストル……」
 名乗られた名前の長さについてゆくことが出来ず、ロガは羞恥で頬を赤くそめる。
「ゼークでいい」
「ゼーク? ですか」
「ああ。呼びやすいだろう。名前を呼ぶ程話すことがあるかどうかは解らないが」
「はい。ではゼーク様と呼ばせていただきます……あの……お話が出来たりできなかったり? するんですか?」
「支配者が違うからな」
「?」
「この体の最上位人格はお前の言うところの”ナイトオリバルド”だが、他にも様々な過去の人格が居座ってる。ほとんどは”ナイトオリバルド”の下位、要するに支配下で出てこられない。俺表面に出ることができる数少ない人格だ。それで支配下に置かれている人格だが、それなりに各自テリトリーがある。俺は言語部位に居座る無性と険悪でな。無理矢理用いることも出来るんだが、そいつを続けると問題が多い。今回はお前と話しをするってことで貸し出してもらった。そうでなけりゃ、あいつは俺に貸したりはしない」
「……解らないんですけれども、そのゼーク様はナイトオリバルド様を守ってくださる所にいて、お話する所にいる人と仲が悪い」
「そうだ。言語部位にいる俺と不仲なのはビシュミエラ。お前ネックレス持ってるだろ? そうだ、それ。その持ち主もいる」
 ロガはテーブルに乗せていたケースを開く。
「あの! こ、これ本当に持っていてもいいんですか? あの場所に返したほうがいいのなら、返します!」
 ネックレスの由来を知り”大事な物”だと知ったロガは、真の持ち主がどう思っているのだろうか? と尋ねた。

「いらない。君が持ってるといい。君が持っているべきだ」
「え?」

 声はシュスタークと同じであったが喋り方が違い、本当に別人が多数内部にいるのだとロガにもはっきりと解った。
「出てくるな馬鹿。驚いたか?」
「は、はい。なんかキュラさんみたいな喋り方で」
「ガルディゼロの男と無性は同族だからな。まあところで、俺になにか聞きたいことはあるか?」
「あの……」
「俺はお前と話すために出てきた訳じゃねえんだ。この天然……じゃねえ、ナイトオリバルドを奥に押し込むために出て来たんだ」
「?」
「嘘つき。会って話しなよ!」
「うるせえなあ。今更ラバティアーニと話すことなんてねえよ」
「あの……ゼーク様」
「なんだ?」
「私はこのまま皇帝陛下のお后になっていいんでしょうか?」
「いいだろ」
「……」
「深く悩むほどのことじゃねえよ」
「……」
「俺は奴隷の生態を詳しくは知らねえが、お前意外と賢いよな。俺たちの中に入ってきた人間の正配偶者は二人だけ。最初の一人皇妃、軍妃ジオと呼ばれる女だ。軍妃は最初の一人らしく抜群に頭が良く、身体機能も優れていた。軍妃の持っているものは生まれつきだから、お前が努力しても身につくもんじゃねえ。二人目は軍妃とは正反対って言っても誰も意義を唱えない、藍凪の少女こと帝后グラディウス。帝后はその地位に関して悩まなかった。悩まないところは欠点なのかも知れないが、美点で人生を終えた。これもお前には無理だろ?」
「はい」
「お前は皇妃ジオにも帝后グラディウスにもなれはしねえし、天然……じゃねえ、ナイトオリバルドも皇妃ジオや帝后グラディウスが欲しいわけじゃねえ。むしろお前は、お前以外になったら駄目だろ。こいつは軍妃でもなく藍凪の少女でもなくお前が欲しいんだ。確かに目標にして近付いたりすることも出来るが、他の誰かになるのは駄目だろうよ」
「……」
「面倒だろうな。目標はなく、だが目指せ」
「ありがとうございます。あのゼーク様のことを聞きたいのですが」
「俺のこと? 面白いことなんざ、なにもねえよ」

―― これは忘れ物だ。届けてくれ、ビーレウスト。そうだ、お前の親友の ――


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