繋いだこの手はそのままに −186
「イグラスト。パスパーダ生死不明の報は策か?」
言葉で返すことのできないタバイは、角の生えている首をゆっくりと横に振り否定する。
「そうか。貴様の心情など知らぬが……生きていれば良いな。儂はパスパーダは嫌いじゃが、あの男がいなければ……」
それ以上カレンティンシスは言わなかった。
タバイはその先に続くのは、自分たちの立場云々だろうと考えたが、実際は違う。
―― カルニスタミアが儂を玉座から引き摺り降ろすのに、苦労するであろうからな
その違ったことをタバイが知ることはなかったのだが。
**********
「ガーベオルロド公爵は”壊れた”か」
そして彼はその座から降りた。
完全に独立した部署のトップに立つ人物が求められる。
「実力的にケシュマリスタ王が二番手だが、皇帝や王は”オーランドリス伯爵”の座に就くことはできないので、必然的に貴公になるライハ公爵」
実力で選ぶと方針が決まった。
「そうじゃな、パスパーダ大公」
儂がオーランドリス伯爵に就任する方向で話は進むが、儂はその座には就かぬ。
「こちらは密約通り、貴公の就任に向けて動く」
いいや就けぬというべきじゃろう。
「二度手間になるじゃろうがな」
「そうだな」
儂は立ち上がり、帝国宰相の執務室を後にした。
「待たせたなリュゼク」
「征かれますか? ライハ公爵殿下」
「当然じゃ。ついて来い。遅れを取ることは許さぬぞ”バルビレーチェスト公爵”」
「従うからこそ、その爵位を受け取ったのです。裏切るからこそ、その爵位を名乗るのです」
―― 儂がおります、カレンティンシス殿下
**********
皇帝の無事がエーダリロクからもたらされ、心置きなく食事を再開していたエヴェドリット勢に、
「ザセリアバ! 陛下からの勅命じゃ」
カレンティンシスは怒鳴りつけるように命令を伝える。命令を下され、全員がザベゲルンの塊から離れて、そしてカレンティンシスの隣に立っている《異形》に視線を移動させる。
「隣に立ってるのは、タバイか」
ザセリアバが近付いて、顔をのぞき込む。
「……」
「我とやりあわんか?」
口の周囲にこびり付いたザベゲルンの破片を手の甲で拭いながら、ザセリアバはタバイ笑いかける。
「……」
美しいケシュマリスタ容姿に容赦ない残酷さを露わにした表情を前にして、タバイはキャッセルのことを考えた。
無事だろうかと考えながら、目の前の良く似ているが弟よりもはるかに丈夫で”壊れることのない”王の提案を拒否するために頭を横に振る。
「ふられたか」
―― 後で我を殺しておけば良かったと思わねば良いがな
帝国宰相が生死不明であるのなら、そのまま不明にしてやろうと考えながら、
「お前ら、機動装甲回収しろ! 我は別ので出る。追いついてこい!」
ザセリアバは全員に指示を出し、その場から離れた。
動かない触手の大本であるザベゲルンと、手足をおかしな方向に曲げられ、床に胴体が溶接されたディストヴィエルドは、罵りあいを始めた。
「この形になっても、まだそれ程怒鳴れるとは。大したものじゃ」
「……(怒鳴るといえば貴方さま……)」
タバイは”無言”だった。
口がないのがこれ程までに楽だったのは、後にも先にもこの時だけである。
「カレンティンシス殿下」
「アロドリアスにタカルフォスか」
怒鳴り合っている僭主の傍で、しらばく宇宙を眺めていたカレンティンシスの元に、部下二名が到着したのは、ザセリアバが搭乗した機体が自艦を離れてすぐの頃。
「その隣にいるのは……」
カレンティンシスの元に馳せ参じた二人は、彼らの主の隣に立つ異形に銃を構える。
「イグラストじゃ。イグラスト、儂の警備にはアロドリアスが付く。貴様は行け」
「カレンティンシス殿下!」
「タカルフォス。貴様はどうしたのじゃ?」
「陛下を無事に殿下のお部屋に案内いたしました。そしてボーデン卿を連れてきて欲しいと命じられたので! あの、ボーデン卿はどこにおいででしょうか?」
皇帝からの命に目を輝かせて尋ねる若き副王。その問いに答えたのは、
「それならば陛下の私室に。ロッティスと共にいた」
隣にいたアロドリアスだった。
アロドリアスはリュゼクに命じられて、皇帝の私室前で部隊と共に僭主と交戦していた。
それらが片付いたので、父であるローグ公爵に連絡を入れて《このポイントへ向かい、殿下の護衛につけ》と指示を出されてそれに従った。
タカルフォスは皇帝一行を出迎えた。そこで”犬好きで有名”なタカルフォスの顔を見たシュスタークが《ボーデン卿ぅぅ!》と思い出して奇声を上げ、命令を受けボーデンが何処に居るのかも聞かずにダーク=ダーマへと急いでやってきた。
タカルフォス伯爵ララバルドルテー。犬好きとおっちょこちょいで有名な、テルロバールノル属名家の当主。ちなみに年齢は十五歳である。
「そうか。ではイグラストと共にゆけ」
「はい」
「良いなイグラスト」
「……」
「ロッティスと貴様が使う部屋を用意させておく。早くロッティスを連れてくるがいい。レビュラ……は目には見えない部分に相当な怪我を負っているはずじゃからな」
タバイは頭を下げ、タカルフォス伯爵と共に歩き出した。
その背を見ながら、
「怪我?」
アロドリアスは声を上げた。
だがカレンティンシスはそれを制し、あることを尋ねた。
「怪我に関しては貴様は知る必要は無い、アロドリアス。ところで貴様はいつもレビュラと言っていたな」
「はい」
「レビュラに公はつけぬな」
「はい? テルロバールノル貴族の大方は両性具有に爵位などという認識ですので」
「リュゼクもそうであったな」
―― 是非ともレビュラ公爵を殿下の部下として迎えてください ――
「もちろん、そうですが」
カレンティンシスはリュゼクの真意は分からなかったが、望むことは理解できた。
彼女の心に何が起こったのか? それを事細かに聞くつもりはカレンティンシスにはなかった。
「……さて、ラティランクレンラセオに陛下の命令を伝えに行くぞ。ついて来い、アロドリアス」
誰よりも信頼できる部下の言葉。その真意の向こうに見えたもの。
彼女がいつか自分ではなく、違う誰かに従う日が来るのだろうと感じつつ、カレンティンシスは歩き出した。
「はい」
―― リュゼク、それで良い。お前は王に忠誠を誓うものじゃ。王のみに忠誠を誓え。個人に忠誠を誓ってはならぬ
もしも彼女がカレンティンシスの王妃であれば共に滅びた。だが彼女は王妃ではなく、カレンティンシスは王。
―― 父はこれを望んでいたのじゃな
先がないに等しい自分の王妃に、未来ある彼女を添えなかった父王ウキリベリスタル。
その意味を理解して、カレンティンシスは自らが本当に王としてなにも望まれていなかった事実に直面するも、悲しみはなかった。
それを受け入れた。
あとは時が動くままになるであろうと、覚悟を決めて。
ローグ公爵に見張られていたラティランクレンラセオの元へと足を運び、負傷に対しては触れずに、
「陛下のお言葉しかと聞いたな」
シュスタークの言葉を伝えた。
「しかと聞きました」
悪びれず、何事もなかったかのように、長い腕を折り胸の前にあてて、真摯な表情で《皇帝》の命令を受け取る。
”ラティランクレンラセオには非がない”と思わせる動きと態度を前に、カレンティンシスは王として攻撃を加える。
「この度の失態について陛下への取りなしをして欲しいと思っておるのなら、儂に膝を折って助力を請え」
―― この程度の言葉に激高する男なら楽じゃが……
王が王に対して”膝を折れ”と言い放つのは、王国に亀裂を走らせる原因でもある。その亀裂はすぐに小競り合いに発展するような深刻な物となる。普通の王はそうであり、一般的な王同士はそうなのだが、カレンティンシスとラティランクレンラセオは違う。
そのようにならないことを知りながらの言葉であり、
「是非ともお願いしたい。アルカルターヴァ公爵の慈悲に縋らせて欲しい」
ラティランクレンラセオはカレンティンシスが考えた通りに膝を折った。
「……解った」
目の前で膝を折り、カレンティンシスの慈悲に縋らせてくれといった男がどれ程危険か? 解っているが、今は目の前の危険を回避するので精一杯だった。
「では陛下のご命令に従って、戻るとする。息子もダーク=ダーマにいる筈なのだが」
帝国軍の被害状況と、生死不明の帝国宰相。
この状況下でラティランクレンラセオが動かないようにするためには、カレンティンシスが間を取り持ってやるのが最良。
下手に追い詰めても駄目なのだ。
―― 儂にこの状況を使って、この男を殺害する能力があればな……ないことを知っていて、お前は儂に膝を折ったのじゃろうが
「あの……」
”ヤシャル”の声が聞こえ、二人はその声の方向に振り返った。
「ヤシャル、無事であったか」
「戻るぞ、ヤシャル」
ラティランクレンラセオは立ち上がり、息子に行くぞと声を掛けるが、
「それは出来ません」
ヤシャルの背後にある扉の影から、拒否が上がる。
「何者じゃ? 貴様」
扉の影から現れたのは”ダーク=ダーマ”
その見事なまでの《知っている知らない容姿》にアロドリアスはカレンティンシスを庇うようにして銃を構える。
「ハセティリアン公爵妃に御座います」
今にも撃ち出しそうな銃口を前に、ハネストは敢えて両手を広げて笑った。
「この威圧感……」
その広げられた両手から発せられた力強さは、強風を巻き起こす羽ばたきのように感じられ、誰もが半歩ほど下がった。
下がらせたハネストは気にはしていない。彼女は圧力を与えるために、わざと動いたのだ。
「アルカルターヴァ公爵殿下。我はヤシャル公爵殿下をライハ公爵殿下から直接預かりました。ですので、ケスヴァーンターン公爵殿下に返すにはライハ公爵殿下の許可が必要です」
ヤシャルの肩に手を置き、ハネストは自らの体の後に押す。
「そうか。ラティランクレンラセオ。ヤシャルは儂が預かる、良いな」
「もちろん。カレンティンシス」
「なんじゃ?」
「陛下に忠誠を示すために、ケルシェンタマイアルスを殺そうと思うんだけど、君はどう考える」
腕を組み小首を傾げて笑うラティランクレンラセオ。
皇帝が迎えた奴隷の子を親王大公にするために、皇位継承権第一を所持する息子を殺害すると彼は言い出した。
ヤシャルを殺害してしまえば、ケシュマリスタ王の息子は”残り”一人。
ケシュマリスタ側の跡取りである以上、皇位継承権はシュスタークとロガとの間に産まれた子になることは確実。
「なぜ儂に聞くのじゃ」
「息子を殺せば上手く収まることを知っているのは”君も同じ”だろう?」
互いに実子を殺害して求める物がある者同士
「早く戻れ、ラティランクレンラセオ」
「そうさせてもらう。ヤシャルの処遇は君に任せるよ」
ラティランクレンラセオはそれだけ言い、単身で移動艇に乗り込み自らの旗艦へと戻っていった。
「相変わらずじゃな」
見送るつもりはないが、見送る形となったカレンティンシスは溜息をつく。
「……」
ヤシャルのすすり泣く声を聞きながら、ハネストに名乗る許可を与えた。
「ところで貴様、名前は?」
「ハネスト=ハーヴェネス。エヴェドリット系ビュレイツ=ビュレイア王子系統僭主に属しておりました」
「なるほど。儂は特になにも言わぬ。命令通りに動け」
「御意。では僭主の回収作業を手伝ってきます」
ハネストはヤシャルをカレンティンシスに預け、僭主の収容を行っているタウトライバの元へと向かった。
「泣いていても何も始まらんわ、ヤシャルよ」
「……」
「実力がないのも、才能がないのも、仕方のないことよ。世界は平等ではないのじゃからな」
「……」
「儂が誰よりも知っておる」
「……」
「アロドリアス、ヤシャルを儂の艦へと連れて行け。貴様がヤシャル専任の警護だ。何があっても離れるなよ」
「御意」
港でプネモスと二人きりになったカレンティンシスは、ゆっくりと宇宙に解放されている方向へと進む。目の前に広がる星々と闇に近付きながら《死を望む》
「ヤシャルは決して才能がない王子ではない。ただラティランクレンラセオが優れているだけじゃ」
宇宙まで”あと一歩”どころか”あと五歩”もあるところで足が止まる。
踏み出せない死だが、王としてはそれは強さとなる。
「はい」
「父王に期待されぬ、実力のない王子か……それでもヤシャルと弟のシティアノは実力に差はないからな」
ヤシャルと弟のシティアノの能力はほぼ同じ。容姿も才能もまさに”王妃の息子”であり、どちらかが突出しているという事は無い。その兄弟はカレンティンシスとカルニスタミアの間にあるような、圧倒的な実力の差はなかった。
「殿下、戻りましょう」
カレンティンシスの眼前には星々が広がっているが、見ているものは違う。
「死にそびれたわい。カルニスタミアと同室で過ごさねばならぬではないか」
「お嫌ですか?」
「儂は嫌ではないが、カルニスタミアが煩がるであろう」
「煩がることを解っていらっしゃるのでしたら、少々加減して差し上げればよろしいのでは」
「儂は王じゃ。王が王弟の機嫌など取るか!」
「それでこそ、儂等の王です」
「儂はここで死ななかった。じゃからプネモス、次はお前も儂と道連れとなるぞ」
「お連れしてくださいますか。このプネモス、どこまでも」
カレンティンシスはプネモスと共に、二度と戻るつもりのなかった自らの旗艦へと向かった。
次のテルロバールノル王の名は……そして妃の名は?
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