繋いだこの手はそのままに −112
格納庫に向かう途中での出来事を、暗示が解けたまだ靄のかかっている頭で考えながら歩き部屋に戻る。
余の異父兄のユキメル公爵クラタビアが、妃のメリューシュカと共に部屋の前に立っていた。
二人とも代理総帥の配下で参謀を務めておる。今回は余の参謀になるのだが、殆どの作戦はこの二人に丸投げ。
何時ものことだが、心が痛む。だが下手な作戦を立てて戦死者を多く出すくらいなら余は無能者の誹りを受けることなど苦でもない。
本当は自分で作戦を立てられたら良いのだろうが、残念ながら余にはその才はない。
「どうした?」
メリューシュカは 《室内の香りがちょっと変わっております》 そう告げてきた。軽い鎮痛作用のある香りを部屋中に焚いたのだと。
「用いた香りはこれです。陛下がご不快にならないかを確認してからと」
「それはロガのために焚いた香りであろう?」
「はい」
「それで苦痛が軽減されるのであらば、余が拒否するわけもない。それに良い香りだな」
実際悪い香りではない。
そう告げると、メリューシュカは下がり、クラタビアが半歩前に出て、
「ありがとうございます。これは私の妃が調合したものでして。その、陛下の部屋に焚くと聞かされて、本人が不興を買うのを恐れましてね。お手数をおかけいたしました」
そのように言ってきた。
「これはそなたの特技だったのか」
「特技といいますか、趣味でして」
「ロガに色々な香りを作ってやってくれ。その際、余の好みなど除外して構わん。あくまでもロガを優先してくれ」
そして余は扉を開かせた。
ソファーに腰掛けていたロガは、少々顔が白っぽかったがロガ何時もの笑顔を浮かべ出迎えてくれた。
「ナイトオリバルド様!」
立ち上がり、余の元に駆けてくる。一瞬 《走っては駄目だ》 と言いそうになったが……折角走って来てくれたのだ、否定しては良くないな。
過去に何度も経験しておるだろうかなら大丈夫だろうが 《それ》 と聞くと、あの藍后の話を思い出す。
帝后の場合は 《そのもの》 に関しての騒ぎではないが、関連した嫌がらせが頭を過ぎる。あのような騒ぎがこの先、ロガの身に起こるのだろうか?
気が滅入るが、余には滅入っている権利はない。余はロガが嫌がらせをされた場合は毅然とした態度で処罰をし、嫌がらせをされないように命じるのが仕事だ。
「ナイトオリバルド様。途中で戻って来ちゃってごめんなさい。これから行きましょう!」
余はロガにずっと笑っていてもらうのだ。
あのディブレシアが幼い余に向けたような嗤いではなく、本当の笑顔を向けてもらうのだ。
余の片腕を両腕で抱き締めて微笑むロガとずっと一緒にいるためにも……
「いいや。明日にしような。無理は絶対にしてはいけないから」
余は腕を抜きとり、ロガの肩を抱いて歩くように促し、二人でベッドに腰をかけた。
「はい……あの心配をおかけして……申し訳ありません」
運ばれてきたカップの乗ったトレイもベッドにおかせて、その一つを持ちロガに渡す。
ロガは両手で受け取りながら、軽く頭を下げる。
一つ一つの事を気にしておるのだろうな。あの実力で帝国軍参謀になったメリューシュカですら、香り一つであれほど気を遣う。
皆が余に対し、どれほど気を遣っているのか、余には解らんし、どうにもしてやることは出来ん。だがロガだけは違う。
「そんな事、気に病むな。余など何時もトイレから出てこられなくてロガを心配させて……もしかして、ロガの心配事は余がトイレから中々出てこない事もあるのか?」
言っていながらだが、ロガはもしかして凄く心配しているのかもしれない。
何せ出会いは余の失禁……ぐあっ……思うだけで、大ダメージだ。
《きにするなよ せんそうちゅうなんて そのままたたかうしよ》
戦争中なのではない、余は内情を知っている肝試しで絶叫泡吹き、そして失禁だ。人として最早……考えるのを止めよう。
「え? あの少しは心配ですけれど! それは! その……ちょっとだけですから! 頑張って下さいね! 私も応援してます! でも、応援したくても一人での練習だからお手伝いできないのが残念ですけど!」
「もう少し堪えてくれ! そしてロガの応援にこたえるためにも! 何れ二十五分以内には出てこられるようにするから!」
「はい!」
《おにあいだなあ》
− そう言ってくれるか! ラードルストルバイア! 嬉しいぞ!
《…………てんねん……おれ ねるからな……》
ロガは微笑んで、手に持っていたカップに口をつけた。
室内の香りが違い、余が渡したカップに注がれていた液体の香りも少し違った。ロガの体調に合わせた物であろう。
そしてロガから何時もと違った香りがするのが気になる。
血や体液の匂いではなく、香料が何時もより少し強い。
それらの匂いを消す為に、何時もよりも多く使っているようなのだが、嗅ぎ慣れない香りに囲まれて余の心が落ち着かない。とても良い香りなのだが、心の中がざわざわとする。
ロガが自分のカップを置いて、余のカップを持ち差し出してくれる。それを片手で受け取り、口元に運ぶが飲みたいとは思わない。
「ナイトオリバルド様?」
奴隷区画にいた頃よりロガは少し痩せた。
衣食住には苦労をさせていないのだが、それを上回る気苦労があるのだろう。ただ痩せたことにより、可愛らしさの中にやや大人の影が出てきた。
ロガはもうじき十七歳か。
少し伸びた髪と、何時もよりも白さの際立つ肌。唇の赤さが気になる。
カップを床に捨て、ベッドに乗っているトレイもはじき飛ばした。驚いているロガの顔に近付き口付ける。
赤い唇は驚きで少しだけ開いていたので、簡単に舌を深く差し込むことが出来た。今までどんな相手としても気持ちよいと思ったことのない、口内を舌でなぞる行為。何が違うのか、それはとても心地良い。
驚いているロガの舌を絡めて反応を促す。ゆっくりとベッドに倒して、何度も舌を引き抜いては、再び浸入させる。
何が楽しいのか自分でも解らないが、離れがたい心地よさに支配される。あの暗示を解かれたばかりの頭の痺れにも似た感覚が肢体に伝わり、それに急かされるようにロガの服を指で裂いて肌に触れる。
直接触れたいと、唇を離して歯で手袋を脱ぎ捨て、その肌に触れる。想像していた以上の触り心地に全身が打ち震える。
余は今自分が男であることを実感し、体中が欲しているロガを見下ろしながらもう片方の手袋も脱ぎ、胸の辺りを両手で掴み舌を出し、舐めながら噛みついた。
「あぁ……」
ロガの口から上がった嬌声は余の背筋を昇り、下半身に自分では制御出来ない熱を高ぶらせる。
それと同時に、
「ロガ御免! 今そのっ! 突然ごめんなさい!」
余は素に戻り、思わず後方宙返りとやらをしてしまった。見ていた者達が、後で余の動きが 《後方宙返り》 というものだと教えてくれたのだ。
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その時人々は皇帝と后の行為が最後まで到達することを願いながら、固唾を飲んで見守っていた。
なのに皇帝は突如 《後方宙返り》
その 《後方宙返り》 の美しさは特筆するべきものだった。当時計算上最高の身体能力を誇ると言われていたその身体。
星々が満天に輝く夜空を思わせる黒髪、長すぎるほど長い手足。そして無類のバランス感覚。
新たな計算で後にシュスタークを超える身体能力を持つ者達も現れたが、それらとは一線を画した 《下半身は間違いなく臨戦態勢なのに、そこまで華麗に後方宙返りなさっちゃいますのか?》 な動き。
歴史上、どれ程の身体能力を持っている男といえど、この状態で 《後方宙返り》 などしない。するわけもない。
つま先を付いては再び繰り返し、ベッドから踊るように遠ざかる皇帝を前に、人々は何を思ったか。
皇帝は十二回の臨戦状態のまま華麗なる後方宙返りをし、両手を掲げて立った。そして……
「ロガ! 気持ち良かったぞ! だが今は、そのおっ……おっ……おんなのこーのひぃーなので。ま、またな!」
裏返った声で告げた。
行為途中で止められた上に、皇帝の変な動きを目の当たりにしてしまったロガだが、
「ま、また。待ってます……」
必死に答えを返した。
ちなみに前回の軽いキスから、一年弱近く経過している
”次って一体何時ですかぁぁぁ!”
見ていた者達の無言の慟哭の隙間を抜けて、皇帝は浴室へと向かった。
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