彼女と食事をした。
もちろん彼女はほとんど食べられなかったが、
「皇子、どうぞ」
余の口元に料理を運び微笑んでいた。
母はその間、何時も通り 《もぎもぎ》 と食している。弟と妹に母乳を与えていた母は、それはよく食べていた。
食後しばし遊び入浴をする。
彼女は余達の入浴を手伝いにやってきて、妹の柔らかさに頬を綻ばせた。母は余達を入浴させる際に、ほぼ全裸になる。
あまり……いや、全く器用ではないので、服を着たまま余達を入浴させ気付くと濡れてしまっているので、最初から脱いで一生懸命に洗う。
もちろん他の者に任せても良いし、他の者に任せた方が良かったであろうが、これは母の楽しみだった。余達と共にある時間が、母にとって幸せな時間であるのならば、誰が取り上げようか。
余達は洗い上げられ、パジャマに着替えて眠りにつく。母は何時も余達が寝た後に、そこに存在した場合は父と共に、そうでなければ他の人と共に入浴してから眠りにつく。
その日は間違い無く母は彼女と入浴した筈だ。母は母なので、態度が変わるようなことは……ああ、そうだ。翌日から変わったのだ、あれが。
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「私が見ているから、ゆっくりとね」
三人が眠ったのを確認してグラディウスは起き上がり何時も通り、リニアに背を押されて浴室へと向かった。
「エリュシ様! 一緒に入ろうね!」
「……え……ええ」
”エリュシ様と一緒にお風呂!” と喜んでいるグラディウスの隣でリュバリエリュシュスはゆっくりと服を脱ぎ捨てた。
肌理の細かい白い肌にグラディウスは歓声を上げ、未発達でありながらも柔らかさを感じさせる乳房にうっとりとする。
「あれ? エリュシ様。男の人だったんだ!」
「ちょっと違うのよ」
「え?」
グラディウスに小首を傾げながら、かなり真剣にそこを見られてリュバリエリュシュス手でかくす。
「あのね、これは……」
自分の体については、誰もグラディウスに説明してくれないことは知っている。教える必要などないのかもしれないが ”リュバリエリュシュスとしては” 自分の真の姿を、ほんの僅かであっても良いので、理解して欲しかった。
「大丈夫だよ! エリュシ様!」
「な、なにが?」
母乳の詰まっている元気いっぱいの胸の辺りを拳で軽く叩き、グラディウスは藍色の瞳を大きく見開き、リュバリエリュシュスに語りかける。
「あてしは、おっさんのチンチン洗ってるから、上手に洗えるよ! 任せて! あてし、チンチン洗うの得意だよ!」
「……」
リュバリエリュシュスは難しいことを語るのは諦めて、グラディウスに体を洗って貰う事にした。
「何か足りないよ?」
グラディウスは赤子を洗うようにリュバリエリュシュスを洗った。優しく強く擦らず、グラディウスにしては注意深く。
そして自ら ”得意!” と言っている、男性器部分も変わらず優しく洗った。そこでグラディウスは ”足りない部分” に気付いた。
「我の場合は、睾丸が……グレスが見て足りない部分は、体の内にあるの」
女性機能優先型両性具有の睾丸は体内に収まっている事が多い。
「そうなんだ」
精子の機能を抹殺する為に等、様々な理由はあるのだが、
「そうなの……あのね……」
「痛くない?」
「え、ええ……体は平気」
「そっか! じゃあ、良いね! あてし、エリュシ様のこと大好きだよ!」
リュバリエリュシュスは語りそびれた。
「ふ……ふふ……」
「どうしたの? エリュシ様? また泣いて」
ここまで全く変わらないグラディウスに、リュバリエリュシュスは全てを包み込まれたような気分になり、泣いた。
風呂から上がり、皇子達と皇女の三人が一緒に眠っているベッドに二人も横になる。グラディウスはリュバリエリュシュスと皇女に挟まれた形で。
グラディウスを抱き締めて浅い眠りに落ちていたリュバリエリュシュスは、皇女の泣き声を聞き目を覚ます。
同時にグラディウスは起き上がり、眠い目をこすりながら皇女を抱きかかえて乳を口に含ませる。室内灯は無いが、窓にはカーテンが引かれておらず、夜空を彩る星々により普通の人間であるグラディウスでも明かりを得る事ができていた。
少し ”うつらうつら” としているグラディウスの背中をリュバリエリュシュスが押さえると、グラディウスは振り返り、にっこりと笑った。
空腹が満たされた皇女は、兄達がいる夢の世界へと舞い戻ってゆく。
「グレス……大変じゃない?」
日に何度も、三人の子供を交互に抱きかかえては世話をするグラディウスに、リュバリエリュシュスは語りかけたが、服を着直したグラディウスの笑顔に、頷くしなかった。
「全然! あてし、赤ん坊大好き!」
ベッドに眠っている皇子二人と一人の皇女は幸せだとリュバリエリュシュスは思った。”親王大公達は幸せね” そう口に出して言うこともできたが、敢えて言わないことにした。
そんな事、言っても無意味だと彼女は 《今》 知ったのだ。
「エリュシ様」
グラディウスは自分と同じく身を起こしているリュバリエリュシュスを夜の散歩に誘う。
「なに?」
「一緒に夜のお散歩に行かない?」
リュバリエリュシュスが拒否する筈もない。
夜も冷えない季節なので、パジャマに外套としてマントを羽織り、二人は手を繋ぐ。
「行ってくるね! リニア小母さん!」
「どうぞ、ごゆっくりと」
子供達のことを任せ、グラディウスはリュバリエリュシュスを夜の庭へと連れ出す。驢馬は二人の後ろを、少し距離を置き付いていった。
館の特徴の一つでもあるガス燈の下を歩き、その明かりから離れて夜空を見上げる。
「エリュシ様、疲れたら言ってね! あてし、背負うから」
「大丈夫よ」
手に持った自分用の明かりを掲げ、リュバリエリュシュスに必死に話しかけたグラディウスは、彼女の背後に 《星》 を見つけて、ジュラスに何時も教えて貰っている 《星座》 を思い出し、指をさして説明をする。
その日、満天の空に十七ほどの星座が存在していたがグラディウスが説明できたのは、麦座と熊座と双子座のみ。
「本当はもっとあるんだ! 明日も一緒に見ようね! あてし、覚えて来るから!」
「明日も一緒だから、昼間に一緒に覚えましょう」
離れた場所で覚えてから再び会うような事をしなくても良い。それは幸せだった。グラディウスにとって、まさに言葉に出来ない幸せ。
もちろんリュバリエリュシュスにとっても。
二人は空を見上げる。見ていた時間は然程長くはない。
「グレス」
「なに? エリュシ様」
リュバリエリュシュスの人生は後五日で終わる。悔いのない人生などという物の存在を、彼女は知らない。
残り時間を聞かされた所で、慌てることも出来ない。
だが ”してみたい事” だけはあった。それが 《どんな意味を持つ物なのか》 知っているが、自分には該当しないような気がして。
「キスしてもいい?」
「お口に?」
「うん」
「良いよ! はい」
大きな藍色の瞳を大きく見開いたまま、顎を出して顔を上げたグラディウスの唇にそっと色素のない白い唇で触れる。
リュバリエリュシュスが触れた瞬間、グラディウスは瞼を閉じて体を硬直させた。
「いやだった?」
「違うよ。エリュシ様がキスしてくれた時、前に食べたレモンの味、思い出して。ぎゅっ! となっちゃった」
リュバリエリュシュスが他人と触れ合ったのは、これが最初で最後。
二人は手を繋いで館へと戻り、その途中リュバリエリュシュスはグラディウスに、自分のことを、グラディウスが最初に呼んだように「ちゃん」付けで呼んで欲しいと。
もちろんグラディウスは満面の笑みで承知して、二人は眠りに落ちた。
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翌日から彼女は母に「エリュシちゃん」と呼ばれるようになった。
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