藍凪の少女・少女が街へと戻って来た[05]
 二人は立ち止まり、艦内映映し出されているモニターを眺めながら、話をしていた。
「皇后殿下とお話したことあるのか。すごいな、グレスは」
「うん! すっごく優しいんだ! テルチちゃま!」
「……そ、そうか。テルチ……ちゃま?」
 グラディウスはかなり改善されたとは言え、まだまだ発音は悪い。
 ”ちゃま……って様? の事なのか? 許されているのかな……許して貰えるくらい馬鹿……いや、その”
 ピラデレイスは悩むものの、悩む以上のことは出来なかった。
 グラディウスとディウライバン大公デルシ=デベルシュが仲良く映画や観劇を楽しむ仲など、知るはずもなければ、考えるはずもない。
 精々、彼が想像できることと言えば、
 ”ディウライバン大公殿下の宮で、高価な物を壊して引き出されるかなにかしたのかなあ? 大公殿下は少女好きだと聞いたから、グラディウスのことを許してくれたのかなあ……”
 これが精一杯だった。
「大宮殿、とっても楽しんだよ! 驢馬がね! 驢馬なんだけど、驢馬とお話してね!」
「驢馬の世話してるの?」
「うん! あてし驢馬と仲良し!」
「それは、誰の驢馬?」
「あてしの驢馬! あてし、驢馬と一緒に大宮殿を見回るお仕事! でもね、ベルテがね! ベルテがね! ベルテが大事だから、驢馬に乗らないで妊娠中のリニア小母さんと一緒にお散歩してたの!」
 ピラデレイスは突然登場した 《ベルテ》 と 《リニア》 の名前に首を傾げた。後者の 《リニア》 は妊娠中の女性であることが解った。グラディウスが彼女と一緒に散歩をしていたことも。ならば前者の 《大事なベルテ》 は何者だろうか? 解らないとは思いつつ、名を反芻してみる。
 無意識のうちに反芻したのは、思い当たる事があったためだ。
 ”ベルテ……ベルテ……え? いや、まさか”
 グラディウスが 《帝后グラディウス・オベラ》 であれば 《ベルテが大事で散歩》 でも、おかしくはない。
 その考えに到達したときのピラデレイスの表情の変化は、部屋で待機している人達をも不安にさせた。
 あまりの ”変色” に誰もが焦り、恐怖を覚えた。
「グレス。あのね……もしかして、グレスが今言った ”ベルテ” って、ベルティルヴィヒュというお名前かなあ?」
 アルトルマイス親王大公ベルティルヴィヒュ。平民帝后が産んだ、皇太子候補の皇子。
「なんでピラお兄さんベルテの名前知ってるの! すごい! あてし 《自分で産んだのに》 全部言えないのに! なんで! なんで? ピラお兄さん、あてしの子供の名前知ってるの?」
 ピラデレイスは生まれて初めて 《衝撃の事実》 を目の当たりにして、物理的には何のダメージもないのに、本当に頭に衝撃を受けた。
 腰を抜かして崩れ落ちるピラデレイス。
 その時廊下の向こう側から、咆吼が響き渡る。廊下の壁は咆吼に耐えきれずに震えていた。
 ピラデレイスも 《衝撃の事実》 を知らなければ咆吼に震えていただろうが、彼は咆吼も聞こえない程に茫然自失状態。

”年齢調整、早めに送るんだった……”

 公式発表十五歳。
 正式年齢十四歳。
 ”自分が黙ってさえいれば、解らないかもしれないが、何時かばれるかもしれない……”
 どうしようかと考えていると、目の前にデルシ=デベルシュの軍靴が見えた。
「テルチちゃまあ!」
「グレス! お前は、何をして……」
「お土産貰ったの! テルチちゃまにもあげるね!」
 ピラデレイスが持たせたエルターズ星の土産菓子のことを、グラディウスは必死に語る。
 デルシ=デベルシュは溜息をつき武器を手放して、グラディウスを抱き締めた。
「どしたの? テルチちゃま?」
「全くお前は……我がどれ程心配したと思っているのだ。出かけるのなら誰かに言って……」
 先ほどまでの咆吼とはうって変わったデルシ=デベルシュの不安と喜びが入り交じった声を、腰が抜けたままのピラデレイスは聞いていたが次の瞬間、
「ぼふっ!」
 無意識のうちに吹いた。グラディウスのこの言葉を聞いて。

「あてし驢馬にお出かけするって、お話してきたよ! 驢馬ともお話ししてあげてよ! テルチちゃま!」

 我慢しなくてはならないことだが、不意打ちといえば不意打ち、それもあまりに不意打ち過ぎる。よって皇后と帝后の前で吹き出した事に関しては咎めはなかった。
 グラディウスを子供のように抱きかかえたデルシ=デベルシュは、
「そうか。驢馬に話を聞かなかった我等が悪かった。そうか、驢馬か」
 ピラデレイスが混乱するような言葉を返す。その時彼は初めてデルシ=デベルシュを仰ぎ見た。
 存在感といい迫力といい、溢れ出すリスカートーフォン気風といい、もう一度ピラデレイスに頭を下げさせ、立ち上がらせないのには充分過ぎた。

**********

 その後、グラディウスが 《帝后 グラディウス・オベラ》 だと知った乗客達は、驚きを隠さなかった。本当は隠しきりたかったのだが、隠しきれなかったのだ。
「本当に?」
「わかんない! でもあてし、おっさんの子供産んだよ!」
 ピラデレイスが頭を抱えて沈んでいる真の理由を知っているレンディアも、困り果てた表情となった。
 グラディウスはデルシ=デベルシュの艦に戻り、見送った二人は頭を付きあわせて、真実を語るべきか否かを相談し始める。
「伝える場合は、誰に?」
「大宮殿に招待してもらえるから、その時に……かなあ」
「そうだよな。もうこれ以上、先送りするのはマズイ」
 騒ぎを起こした詫びにと、皇后デルシ=デベルシュが帝后グラディウスと共に、船の乗客と従業員全てを大宮殿に案内してくれたのだ。
 特にグラディウスが後宮に来ることに貢献したピラデレイスとレンディア、その両親は特別に案内を付けるとまで言ってくれた。
「いやあ、それにしても帝后殿下か……末は帝太后陛下になられるのかあ」
 あの日 《あてしグラディウス。しごとしたいの。わかんない。何言ってるのかわかんない、あてし馬鹿だから。ごめんね、あてし馬鹿なの》 薄汚れた姿で現れた頭の悪い少女は、未来の ”帝国” の母となった。
「すごいモンだ。それにしても、陛下のお心をどうやって射止めたんだろう?」
 ピラデレイスはそこが不思議だった。
 ”平民から銀河帝国皇帝の正妃に” その前例はただ一人。《軍妃》 と呼ばれた皇妃ジオ・ヴィルーフィ。
 賢帝と呼ばれる男の隣に立っても遜色ない程に知性に溢れ、210pの賢帝の隣に立っても全く見劣りしない209p。
 中性的な顔立ちの賢帝。ジオは女性的な顔立ちではあったが、特別に美しい容姿の持ち主ではなかった。だがはっきりとした女性の顔立ちでありながら、内側からあふれ出る凛々しさのもたらす空気が、人々に彼女を中性的に感じさせ、その中性さが彼女を神秘的にみせた。
 それらの事実と記録が残るジオと、
「物珍しさなのかなあ……」
 グラディウスはあまりにも違う。
 そのため 《平民帝后グラディウス・オベラ》 の話を聞いた時、ピラデレイスもレンディアも全く同一人物だとは考えなかった。
「家に泊めてやったとき、お前一番に言ったよな。なんか食事している姿が ”もぎもぎ” してるって。それが陛下には物珍しかったんじゃないのか? 実際見たら、面白かったし」
 旅の最中、レンディアの隣で元気いっぱいに食事しているグラディウスは、やはり ”もぎもぎ” で、食堂でも他の客に凝視されることが多々あった。
「まさか! 食べ方が ”もぎもぎ” だけで平民が正妃にはなれないだろう」
 ピラデレイスとレンディアは、グラディウスの ”素朴さ” と言うことで自分達を納得させ、そして大宮殿への招待に与った。
 ピラデレイスの両親は、二人とはまた別の日に訪問することになった。
 二人を出迎えたのは、艶やかな栗毛を後ろの低い位置で一本にまとめている、背の高い整った顔立ちの男性。
「案内のケーリッヒリラ子爵 エディルキュレセ。エヴェドリット家名を持つフレディル侯爵家の第二子で、帝后の身辺警護責任者だ。もしかしなくても、お前達には ”おじ様” の方が通りがいいだろうがな」
 上級貴族の男性は自己紹介をした後に苦笑いする表情にも、優雅さがあった。
「あ、はあ……もっとお歳を召した方だとばかり」
 三十歳ちかくの自分が ”ピラお兄さん!” と呼ばれているので、こんな若い人がおじ様と呼ばれているとは思いもしなかったピラデレイスと、
「掃除仲間だとばかり……」
 グラディウスの語る高所窓拭きに必ず登場する人物だったので、勝手に ”年配の窓担当清掃者” と勘違いしていたレンディア。
 二人の言葉を聞いた ”おじ様” は顎の下に手をあてて、
「やはり正式名称を言えるようにしておいた方が良かったなあ。今回のような事もある……あると困るけどな」
 二人の予想通りの反応に納得して、案内をはじめた。
「出来れば何度も訪問して、偶に帝后にも会って欲しい。というか、会えとのご命令だ。誰のご命令かは言えないが、陛下ではないが陛下ではどうにも出来ない相手だと言っておこう」
 このような事もあり、二人は後に大宮殿内の宿舎に住んで大学に通い別の仕事をすることになった。もちろんグラディウスとの親交は終生続くことになる。

 それはまだ訪れぬ未来であり、幸せな未来なのだが、そこに向かう前に二人はどうしても言わなくてはならないことがあった。

「閣下」
「なんだ?」
 大宮殿のリスカートーフォン区画でもてなし、上記の会話が終わった後、二人は顔を見合わせて、ピラデレイスは覚悟を決めて話すことにした。
「実はですね……言い訳になりますが、私はその……帝后殿下の年齢調整をしないで大宮殿の下働きとして送り込みました。帝后殿下の年齢には一度も調整をかけられた事が無かった、それが判明したのは大宮殿へと送ってから一年近く経った後です。もっと早くに気付き、報告しておけば良かったと思うのですが。まさか、あのグラディウス……ではなく帝后殿下が陛下のお気に召すとは思っても……」
 そこまで聞いた ”おじ様” こと、ケーリッヒリラ子爵は立ち上がりピラデレイスの肩を掴んで、
「まさか……年齢は……」
 グラディウスの出身惑星について、ケーリッヒリラ子爵は全て知っている。その惑星で一回も年齢調整しないまま帝星に来たということは……
「閣下が考えられている通り……一歳マイナスに」
 はっきりと聞かされて、肩から手を離しながら言った。
「うわぁ……ザイオンレヴィに知らせたら! あいつ壊れかねない……だが知らせないわけには行かないよなあ」
「ですが、閣下。知っているのは、私とそのピラデレイスのみです。誰にも言っておりません。その……ピラデレイスは少々、職員として越権だったので」
 ピラデレイスがグラディウスを心配して、職員としては越権になることや、プライベートの侵害に近いこともしていたので、誰にも話していないことを告げた。
「いいや。気持ちはわかるし、当然の行為だ。我が職員であったとしても同じ事をしただろう! そうか、お前達二人だけなんだな! 両親にも言っていない? よし、二人ともこの事は国家重要機密だ! 決定したわけではないが、国家重要機密だ! 今日はここに泊まっていけ! 我はこれからアディヅレインディン公爵殿下とディウライバン大公殿下に報告に上がってくる!」
 言い終えるや否や、駆けだしていったケーリッヒリラ子爵の後ろ姿を見送った二人の表情は 《やり終えた》 顔だった。
「これで良いんだよな、レンディア」
「ああ、これで全て終わったんだ、ピラデレイス……ところでさ、何でケシュマリスタ王太子殿下と皇后殿下なんだ? 普通は陛下に奏上では?」

 二人が真実を知ることはない。知らない方が幸せだ

 幸せな二人から事実を聞いたケーリッヒリラ子爵は、マルティルディとデルシ=デベルシュの元へと走った。
 自分よりも身分が高い相手に連絡を入れる場合は最初に使者を立てるのが礼儀だが、この場合は礼儀よりも早さが重要。
 二人はサウダライトを連れてある建物裏にいると聞かされたので、そこまで疾走し皇帝を護る近衛兵の姿を見つけて益々スピードをあげる。
 皇帝の王太子と皇后の周囲で踊っている 《陛下の応援団・ガルベージュス公爵閣下とバックダンサーズ(帝国軍・ケシュマリスタ王国軍将校により編成)》 の間をすり抜けて、ケーリッヒリラ子爵は膝をついて頭を下げて叫んだ。

「帝后殿下の年齢調整がなされていなかった事、只今報告されました! 実年齢はマイナス一歳です!」

 そしてケーリッヒリラ子爵が二人に言った通り 《マイナス一歳》 は帝国の最重要国家機密となった。
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