『我慢できない……』
『もう暫く様子を見ましょう』
意思の疎通に苦労している二人から少し離れたところに、
『これ以上我慢したら吹き出す』
笑いを堪えるのに必死のケーリッヒリラ子爵と、
『ですが、もしかしたらあと少しで意志が通じるかもしれませんから』
会話が上手く成立する事を願っているルサ男爵がいた。
ケーリッヒリラ子爵はグラディウスの警護で、ルサ男爵は 《通訳》 のために。
二人は出来るだけ隠れて見守るようにしていたのだが、
「あのね! あのね! おじ様はね! 白鳥さんのお友達でね! ジュラスともお友達なの!」
「え? えっーと。白鳥さんって……おじ様は鳥と仲良しな人なの?」
「違うよ! えっとね! 白鳥さんはおっさんの子供でね! すごく綺麗なの! でもね! ほぇほぇでぃ様やおねえさんの方が綺麗! ああ! お名前聞いてたのに!」
ケーリッヒリラ子爵、下唇を噛んで笑いを耐える。
「そうだったわね。あのね、我の名前はリュバリエリュシュス。そう言えば、我を使うお方なのですが……」
「おおきいおきちゃきちゃま! そしてね! 胸の大きなおきちゃきちゃまと、睫が長いおきちゃきちゃま! がね ”あーん” なの」
ルサ男爵、視線を逸らしながら喉の奥に力を入れて耐える。
「もしかして、おきちゃきちゃまって ”お后様” のこと?」
「うん! そう! おねえさんが言った ”我” は、おおきなおきちゃきちゃま! 小山のような大きな人なんだよ! ああ! 名前書けなかった!」
「大丈夫。何回でも言わせて貰うから気にしないで。我は長いこと誰とも話をしていなかったから、とても楽しいから気にしないでね」
「やさしいなあ! おねえさん! あてし、グラディウス」
「我はリュバリエリュシュス」
二人は笑いを堪えながら顔を見合わせて、
「あれは、会話がかみ合っていないことが、かみ合っているということなのか?」
ケーリッヒリラ子爵が言い、
「私のような狭い世界の人間には、解りかねます」
ルサ男爵が答える。
二人の眼前には、延々と同じ会話を笑顔で繰り返す二人がいた。
グラディウスとリュバリエリュシュスは幸せかもしれないが、警護と通訳が 《笑い死ぬ》 恐れがあるので、
「お邪魔します」
「よろしいでしょうか」
二人は表情だけは真面目なものを貼り付けて、声をかけた。
「ルサお兄さんとおじ様だ! お話しにきたの!」
「あ、いや。その……ルサ」
グラディウスと長いこと接しているお陰で、会話を成立させる能力が突出しているルサ男爵は、ケーリッヒリラ子爵の言葉を受けて頷き、
「グラディウス殿。その方のお名前は私が書きますから、邸に戻って覚えましょう」
グラディウスを第一の目的に戻した。
「うん! あのね、おねえさん! ルサお兄さんにも名前を教えて!」
背後で何十回も聞いている上に、昨日聞いているのでしっかりと覚えているのだが、そこは ”お願いします” と同意を見せる。
「我はリュバリエリュシュス」
大きな文字で確りと書いてグラディウスに渡し、その後四人で会話することになった。
グラディウスは会話が上手くないのは知っていたが、リュバリエリュシュスも長いこと会話していなかった事と、生身の人間でまともに会話したことがあるのは、自分を育ててくれたランチェンドルティスだけ。
その ”彼女” も 《王城》 である程度の教育は施されたが、ほぼ人と接しない生活を送り、十歳の時に巴旦杏の塔に収められたので、大多数と会話することがなかった。
「全体的に会話する能力が低いんだな」
全く知らない相手と意思の疎通を図る能力が、著しく低かった。
「リュバリエリュシュス・アグディスティス・ロタナエルにお願いしたいのですが、名前を短くして ”愛称” のようにして呼びかけてもよろしいでしょうか?」
「え、ええ! 構わないわ! 昔、ランチェンドルティス様は我のことを ”エリュシ” と呼んでくれていたの! それで良ければ! 是非ともその名で呼んで頂戴!」
ルサ男爵の提案に、リュバリエリュシュスは笑顔で答えた。
マルティルディとよく似た顔立ちだが、全く違う種類の笑顔にケーリッヒリラ子爵などは驚きながらも、見守っていた。
彼はルサ男爵ほどグラディウスと会話を上手く成立させる自信がないので、警護に徹している。
「エリュシ? うん! 解った! あてし ”エリュシちゃん” て呼ぶね!」
「ごはっ!」
ケーリッヒリラ子爵、不意打ちを食らって吹き出す。
「エリュシちゃん……我が ”ちゃん” なの?」
リュバリエリュシュスは自分が ”ちゃん” 付けで呼ばれたことに驚くと同時に、地面に崩れ落ちかけている若い男を見た。
ケーリッヒリラ子爵 二十二歳 → おじ様
ルサ男爵 二十五歳 → ルサ ”おにいさん”
リュバリエリュシュス 三十歳 → エリュシ ”ちゃん”
血縁で本当に ”叔父様” ではなく、本当に ”おじ様”。自分はそんなにも老けてみえるのか! 彼は一人考えながら悶絶しているが、グラディウスは背後の悶絶には気付かず、
「それはお止めになったほうがよろしいかと」
気付いてはいるが、グラディウスの会話を成立させるほうが先とルサ男爵は完全無視。
塔の中の俗世から離れて生きて来た ”エリュシちゃん” は、打ちひしがれている青年を不思議そうに眺めるしかない。
「なんで? エリュシちゃんは駄目なの?」
「エリュシ様とお呼びするべきでしょう」
「偉い人なんだ!」
普通は ”偉い人” の名を ”身分の低い者が” 略して呼ぶことは失礼なのでしないのだが、ルサ男爵は敢えて短くさせて貰った。
「そうですね。非公式ではありますが、マルティルディ殿下の叔母君ですので」
「ほぇほぇでぃ様の叔母さん?」
「はい。ほぇほ……マルティルディ殿下の父君……お父さんの妹です」
死地に足を踏み出しかけたルサ男爵は、その地に足跡を付けることなく戻って来た。 ”ほぇほぇでぃ” と言ってしまったら、彼の人生は終わりである。
「解った! あてし、エリュシ様って言うよ!」
その後グラディウスにお菓子を与えて口を一時的に封じている間に、ルサ男爵はリュバリエリュシュスに ”グラディウスの基本用語” を伝えた。
おじ様はケーリッヒリラ子爵エディルキュレセ、ザナデウと呼ばれることもある。
ジュラスはエンディラン侯爵ロメララーララーラ。《白鳥》 はシルバレーデ公爵ザイオンレヴィで、現皇帝サウダライトのイネス公爵時代に儲けた息子で皇位継承権はない。
ほぇほぇでぃ様は現ケシュマリスタ王太子マルティルディ殿下。
「貴方様の兄君エリュカディレイス殿下の忘れ形見です」
「そうですか……兄はもう亡くなられていたのですね」
「十年近く前になります。元々体の強いお方ではなかったようでしたので」
リュバリエリュシュスはおぼろげに覚えている兄の記憶に、少しだけ瞼を閉じて 《想い》 頷いて、最後の用語を聞いて目を見開く。
「最後になりますが ”おっさん” は現皇帝、第二十三代銀河帝国皇帝サウダライト陛下にございます」
「え……おっさん……なの?」
リュバリエリュシュスの知識では 《おっさん》 とは 《おっさん》 であり皇帝ではない。
「そうだよ。おっさんだよ、シュターサダラト言うんだおっさんは!」
彼女が死の恐怖に怯えていた相手は、皇帝ではなくて、
「おっさん……なの?」
「うん! おっさんだよ!」グラディウスは笑いながら、
「まあ。見た目は ”おっさん” でしょうね」ケーリッヒリラ子爵は苦笑いしながら、
「年齢的にも四十歳なので……おっさんでも……まあ」ルサ男爵は努めて無表情で言った。
”おっさん” だった事を知り、彼女は美しい声で笑った。笑うしかないだろう。
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