グラディウスは新たな山羊乳を搾っている傍で、我が物顔で座っているマルティルディにルグリラドが声をかける。
[王が臨席するのは規則違反じゃ]
一応はグラディウスに理解できないよう、ルグリラドは帝国語で、
【僕は王じゃないよ。王太子だよ】
マルティルディはケシュマリスタ語で。
[なるほど。それで、何用で此処まで?]
【あの子が意地の悪い正妃様方に虐められてるだろうから、助けに来たのさ】
[意地の悪い、な。それに関しては否定せぬが]
【否定されたら困るなあ。君の性格の悪さは異常だよ】
[儂で異常なら、貴様は存在が罪であろうなマルティルディ]
【存在が罪なのは、君の実弟イデールマイスラだろ。あの男の気味悪い事と言ったら】
小姑儂正妃と弟嫁僕王太子との何時もの争いに火がつきそうになった所で、
「はい! ほぇほぇでぃ様!」
グラディウスが足音もドスドスと山羊乳を持って近寄ってきた。
”ほぇほぇでぃ様” を聞きながら、山羊乳を吹き出したイレスルキュランはタオルで顔を拭いつつ ”かなり馬鹿な子です” と、後宮下働き管理者であったビデルセウス公爵の言葉を思い出す。
マルティルディは一口飲んだ後、
「さあ、グラディウス。次はお菓子を振る舞ってやるんだよ。ほら、早くしないと怖いお后様が怒るよ」
そう言って、グラディウスを乗せてきた車の脇に立っているルサ男爵に視線を送った。彼の手には包みが乗っている、それを乗せているルサ男爵の表情は絶望と困惑と未知を足して、常識に無理矢理包み込んだような表現し辛い表情をしている。
「はい!」
グラディウスは困惑だけでは言い表せない表情を浮かべているルサ男爵から包みを受け取り、抱きかかえて戻りテーブルに置いて包みを開く。
「あてしお菓子作ってきました!」
普通の貴族達は手作りでは王女である正妃達を満足させられないと、お抱えの料理人に作らせる。それが普通なのだがグラディウスは手作り菓子と聞き、本当に自分で作ってきた。
「……クッキー?」
この場にいる四人の ”王女” の中で頭脳的に最も優れているイレスルキュランが、自信無さそうに答える。
「ビスケットなの!」
グラディウスは包みの中に入っていた皿にナプキンを載せて、そこにビスケットを山盛りにして四人に差し出した。
ビスケットはとても大きい。
何せグラディウスの掌くらいの大きさ。デルシ=デベルシュは持ったビスケットで皿を叩いて堅さを図り、マルティルディは無言で両面を繰り返し眺める。
イレスルキュランは陽光にかざし、ルグリラドは皿に盛られたビスケットを見下ろす。
そんな四人の行動よりも、グラディウスはテーブルにある物に目がいき、手を伸ばした。
「この中にあるのは岩塩ですか?」
「岩塩知ってるのかい? グラディウス」
マルティルディは皿にビスケットーを戻し、グラディウスが触っていた岩塩の入っているミルを取り上げる。
そこにはオレンジ色の稀少な岩塩がつめられていた。
「あてし白いのしか見た事ないけど、やっぱり岩塩だったんだ!」
「白いのが普通だろうね。帝国は塩に煩いんだよ」
「塩がたくさんお話するの?」
「違う。塩に煩いってのは、塩に拘りがあるって事なんだけど、拘りの意味わかるかい? グラディウス」
「分かんないです、ほぇほぇでぃ様」
「だろうね。昔ね、平民から皇妃になった軍妃ジオってのがいて、彼女が潮風の芳る漁師町の出身でさ、彼女は小さい時に海水を煮詰めて塩を作ったりしていたんだって。その塩作りに感動した当時の皇帝が、彼女を喜ばせたくて色々な惑星から塩を集めて送ったんだってさ。彼女は送られた塩を大事にして……そこから帝国では塩は多種多様だし塩に拘る人が多いんだよ」
軍妃ジオが子供の頃、塩作りをしていた事も、皇帝から贈られた塩の味を覚えて利き塩が出来るまでになっていた事は割と有名なのだが、
「あてしも塩! あてしも塩のお仕事してたよ!」
グラディウスは当然知らない。大体軍妃ジオも知らないので、マルティルディの話の殆どを理解出来なかったのだが、自分と同じように塩に携わる仕事をしている人の話を聞き声をあげる。
「塩のお仕事ってなんだい?」
「あてしね! あてし、驢馬と一緒に山にある岩塩を取ってくる仕事してたの」
村で使う岩塩は近くの山から採取することができた。塩の備蓄は村長の責任で、採取に向かわせるのも村長が決めていた。
「村長さん家の驢馬と一緒に岩塩とりに行ったの。驢馬はね頭が良いから、道忘れないからあてしでも取りにいけたの。あてしは驢馬のように力持ちだって言われた事もあるんだ」
”驢馬のよう” は愚鈍などの意味を含む事が多いのだが、グラディウスは全く気付いて居ないようで、驢馬のように力持ちと言われた事を、褒められたと思い嬉しそうに語る。
「ふーん。驢馬のようにねえ。山の岩塩って日数はどのくらい? 日数ってのは、行って塩を取って帰ってくるまで掛かる日にちの事だよ」
「行く時は驢馬に乗って二日で、帰ってくる時は驢馬には塩を積んでるから三日」
「そうなんだ。その間の食事はどうなってるんだい? 山で猟しながら進むの?」
マルティルディの何気ない質問に、グラディウスは泣き出しそうな顔になった。
「なんだい? 変な顔して。元々不細工なんだから、そんな顔すると僕は笑うよ。泣いたらもっと笑ってやるよ」
マルティルディに言われたグラディウスは首を振り、
「あてし泣かないよ。みんなも海のお花になっちゃったんだから。あてし泣かないもん!」
言いながら、目や唇をぎゅっと閉じた。
意味が解らないマルティルディは振り返り、
「そこの男爵。僕は意味が解らない、君は理由を知っているのか」
声をかけられた男爵は平伏して ”はい” と答える。
「では僕に向かって話す事を許してやろう。立って話せ」
ルサ男爵は直ぐに立ち上がり、頭の中でグラディウスとリニア、そしてジュラスの会話を整理して王女達に語った。
グラディウスが泣きそうなのは、死んだ母親の事を思い出しての事である。
本日の茶会にクッキーやビスケットなど……と聞いたグラディウスは ”かあちゃん” と一緒に作ったビスケットを作ろうとした。
”かあちゃん” の作ってくれたビスケットというのは、岩塩採取の往復時の弁当で、二人で作って持っていっていた。
その日、二人でビスケットを作った。何時もより量が多く、
「かあちゃんも食べなよ」
そう言ったが母親は、
「全部持っていきなさい」
と言って持たせた。グラディウスは岩塩採取の帰り道、大雨で二日ほど何時も道中のねぐらにしている洞窟の一つで足止めされた。
大目に持たせてもらったクッキーにより、腹は空いたが餓えはしなかった。雨も止み、滑る山道に何度も足を取られながら無事に下山すると、村は水害で根こそぎ ”もの” が流されていた。
流された ”もの” の中には村人も含まれており、村人の中にはグラディウスの両親も含まれていた。
「海のお花ってのは……なるほどね。そのうち僕が本物の海のお花を見せてやるよ」
ルサ男爵の話を聞いたマルティルディは頷きながら、しょんぼりとしているグラディウスを見ながらそう言う。
”海のお花” とグラディウスが理解しているのは、海の水質清掃機の中でも特に生物分解を行う装置のこと。海には存在しない大量の植物や生物を収集して分解する装置。 ”海のお花” とはケシュマリスタ王は即位式典で海水が見えなくなる程の花を空から降らせる。それを片付ける為に開発されている水質清掃機なので一般的に ”海の花用” と言われるのだ。
要するにグラディウスの両親や他の者達は回収されてゴミとして処分され、その通達が村に届いた。
マルティルディは自分の皿にあったビスケットを一枚掴み、グラディウスの手に握らせた後、頭を軽く叩く。
「あのねえ、僕は生まれて直ぐにママが死んで、十二歳の時にパパも死んじゃって、一年前には叔母さんも死んじゃって、身内で生きてるのはもう死にかかってる曾祖父しかいないんだよ。でも僕は悲しくなんてないね。ちなみにママって、君の言葉だと ”かあちゃん” かなあ。パパは ”とうちゃん” 」
その言葉に驚いたように大きく目を見開き、
「ほぇほぇでぃ様……」
「ふんっ! そんな顔するような事じゃない」
自信満々のマルティルディに飲まれてグラディウスは笑った。
− というか叔母殺害命じたのは、あんただろうが、マルティルディ −
【それがどうかしたのかい? 今の話は誰が殺害を命じたか? それは問題ではないよ。誰が死んでいるかだ、イレスルキュラン】
− 確かにそうだな −
小声で話掛けたイレスルキュランは、グラディウスの作ったビスケットを口に運んだ。
「硬いが、食えないわけでもない」
黙って聞いていたデルシ=デベルシュも口に入れて、ゆっくりと味わう。マルティルディも何事も無かったかのように口に運び、ルグリラドはその硬い音を聞いて、手元にあった山羊乳にそれを浸してゆっくりと口に運んで、
「ま、まあ。食えん味ではないな。マズイとは言わんが……」
他の寵妃が用意したグラディウス手作りビスケットよりも余程美味しい菓子全般をこきおろした彼女だが、それ以外の言葉は口から出てこなかった。
グラディウスも自分で作ったビスケットを思いっきり口に頬張る。その 《もぎもぎ》 する頬に正妃達は唖然としていると、
「あんま、おいしくない」
突然言い出した。
「貴様どういうつもりじゃ!」
怒るルグリラドと、
「上手くはないが、私達に向かって良く言えるな」
呆れるイレスルキュラン。
「かあちゃんが作ってくれたのが美味しかった。かあちゃん作ってくれたみたいな味になんない。かあちゃん作ったのが食べたい」
そして目尻に涙を浮かべて、鼻水を啜りながら残りを口に押し込むグラディウス。すると今まで黙っていたデルシ=デベルシュが口を開いた。
「お前が母親のことを大事に思っている証拠だ」
頭を撫でながらグラディウスに、言い聞かせるようにして話掛ける。
「……」
「もう二度と食べられない味だが、母親を大事に思っておれば薄れてゆくことはあっても、忘れる事はなかろう」
「はい、おきしゃきしゃま」
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