藍凪の少女・後宮配属・愛妾編[08]
 グラディウスが寵妃の座に就くことが無事に決定する。

 日々痩せるというか、やつれて老けてゆくおっさんをグラディウスは心配していた。
「おっさん、ほら! 宇宙だよ! 見て元気になって」
「ありがとね。そうだね、綺麗だねえ……」
「おっさん! お風呂で寝ちゃ駄目だよ!」
 グラディウスの大事な硝子球で励まされて、サウダライトも努力した甲斐あり、晴れて正妃の前段階まで持ってゆく事が出来た。
 サウダライトはグラディウスを手元に置きたいとは考えていた。その結果として、他の正妃達の後に皇子や皇女が生まれたら楽しいだろうな程度に考えていた。
 さすがのサウダライトでもグラディウスに皇太子を産ませるつもりはなかったが、主家の王太子マルティルディが一存でグラディウスを推した。
 理由は自分が皇帝の座を拒否した理由に近い事だったが、
「近いうちにまた引っ越すことになるよ。今度はいっぱい部屋がある家だ」
「そんなにたくさんあると、お掃除がたくさんできるね」
 愛妾から上の地位に置いてやれることに、サウダライトは安心していた。
 他の愛妾なら上を目指して色々しただろうが、グラディウスにはそんな野心も、野心どころか、この地位の上があることも知らない。
 グラディウスが学んだ事と言えば、
「おっさん、あてしが使ってる言葉はテルロバノル語だって知ってた」
 そのくらい。(正しくはテルロバールノル語)
「知ってるよ。おっさんこれでも全言語を覚えているからね」
「すごーい! ルサお兄さんも知ってるんだよね! 貴族様はみんな知ってるんだ!」
 目の前にいる、やつれて老けたのは皇帝なのだが、グラディウスはまだ今ひとつそれが理解できない状態だった。
 ”偉い人” までは理解できたのだが、
「だっておっさん、自分より偉い人いるって言ってるよ?」
 サウダライトの特殊な立ち位置と日々の愚痴が、グラディウスをより一層惑わせている状態だった。
 何にしても無事に日程が決まり、慣例である愛妾区画での顔見せのパーティーを催すことが通知される。その通知と共に届けられた洋服に、
「これ、あてしが着るの?」
「そうみたいよ」
「見事なものですね」
 三人は驚きを隠せなかった。
 マネキンが着ている 《グラディウスの服》 は皇帝の寵愛を誇示するに充分な細工が施されている。
「まだ正式には名乗れませんが、グラディウス殿はザウデード侯爵になられるかと」
 褐色の肌に負けないようにはっきりとした強い色合い。
 深緑と深紫をベースに、山吹色のアクセントの服を試着してみる。寵妃になると仮初めだが 《結婚》 している事になるので髪を結うことも出来る。
 書類には刺繍を施された布で一本に纏めるようにとあったので、リニアは指示に従いグラディウスの髪を纏めようとするが、量が多すぎてとても一人では纏められない。
「パーティーの際は専門の者を用意しますが、今は……」
 男爵も協力し何とか試着を終えた。
 全身を映す鏡の前に立ったグラディウスは、首を傾げた。
「お洋服凄いね」
 四ヶ月程前まで穴のあいた下着二枚を着回し、山羊の乳で餓えを凌ぎ、寒さに震えていた自分の姿とは思えない。
 だがそれを表現する術もない。
 綺麗な洋服はグラディウスの心を楽しくする筈なのだが、今日のグラディウスは気分が優れなかった。
 気分が優れない事も良く解らないので、言えないまま服を脱ぎ着替えてソファーに腰掛ける。
「大丈夫?」
「リニア小母さん……」
 服を片付けたリニアが声をかけると、グラディウスは笑顔を作り、
「大丈夫だよ……」
 何時もより元気のない声で答えた。
 瞳は何時もの輝きのある潤みとは違い、泣きそうな雰囲気をもった影の濃い潤みを湛えていた。
 リニアは膝をつき目線をグラディウスに合わせて、
「疲れたのかもしれないわね。色々忙しいし……男爵様に聞いたら、今夜のパーティーが終わったら暫くは落ち着くそうよ。そしたらゆっくりさせて貰いましょうね」
 安心させるようにゆっくりと語りかける。
 リニアもルサ男爵も寵妃になるグラディウスについて行く事が決まっていた。
 リニアは小間使いとして最初から決定していた。対するルサ男爵の 《場所》 は高位の皇王族と変わる予定だったのだが、
「ルサお兄さんも一緒がいい。約束してるけど、まだ読んで貰ってない絵本が一杯あるんだよ」
 その一言でついて行く事が決定した。これでルサ男爵は 《男爵》 が住んで居る区画から出て、寵妃の館の一角に居を構える事になる。
「昼食を取りに向かいましょう。今日は新しいメニューもあるそうです」
 ルサ男爵がそう言って二人を促す。
 グラディウスは余程疲れているのか、昼食を残してしまう。
「朝の検診ではお医者様、何も言ってなかったのに……」
 リニアは食欲のないグラディウスを心配し、手を額に当てると少し熱っぽい気がした。
「部屋に戻ってから連絡をいれましょう」
 ルサ男爵がそう言い、二人はグラディウスを挟むようにしてゆっくりと歩いて部屋へと戻る。
 部屋に戻ると、何か 《変な気配》 が残っていた。
 誰かが部屋に入ったような、そんな空気。
「何なのかしら……」
 違和感の正体を探ろうとリニアは部屋を見て回る。グラディウスもその後ろを付いて歩く。
 ルサ男爵も何か嫌な物を感じて、部屋を見回した。
 出ていった時と変わりない、用意された衣装や装飾品。
「誰かが立ち入ったとしたら、これを持ち出すのが……」
「……っ!」
 部屋奥から聞こえてきた叫びに、ルサ男爵は銃を構え直し急いで扉を開く。
「どうしました!」
 彼の目に飛び込んできたのは、座り込んでいるグラディウスと驚きで顔を覆っているリニア。
「どうし……」
 近寄ってゆくと、それが何なのか解った。
「こわれちゃってる……こわれて……」
 グラディウスが大事にしていた銀河系を映した硝子球が割られ、ベゼラも粉々にされていた。
 ルサ男爵は床を手でなぞる。
「ここに置いて何かを振り下ろしたのでしょう……」
 壊れ方から、それが人の手によって行われた行為であることだけは解った。
 銃を構えたまま部屋の扉という扉、隠れていられそうな箇所を全て乱暴に見回ったが、部屋に犯人の姿はすでになかった。
 部屋に備えられている警備システムにアクセスしようとした時、グラディウスの大きな叫び声が聞こえ、ルサ男爵は大急ぎで戻る。
「…………」
 グラディウスは裂かれた布を持って泣き伏していた。
「一体何が……」
「ここに来る前に、斡旋所職員が買ってくれた服も裂かれてしまって……誰が一体」
 泣き出したグラディウスを慰めようと、リニアが肩を優しく叩くが、グラディウスはその手を払いのけて布になってしまった服を握り閉め、床に崩れて泣き続ける。
 リニアはルサ男爵に、
『今日のパーティー出席は無理かと。この事をビデルセウス公爵様と陛下にお伝えしてください』
 耳打ちした後、グラディウスの傍にしゃがみ、声はかけずに優しく見守る。
 ルサ男爵は急いで部屋を出て、ビデルセウス公爵に事態を告げた。
「とても今夜のパーティーに出席できるような状態ではないようです」
「解りました、今夜の会は無くしますから安心なさい。後の事は此方でしますから、貴方は戻りなさい」
「失礼します」
 男爵は公爵に礼をして部屋を出た。
 出た後に犯人について尋ねておけば良かったと思ったが、戻って尋ねるよりは先に部屋に戻りたいという考えに囚われ、急いで部屋に戻る。
 部屋では半分に壊れた硝子球を持って泣き続けるグラディウスと、裂かれた布を集めて縫い始めているリニアの姿があった。
 ビデルセウス公爵から連絡が届いて直ぐに駆けつけたサウダライトは、グラディウスに駆け寄り撫でようとしたが、その手を払いのけてグラディウスは泣き続ける。
 暴れるグラディウスを抱きかかえて、ベッドに降ろして、
「泣き止むまで、おっさん此処にいるから」
 少し離れた場所に座って話掛けた。
 それと同時にリニアとルサ男爵に 《下がれ》 と手を振り無言の指示を出す。リニアは引き裂かれた服を持ちルサ男爵と共に、途切れ途切れに聞こえてくるすすり泣きの声の響く部屋を後にした。
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