グラディウスは下働きとして覚えておかなくてはならないと渡された電子冊子を、仲良くしてくれた航海士のフェリエ達に読んで聞かせて貰いながら必死に覚えた。
最初に行った適性検査で読めるぎりぎりの範囲の文字で書いた冊子なのだが、グラディウスは読めても一人で理解ができない。
“地球中世” と呼ばれるような時代と同じ世界で生きてきたグラディウスは、理解力という物があまり発達していなかった。
暇を持て余し何時もグラディウスのような子供に教えてやっている彼等は懇切丁寧に教えてやる。
大宮殿《バゼーハイナン》の下働きの仕事のメインは清掃。グラディウスもそれを担当することになっていた。
下働きは五人一部屋で暮らす。
チェストベッドと小振りなローチェストに、貴重品保管用のケース。あとは個人用の冷蔵庫も与えられる。
トイレとシャワーは共有で部屋に二つほど備え付けられている。公衆浴場に関しては、下働きは二カ所使用可能。
食事は食堂で、時間は決められてはおらず何時でも好きなだけ食べることが可能。
下着から最低限の私服まで全て支給され、作業用の制服は着用毎に洗濯されるので収納場所はない。毎日朝食後に制服を取りに向かうことになっている。
それらの規則をフェリエは丹念に教え、グラディウスは帝星到着前に他人からみるとかなり “あやしい” が覚えたことにフェリエはした。そうしないと、フェリエの心臓が持たないので。
グラディウスが並べられて連れて行かれる前にフェリエはメモを渡す。
「これなんですか?」
「グラディウスが生まれ故郷に帰るのに必要な金額と航路。そのメモを窓口に出すか、個人カードを挿入して番号を打ち込めばチケットが出てくるからな。駄目だと思ったら帰るんだぞ。そして支度金には手を付けるなよ、それは故郷に帰る時のための金なんだから」
フェリエの説明にグラディウスは頷いたが、正直何処まで解っているのか? 不安ではあったが、フェリエにしてやれることはこのくらいだった。
今回の輸送船の中でも、もっとも “ぱっ” としない、だが良い子だったグラディウスが船で宮殿に連れて行かれるのを少しだけ見送った後、彼等は帰宅する。
帝星周辺惑星に住んでいるフェリエは、もしかしたらグラディウスに会う事があるかも知れないなと思いながら、自宅へと戻った。
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グラディウスがバゼーハイナン(大宮殿)の正門を外側から見たのは帝后になってからのこと。
彼女が初めてバゼーハイナンにやってきたときは、正門ではなく下働き専用の通用門の一つを通りバゼーハイナンへと入った。
「……」
グラディウスは初めてみる世界に言葉を失う。大宮殿の隅であり、全体からみたら荘厳さなどほとんど無い下働き用の入り口だが、木訥な田舎の娘を驚かせ言葉を失わせるには十分。
もちろん大宮殿の広さと美しさに呆気に取られているのはグラディウスだけではない。
誰もが下働き用通路で気圧され息を飲み、無言となる。
「ついてきなさい」
召使いの管理者の一人はその様に言い、グラディウス達は周囲をキョロキョロと見回しながらその指示に従った。
冊子にあった通りにグラディウスは五人一部屋の一室を与えられた。室内には先に配置になっていた三人がいて、新しく入ってきたグラディウスに挨拶をしてきた。
同室の者達はグラディウスが十三歳になったばかりだと聞き驚いたが、グラディウスは相手が驚いていることに気付くことはなかった。同室の三人のうち一人はグラディウスよりも三つ年上の女性。もう一人は五つ年上。
「よろしく、リニアといいます」
「はじめまして、グラディウスです」
そして最後の一人は、グラディウスよりも二十歳年上。
年上の女性達に囲まれながらグラディウスは過ごすことになる。
初めての夜、ふと目を覚ましてカーテンに身を滑らせて他の人の迷惑にならないように夜空を見上げた時、大きな藍色の瞳から涙がぼろぼろと零れだした。
木訥で鈍そうな田舎娘だが遠くに来たことに何も感じないわけではなかった。
家を追い出されて仕事にありつき、明日から仕事となったときに、本人としては張り詰めていた物が緩んでしまう。
同室の者達も気付いてはいたが、声は掛けなかった。彼女達も初めて大宮殿の一室にたどり着いた夜に大なり小なり望郷の思いに駆られて泣いたため。
その夜は誰もが一人で泣きたいと、身をもって知っている彼女達は何も知らぬようにその泣き声を聞く。
黄昏より始まりし帝国の日が沈み夜が訪れた。帝国暗黒時代の始まりである
後にその様に書かれる歴史の序文に “最後の日の光を僅かに残した、だが確実に闇夜に向かう空の色を思わせる帝后の瞳” と書かれた藍の瞳が、帝国の夜空を初めて見上げた日の出来事。
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