PASTORAL −30
エリザベラを遠ざけた後、クロトハウセは次ぎに行われる会戦の下準備に取り掛かった。
軍の最高指令は当然ながらサフォント帝であり、その下に上級元帥・元帥・上級大将・大将……と続く。
因みにサフォント帝の軍の階級が「ベルレー軍最高軍属ハルバリア曹長」である事は常識なので説明は避ける。
上級元帥なる役職は軍事が苦手な皇帝が置く特殊な役職であり、最強帝国騎士と名高いサフォント帝の治世である現在、当然上級元帥は一人もおらず、この先も置かれることは無い。
先代には上級元帥は存在したが、上級元帥は御世が変わる際に上級大将に戻るか、退役するのが慣わしだ。
今サフォント帝に遠征の準備を任されているクロトハウセは、サフォント帝の御世になってから登用され上級大将となった一人である。
この次の会戦で勝利に貢献したならば、元帥となるのは確実だ。そして元帥となれば、軍の重要な役職に付くことがクロトハウセには可能となる。
兵士の鍛錬方法などをシミュレータにかけていたそのクロトハウセの元に、招いてもいない来客が訪れたのは夜も更けた頃。窓から侵入してきた相手に、振り返らずに声をかける。
「ゼンガルセンか。貴公が後宮に何の用だ」
サフォント帝の御世になってから登用され上級大将となったもう一人、ゼンガルセン=ゼガルセア。
「つれないな、クロトハウセ。晴れて義理の兄弟となったのに」
後宮の警備指揮の一人であるこの男は、容易に警備網を抜けてくる。テーブルに拡がっている立体図と、書き込まれている予測陣形を指で指しながら「取り留めのない」というには、あまりにも毒の強い言葉を交し合う。
「あばずれだろうが何だろうが私には関係ないから良いが、貴公と義理の兄弟となる気だけはない」
互いに次の会戦で元帥を目指す男達。
暫く陣形図と兵の訓練施設の設備のメンテナンス、後方支援艦隊に関する事などを話し合った後、ゼンガルセンはテーブルにディスクを置き差し出す。
「ほら。ガラテア宮中公爵が使った船の調査報告書だ。第23軍警察署長が追跡していたのとあわせれば、大体わかるんじゃないのか」
ガラテア宮中公爵は帝星に戻ってくる際に、認可されていない貨物船を使っていた。その者達の身元と経歴を調べるようにサフォント帝は命じていた。命が出された際に、その貨物船は既にエヴェドリット領に入っていたのでクロトハウセがゼンガルセンに依頼した。
正面を切って調べられない事もないのだが、何かあった場合の為に秘密裏に調べるよう命じられているので、このような方法となった。
「尾行は?」
「しているが、そろそろあいつらロヴィニア領に入るから、エヴェドリット私軍じゃあ追えなくなる」
「そうか」
「調査報告書を読む分じゃあ、船長と航海士が恋人同士だ、男同士で。手出されたかどうかまでは解からない」
ガラテア宮中公爵の身に何かあったか? というのが最大の焦点。無認可の貨物船はカード決済をする事はなく、兌換紙幣で支払う事を要求する。足がつくことを警戒するためだ。ガラテア宮中公爵は、イネス家を出る際に兌換紙幣を持って出た形跡はなかった。逃亡に近い行為なので、身軽な方が良いので当然なのだがイネス家の尾行をまく為に、無認可の貨物船を乗り継ぐ。その際に彼は何を支払ったのか? それが問題となっているのだ。
「あのお美しさだからな」
クロトハウセは兄の美しさを苦笑いしながら語りつつ、皇帝侍従長に面会許可申し出の連絡を入れる。
善意で帝星まで届けてくれるとは到底考えられない、帝星周辺は検問も厳しく無許可であれば通行税もかなりの金額を支払わなければならない。
許可を取る事が出来ない程度の貨物船が簡単に支払える料金ではない。ただ、相応の見返りがあったのであれば話しは別だ。
そしてガラテア宮中公爵は美しい。
「貴様、ロガの使徒だったけ?」
「ロガの使徒ではないが、ロガ兄の使徒になっても構いはしない」
今より八代前の皇帝の皇后であり『稀有なる美しさ』とたたえられた女性。その肖像画に恋をして、一生を終える男の事を「ロガの使徒」と呼ぶ。過去に五人ほど、その道を選んだ皇族や王族が存在するほどの美しさだ。
「確かに美しくはあるな。アルテメルトに美的なセンスがないのが幸いしたな」
「それは言える。ついでだが、貴公は結婚しないのか? ゼンガルセン。もう二十二歳だろう」
「二十一歳の大公に言われたくはないね」
「私は結婚したんでな、その分大人風を吹かせることができる。ところで、ナディレミシア公爵はどうだった?」
「向こうからのお誘いだったから。悪くもなければ良くもない。兄の妻だと思わなければ抱く気にはならないが」
「貴公の他人の物好きにも困ったものだ」
「ああ、だから王位も大好きだ」
第三子の彼がリスカートーフォン公爵家の家督を継げる可能性は、通常であれば少ない。
「勝手にするといい。精々私を巻き込まないでくれ」
だが、この男がそれに甘んじるような人間ではない事は、誰もが知っている。その視線が自分の生まれた家だけに向いているならば良い。だが、
「皇位も他人の物だから大好きだ。渇望するね、あれは」
この男の欲望は生家の玉座を得て収まる程度のものでもない。即位後のサフォント帝に三度、訓練中に大怪我を負わせた近衛兵団団長の真意は明らかである。
この男がそれでも尚、罰せられず重用されるのは、その才能の故。『簒奪の公爵』『反逆の王家』『人殺しのエヴェドリット』『建国の中枢』と言われる家の血を濃く引く男は、サフォント帝が己の命を囮に、武力を手綱にして家臣にしておく価値がある。
「その時は敵だ。楽しみにしているぞ、帝国最高の軍人ゼンガルセンと本気で合間見える瞬間を」
そう言うとクロトハウセは立ち上がり、ゼンガルセンに挨拶をする訳でもなければ、帰れとも言わずに部屋を出た。
First season:第二幕「正史編」 終
First season:第三幕「次兄視点」に続く
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