PASTORAL −26
サフォント帝は一人になりたい時、ゴンドラ舟に乗る。この時は警護も何もかも遠ざけて、一人で舟に乗るのだ。
周囲の建築物は、建築遺産に指定したカニアレア古街を模したもので、河川は水深30m河川幅は4km。
漆黒のゴンドラ舟に、接近戦用の刀と中遠距離を狙い打つビット付随の銃と連絡用の端末を持って舟に乗る。ゴンドラ舟に乗っているからといって、別に仕事をしないわけではない。ただ本当に一人になりたい時に、一人で仕事をしたい時だけにゴンドラ舟に乗るのだ。
サフォント帝は銃身を触りながら、出来事を整理していた。
カルミラーゼンからの報告によれば、殺された気配はないが、イネス公爵家には既にいないとの事。ガラテア宮中公爵を最後に確認できたのは、3447星ナーバーアムト宇宙港。イネス公領からさらに帝星から離れた場所の無許可船が多く停泊している場所である。
この方角に逃げたガラテア宮中公爵が、何故帝星に戻ってくるとイネス公は考えたのか?
「帝妃候補の事以外あるまい」
水音に消えるくらいの小さな声で、サフォント帝は呟いた。
サフォント帝は私心の殆ど人に漏らすことはない。自らの呟きが、どれほど人に影響を与えるかを熟知しているからだ。
サフォント帝にもたらされた報告は、侍女が奴隷階級であった事、ガラテア宮中公爵が軍刀を持って逃げた事、ナーバーアムト宇宙港から飛び立った非認可民間船の一つが、アムラゼイラ開拓惑星群のどこかで、地表墜落したらしいとの事。
「軍刀か。アムラゼイラ開拓惑星群のどこかで墜落して死亡してはいないだろう」
地表墜落であれば軍刀が溶けてなくなるような事は無い。そこから身分が簡単にわかり、その照会コードで直ぐにサフォント帝の元へと届く。
殺された侍女が奴隷階級であるのも解せない。
サフォント帝は奴隷を嫌う姿勢を見せている。実際は嫌ってはおらず、最終的に奴隷の地位を上げる為、あえてその姿勢を見せているのだ。無論それを知っているのは、サフォント帝自身のみ。
そのサフォント帝に対して、奴隷階級の娘を殺したと報告してくるのも可笑しい。
サフォント帝は奴隷には厳しい態度であるが、ガラテア宮中公爵は奴隷には優しいタイプであった。
軍警察で働いていた頃も、軍警察のボランティア活動の一環で奴隷に読み書きを教える会に、嫌な顔一つせずに参加していた事をサフォント帝は知っている。
私費で何度か贈物をしていた事も確認されている。宮中公爵というさほどの資産を貰えない立場でありながら、それを嫌がる素振りもなければ、自慢するでもなく。
そしてこの際も一切奴隷には触れなかった、身体に触れるのではなく性交という意味で。この手の欲望を抱いて字を教えたりする者もいるが、彼にはその気配がなかった。
サフォント帝が彼をエリートコースではなく、人気のない出世とは無縁の軍警察に配属したのは異母弟だから貶めたわけではなく、彼の性質を知りたいが為であった。この配属で彼が、兄であるサフォント帝に配属の不満を申し立ててくれば、それにあわせて配属を変えてやるつもりはあった。
だが彼は全く不満を申し出るでもなく、階級が上がらない事にも不満を述べる事なく二十歳で中佐という(退役と同時に大佐になった)皇子としては甚だ低い階級であっても不満を漏らさず、むしろ「充分だよ」と言っていた事が報告されている。
彼は性格的に間違った貴族の驕りを持たない。そして、もしも侍女を身篭らせたならば仲の良い実母を頼るなりして、殺しはしない。
これはサフォント帝の贔屓目でも希望的な観測でもなく、もたらされていた報告書を入力した精神分析プログラムが弾き出した総合的な判断で、そこに私心は一つも介在していない。
「今、何処にいるのだ。エバカイン・クーデルハイネ・ロガ。連絡を寄越せば、ダーク=ダーマ(皇帝旗艦)で迎えにいってやるものを」
舟が水を進む感触を身体に感じながら、サフォント帝は目蓋を閉じた。
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大貴族は名を三つ持つ、それは皇族も同じ事である。サフォント帝の名はレーザンファルティアーヌ・ダトゥリタオン・ナイトセイア。前から第一名、第二名、第三名と呼ばれるそれは、それぞれに理由がある。
第一名は外系譜名。それは皇帝ではない伴侶側の家門に沿った名を付けられる。この場合、ケシュマリスタ系の名前を指し、まさにそれを名付けられている。
第二名は皇統名。皇帝の系譜を名乗る。祖父・祖母などの皇帝名を少々変形した物が付けられる。父帝クロトロリアの母であるダトゥリアイナス帝から取られている。
第三名は外見名。皇帝は外見を重視される。ナイトの部分は皇帝眼を持ち合わせた第一子を指し(ナイトベーハイム帝)セイアは赤毛で始めての皇帝(ラウタリアセイア帝)から取られた。
名を見れば、その貴族の嫁いできた側の親が何処の出身であり、当主側の親はどの系統であり、本人はどのような容姿を持ち合わせているかが解かるように付けられる。名を見てそれらを理解できるのが貴族の嗜みであり、知性でもある。
それが無駄な知性であり、嗜みである事を知っているが特段それを諌める気はサフォント帝にはない。
即位後、ガラテア宮中公爵を呼び寄せるに際して身辺調査を行わせた所、まず目についたのは名前であった。
“エバカイン・クーデルハイネ”の二つだけの名。
仮にも皇族である彼だが、その時は爵位もなにも持たず、妾妃である母親の爵位に支払われる給金で生活していた皇子は、名前すら満足ではなかった。
その上、エバカインというのは彼の母親の住んでいた地名であり、第二名のクーデルハイネは母親の父・クーデルと母ハイネの名を合わせたものである。名前として“踏襲”はされているものの、皇子の名前としては甚だ不適であった。
だが今更、名前を変えろというほどサフォント帝は無体でもなかった。そしてそのままにしておく心算もなかった。
皇子として不適切な境遇を送っている異母弟を呼びよせて、爵位と第三の名を与える事を決めた。サフォント帝の決断に異義を挟むものは数人いたが、彼はそれを黙殺し、後に“それら”を抹殺した。
映像などを観て『ロガ皇后に似ているな』と思いはしたが、皇子に皇后の名を与えるのはどうか? と別の人物を探したが、結局彼を一目見て『ロガ』という第三名とする事に決定した。
他の二つの名を変える事は命じなかったが、母の住んでいた地区はエバカインからライテカイセと名を変えられ、その名を別の場所へと移動させた。サフォント帝はエバカインと命名された惑星を一つ作る。その惑星を含むガラテア領からの納められる資金から、貴族給金を与える事とした「ガラテア宮中公爵位」である。
ただ彼が“クーデルハイネ”の名で宮中で呼ばれることは無い。
基本的に名前として役に立っていない。下級貴族の祖父母の名前を連ねているので皇子の名としては不適切とされ、誰もその名を呼ばない。エバカイン、またはロガ、大体の者はガラテアの皇子と呼んでいた。
クロトロリア帝の五人の息子の名を並べれば、貴族を詳しく知らないものでも、
サフォント帝 レーザンファルティアーヌ・ダトゥリタオン・ナイトセイア 第一子
カルミラーゼン大公 ハウファータアウテヌス・タイドクレアド・ケルセザロス 第二子
ガラテア宮中公爵 エバカイン・クーデルハイネ・ロガ 第三子
クロトハウセ大公 ケセリーテファウナーフ・ダイシュリアス・アウグスラス 第四子
ルライデ大公 ヒルエールフクレヌ・ダデフィスロス・オードストバ 第五子
並べれば、第三子だけは母親が違う事は知る事ができる。これが皇族の名前というものだ。
サフォント帝の手元にある端末が、呼び出し音を鳴らす。カタリとそれを開くと、礼をしたカルミラーゼン大公が映っていた。
『陛下。イネス公が証拠の映像を持ってまいりました。お目汚しとは思いますが、見られますか?』
「観よう」
『では』
カルミラーゼンが寄越した映像には、切られて死んでいる娘が確かに映っていた。肌の色といい、瞳孔の濁り具合といい、イネス公の性格からいい、偽装ではなく殺害して撮影した事は解かる。
「して、証拠の死体は」
『焼却処分したそうです。罪状は偽装にしますか? それとも隠滅にしますか?』
「腹の子は?」
『持ってきておりません。共に焼却処分したと……言い張るかと』
「罪状は皇王族の死体損壊罪。アルテメルト存外切れぬ男であったな。カウタマロリオオレトめが選んだのだから仕方あるまいか」
『御意』
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