お兄様に連れられて、お兄様専用の運河で専用のゴンドラに乗らせていただいた。
ずっと無言のままで。夕暮れの中、波の音を聞きながら辺りをチラリ、チラリと見ていた。前に乗せていただいた時『夕暮れ時が一番綺麗だ』って仰ってたからなあ。確かに綺麗だけど……。
落ち着いて考えてみれば、俺大変な事仕出かした。
リスカートーフォン公爵とやりあったって、勝てるわけない。それよりも、あの場で……解ってるんだって、あの場で何言われたって我慢しなくちゃならなかったことくらい。それが階級社会ってヤツだろう。相手は最大勢力の王、楯突いて良い相手じゃないんだって。
「エバカイン」
「はい!」
お兄様に声を掛けられて顔を上げると、
「ゼンガルセンと殴り合うとは、大したものだ。あれとルール無用で殴り合うとなれば、余でも逡巡する」
クスクスと笑いながら、まず “それ” 言われた。
「あ、あのっ! 申し訳ございませんでした」
「構わぬ。それが己の矜持であるのならば、余に謝罪する必要などない。そなたの矜持はそなたが守れ。それによる軋轢など気にする必要はない。余は皇帝、リスカートーフォンを軽んじはせぬが、正面から押さえつけられぬわけでもない。皇族として矜持を保つ為ならば、王相手でも攻勢に出よと命ずる。そしてなにより本日の態度、誠に見事であった」
「はい! ありがとうございます」
俺は勝てないかもしれないけれど、向かっていくよ。
母さんの、悪口言われたら絶対にね。
そこから再び沈黙が。ゴンドラの縁に手を置いて、建物を眺める。夕日に照らされている建物は本当に綺麗だ。でも、何となく切なくなるな……そう思ってみながら笑い出したくなった。俺が夕焼けに染まる風景みて切なくなるようなキャラか? プッ!
……自分で自分に突っ込みたい。いや、もう突っ込んだけど。
自分の間抜けさに、座りなおしてお兄様を見上げると、俺を見て微笑んでいらした。
夕日を見ていた俺は、そんなに面白いですか? お兄様に笑っていただけるなら、それはそれで嬉しいのですが。
「エバカイン。皇帝は通常、求婚はせぬ。正確に申せば、情の絡んだ求婚はせぬ、と言うのであろうな。各王に然るべき王女を寄越せと通達を出せば、向こう側が仕立てて送り届ける。それ、求婚と言えば求婚であろうが、一般とは全く違うであろう」
「は、はあ」
突然何だろう?
「エバカイン。そなた、何故余の皇君になったか、理由は解っておるか?」
「いいえ! 全く解りません! それをお兄様に尋ね様と思っておりました!」
俺のバカ!
母さんに、あれ程……考えることをすっかり忘れてて……もう、ああっ! でも、お兄様から理由を聞ければ俺も本当に覚悟は決まるよな!
「…………」
「お、お兄様! どうかなさいましたか」
「いや、自らを責めておっただけだ」
「何がですか! お兄様!」
「思い返せば、余はそなたにはっきりと語ったことはなかったな」
「何をですか?」
「皇帝というのは思ったことの一割も言ってはならぬものよ。ついつい言葉にせぬ事に慣れてしまっておったが、それではそなたに通じる訳がない。エバカイン、余はそなたを愛しておる」
「…………」
聞こえていた水の音や肌に触れていた風が一瞬にして消え去った。音はしている、風は流れている、でもそれを感じている余裕がない。
− 愛しておる
な、何て言えばいいんだろう? 何て返せば……
「これをどのように証明するかと言われれば、余も困り果てるしかない。こればかりはそなたに尋ねるしかないのであろうな。エバカイン、余はそなたを愛しておる。それを証明する為にはどうしたら良い?」
「あの……に、鈍くて申し訳ございませんでした! ちょっと思い返してみると、お兄様のお心遣いが肉親に向けるものではなく、異性に向けるような確かなる感情を同性である私に向けてくださっていたこと、今気付きました」
声を張り上げて返事を返したら、再び世界に音が戻って、風も流れはじめた。
「そういう事か」
「へ?」
「それは余も悪かったであろうな。そうだな、余がそなたに向けている感情の中には肉親に対する感情も含まれておる。何処から何処までと線引きはしておらなかったが、そなたが余から受けた感情の全てを肉親に対するものと思ってしまっても仕方ないであろうな」
「いやっ! 気付かなかった私が悪いんです! よく考えれば! いや、よく考えなくとも! 弟とは関係持ちませんよね!」
冷静になれ! 俺。お兄様が絡むと、ただでさえ少ない冷静さが一気に枯渇状態に陥るんだから!
俺の言葉にお兄様は、
「皇帝は全く弟や妹と持たぬわけではないが、そうかも知れぬな。エバカインよ、余はそなたを弟としても、また別の人間としても愛しておる。線引きは出来ぬが」
そのように言われた。
弟か配偶者か、どちらか一方ではなく両方を持って傍においてくれるというのは……幸せなことに違いない。
「嬉しいです! 弟としてもまた異性? 同性? なんかよく解りませんが、そういった対象としても愛されているという事、本当に嬉しく思っております。私も上手くは言えませんが、お兄様の皇君だと最初に知った時に暴れたのは、現実を受け入れられなかったと申しますか、意味が解らなかったのでして……あー……んー……」
言葉纏まらないっ!
ここで確りと返答しなけりゃ! お兄様がわざわざ皇帝はしない求婚を、他人を乗せる事が殆どないゴンドラに乗せてしてくださったんだ!
お兄様は肘をつかれ、そこに顎を乗せて、
「待っておる、ゆっくりと考えるが良い。いや、纏まらぬのならば語りながらまとめればよい」
穏やかに言ってくださる。
ほら、俺も覚悟を決めるってか、自分の思ったままを言葉にしてみよう!
「嬉しかったんです。本当に言葉が纏まりませんが、皇君だと言われた瞬間、ずっとお兄様と一緒に居られると考えてしまったのです。それを私は大急ぎで否定しました。その瞬間の感情は恐らく……持ってはならないと感じるものだったのだと……それを否定しなければならないと、必死に感情から逃れようとして暴れてしまったのだと。自分でも感情を制御できなかったのだと思います。このエバカイン、同性ながらお兄様に肉親以上の感情を持ちながら、皇君として仕えてよろしいでしょうか?」
頭の中がだんだんと静かになっていった。
結構なこと言った気がするけど、恥ずかしいとか照れは全くない。一度は正面から言わなけりゃならないことだ。
「良いに決まっておるだろう」
「ありがとうございます」
それこそ、何処でこうなったのかは解らないけれど、お兄様の、いや銀河帝国皇帝のご尊顔を拝しながら、
「愛しておりますよ、レーザンファルティアーヌ・ダトゥリタオン・ナイトセイア」
言う日が来るとは。
でも、言ったらすっきりした! お兄様は俺を気に入ってくださって、俺もお兄様が好き! それだけじゃ当然どうにもならないから、これから自分で地位を上げるために頑張ればいい。皇族としてこれから政治や軍事に携わろうと思ってたんだ、それに皇君という地位が付いてきたって、そう違いはないさ!
「エバカイン、今から言うことはこれ一度きりだ」
「は……はい」
「エバカイン、余は皇帝だ。もしも余がそなたより早く死ねば、そなたは余に従って死ね」
「御意」
「だが、そなたが余よりも先に死んだとしても、余は死なぬし、悲しみもせぬ。余は皇帝ゆえにな。皇帝という権力の元、多数の臣民を戦役で使役し殺しておる。それは必要なれど、必要であるからと言って、無条件で許されるものでもない。だが、誰も余を責めぬ。余は多くの臣民を殺し悲しませておるが、国家防衛としてそれを止めるわけにもいかぬ。自らの臣民ではあるが、それに個があり、生活があり幸せがあること、このサフォント良く知っておる。その幸せを無残にも引き裂く皇帝が、最愛の者を亡くした時に悲しむことは許されまい。いや、泣いても良かろう、悲しんでも良かろう。だが、それをしたら最後、臣民に戦争を強要する権利を失う。余は皇帝だ、そなたを失って悲しんで、臣民を戦死させて家族が自殺しようが意に介さずとも誰も余を責めぬ。だが、それは余が許さぬ。皇帝を律することが出来るのは皇帝のみ。よって余は余を律し、この座に君臨する。故に人間らしい感情を見せぬこともあるが、信じて欲しい。そなたが余よりも先に死ねば、余は悲しむ。だが、決して悲しみは表に出さぬ。涙も流さぬ、眠れなくなることもない、食事の量が減る事もない、自殺などすることもない。それでも悲しんでいるのだと、信じてくれるか」
「はい……そう言っていただけるだけで十分です。だって、そうなる時は俺は死んでるから、解らないですし! 生きているうちに、そう言っていただけるだけで、嬉しいです……いやっ! 嬉しいはおかしいか? あれ?」
俺、本当に喋るの苦手だな……落ち込みたくなる。
「だが、余がそなたより先に死んだら、泣くのだぞ。誰よりも悲しめ」
「……はい……それで、直ぐ後を追いますので」
お兄様が先に亡くなられるのは嫌だなあ。寿命だったら仕方ないけれど、
「余とそなた、逝った後は二人きりだ。忘れるな、此処が終われば余とそなた二人きりで何処かへと行こう。忘れるな、待っているのだぞ。余も決して忘れぬから」
「はい!」
戦争なんかだったら、俺が出来る限り! ……っても、お兄様に敵うところはないんだけどさあ。
余は九十八年、そなたは八十二年
そなたのおらぬ余生
そなたを想い過ごそうぞ
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