PASTORAL −177
クロトロリアが死んだ……崩御っていうのが正しいらしいけれども。
一応帝星は喪に服している。でも皆、次の皇帝に期待を膨らませているので、どこか明るい。[早くサフォント殿下が即位なさればいいな]そんな声があちらこちらから聞こえていた。そんなある日、
「サフォント殿下……」
殿下がお出でになった。
「直接会うのは二度目だな、エミリファルネ宮中伯妃よ」
クロトロリアとは全く違う「皇帝」の威厳を持つ皇子。
「はい…………」
「本日、私は私自身の使者として参った」
「陛下となられるお方が、わざわざ出向かれるような場所ではありませぬ」
「宮中伯妃よ。皇后に謝罪させようと思い連れてきた。公の場では決してせぬが、私的にならば謝罪しても良いと言った故な」
殿下は私が “エバカインを妊娠した際に言われた暴言” を謝罪させようとしていた。
すっかりと忘れていたけれども、この方は責任感が強いのだろう……
「何処におられるのですか?」
「トランクに積んできた」
「殿下!」
皇后陛下となられた方を、皇太后となられる方を車のトランクになど! 最初は冗談かと思った、信じられなかったけれども、
「本人が望んだ事だ。其方に謝罪しに向かう姿を晒すくらいならば、トランクに詰められた方がましだと申した。信用されぬのも当然だな、待っておれ」
陛下は歩いていって、トランクを開き中に手を入れてあの美しい特徴のある金髪を掴まれた。
「殿下!」
「降りるが良い、リーネッシュボウワ」
「殿下! 要りません! 要りません! 謝罪など要りません!」
色々言われたし、私が孤立した原因でもあるけれど、あの日エバカインを救ってくれたのは確実のこの方。
「そうか。ならば、もう暫く入っておれ、リーネッシュボウワ」
殿下は髪を離し、トランクの戸を閉め私を見る。
「本当に謝罪はいらぬのだな、宮中伯妃」
「必要ありません」
「今日を逃せば、二度と望めぬぞ」
「望む……殿下……」
二度と望めない……それはもしかして? 貴方が彼女を殺すと?
「リーネッシュボウワの望みを叶えてやる。何一つ妻の願いをかなえず、他人を不幸にした男だが、それでも捨てられぬのだと。ただの意地なのかも知れぬがな」
殉死すれば同じ棺に入れるのだと……それ程愛していらしたのに……
私は意地でも一緒には死ねはしない。
本当に良いのだなと重ねて尋ねられた陛下に、私は要らないと答えた。
「宮中伯妃よ、もう一つ用件がある」
「何でございましょう」
「余の即位後、其方に使いを出す。宮殿まで一人で来るが良い」
そして私は「妾妃」になった。クロトロリアの愛人と認定されたって構いはしない。そして、その場で遂に言われた。
“エバカインを皇族に迎える”
この日が来るとは知っていた。十五年間、あっという間だった。
初めて会った時に渡されたメモに “必ずエバカインを弟として迎えに来る” 書かれていた。皇帝になった迎えにくるのだろうと思っていたから、私は……クロトロリアが長生きしてくれればいいなと思ってた。あの人が即位していれば、ずっとエバカインと一緒にいられると。
でも退位する予定だったらしいから、変わらなかったかもね……
− これさえ持っていれば……
皇族に迎えられるという事をエバカインに言いそびれたのは、私の心の準備が出来ていなかったからだと思う。でも、陛下は直ぐに実行された。
使者の一団が来た時、
「何か用でも」
「エバカイン!」
対応したエバカインの声は聞いた事もないほど冷たかった。この子がこんな声を出せるなんて……驚く程。
「陛下からの使者に対してしつれ……」
使者の一人が当然の事を口にても、エバカインはまったく怯まない。私と使者の間に入り、
「そんな言葉、信用すると思うか。今まで何の音沙汰もなかった相手だ。騙っていると思われて当然だろう」
言い切った。
私からはエバカインの表情は見えなかったけれど、使者が声を詰まらせ後退する。余程凄い表情で睨んでいたのだと思う……あの子が睨んでいる姿なんて、見たことないけれど。
「そうでしょうね」
「誰だ?」
「カシエスタ伯爵ハルダベルティと申します」
この……声、もしかして……
「何用だ」
「エバカイン!」
あの日連絡を入れてくれた人?
「警戒なさらずとも」
「警戒するなと言う方がどうかしているとは、考えたりはしないんだろうな」
「申し訳ございません」
その伯爵は膝を折り、頭を地にこすり付けた。周囲の使者もそれを見て大急ぎで倣う。
「これで、話を聞いていただけますでしょうか」
「何だ」
「陛下が貴方を “第三皇子” として皇族に加えられると決められました」
こうしてエバカインは私のエバカインではなくなった
*************
エバカインが “第三皇子” となるべく宮殿に向かったのを見送った後、宮中伯妃は何時ものように家事を始めた。息子が皇子になろうが毎日の生活はしなくてはならない。何より息子は夕方には帰ってくるのだから、夕食の準備もしなくてはならない。
昼食は軽く取るとは通達されていた。メニューは “未定” とも。
宮中伯妃は夕食のメニューを何にしようかと考えながら、庭に出て窓を磨こうとしたのだが、それは来訪者によって直ぐに中断された。
「失礼します」
「どちら様で……カシエスタ伯爵?」
客は先だって皇帝の使者としてエバカインのもとを訪れたカシエスタ伯爵。
「こんにちは、宮中伯妃」
「何か御用で」
「一個人として宮中伯妃と話をしたいのですが、宜しいでしょうか?」
宮中伯妃としては “皇帝の使者” などに話しはない。あるとしたら、伯爵の表情。むしろ決意といったものだろうか? それを問いたいくらいのもの。
その心躍るようなものではない、昏い決意である事を窺い知れる影を背負った伯爵を、宮中伯妃は家に招きいれる。
「どうぞ……中にお入りください。狭い家ですが」
「失礼させていただきます」
話を聞いていただきたいだけですのでと言い張る伯爵に、宮中伯妃は瓶に入った炭酸水をテーブルに置き、
「喉が渇いたらご自由に」
グラスを差し出した。
それを前に伯爵は礼をして、口を開く。
「私はカシエスタ伯爵ハルダベルティ。第二名はバラウラ=バラヒアム……でした。現在はバラウラ=ケセイラ……少々、昔話を聞いていただきたいのです」
「どうぞ。その前に一つ聞きたいわ」
「何なりと」
「何故、死ぬ決意をなさってらっしゃるのかしら? 失礼ながら、先日 “皇帝陛下の使者” としておいでになられた時から、既に貴方の表情には死を覚悟した、いいえ、死を望む表情が浮かんでいたように見て取れましたが」
「……驚いた。確かに私は貴方に “私の真実” を告げた後、自殺します。公表は病死となるように、既に話は通しております」
「聞かない方が良いのかしらね」
「聞いていただけると嬉しいです。私は貴方とこうやって話をする為だけに生きてきました、十二年間」
「では、聞かせていただきます。貴方を十二年間生かした “貴方の真実” 聞かせていただきましょう」
「貴方の真実……いい言葉ですね。確かに私の真実であって、貴方の真実ではないでしょう。では……まず……気づかれているかも知れませんが、私はあの日貴方のいるホテルに連絡を入れた者です……」
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