PASTORAL −146
突然の親王大公の登場に、二人は廊下の壁にへばりつき “俺達は廊下の壁です壁” と唱えながら、二人が消え去るのを待った。消え去って暫くの間も “俺達は壁です、壁” と息をするのも忘れるくらい、そして目を硬く閉じて親王大公が帰るのを待った。
親王大公の弟に会いに来たのだが、心の準備もなく親王大公が現れたのには驚いた、そして何より……
「怖かった」
「凄い怖かった……な、なにあの人」
「あの御方と言え、サラサラ」
「ご、ごめんなさいサンティリアス」
遠ざかってゆく護衛用戦闘機の一団。大きな窓からその一団が去ってゆくのが二人にもはっきりと見えた。
カルミラーゼン親王大公、その溢れださんばかりの[拷問大好きオーラ]を二人は確かに感じ取っていた。それが[拷問大好き]だとは解らず[皇族の迫力]と良いほうに勘違いしてはくれたが。
「二人ともどうしたの?」
謁見の間から戻って来た宮中伯妃は、座り込んでいる二人に優しく声をかける。
「あ、あの、あの人」
「カルミラーゼン親王大公殿下よ。使者として来てくださったの。バカ息子からの手紙も届けてくださったわ、お茶でも飲みながら一緒に読みましょう」
宮中伯妃が両手で持っている白い箱には、
「そ、それ皇帝陛下の紋章じゃあ」
白い箱の横四方と上を飾る金で作られた秋桜の紋章。それは帝国最高の地位を表す。
「ええ。カルミラーゼン親王大公殿下が持ってきてくださったのは陛下からの招待状よ。陛下の御成婚式典のね。それの “ついで” に持ってきて下さったのよ。そうでなければバカ息子から母親の返事を親王大公殿下が届けてくださるわけないでしょう」
[バカ息子][バカ息子]と連呼され、どう返事を返せば良いのか解らない二人は、軽く頷くだけで終わらせた。
ゆっくりとお茶を淹れ、先程ホテルで買ってきたケーキを並べ、嬉しそうにそれを選ぶサラサラに「お前、あれ程食っただろうが。まだ入んのかよ」とあきれたような声でサンティリアスが言うと「女は甘いものは別よ、ね? サラサラ」「そうだよ」女性二人に言われ、肩をすくめて口をつぐんだ。
宮中伯妃はまず銀河帝国皇帝よりの招待状を開き、それに目を通した。
サンティリアスもサラサラもエバカインからの返事は気になるが、それを先に開いてくださいとはさすがに言えない。
「お待たせしたわね。次は息子からの手紙を……本当にあの子……陛下直筆の書状の後にあの子の手紙を見ると、字すらアホっぽくて悲しくなってくるわ」
そう言いながら、二人は皇帝陛下直筆の書状を見せられた。
無論触れる事はせず、口を隠して息をかけないように注意してだが。
「…………」
「シュスターサフォント…………」
その字は、迫力に溢れていた。文字一つですら[支配者]を感じさせる、力強くそれでいて品のある文字。
「練習しても、こんな字書けないよね……サンティリアス」
「ああ。これは生まれつきだろうよ……」
文字一つで臣民を圧倒する皇帝陛下。
二人が溜息交じりに字を眺めていると、
「明日会えるわよ」
「本当!」
「本当ですか! ありがとうございます!」
「どういたしまして。ウチの息子がバカなのが幸いしたみたいね」
「え……?」
「“体調崩して、叙爵式典欠席が決まってるから明日来ても平気だよ。警備の兼ね合いもあるから、叙爵式が終わった辺りに来てね” ……ですって。エヴェドリット王になる人のリスカートーフォン叙爵式典に出席する為に、気合を入れて治そうとかいう考えは無いのかしらね。出席しなかった事で他の皇族方に迷惑がかかるとか、考えられないのかしら。全く、厳しく育てたつもりなのに、まだまだ甘い子ねえ。仕事を一回休んだだけで生活できなくなる人だって居るのに。そうよねえ、サンティリアスにサラサラ」
“宮中伯妃様……息子さんに十分厳しいです”
“宮中伯妃様……この厳しさで育ててそうなんですから、これ以上は無理です”
エバカインがどのように育てられたかを見ていたわけではない二人だが、何となく解るような気がしてならなかった。
そして渡された手紙を見る。実母に「アホっぽい字」と言われた字で綴られた手紙には確かに“寝すぎて腰痛くなっちゃった所に手紙届いて吃驚した”から始まる、皇子らしい文が認められていた。
ただ、決してアホっぽい字ではなく、少し癖はあるが綺麗と言って良い部類だった。
比べたのが[歴史上、字の立派さにおいても名を残す皇帝]なのだから相手が悪過ぎたとしか言い様がない。
「はあ……でも皇子とかは違うのは当然では。体調不良でしたら仕事を休まれるのも……致し方ないかと」
俺は何であの皇子のフォローをしてんだろう? サンティリアスはそう思わなくもなかったが。
「皇子は皇子としての仕事を果たすべきだとおもうのよ。何も仕事しないでのほほんとして……全く、恥ずかしいったらありゃしないわ。陛下もあんな息子の何を気に入ってくださったのかしら」
さすがの宮中伯妃も皇帝が「受精卵」の頃から人生の全てを賭ける程に息子を愛しているとは思わないようである。
普通の人は思うわけもないのだが。
皇帝陛下直筆のお手紙をありがたく拝見し、エバカインの手紙にあった叙爵式の終了時間を宮中伯妃が儀典省に問い合わせ、明日着てゆく服を選び、
「掃除は簡単にしているのだけど、殆ど使わない客間だから埃っぽいかもしれないわ。でも我慢してくれる」
二人を部屋へと案内した。
勿論性別が違う事と『サンティリアスはラウデの恋人なんだよ』と息子から知らされたので、別々の部屋に。
「うわ……綺麗なお部屋……」
パジャマに着替えたサラサラが、客間を見渡す。
部屋にはドレッサーとベッドくらいしかないのだが、壁の装飾からベッドの豪華さ、窓の大きさとカーテンの重厚さに、シャンデリアの輝き。
「基礎化粧品はこっちね。病院で作らせておいたから、肌に合わない事はないとおもうわ」
それを渡して、宮中伯妃は去っていった。
自分の身長の三倍はあるような扉には当然のようにレリーフが施され、よくよく部屋を見ればこれまた年代物だろう柱時計が置かれていた。
「緊張して……寝れないかも」
ベッドの端に腰をかけ、半年以上も行方不明になっている兄・サイルのことを思い出し、
「無事だよね……」
そう言った後、首を振り頬を両手で叩いて、
「絶対に大丈夫! 大丈夫!!」
そう自分に言い聞かせて、サラサラは勢い良くベッドに入った。
宮中伯妃はサラサラを案内した後、彼女の部屋から一つ間をあけた部屋にサンティリアスを案内した。
「此処なんだけど、良いかしら」
「ありがとうございます。何から何までお世話になり、明日もまたお世話になりますが、どうかよろしくお願いいたします」
事あるごとに頭を下げるサンティリアスに、
「気にしないで。それと、そんなに頭下げないでくれないかしら。私、息子を産んでから突然「身分のある人」になったけれども、根は下級貴族。ラウデと同じだったんだから、彼に話すように話していいのよ……でもまあ、難しいかもね。それにしてもラウデ……随分綺麗で賢い、素敵な恋人を見つけたものね」
「あ……いえ……」
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「丁度良かった。これは全部 “そのまま” 返してやるつもりだったからなあ」
引き千切った腕を掴み、その指を舐めながら逆さ吊りにされているフィスラタ伯爵に声をかける。頭に血が下がり、泡を吹き始めている彼の前に立っているのは、
「ゼンガルセン、グラスを用意したぞ」
明日、リスカートーフォン公爵となるゼンガルセン=ゼガルセア。
ワゴンにグラスを載せ運んできたのは、
「これを詰めて置いてこい、シャタイアス」
シャタイアス=シェバイアス。
ゼンガルセンから投げつけられた腕を掴むと、枕の中に入れておくように指示を出す。
その後、再びワゴンを押しカチャリカチャリと音を立て、吊るされている伯爵の傍まで来たシャタイアスは、細く中が空洞の剣を取り出した。それを合図に、部屋にいる者全員がグラスを掴み掲げる。
「我の叙爵前祝の酒。銘柄はフィスラタ伯爵。大いに飲むがいい」
その声を聞きながら、シャタイアスはトンッと伯爵の首に剣を刺し、空洞から流れてくる赤黒い血をグラスに注いでゼンガルセンに渡す。次々と杯に血を受ける為の者達が伯爵に群がる。
「乾杯! 明日のリスカートーフォン公爵殿下! 我等がエヴェドリット王よ」
フィスラタ伯爵はその声を遠くに聞いて、死を身近に感じていた。
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