PASTORAL −144
警察署の前に宮中伯妃の乗用車が到着したのは、一時間後の事。
「お越しくださり、ありがとうございます」
「どういたしまして」
降りてきた女性は、貴族女性そのもの。
年相応の雰囲気と、若草色の外出着。小さなバッグと、それに収めていない扇を持つ手は、当然手袋をはめている。
一つだけ誰もが気になりながら、決して指摘できないのは、彼女の背中の中ほどまである髪が結われていないこと。既婚女性は髪を結い上げるのだが、彼女はそれをしていない。第三皇子の母親だと誰もが知りながら、正式には親子ではない親子。
「あの人が……皇子のお母さん」
「そうなんだろうな」
警察署長に案内され、サンティリアスとサラサラの前に現れた元下級貴族は、伯爵様よりも貴族らしさを持っていた。
ただサンティリアスもサラサラも、警察署長に頼まなければ『エミリファルネ宮中伯妃』を見つけるのは苦労したに違いない。宮中伯妃と第三皇子、親子だと言われなければ絶対に解らない程、似ていない。
第三皇子は、瞳が同色で[下級貴族寄り]であったが、顔の作りや体格は上級階級のそれ。
何より、髪は金髪で瞳は琥珀色。
彼の母親にあたる宮中伯妃は、品は良いが上級階級の特徴など一切持たない根っからの[下級貴族顔]所謂何処にでもある顔。
奴隷皇后の伝説の一つである[太陽の瞳]とは全く違う、有触れた色彩である黒の瞳、髪と同じ色。そして体格も小柄な部類。
全く何処にも外見に共通点がないのだ。
「この方が、君達が捜し求めていた方だよ」
ルセントムは、宮中伯妃に “どうぞ” と礼をする。
二人の有様を見て、一瞬顔を曇らせた宮中伯妃だが、直ぐにその表情を元に戻し二人を交互に見る。
「あのっ! 実は私達は!」
サンティリアスは土下座をする、サラサラもそれに続く。
皇子との関係を説明して、協力を得ようとしたサンティリアスに優しげな声が降り注ぐ。
「待ちなさい、先ずは頭を上げて」
その言葉に従い二人は頭を上げ、宮中伯妃を見上げる。
宮中伯妃は膝を付き、バッグから取り出したハンカチでまだ血が滲んでいるサンティリアスの口の端を押さえて、ゆっくりと話しを始めた。
「先ずは順を追って話しましょう。貴方達は第三皇子ことエバカイン・クーデルハイネ・ロガに会いたくて此処まで来たのね?」
「はい! そうです」
口を開け閉めする度に血がハンカチに血の染みが広がってゆく。
「……第三皇子?」
その怪我の原因となった伯爵は、訪れた、奴隷に膝を付いて話しかける「貴族の女」を怪訝そうに見下ろしていた。そして出てきた人名。
「あの方は第三皇子の母君でいらっしゃいます。ま、今は他人ですが先帝クロトロリア陛下の妾妃殿でいらっしゃいますがね」
拘束を解け! 下郎ども! そう叫んでいた貴族は、硬直気味に二人と大公の非公式の生母を見つめる。
サフォント帝が「暴行」に対して、厳罰を持って臨むのは有名。その苛烈なる処罰と変わらぬ冷徹な態度、それに秘められる怒りの強さは直接会ったものでなくとも理解できる。
伯爵の未遂ではあるが暴行事件が宮中伯妃から第三皇子を経て皇帝の耳に届けば、フィスラタ伯爵は即刻処刑されるのは明らか。
名門貴族と名乗った所で、先頃家を取り潰された、第三皇子が婿入りしていたイネス公爵家の足元にも及ばない。
皇帝をも出したイネス公爵家まで落ち度があれば、即座に家を取り潰し処罰を下す。その公爵家よりも遥かに劣る、皇帝を出した事もない、王も出した事はない伯爵家の当主の命など、軽いもの。
先程まで彼が奴隷に対し自分が思っていた生命の[軽重]それが今、自分の身に降りかかってきた事を伯爵は理解した。
「貴方達は、サラサラとサンティリアスで間違いはないのよね」
優しく二人に声をかける宮中伯妃に『どう取り入るか?』を伯爵は必死に考え始めた。
そのせわしなく動く瞳に、ルセントムは口の端を少しだけ上げて笑い、そして矢継ぎ早に話しかける。「伯爵閣下、それで殺された部下達の名前は。ええ、調書を作るので」「えーと、それでその人の名前のスペルは?」「年齢は? もう一回言って下さい、良く解りませんよ」
その質問に、伯爵は怒りに震えながらそれでも声を押し殺して
“今、考え中だ”
“何を? 何が? 何で? どうして? 閣下悪い事なさってないのでしょう? さあ、答えてください”
全く意に介さない素振りで、警察署長は再び質問攻めにする。
「何で知ってるんですか? あっ! ごめんなさい」
船でのエバカインを知っているサラサラは、皇子の母親が想像通り優しくて少しばかり気が抜けた。“あの皇子” の態度からすれば、母親も決して嫌な人ではないだろうと予想して、その通りだった。
その為、帝星に向かう間にサンティリアスから聞いていた[貴族に対する礼儀・口調]が、一瞬出てこなくなってしまったのだ。
慌てて口を押さえて頭を下げるサラサラに、
「普通に喋ってくれていいわよ。私は下級貴族だから、そんなに気にしないで。貴方達二人のことを知っているのは、当然でしょう。息子が世話になったし……嬉しそうに語ってくれたわ、貴方達との航海。本当にごめんなさいね、鈍くてボケてて間抜けで、天然で。連れてくるまでそれはそれは苦労したでしょう? 全く気の利かない空気の読めない息子で、ごめんなさいね。あればっかりはどう躾けても治らなくてねえ」
横を向き「はあ」と深いため息で〆る宮中伯妃に、
「あ……いえ、そんな事……」
(たとえ思っていたとしても、普通は言えません、宮中伯妃様)
答えられる者は誰もいない。[そうですね]とも言えないし[違います]とも言えない。
「そんな事はどうでも良いわね。サンティリアス、サラサラ、よく聞きなさい。まず、私は貴方達から第三皇子に会いたい理由は聞かないわ。私が聞いた所で問題は解決しないし、それが漏れて先手を打たれたら困るから。解るわね」
「は、はい」
「連絡用のレターセットは持ってきたから、これからその旨を認めて伝令係に届けさせます。大至急会いたいとは書くけれども、下手すれば一ヶ月くらいかかるかもしれない事は覚えておいてね」
「えっ! 事態は深刻ってか!」
「解るわ、貴方の表情を見ていれば、サンティリアス。でもね、大公に会うのは難しいことなの、解ってくれる?」
実の親であっても、皇族である大公に簡単に会えるものではない。
少し寂しげに微笑んだ宮中伯妃に一瞬言葉を詰まらせて、
「……はい……ですが! 出来るだけ早く! 謁見できるよう取り計らってください! お願いします!」
再び頭を下げる。
「頭上げて、サンティリアス。早くとは言い切れないけれども、絶対に会わせてあげるから。それに関しては約束するわ。エミリファルネ宮中伯妃アレステレーゼ、ゼルデガラテア大公エバカインに必ず貴方達二人を引き合わせます」
「ありがとうございます!」
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