PASTORAL −129
 二人きりとは言っても、余の健康診断は毎日行われておる。
 させてやらねば、後々何かが起こった時に責任問題となるので、させてやる事にしておる。全ての検診が終了した後、
「陛下、食が進まれないようですが」
 ラニアミアがカルテを見ながら、そのように告げてきた。
 総合的な食事量なども医師の管理するところだからな。そして、言われて見れば確かに宮殿にいる時よりも、食事の量が減っているであろう。
 理由は簡単だ。
「エバカインを見ておると、それだけで満足してしまう。むしろエバカイン以外を食したいとは思わぬ」
 エバカインを見ているだけで、胸も腹も一杯。下半身も一杯だがな、はっはっはっ!
「……!!!」
 ただラニアミアの表情は恐ろしく変わった。青褪めた、と言うのが正しかろう。
「さ、さ、さ、さ、さよで……」
 言いながらラニアミアは急いで退出していった。
「勘違いされたようだな」
 皇族や王族には、カニバリズムという隠れ蓑の元「共食い」を行う性質がある。
 カニバリズムは「人食」であり共食いは「我々の特殊な血を含んだ者達」を指す。我々は基本的に人間は食さぬ、食するとしたら同族だけだ。普通の人間に対しては、食指は動かぬ。世間にまことしめやかに流布させているのは「カニバリズム」であるが。
 無節操に人を食べていると思われているほうが、安全でありそれは信じられやすい。
 共食いで古くから有名なのがアシュ=アリラシュ。ラウ=セン・バーローズもガヌ=ライ・シセレードも行ったが、アシュ=アリラシュは比較にならぬ。『食人狂』の異名を持つほどであるからな。そして最近で最も有名なのはアシュ=アリラシュに倣った三十二代皇帝ザロナティオン。生まれてから死ぬまで、同族以外食したことのない皇帝。
 アシュ=アリラシュやザロナティオン程ではなくとも、同族に噛み付きむにむにと肉を食したものは多い。二人のように、相手が死ぬまで食べ続ける方が珍しい。
 ザロナティオンが食べた相手は死ぬ事はなかったが。
 余もエバカインをはむりとしたいが、歯を立てて肉を食いちぎるような真似はしようとは………………エバカインは可愛いな。

 食べはせぬ、食べはせぬ。

 余の唇にエバカインの柔らかな肉が当たる感触だけで十分だ。
 考えると食べてみたくなるものだな。血とは抗えぬものだ、抗うが。
「お兄様、食欲がないと聞いたのですが? 大丈夫ですか」
「平気だ」
「あのーよろしければ、お口まで運びますが」
 言いながらフォークでクルトンをさして余の前に持ってくるエバカイン。
「では食べさせてもらおうか、エバカインよ」
 必死に切り分け、余の口に運んでくるエバカイン。永遠に食べていてもよいな。

*************

 血相を変えてログハウスから戻って来たラニアミア。
 エバカインは全員が待機している地下の医療スペースにてただ今、軽く治療中。
「どうした! ラニアミア大公。陛下の体調になにかあったのか?」
 皇帝陛下の主治医が血相変えて戻って来た事に、警備責任者のダーヌクレーシュが呼び止め声をかける。
 彼を確認したラニアミアは持っていた器具を手から落とした事も気付かないまま、両手で大きく無意味なゼスチャーをしながら答える。
「ダ−ヌクレーシュ男爵閣下! あ、あの! 陛下が! 陛下が! “エバカイン以外を食したいとは思わぬ” そのように仰られました! この頃の食欲不振は! もしかして!」
 皇帝というのは中々に大変なもので、前日と食べる量が少しでも減るだけで『体調不良』を疑われるのだ。それを知っているサフォント帝は、宮殿にいる時は一グラムたりとも狂わない量で毎日食事していたのだが、このログハウスに来て食事の量が格段に落ちた。
 落ちた理由はただ一つ。エバカインに気をとられ、腹が減っている事すら気付かない状態になっている為。
「……落ち着け、大公。もしも、ゼルデガラテア大公が陛下にがぶりとやられたら、どうなる?」
 食人狂の大本、リスカートーフォン公爵家の出の男爵は “そりゃ大変だ” と言った表情で、ラニアミアに尋ねる。
 元々同族食いはエヴェドリットの中だけで行われていただけの事。エヴェドリットは元々戦闘に変異した個体の為、出血に対して異常な程耐性がある。両手足を切り落とされた程度では、大した出血もなく意識を失う事もない。その彼等の祖先が同族同士で、手足を食ったのは普通の人で言うところの “従属するならば体をさしだせ” いわば性交の代わり。
 性交よりも、相手の体の特性が良く解るので手足を引きちぎり、その痛み、出血に対する耐性などを計っていたのだ。
 当然これはエヴェドリットの血が強く、出血や臓器に対するショックに強い耐性があることが前提。だが、エバカインは、
「あの方は出血に対し、それ程強い耐性はお持ちでありませんので、ショック死する可能性があります」
 それ程強くはない。
 エバカインは皇帝から、シュスターとケシュマリスタを受け継いでいるのは確かだが、遠縁にあたるエヴェドリットの血はそれ程濃くはない。
「阻止した方が良いのだろうな」
「そ、それはもちろん……わ、私だって嫌です。性交前の処置は平気ですが、食人前の処置などしたくはありません。これでも一応医者です、人を殺す処置など誰が喜んでしますか」
「そうだな。陛下をゼルデガラテア大公以外の物で満腹にしたらどうだ? とは言っても、それとこれは別腹だと聞いたことがあったが。よし、まずはゼルデガラテア大公に、食事を運ばせよう。陛下がお疲れだから、口元まで運ぶように伝えておけ」
 とにかく、サフォント帝を満腹にしようと。その為にエバカインを誤魔化し、サフォント帝の口に料理を運ばせる事にした。
 サフォント帝は弟達に甘い。
 勿論『殺すのが最善の策』となれば、弟だろうが実子だろうが表情一つ変えずに殺すような人ではあるが、それ以外ではかなり甘い。元が厳しい人なので、少々甘くしているだけでかなり甘やかしているように見える。ただそれらを差し引いても、サフォント帝はエバカインに甘い。それはこの時点で『エバカイン=皇君』と知らないダーヌクレーシュであっても、はっきりと解る。
「はい」
「それと、万が一食べられたりしたら困るから、全臓器の複製と蘇生装置(即死状態でも1時間以内ならば蘇生可能)をスタンバイ」
「はい」
「後は私が、ゼルデガラテア大公を救出できるように祈っておいてくれ」
「はい」
 その後、治療が終わったエバカインにラニアミアが、
「少々食欲が無いようですので、陛下の口元までお食事を運んでくださいませんか」
「……わ、わかったが。陛下、どこかお悪いところでも?」
 首を傾げながら聞いてくるエバカインに、本当のことを答えられないラニアミアは必死に取り繕う。
「いいえ、その、気が緩んでらっしゃると言いますか、その即位以来のお疲れが此処にきて、どっと現れたものでして。陛下のように平素ポッドに入り、激務をこなされる方が突然何もしなくなると、そういったこともあるので、良かったら」
「私でいいのか? 食べさせるのが上手な者の方が」
「陛下はログハウスに原則として殿下以外の入室を禁じていらっしゃいますので」

 その後、エバカインは真剣な表情でサフォント帝の口に入るサイズを聞き、そのサイズに切り分ける練習をしてログハウスへと戻っていった。

「ご無事だといいですね」
「そうだな。私だって、はぐっていらっしゃる陛下の寝室に乱入して血だらけの大公を救出したくはない。……人殺しのエヴェドリットにだって、見たくないシーンってのはあるもんさ」

 あの紅蓮の赤髪皇帝が、口元真っ赤にして弟をもぐもぐしている姿。それは想像だけで、人殺しのエヴェドリットも全速力で逃げ出したくなる。

「男爵、どちらへ」
「ちょっと外の風にあたってくる。何かあったら呼んでくれ……多分、大急ぎで戻ってくるから……多分な……」
 一人で想像して、色々疲れてきた男爵は、断崖絶壁から身投げする人の雰囲気を漂わせて外へと出て行った。
「男爵、外はただ今猛吹雪設定ですよ。お気をつけください!」

「皇君が食べられなくて、本当に良かった」(ラニアミア大公談)

「お兄様、次は何をお食べになりますか」
「ではそこのマンゴーでも切ってもらおうか」
「はい」
「また、食べさせてくれるか? エバカインよ」
「はい。お口に運ばせていただきます!」

“兄上、食欲が無い様にはとても思えないけれど……ま、お元気ならそれでいっか!”



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