PASTORAL −123
アイリーネゼンは死んだ。
それは “次” に進む。人が死んだ、それで終らぬのが世界。
「陛下」
「どうした、カルミラーゼン」
ケシュマリスタ王の王妃の座が空になった、その事実を前に手をこまねいているような者はおらぬ。
「カウタの妃にクラサンジェルハイジが浮上しております。あとカロラティアンの姫も。カロラティアンの方は私でも軽く制御できますが、クラサンジェルハイジは強力です。あの女の性格でしたら、カウタから全ての権限を奪ってケシュマリスタを支配するでしょう」
クラサンジェルイハイジの母親はケシュマリスタ王女。
あの女が他所で子を作ってきても、他の者は目を瞑り、口を挟むものはあの女自身が処分するであろう。
「あれの強情な性格ならば、いい支配者にはなりそうだが」
「王妃にいたしますか?」
「ロヴィニア王、エヴェドリット王妃にロヴィニア系次代皇帝。特に王妃は王を殺害して王太后として君臨しようと考えておる女。その一族の王女にケシュマリスタ王妃まで与えてやっては少々厄介になろう。ザーデリアの後見であるロヴィニア王家は必要だが、それ以外にロヴィニア色を強く出す必要はない。むしろロヴィニアの力は削ぐべきだ」
その辺りはエヴェドリットを奪う予定のゼンガルセンに期待する。無論期待だけではなく、余自ら勢力を調整もいたすが。ゼンガルセン、余の手の上で躍らせておく事ができるかどうか?
何にせよザーデリアの外戚は弱くては意味がないが、強過ぎても困る。あくまでもザーデリアの存在によって外戚が立つような状態でなければ、ザーデリアの地位が危うい。
「御意。となりますと、カロラティアンの娘を妃に添えますか?」
もはや王として責務を果たせぬカウタは『処分』し、クロトハウセをケシュマリスタ新王に添えるのが一般的な考えなのは知っておる。
ただ、それが出来ぬだけの事。
「カウタマロリオオレトを呼べ」
余はカウタに問うた、新しい妻が欲しいかと。
カウタは答えた、要らないと。私の妻はアイリーネゼンだけだと。
あと五年もすれば忘れてしまうであろうが『今』そう答えたのであるならば、余はお前に迷惑ばかり掛けておるから、
『お兄様。お元気ですかぁ! エバカインは元気ですよ!』
埠頭から嬉しそうに手を振っておったエバカイン。
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− 二十一年前・デバラン侯爵宮 −
後宮の奥深くに存在する、カウタの大叔母デバラン侯爵。その中庭で余は対面した。
強い権力を持つその女に頼み事を告げる。聞き終えたデバランは、特徴的な微笑を浮かべた。ケシュマリスタ出の美しい女は老いても確かに美しいのだが、微笑むと何故か歪んでいるように見える。顔というよりは全体が歪んでおるように見えた。
「下級貴族の腹におる子を助けて欲しいとな。人に物を頼むときはどうするか知っておられるか? レーザンファルティアーヌ皇子」
デバランはそのように余に告げてきた。
皇太子候補である余は、皇帝以外の者に頭を下げる必要はない。それに頭を下げさせる、権力欲の強いデバランにしてみれば楽しいものなのであろう。
「頭を下げれば……いいのですね。デバラン侯爵、貴方に下げればいいのですね」
人に依頼する時、頭を下げることくらい二歳の余でも知っておる。
そして愛しい受精卵! の為ならば、頭を下げる事など何の屈辱でもない。余が頭を下げたくらいで満足して助けてくれるというならば、幾らでも頭を下げようではないか。
余は慣れない動きで膝をつき、頭を下げようとした時、
「だめえ! だめだめだめ! 絶対だめ!」
余とデバランの会話の隣で、ケーキを食べておったカウタが乱暴に立ち上がり叫びだした。
「だめぇ! だめだよ! そんな事させたら大叔母様でも許さないんだから!」
言いながらカウタが突如膝を突き、前のめりになる。頭を下げたつもりのようだが、勢い余って地面に頭をすってしまったようだ。
「カウタマロリオオレトや。あのな、お前は頭なぞ下げずとも」
「いやー! ムームーは僕の陛下なの! 大叔母様、そんな事言うなんて嫌いだ!」
カウタは頭を下げたままで、後宮で最も嫌われ恐れられておる女に向かってそう言った。
「カウタマロリオオレト、カウタマロリオオレト。そんな事を言わないでちょうだい。このデバラン、お前に嫌われては悲しくて生きていけぬ」
結局、余はデバランに頭を下げないで、
「レーザンファルティアーヌの頼みを聞いてやるから、それで許してくれるか? カウタマロリオオレト」
「うん! 大叔母様! ありがと!」
願いは叶った。額に擦り傷を作ったカウタが、頭を下げ暴れて。普段おとなしいカウタとは思えない態度に、誰もが驚いたものだ。
そのカウタの額の手当てを終え、再びカウタと手を繋ぎ自分の部屋へと戻る。
「ありがとう、カウタ」
「ムームー、そんな事言わなくていいんだよ。皇帝陛下や皇帝陛下になる人は頭を下げたりしないんだって。代わりに僕がいっぱい下げるから! ね、ムームー。謝らなきゃならない時は僕を呼んでね」
「出来るだけ、謝るような事はしないようにする」
暗くなり始めた空を見上げながら、そんな話をしておった。
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『お兄様。お元気ですかぁ! エバカインは元気ですよ!』
残念であるが手放そう。
『ムームー! ムームーの大事な幸せの子は大丈夫? 僕、何もしなくていい? 何かあったら言ってね!』
抱いていたならば、手放せなかったであろうが。エバカインよ、お前が生まれるために力を貸してくれたカウタマロリオオレト。
『しあわせのこってなぁに? ……ごめんね、とっても大事なことだったよね』
その男を自由にする為に、余の代わりに統治に協力してやってくれ。
「ケシュマリスタ王は三十歳までに子を成す事ができなければ、退位させる。次の国王には余の実弟、カルミラーゼンかルライデの何れかを添えよう。候補である両名は軍人ではない故、国軍を統治する者としてガラテア宮中公爵をイネス公爵家のクラティネの夫とし、新王の御世においてケシュマリスタ国軍全権を統括させよ。サベルス男爵をケシュマリスタ軍の調整役として派遣しろ」
二年もすれば妻のクラティネを召し上げ、妃になれなかったマイルテルーザと再婚させる。
本当は永遠に傍に置いておくつもりだったのだが、そうもいかぬようだ。
ただ余とアイリーネゼンの間に子ができ、それが次期ケシュマリスタ王と定められたとしても、そなたをケシュマリスタに赴かせる事になった。
アイリーネゼンが子にかかりきりになるであろうからして。
軍人にして王になりえるクロトハウセは手放す訳にはいかなくてな。あれは、帝国軍を統括させる任に就けねばならぬ、それに何よりも、
『ラスのお嫁さんになる!』
壊れておるように見えて壊れておらぬカウタ。
カウタはクロトハウセの元においてやる。子がおればまた違ったが、最早望めぬ以上、カウタを退位させ従弟のカルミラーゼンかルライデに王座を継がせる。
そうなればカウタはケシュマリスタに立ち入る事が出来ず、故にクロトハウセだけは送り込む事ができぬ。
カウタに対し誰よりも文句を言い、乱暴な事も仕出かすが、あれで照れの裏返しでな。色事に関しても百戦錬磨な弟だが、どうもカウタだけには素直になれぬようだ。
蟻が嫌いという事も少々関係しておるようだが、本当に嫌いならばクロトハウセの事、即座に殺してしまうであろう。相手が国王であったとしてもな。
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「兄上! 何故あのようなご決定を! 私が、私がケシュマリスタ王になります」
クロトハウセは忠臣である、それはこの状況であるからこそ。
「クロトハウセよ。軍務に携わっているそなたが異議を申し立てる意味、解っておるのか」
「……そ、それは」
皇帝の弟、妹が軍人になるのはその者にとっても皇帝にとっても危険である。血筋と武力、これらを持っておれば誰でも簒奪したくなるものだ。そして、それを最も警戒し疑心暗鬼に駆られるのが皇帝。
皇帝の血族で、軍人となった者はその言動に注意を払わねばならぬ。
まあ、どのような地位に着いたものであっても言動について細心の注意を払わねばならぬのだがな。
「現時点において、余はそなたの忠誠に疑いなど持っておらぬ。だが、それは今の余に対してであり、ケシュマリスタ王の殺害を命じた余に対し、そなたが今と全く変わらぬ異心一つなく仕えることが出来るか。そなたは出来ると申すかも知れぬが、それが出来ぬ事、誰よりも余が知っておる。そなたはケシュマリスタ王を保護するシュスターに忠誠は誓えても、ケシュマリスタ王の殺害を命じるシュスターには従えぬ」
異心を抱いたまま従う事、クロトハウセにはできるであろう。そうやって余とクロトハウセだけであれば宇宙を維持できるであろうが、宇宙には二人きりではない。余がカウタの殺害を命じ、実行させればデバランがクロトハウセを唆すであろう。
デバランの後押しを得てクロトハウセが余に向かって来ようものならば、それはゼンガルセンの脅威にも匹敵する。
「クロトハウセよ。余にはそなたが必要だ」
カウタがいない世界に未練のないクロトハウセは、自分が勝ち残る事を前提としておるゼンガルセンよりも危険であろう。
「ですが兄上……ロガ兄上様の事は……宮中公爵のまま?」
そのクロトハウセを捨て駒にして、ゼンガルセンが攻めてこぬとも限らぬ。
「そうなる。イネスに大公をくれてやる気はない」
本来ならば、宮殿に住まわせるようになってから「大公」の座を与えるつもりであった。
宮殿外に居を構えておる大公など存在せぬ故に。
「兄上」
「もう良い、下がれクロトハウセ」
エバカインに与えた宮中公爵。ないとは思うがその身分を不服とし、異議を申し立ててくるか、軍人として反旗を翻してくる可能性が全くない訳ではない。
「だがな、エバカインよ」
そなたが本気で攻めてきたとしても、余は一人で容易く打ち勝つ事ができる。
皇帝としてクロトハウセは反逆の芽を潰し、余の傍に置いておく必要性はあるが、そなたにはその必要はない。皇帝としての余にとって、そなたは何の脅威でもない。愛してはおるが脅威とはならぬ。
「ザデフィリアよ」
どうもお前の願いの一つはかなえてやれそうにない。
今の余にとって、これが限界だ。
限界なぞ、自ら決めるものではないが今の余にはこれ以外の方法は打ち出せぬ。
「死後に詫びた所でどうにもなるものではないが」
皇帝や配偶者(皇帝の実親限定)が死ねばその名は人名として使われぬが、『皇族爵位』として復活する。 “ロガ侯爵” のように。人気のない皇帝の名は見向きもされぬがな。もしも余の名を使う事があるならば、その時は『伯爵』にせよと残しておく。
そなたに低い位をくれてやった事、それで帳消しにせよとは言わぬが。
「サフォント伯、か。これを名乗りたがる輩がおるかどうか」
それは、余のこれからにかかっておるのであろう。名乗られる度に弟に「宮中公爵」を名乗らせた皇帝として笑われるのも良し。
何度でも繰り返し笑われようではないか。
……エバカイン、戻ってくるな
今度そなたが戻ってきたら、余は歯止めが利かぬからな。
のこのこと戻ってこよう事があらば、必ず抱く! 何度でも気を失うまで! そして、寝込みも襲いまくる! はむはむするし、きゅーと吸うであろうし、肌が摩擦で磨り減るまで撫で回すであろう! 多種多様なる萌えコスプレもさせるであろうし、お兄様と呼ばせてみたりもする。
「二度と呼び戻す事はないだろうが」
余の挙式のときも呼びはせぬ、精々会うとしたら戦場だけであろう。
「よいな、エバカイン」
二十歳になったエバカインを送り出す。青空に消えてゆく宇宙船を窓から見送るだけで済ませた。皇族が皇王族や四大公爵以外と結婚する場合は、皇帝は見送らぬ。それが慣わしだ。
そうでなくとも見送らなかったであろう。
廊下の窓から見送っておると、クロトハウセが現れた。
行く船を見る為には、この廊下の窓からでなければならぬからな。
「陛下、直接見送られなかったのですか」
「見送りたくもないからな」
「陛下! 御心をお察しいたします!」
言いながらクロトハウセが余に抱きついてきた。心の底から慰めてくれる弟の抱擁は、
「クロトハウセよ」
「仰られずとも、このクロトハウセ理解しております! 何も仰らないでくださいませ!」
かなり苦しい。
だが語る隙を与えぬというのだから黙っておくか、苦しいだけなので構いはせぬ故な。
ただ、クロトハウセよ。何時かカウタを引き取った際は、もう少し優しく抱擁してやれ。あれは余ほど身体が頑丈ではないのでな。
「兄上!」
「落ち着け、クロトハウセ」
「それ程までに苦しそうなお声を聞いたのは初めてです!」
「初めてだからな」
苦しいぞ、クロトハウセ。
「心中お察しいたしますが。兄上のお力になれぬ私は! ……私は!」
「お前の<力>は充分だ」
これ以上力を込められたら、折れる。お……ポキ? まあ、良い。
− 約二年後 −
「のこのこさん! 帰ってきたぁぁ!」
「兄上! おめでとうございますぅぅ!」
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