PASTORAL −106
ゼンガルセンから『アウセミアセンを殺害した』報告を受けたナディラナーアリアは、彼を迎えに来た。
血溜まりの中に沈む、黒髪の女性を見下ろしながら、
「叔母君も殺害されたのですか」
『あらあら』と言った風にナディラナーアリアは、彼女にとっても叔母である前皇帝の正妃を見た。下腹部を切られている彼女は未だ生きてはいるが、最早死んだも同然。
「もう用は無い。我の妃になるつもりだったらしいが」
この言葉が死刑宣告だった。
「そう思わせたのでしょう?」
「皇帝の正妃になって子の一人も儲けないで逃げ帰ってくるような女など、誰が王妃にするものか」
「皇后の恐怖は並ではなかったようですがね」
「ならば下級貴族で第三皇子を産んだ女はどうなる? 我等最大軍閥の後ろ盾があっても孕めなかったと? 我等を何だと思っていたのだ、この女」
「そろそろ通信室の方にお願いいたしますわ。シャタイアスを止めてください。リザベルタリスカは死亡確認するのも困難な程に、グチャグチャですわ」
「解った」
ゼンガルセンでなくては止められない “彼” を制御する為にゼンガルセンは近くの通信室へと急いだ。あまり彼を暴走させていると、ゼンガルセンですら止められなくなり、自分の命すら危うくなる。
去っていったゼンガルセンを見送った後、
「それでは叔母君、僭越ながらナディラナーアリアが手足を落とさせていたただきますわ」
ナディラナーアリアは叔母の手足を切り落とした。
その後、直ぐに叔母の遺体を収容するように部下に命じる。遺体の収容を指示していた者が、ナディラナーアリアに、
「第一王子は?」
転がっているアウセミアセンの死体について尋ねると、
「そっちは放っておきなさい。収容したことで敬意を表したとゼンガルセン王子に取られたら、唯じゃあ済まないわよ」
彼女は笑ってそう返した。
部下達は頭を下げ、前の皇帝の妃だった女性を運んでいった。
「叔母君、男に縋って生きるのも悪くは無いと思いますが、ゼンガルセン王子はどうかと思いますわ。あの人に縋るというのは、死に縋ると同じ事ですわ。死に縋ったら行き着く先がどうであるかは……身を持って体験されたでしょうが。そして貴女がゼンガルセン王子に言われるままに、正妃の恐怖を教え込んだエリザベラ。彼女も貴女と同じように男に縋ったら身の破滅でしょうね。あの夫も縋ってはいけない相手ですわ。あの男、女は守りませんわ、守るのは……口にするだけ野暮ですわね。……お疲れさまでしたわ、叔母君。どうぞごゆっくりとお休みください」
ナディラナーアリアは回廊の向こう側に消え去った彼女に敬礼する。
それは、彼女が前皇帝の正妃になってくれた事に対しての感謝の意。本来ならば、叔母の姉であるナディラナーアリアの母が正妃になる筈だったのだが。
「母はリーネッシュボウワの恐ろしさを良く知っていましたから、貴女に押し付けたのです。見返りもなく譲られた至尊の座に近き位、裏があると考えられたほうが良かったのですよ。それが解らないまま生きてこられ、そして今回もゼンガルセン王子の誘いにも乗られたのでしょうが。何はともあれ、今此処に私がいられる事に対して、最大級の謝辞を。貴女の葬儀は私が立派に出しますので」
ナディラナーアリアの母親は、不名誉を甘んじて受けた。皇帝の妃になれなかった王女という陰口、王女として生まれたこと事態を否定される事もあった。だが彼女はそれを背に前向きに生き、タナサイド王に、母親である王妃に振り向かれもしなかった第二王子ゼンガルセンを育て反逆王とした。
人生に勝者も敗者もない。だが、ナディラナーアリアの背筋は美しく足は地に立ち、叔母は手足を失い地に伏す。
***************
彼女が攻撃を仕掛けてきたのは、夫のためではない。
「ナディレミシア公爵、考え直さないか? 貴女を殺すと少々厄介なんだ」
シャタイアスが話しかけているのは、ナディレミシア公爵リザベルタリスカ。
アウセミアセンの妻。エヴェドリット王国の王太子妃にして、ロヴィニアの王女。
彼女は艦隊を率い、自身は機動装甲に搭乗して。夫であったアウセミアセンは、エヴェドリットの王に相応しくなく、機動装甲に搭乗できなかったが、妻であるこのリザベルタリスカは操ることが出来た。
この能力の差もあり、夫であったアウセミアセンは彼女に頭も上がらず、父であるタナサイド王にも『才能のあるリザベルタリスカとの間に、エヴェドリットの子を儲けてから愛妾を持て』と言い渡されていたため、周囲に誰一人女はいなかった。
リザベルタリスカはそれを知っていて、夫の子を身篭らなかった。愛している訳ではないのだが、浮気されるのは腹が立つ。自分がするのは全く構わないが……といった所だ。
『うるさいわね!』
妹のクラサンジェルハイジ同様気の強い彼女は、シャタイアスが投降を勧めても全く聞く耳を持たない。
シャタイアスが彼女を説得している理由は、彼女が帝国騎士であるという事。搭乗者が少ない帝国騎士を殺すと、対異星人戦役における戦力が落ちる為。
唯でさえ数少ない才能を潰したくはないと、シャタイアスは説得するものの彼女は耳を貸さない。
「貴女の性格を思えば説得するのも無理だとは思うが……妹が皇帝の正妃になったのが悔しいのは解るが、どうにもなるまい? あの女は予備として私と結婚し、転がり込んだ幸運で皇妃になった。貴女は王妃として嫁いだのだ、予備として結婚していた女とは立場が違う」
もっとも、シャタイアスは彼女が説得を聞き入れるような女ではない事を理解している。
とにかく気の強い、人を見下す気質の強い、嘗ての義理の姉。
それでも、シャタイアスは『帝国騎士統括者』として、彼女と話を続ける。最初からずっと溜息の多い、腰の低い説得はやる気が無いように周囲には聞こえ、事実彼女の耳には届かない。
『貴方達があのカス殺すのが遅かったのが原因でしょう? 貴方達が即座にあのカス殺せば、私は皇妃になれたのよ! 殺す、殺されるしかない一族なんだから、とっとと殺せばよかったのよ! あの屑!』
彼女の怒りは自分が皇妃になれなかった所にあった。彼女が夫を裏切って弟であるゼンガルセンと通じたのは彼女自身にも思惑があったからだ。
ロヴィニア王家の末王女が皇帝の正妃になった、そのことが気に食わず結婚そのものを潰して、新たな候補を決める際に自分が選ばれようという目論見。
リザベルタリスカが結婚した頃は、まだ姉であったザデフィリア皇太子妃が存命であった頃。
皇帝の配偶者は四人まで。その内訳が、一王家一正配偶者である以上、彼女には望みがなかった。
皇帝の正妃になれぬのならばと、次期エヴェドリット王アウセミアセン王子との結婚に同意した。王妃が皇帝の正妃に次ぐ地位だからだ。だが、そのまま世界は流れなかった。彼女の結婚後、皇太子妃だった第二王女の姉は死に、末妹の第五王女が正妃候補に。
どうしても正妃になりたかった彼女は、その婚約を潰すことに協力をした。
「貴女が結婚した相手はカスだってのは、私も同意しますが。今更言っても仕方ないでしょう?」
だが、選ばれたのは妹のクラサンジェルハイジ。
長子から順に高い位に振り分けられる王族だが、それがこの時 “彼女にとって” 仇となった。
妹はリスカートーフォンの庶子の妻であり、自分は王太子妃。
代替わりし、彼女達の姉であるロヴィニア王は『妹の結婚相手で最も身分の低い』シャタイアスを離婚させるようエヴェドリット王に申し出て、それは受け入れられシャタイアスもあっさりと妻と別れ、息子を引き取る。
リザベルタリスカは自身が選ばれると思っていた。
理由は姉王に、皇帝の成婚がつぶれた経緯を説明していた事にある。原因となった夫と実妹の関係、それをちらつかせれば兄妹の親であるエヴェドリット王は、たとえ彼女が王太子妃であっても離婚の申し出を断らない筈だと。
だが姉王はその話に乗らなかった。
原因の元を作ったのが彼女とゼンガルセンにある、それを知った時点で姉王は王太子妃である妹を見捨てたのだ。
エリザベラが皇帝の正妃にならなかった時点で、妹王女は用無しになった事を姉王は感じ取り、シャタイアスの妻であったクラサンジェルハイジを正妃として贈る事を決める。
『貴方にクラサンジェルハイジを殺せって言ったでしょ! 何で殺さなかったのよ! シャタイアス』
妹が正妃に選ばれた事に愕然とした彼女だが、立ち止まっていてもどうにもならない。残された少ない時間で、この状況を変えるには? 彼女に残された道は唯一つ。
妹である第四王女・クラサンジェルハイジを殺害する事。それを義理の弟であるシャタイアスに持ちかけた。持ちかけられた方は『どうする、ゼンガルセン? ハイジ殺害に乗れというなら乗るが』ゼンガルセンはその誘いに乗るなと命じた。
「……なんで私が貴女の指示に従わなけりゃならないんですか、リザベルタリスカ」
ゼンガルセンの中では、既に義理の姉であるリザベルタリスカは殺す事が決まっていた、ロヴィニア王が感じ取った事でもあるが。
殺す理由は多々あるが、最大の理由は彼女がロヴィニア王女である事。
現皇太子がロヴィニア家の後ろ盾を持っている以上、何れロヴィニア家と政争を構えるのは確実。次期皇帝を擁して、宮廷内の勢力拡大を図るロヴィニア勢に『たとえ次期皇帝の外戚であっても容赦はしない』という宣戦布告の意味を込め。
ゼンガルセンは彼女の死を、ロヴィニアとの決別に使うつもりでいた。
そして死を使うのならば、シャタイアスの妻よりも王太子の妻の方が派手である。
『うるっさいわね! あの女の下風に立つくらいなら、死ぬわよ! 死んでやるわよ! ああ! もうっ!』
こうして彼女を処刑しろと命じられたのがシャタイアスであった。
ある程度話をしたが、全く聞き入れられずに苦笑をしながら、彼はバラーザダル液(機動装甲操縦席を満たす特殊な液体)を注入し始めた。足元から除々に浸されていくその中で、彼はオーランドリス伯爵となる。
「やれやれ、説得には応じてくれないんですね。……残念だよ、帝国騎士が一人居なくなるのが。回ってくる仕事が増えるじゃないか……そして、それは嬉しくもある。殺す数が増えるな」
『シャタイアス!』
「貴様が殺す分のヤツラを、我が殺せるのだな。貴様の獲物、我が貰う、その為に死んでくれ……いや、殺させてもらうよ。異星人を殺すより、同族を殺すほうが楽しいんでな……楽しませてくれよ、帝国騎士!」
動き出した帝国最強騎士シャタイアスと正面衝突したリザベルタリスカ。
ものの二分もしないうちに、言葉にならない悲鳴が通信システムのいたる所から聞こえた。
死に逝く大合唱、折れる骨の音、裂ける肉の音、バラーザダル液の中での荒いゴボゴボとした呼吸音に混ざる、血を吐く音。その絶望の音に重なる、
「どうした! ほら、かかってこいよ!」
容赦なくそれを破壊していく男。
リザベルタリスカの “断末魔” は無かった。彼女のいる操縦席が腕で刺し抜かれたのだ。刺しぬく時、シャタイアスは彼女を握りつぶした。
タイミングを合わせ、2mに満たない人間を機動装甲の “手” にあたる部分で握りつぶし殺すのは神業だ。貫き身体を宇宙空間に出してしまえば死因はそれであるし、どこかがぶつかってしまえば勢いのある巨大な物体、簡単に潰してしまう。
それを敢えてシャタイアスは、自らの手で『殺した』のだ。本来ならば不可抗力になってしまうモノを、その技能を持って見事に “その手” で殺害した。
「理性は失っていないんですよね」
「もちろんよ。理性も何もなくなっていたら、あれ程的確にリザベルタリスカを握りつぶせはしないわ、ただ攻撃性が人格を凌駕しているだけ。あらら、そろそろ止めてもらわないと、欠片すら残らないわね。私はゼンガルセンを呼びにいってくるわ。第七十八通信システムを立ち上げておきなさい」
殺した後のシャタイアスは、そのまま本星を守る無人攻撃衛星群に目標を変え暴れ始めた。過去戦闘中に見境がなくなり、三師団を壊滅に追い込んだこともあるシャタイアスを前に、無理矢理連れてこられた艦隊は後退を始め、本星から援護射撃が入る。
援護といっても本星の攻撃システムを最大レベルにした物だが、それでもシャタイアスにはダメージの一つも与えられない。
次々と破壊されてゆく無人攻撃衛星群。周囲の宇宙にある無人遊撃艇を呼び寄せ攻撃させるが、相手になるはずもない。ゼンガルセンの簒奪における損失被害額の九割がこのシャタイアスが作り出したものだ。
彼を機動装甲に乗せて『半端』な戦いに投入すれば、そうなる事をゼンガルセンは知っている。一度攻撃性を目覚めさせれば、相当量の戦いをさせないとその激情が収まらない。
前に “小競り合い” に投入され、戦い足りずに暴れだしたシャタイアスを、力ではなく言葉でとめたのがサフォント帝と、
「シャタイアス! シャタイアス。楽しそうだな、おい! 気狂い! 戦争狂人! 我の声が聞こえるか! 聞こえているならば返事をしろ! 暴れるなってんじゃない! 暴れながらでいいから返事しな、この気狂い!」
ゼンガルセンだった。
殺されたタナサイドの声には反応しなかったが、第二王子であるゼンガルセンの声には反応を返した。その際はサフォント帝とゼンガルセンの説得で、無事帰還すことができたシャタイアス。
その事から、タナサイドは「シャタイアスを使えるのはゼンガルセン」という事で、当代屈指の騎士を危険な息子に与えた。
『あん? 何だ食人狂が』
バラーザダル液を通した、少しくぐもった声が返ってきたのはゼンガルセンが呼びかけてから十分後、動きが停止してから二分後の事。
その間にナディラナーアリアも通信室へと戻ってきて、画面を観ながらリザベルタリスカの搭乗していた機体の『破片』を回収する部隊の編成や、シャタイアスが帰還する場所からの撤退の指示をだしていた。
「リザベルタリスカ程度じゃあ戦ったことにすらならなかったようだな。だが、それだけ言えれば充分だ、羽根の息子」
食人狂はアシュ=アリラシュの異称の一つであり、『羽根の何某』の『羽根』の部分は皇族・王族に現れる特質的発狂を表す隠語である。
『チッ! ああ、戻った戻った』
「じゃあ、降りて来い」
『うぁぁぁぁぁぁあああ!』
「戻ってくるのに後、三十分はかかりそうだな」
シャタイアスの暴れっぷりを笑ってみているゼンガルセンの隣でナディラナーアリアは、
「そうですわね。三十分くらい良いではないですか、何時もシャタイアスを待たせるのは王子ですもの。この位は我慢なさってください」
「戦争関係だと何時もこの状態で待つのは我だ。気狂いには困ったもんだ」
彼女の笑いに、ゼンガルセンも笑って答える。その時脇で一人の兵士が呟いた。
「さすが気狂っ!」
「覚えておけ、シャタイアスの事を気狂いと言って良いのは我だけだ」
その呟きを最後まで言う事は、当然の如く叶わない。
シャタイアスを気狂いと言っていいのはゼンガルセンだけ。シャタイアスがそう言って良いとゼンガルセンに直接言ったのだ。左目を剣で挿しぬかれた兵士は痙攣しながら椅子から落ちる。
「もう死んでますわよ」
ナディラナーアリアもそれを見下ろして『あらあら』と言った声と表情を見せた後、傍に居る兵士に片付けるように指示を出した。
「やれやれ、自分の殺しの腕の冴えが怖いな」
「怖がってらっしゃらないくせに。ではゼンガルセン王子だけが出迎えに行ってください。あの状態で降りてきて暴れられたら私ですら無事では済みませんので」
「良く言うもんだな、ナディラナーアリア。アレを殴って吹っ飛ばした事もあるくせに」
ゼンガルセンはシャタイアスを出迎えに、無人と化した着陸場所で待っていた。
前傾姿勢で着地したその兵器の掌に当る部分には、血の後も肉片も肉眼では確認できない。ゼンガルセンは『ロヴィニアに届ける死亡届は、文字だけか。悲惨な死体をのし付けて送ってやろうかと思ったんだがな』そんな事を思いつつ、降りてきて未だ肩で息をして前傾姿勢になっているシャタイアスに声をかける。
「おい、シャタイアス」
「何だ」
不満げなその顔に、
「殺し足りなかったか? 暴れたりなっ!」
暴れ “足りなかったか?” と言い切る前に、踏み込んで殴りかかってきたその拳を諸に右顔面に食らい、後に飛ばされる。壁にぶつかる前に、脚でその勢いを止めて乱れた前にかかった髪の中から、殴りかかってきた男を下方から見上げた。
「ふざけるな。我はエヴェドリット、生涯立ち止まることなく殺し続けたとしても、殺し足りる事などない」
彼と瓜二つの男の顔は、彼その物であった。
殴られた箇所を手の甲で拭いながら、
「悪かった。お前の言うとおりだな」
「ふん!」
そう言って、彼等は次の段階に進むことにした。次の敵はエリザベラ=ラベラ、クロトハウセ大公の妻となった女。
Copyright © Teduka Romeo. All rights reserved.