ALMOND GWALIOR −67
 邸に戻ると長男が生まれたばかりの末っ子を抱きかかえて、息子全員で両親の出迎え準備をしていた。
「父上!」
「お父様!」
「お父様!」
「お父様!」
 皇帝の生誕祭の期間は父親であるタバイは 《謹慎期間》 として自宅待機になると連絡を受けていたので、退院するのを心待ちにしていたのだ。
「お帰りなさいませ!」
「体の調子はいかがですか?」
「あのですね、お父様」
 息子達に囲まれて笑顔の夫と、夫を囲んで笑顔の息子達を見つめながら、長男から末っ子を受け取り抱きながら、ミスカネイアも微笑む。
「大人気ですこと」

**********

 ミスカネイアがタバイと結婚しなければ良かったと考える理由の一つは、タバイの弟にあたるキャッセルの存在がある。
 タウトライバと結婚したアニエスもそうだが、このキャッセル、普通の育ちをしてきたアニエスやミスカネイアには、耐えられない存在だった。
 『善悪の判断が曖昧だ』とは二人も教えられたのだが『曖昧』という言葉では到底片付けられない程、キャッセルの行動は異常だった。

 甥の誕生祝いに生皮を剥いだ、まだ動いている動物を持ってくるような異常さ。

 自分のせいで皇王族の稚児になったと思っているタウトライバと、守れなかったと後悔の念に囚われているタバイは、特にキャッセルとの接触が多かった。
 だが彼女達にとっては、このキャッセルと自分の息子達を仲良くさせる気にはどうしてもなれず、避ける形を取っていた。
 夫が大切にしているキャッセルという存在にそのような態度を取るのは悪いと思いながらも、どうしても受け付けられなかった。
 どのようにそう思っている事が帝国宰相の元に届いたのかは解らないが、ある日彼女達は帝国宰相に呼び出された。
 帝国宰相の背後には、キャッセルが何の感情も浮かべずに立っていた。
「弟達には厳重に言い聞かせておいた。もうこれがお前達の生活区域に入る事は無い、安心しろ。キャッセルにも言い聞かせた」
 帝国宰相の言葉にキャッセルは 《まるで人形のよう》 と言われる表情のまま頷き、謝罪をした。心がこもっていない、誰かが考えた文章を言っているだけだったが、形として成立しそれ以来夫達もキャッセルを自宅に招待することはなくなった。
 タバイはミスカネイアに、
「気付かないで悪かった。兄に厳しく注意されたよ、家族はもう……兄弟ではなくお前達だと。本当に申し訳なかった」
 そう言った。
 あまりにも完璧に弟を排除したので、怒っているのではないかと思い、ミスカネイアがそれについて尋ねると、
「いいや全く。キャッセルは居ない物と思ってくれて構わない」
 笑顔で言ってきた。
 だがその笑顔は歪だった。そこまで排除しなくていい! とミスカネイアは言ったが 《兄の帝国宰相が、キャッセルのような自分では判断を下せない相手に対し、半端な排除では駄目だと言ったので》 答え、そして続ける。
「私達は家族が良く解らないから、それらに関しては全面的に妃の意見に従えとのご命令だ。キャッセルは存在が家族にとって有害なのだろう? だから排除せよとのご命令だし、キャッセルは排除されてもなにも解らないから気にするな」
 声は矢張り歪で、夫が心の底から納得していないのも解った。
 夫であるタバイにとって、帝国宰相の意見は絶対に遵守するものであり、キャッセルも帝国宰相の意見に絶対服従するものだった。
 アニエスも此処まで徹底した排除に対し、違和感を覚えるも帝国宰相は一切の特例を認めず家族は家族であり、兄弟は家族ではないと完全に切り離す。

「兄は一生家族を作らず、そして決して認めない人だから」

 タバイの言葉を聞いたその頃からミスカネイアは、小さな不満を持った。それはアニエスも同じ事だったが、二人とも何も言う事は出来なかった。

 言葉にならない不満。

 結局彼女達はそれから何を言うこともなく、キャッセルを排除してしまった形で、家族の交流を続けていた。
「宜しければ夕食を一緒に」
 他の兄弟達も招待すると遊びに来るが、帝国宰相とキャッセル、そしてザウディンダルだけは招待はしなかった。
 帝国宰相から 《招待するな》 と厳命が下されている為に。
「明日には戻るのだったな」
「はい。ロガ殿のことはご心配なく」
 ”銀河帝国の母とする” 帝国宰相が決定してしまった奴隷少女の名を聞き、ミスカネイアは食事をする手を止めた。
「心配はしていないが、お前の足の調子は?」
「全く問題ありませんよ」
 そして義肢の開発。それの最高責任者 《セゼナード公爵エーダリロク》
 特殊義肢の開発には医者のミスカネイアも参加したが。だがまさか、臨床試験の被検体にしたいと 《シダ公爵タウトライバ》 を名指しするとは思っても見なかった。
 勿論ミスカネイアは黙っていたが、何かが世界を動かしているかのようにセゼナード公爵殿下の希望通りにタウトライバが選ばれた。
 そしてまた、彼は被検体を求めてミスカネイアに言った。

 − シダ公爵妃 アニエスをこの実験に使わせろ −

 それは平素、ザウディンダルと遊んでいる放蕩王子とは全く違う生き物。彼女達に拒否する権利はない。
 解ってはいるが、真の理由を告げられずに体を自由にさせる気にはなれなかった。
− 真の理由を言っていない事に、気付いていたか −
 銀狂帝王と呼ばれたザロナティオンと瓜二つの王子は、足を組み頷く。
 そして彼は言った。
− 近いうちにシダ公爵妃に直接言いにゆく。……誰に助けを求めても無理だ。そう、帝国宰相であってもな −

「お皿を下げてもよろしいでしょうか? イグラスト公爵妃」
「……ええ、いいわ」
 いつの間にか周囲は食事を終えて、何人かは別室に移り会話を始めていた。遠ざかる給仕を見つめているミスカネイアの元に、
「口に合わなかったかしら? ミスカネイア義理姉様」
 自ら淹れた紅茶を持ってアニエスが近付いてきた。
「いいえ……アニエス……」
「はい、なんでしょうか?」
「貴女の元にセゼナード公爵殿下が……」

**********

 早々に食事を終えたタバイとタウトライバ、そして息子達は談話室に移っていた。
 女は女同士で話したいことも多々あるだろうとの配慮で。
「エルティルザ、帝国騎士正式叙爵決定おめでとう」
「ありがとうございます! タバイ様」
「前祝いに帝国騎士本部に一機、機動装甲を入れておいた。気に入ってくれるかどうかは解らないが。叙爵式が終わったらあと三機贈らせてもらうよ」
「タバイ兄! 一機で充分ですよ」
「何機あっても無駄にはならんだろう。キャッセルなど、一回の出撃で自機を最低五機は完全破壊するからな」
 全くアイツはと苦笑いするタバイに、
「キャッセル兄は特別です! それと、タバイ兄」
 タウトライバが ”此処ではキャッセル兄の話題は厳禁です” と言外に告げる。
「済まん。それでお前も任命叙爵式典の時は帰ってくるのだろ? タウトライバ」
「勿論です。息子の晴れの日ですから」
 ”お母様! タバイ様から頂きました! なんとセゼナード公爵殿下製作ですよ!” と大喜びで食堂に向かって走ってゆくエルティルザ以下、息子達を見送った後、
「タバイ兄、よろしいですか?」
 タウトライバが面持ちをがらりと変えて語り始める。
「どうした? タウトライバ」
「あのですね……バルミンセルフィドが、近衛兵になりたいと」
「……」
 タウトライバの長子は帝国騎士の能力を有しており、現帝国の戦力からして 《他の選択肢は選べない》 状況にある。
 対するタバイの長子、バルミンセルフィドは帝国騎士の能力を有していないので、他の選択肢もある。
「タバイ兄もミスカネイア姉君もあまりいい顔をしないので、どうしたら良いだろうかと相談を受けていましてね」
「そう言えばもうじき十三歳だったな」
「ええ。近衛兵団予備役と上級士官学校は兼ねることが可能ですから。エルティルザも帝国騎士と上級士官学校の両方を希望していますので」
「はぁ……無理せず上級士官学校を終えてから近衛兵団に入団すれば良いものを」
「私やタバイ兄が通った道ですので、否定するわけにもね」
「私やお前は色々とあったから……息子達には楽をさせたいのだが」
 自分たちは早くに大人になる必要性があったからの事であり、自分の子供達はそんな事をしなくても、ゆっくりと成長する自由があるのにと……タバイは持っていたグラスをテーブルに置き、その手で顔を覆い仰ぎ見るような体勢をとる。
「バルミンセルフィドは本気のようです。何度か話合っているので、それはご存じでしょう?」
「まあな」
「帝国近衛はタバイ兄の一存で決まりますから」
「私事を挟まんとは言わないが。帰ってミスカネイアと話合い、親としての指針をしっかりと決めてから話合う事にする。迷惑をかけたなタウトライバ」
「いえいえ。本当は私も、気楽な道楽息子に育って欲しいし、そうあって欲しいのですが……帝国に現状からしてそうも行きません」

 招待されたイグラスト公爵一家は、シダ公爵邸を後にして休む準備を始めた。
 タバイは風呂上がりのミスカネイアを抱き締めて、耳元に囁くような声を掛けて体に触れた。
 心地よいまま眠りに落ちたタバイが目覚めたのは、夜明け近くだった。
 遠くで鳴る近衛兵の集合合図が聞こえて、目を覚ましてしまったのだ。腕に抱いている妻を引き寄せて目を閉じる。


『タバイ』
『なんですか? 兄』
『これに目を通せ。読ませてやるのは一度きり、だが決して忘れるな』
『…………銀狂陛下が銀狂殿下として存在していると……』
『誰にでも解ることだが、セゼナード公爵が銀狂に切り替わると “恐ろしい” 良いか、注意しろ』
『陛下に危害を加える恐れは?』
『それは皆無だ。銀狂は自らが “死” という形で放棄した皇帝の座に再び就いている 《私》 を守護する者を自認している』
『《私》?』
『そう、銀狂は自分のことも、陛下のことも 《私》 と言う。あの男が陛下に向かって 《私》 と言うことがあったら、それは間違いなく銀狂だ』
『この強さは一体……』
『あり得ない数値だ。銀狂は陛下を純粋に上回る。ただ一つ、陛下の声に抗えない、だが声がなければ陛下を容易に押さえ込むことが出来る。先日の奴隷区画での咆吼は銀狂ですら驚いたそうだ。あれほどの咆吼が出る前に取り押さえるつもりだったらしい』
『まさか……』
『后殿下を殴るように仕組んだのはロヴィニア王家。殴るように暗示をかけろと命じたのは銀狂、従ったのはロヴィニア王』


 タバイは兄から告げられた真実を思い出し、一瞬にして体が冷え腕に抱く妻にしがみつく。
「起きたの」
「起こしてしまったか」
「いいえ……あのね……」
 ミスカネイアは体をよじり、タバイの方を向いてセゼナード公爵が行おうとしている実験と、その実験体がアニエスであること。そして、
「アニエスは引き受けると返事をしてしまったそうです」
 それらを告げた。
 聞き終えたタバイは目を閉じて、
「後のことは心配するな、ああ……心配するな」
 何も考えるなと、タバイはミスカネイアを再び抱いた。
 ミスカネイアは抱かれながら、卑怯だとは思いながら、全てを夫であるタバイに委ねる。

− そしたら許してもらえるかと思って…… −

 自分だけではなかったのだと。
 夫の兄であるキャッセルを排除してしまった事を、アニエスも気にしているのだと知り、また彼を受け入れようとしている事を知り、ミスカネイア自身自由に動いてみようと思いながら。
 勝手だと思いながら、帝国宰相の意志に背くことだと知りながら、キャッセルとの関係回復に動き出す。
 一度はね除けてしまった手を取る事が難しい事は知ってる。抱き締められる程ではなくとも、近寄りたいとミスカネイアは自分を抱く夫の首に腕を回した。


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