ALMOND GWALIOR −41
皇帝が治療を終え部屋に戻るのを見送った後、帝国宰相はザウディンダルの居る奴隷衛星に連絡を入れた。
『奴隷の傷を治す薬を持って向かう』
何時もの渋面に憔悴の混じった表情で、帝国宰相は奴隷衛星に始めて降りた。
そこでザウディンダルを『治療のため』に受け取り、ロガの治療薬を居残る彼等に手渡す。
その時、帝国宰相は平静を保っているつもりだった。平静は保たれていたかもしれないが、注意力は何時もとは比べ物にならない程に落ちていたことを、この後に知る。
精神感応の力を使って《帝王》を静めたカルニスタミアが、《皇帝》から流れてきた感情によってロガを襲おうとすることに気づくことができなかった。後で思い返すと、確かにカルニスタミアの態度にはおかしいところが幾つかあったのだが、帝国宰相は見落とした。
警備として残っていたデ=ディキウレがカルニスタミアを妨害し大事には至らなかったが。
薬物乱用による過剰反応と体質を考慮した治療を行うのは、主治医のミスカネイア。
施療台の脇に立ち見下ろしている帝国宰相と、
「申し訳ございませんでした!」
床に頭をこすり付けて謝罪する近衛兵団団長のタバイ。
団長は自分が出遅れたことでザウディンダルが大怪我したことを兄に謝罪していた。皇帝陛下に関する失態は、公的な場でするがザウディンダルの怪我は私的に謝罪するだけですむ。《私的に謝罪だけ》とは言うが、私的な分受け取ってくれるかどうかが問題であり、
「謝らんでいい、タバイ」
帝国宰相は受け取ろうとはしなかった。
受け取らない理由は団長の失態ではないこと、この弟が直ぐに自分に謝る癖があることに対し、帝国宰相の方が劣等感にも似た感情をいだいていることにある。
「ですが」
「要らぬと言っているだろうが!」
謝罪を受ける、受けないで何時も大喧嘩になる二人だが、今日ばかりは違った。
「帝国宰相閣下! 大声を出すなら出て行ってください! 治療の邪魔です! 二人共騒ぎたいなら、此処で騒いでなさい!」
何時もは大人しいタバイの妻・ミスカネイアが大声を上げて二人を薬品保冷室へと叩き込んだ。
『おまえが一番大声だ……』
夫のタバイは思ったが、髪型は淑やかながら派手な縦ロール、そして眦裂けんばかりに怒っている妻を前に何一つ文句は言えなかった。
タバイの妻は基本的には身分や生まれを弁え、夫を立てるタイプだが治療中に無駄口を叩くと『近衛兵をも凍らせる』恐ろしさも持ち合わせている。
二人は薬品保冷室の床に胡坐をかいて向かい合って座り、微かに白い息を吐き出しながら少しだけ肩を震わせて笑った。
「施療妨害に関しては、私に代わって謝罪しておいてくれ」
「畏まりました」
室温を保つ為の機械音を聞きながら、帝国宰相は口を開く。
「……お前に落ち度があったわけではない」
「ですが」
「タバイ」
「はい」
「お前は何時も私に謝ってばかりだ」
タバイは子どもの頃からデウデシオンに謝ってばかりだった。
直ぐ下の自分が母であった皇帝と関係を持たなくて良かったのは、兄の力によるものだと知っている負い目と、キャッセルに目を行き届かせることが出来なかったことに対しての負い目。
「お兄様……ではなくて兄上」
「二人だけの時は昔のようにお兄様と言っても……まあ、私もお兄様と呼ばれる歳でもないが」
「私も呼ぶ歳ではありません」
それと『部外者と血縁』
庶子を育てたリュシアニとデウデシオンは父子。タバイはその事が羨ましかった。
弟達が増えた後はその感情も少なくなったが、まだ弟達が少なかった頃『父と息子』という立場のある兄を羨ましく思っていた。
リュシアニは先天性の病を持っていたデ=ディキウレ以外は実子と別け隔てなく育ててくれたと感謝しているのだが、蟠りが完全に無い訳でもなかった。
その蟠りが何なのか中々見つからずそれを探して、探し続けたまま彼は近衛兵団団長となり今に至る。
「タバイ」
「はい」
「ここから会戦まで、お前は病により療養となる。むろん、療養だけさせるつもりはない……ターレセロハイを捕らえるぞ」
『ターレセロハイ』その名前、タバイの前では禁句。
キャッセルを稚児扱いした皇王族ターレセロハイ。
タバイとキャッセルは父親が実の兄弟、母方からではなく父方の系譜でみても血の繋がった従兄弟だった。
その事を知っていたタバイは、父親が居ない分幼いながらもキャッセルを可愛がった。それは父親の代わりでもあり、幼いながら足りない存在を埋め合わせる為の代価行為ではあったが、タバイにとってキャッセルは、他の弟達とは少しだけ違う存在だった。
その従弟は生まれつき若干壊れてはいたが、虐待されて良いものではない。
ターレセロハイ彼は権力を握る帝国宰相の前で、怯えながら生きてきた。いや、生きながらえさせてやったのだ、帝国宰相と団長が復讐の時が来るまで、生かしてやった。
「畏まりました」
ここから団長の長い長い復讐劇の幕が《あがる》
「治療終わりましたよ」
話をしていると扉が開かれた。帝国宰相は軽く「騒いだ謝罪」をしてザウディンダルの側に近寄る。
すると、
「兄さん、呼ばれたので来ました」
「キャッセル」
呼ばれたガーベオルロド公爵が現れた。
明日からの誕生式典のために、帝国宰相は今夜から仕事が延々と続く。
「交代要員が行くまで、ザウディンダルの警備をしていろ」
「はい、解りました」
帝国宰相は部屋から出てゆき、タバイとキャッセルは治療器を動かし、ザウディンダルを帝国宰相の屋敷へと連れてゆく。
「兄さん、一人で大丈夫ですよ」
「いや、心配なのでな」
「大丈夫ですって」
「いや、心配なの! お前が心配なんだ! 解るか?」
「ああ! 兄さん。ザウディンダルが死ななくて良かったですね、と言えばいいんですよね」
感情の篭っていない、他人が聞けば「嘘」にしか聞こえないような喋り方と表情だが『人が死ぬのも殺されるのも、何が悪いのか理解できない弟』が自発的に口にした生死に関する言葉に少しだけ喜びを覚え、
「……そうだ。さあ早く屋敷に連れていってベッドに移してやろうな」
キャッセルの肩に手を置いて、ゆっくりと移動する治療器に速度をあわせて歩く。
肩に置かれた手に少し不思議そうな表情をしたキャッセルだったが、そのまま黙って歩き続けた。
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