ALMOND GWALIOR −30
四大公爵と皇帝陛下の関係を良好にする為の会食。
何時もの如くカレンティンシスが料理に文句をつけて庭に投げ捨てたが、慣れてしまって何も感じはしなかった。
陛下は『アルカルターヴァは優しいから、虫にも味合わせてやっておるのだろう』笑顔でそれを許されてしまう。会食終了後、陛下のご希望通り実父の面会に向かい、そこで実父と三十分ほど他愛もない会話をした後、部屋へと戻られた。
お休みになったことを確認し、本日の夜警のセルトニアードに任せて屋敷へと戻ってきた。陛下の寝室から最も近い屋敷を陣取っているので、戻るのは億劫ではない。
「おかえりなさいませ、閣下」
出迎えたのは執事のダグルフェルド子爵アイバリンゼン、元の名はフォウレイト侯爵リュシアニ。かつて父と呼んでいた男だ。
「何かあったか」
「何もございません」
「そうか」
部屋に戻り椅子に深く腰掛け、背もたれに身体をあずけ天井を見ながら首元を緩め、髪を解く。
髪留めを床に投げ捨て、目を閉じる。
「身体を洗って少し休むか」
服を脱ぎ捨て浴室で一人身体を洗う。九歳の頃ディブレシア襲われてから他人に身体を触らせるのが嫌になった。それでもまだ父に触れられるのは我慢できていたのだが、十六歳になった時 “親子関係を両者が納得するまでの間止める” ことになり、以降身の回りのことは全て自分一人でやることになった。
面倒だと思うこともあるが、いまだに譲歩できないところがあるので親子ではなく主従状態のまま今に至っている。
シャワーを浴びている場所の床を見ると、そこに “血の塊” があるような幻視を見るようになった。“血の塊” の正体はバロシアン。
あの日彼女を抱いた傍に置いていた、殺すつもりだった物体。
持ち帰り殺そうとした時、父が取り上げた。
『何をするつもりだ! デウデシオン!』
“それ” が私と皇帝の間に生まれたものだと知っている筈なのに、何故か父はそれを殺すのを許さなかった。
『処分する!』
『処分とは何のことだ!』
『殺す!』
『いつから人を殺すことを “処分する” などと思えるようになったのだ!』
私と父の怒鳴りあいに目を覚ましたバロシアンは、生まれたばかりの赤子特有の泣き声を上げる。タバイが飛び込んできて何かを言おうとしたが、
『タバイ、その子を頼む。そして直ぐに出て行きなさい、危ないから』
父はタバイにバロシアンを渡し、部屋から出て行くように命じた。タバイは私と父を交互に見て、頭を下げて部屋から出て行った。遠ざかる赤子の泣き声に “わあ、弟だあ” と他の弟達の嬉しそうな声が重なった。
あれが私の子だと知らない幼い弟達は、喜んで迎え入れるのだろう。
『殺してはいけない』
『皇帝の私生児の上に、血の繋がった母と息子の近親相姦で出来たものを生かしておいても真実を知った後、苦しむだけだ!』
『今のあの子は真実を知っても理解できない。苦しむというのなら、自分の存在を生まれるまでの過程を教えられて苦しむまで育ててみなさい』
『処分が “あれ” にとって最善の道だ!』
言い終えた瞬間、顔に影がかかった。
理解する前に身体が宙に浮き、殴った相手を捕らえた。
元近衛兵の父が本気で殴ってきた。床に着地した時、鼻からは噴出すほどの出血、そして膝が笑って立ち上がれない。
『処分が最善の道だと? お前はいつからそれほど偉くなったのだ? 子の生殺与奪権が親にあるというのなら、私がお前を殺してもいいのだな』
情けないことだが私は父に全く敵わなかった。元近衛の強さは全く失われておらず、身体が動かなくなるまで殴られて私は助けを求めた。 “もうやめてくれ” そう口にすると、父はあっさりと殴ることを止めた。
『あの子はまだ口を利けない。やめて欲しいと意志表示ができないんだよ? 解るか? デウデシオン』
頷いた私を抱えて、父は怪我の治療をしてくれた。
『人を殴ったのも久しぶりだったし、お前も強いなデウデシオン』
父も怪我をしていた。治療室から出ると、幼い弟達が嬉しそうに揃って左右に揺れ、
『お名前教えて、お名前教えて。タバイ兄さんがあの子のお名前はデウデシオン兄さんがつけるからって言ってた。だから、教えて、教えて』
名前を聞いてきた。
― クレメッシェルファイラ。貴方の息子、エイクレスセーネストともう一人いたな。もう一人の名前、よければ教えてくれないか?
『あ……名前な、名前は……バロシアンだ』
バロシアン、バロシアンと言いながら駆けて行く弟達と、私に少しだけ頭を下げて遅れて弟達についていったタバイ。
私と父はその後話し合い、親子であることを解消した。私が息子であるバロシアンを完全に受け入れられたら、元に戻ろうと決めた。気がつけばバロシアンに対し生まれた時に思った感情は殆どなくなっていたのだが、唯一つ……
『レビュラ公爵にはまだ言えないのですか』
ザウディンダルにだけはその事実を言えないでいた。ザウディンダル以外の弟達には告げても良いと言えたのだが、何故かザウディンダルだけには “知られたくなかった”
今更取り繕うこともできないような過去だと解っているのだが。
「閣下。着替えの用意は整いましたので」
「そうか。それとダグルフェルド、軽食を用意しておけ」
「畏まりました」
死ぬまでこの事をザウディンダルに隠し通せば、父との関係が戻ることはない。
**************
私が陛下にお会いしたのは、帝国摂政に任命される時のこと。
皇帝の夫達が語ってくれる話では、陛下はとても “お優しい” と。まだ私はこの頃、陛下が狂人皇帝の再現だとは知らなかったので、その言葉に何も感じることはなかった。
シュスターク帝 ナイトオリバルド・クルティルーデ・ザロナティウス
帝婿が「私と皆の子だよ。四人で名前をつけよう」そのように言い、四人で一つずつ名付けた名前。全て歴代皇帝の名を用いた豪華な名を持つ皇帝、その即位式前の初対面の際それは起きた。私は帝国摂政として、玉座にわりと近い箇所に立っていた。
定位置に四大公爵が妃と共に並び、そして権力のある皇王族も並んでいた。その中にキャッセルを弄んだのも普通の顔で参列していた、私と目が合った瞬間視線を逸らしたが。
“兄、落ち着いて”
私の護衛を務める事となり私の後ろにいたタバイが小声で制し、首を振る。
玉座の間が静寂に包まれ、遠くから小さな足音と、それを消してしまうような四人の足音が聞こえてきた。
父を四人連れてシュスターク帝は現れた、漆黒でありながら光沢ある髪と、正位置にして完全な性能を所持する瞳、真白な肌と左右完全対称な顔。
皇帝の記述をそのまま具現化した『皇帝再来(シュスターク)』の意を持つ皇帝。
皇帝は帝婿の介添えで玉座に座り、周囲を見回していた。
私は式辞を述べ始めたのだが、私生児大公が摂政というのを良く思っていない皇王族が不平の声を上げた。
「陛下、そのような下賎を摂政にするなど」
何もこの時、この場で言わないでもとは思ったが、私は言い返せなかった。緊張し初めての場だったのでどうしたら何事もなかったかのように進められるか? を考えをめぐらせていた時の周囲の顔。侮蔑で覆われたその顔を前に、敵だらけなのだとはっきりと解った。
こいつらは完全な敵だと、真白になった頭で口を開こうとした時、
「デキアクローテムス、あれ、余の臣民を侮辱したぁぁぁ!」
突然陛下が叫びだす。その声に、誰もが動けなくなる。陛下の声は感情が負の方向に高ぶると、同族を支配下における声を持っていた。
「余の臣民侮辱した! 余の前で侮辱した! うわぁぁぁぁん!」
侮辱された私は陛下の家臣……
「帝国摂政、私達は陛下に落ち着いていただく為に一度戻る。陛下が落ち着かれるまでに、陛下のご不興の元取り除いておけ!」
父達も痛む身体を無理矢理に動かし、陛下を抱きかかえて私室へと戻っていった。
取り残された者達の不安げな表情、そして私は “嗤う”
「何を呆けているのだ、四大公爵。陛下のご不興の元を排除するつもりはないのか? ならば私が排除するまでよ」
リスカートーフォン公爵が最も早く動き、述べた男を玉座の間から引きずり出す。男はロヴィニアに縁があったので、ヴェッティンスィアーン公爵が号令をかけ男の一族を全て処刑 “したい” と、
「帝国摂政閣下の許可を頂きたい」
私に頭を下げた。
「私も陛下と外戚王の仲が悪化するのは本意ではない。早急に処分せよ、その結果を持って陛下に “取り成してやろう”」
言い終えて私は、かつてキャッセルを弄んだ男を見る。男は何故か真っ青になって震えていた。
陛下が落ち着かれなかった為、式典は翌日に持ち越された。
私は処刑された皇王族を検分した後、屋敷に戻る。
「デウデシ……閣下……」
父が困惑したような表情で私を出迎えた。
「どうした? ダグルフェルド」
私は早足で部屋に戻り、ベッドにもぐりこんで嗤った。
大声を上げて嗤った。何故か口からは笑い声ではなく「クレメッシェルファイラ、クレメッシェルファイラ」と名前がでてきたが、私は笑っていた。
父がシーツ越しに私を抱きしめるようにして泣いていた。何故泣いているのか、解りたくもなかった。
この権力が貴方の死と共にもたらされるとは、クレメッシェルファイラ。
陛下の摂政に選ばれた直後、ザウディンダルが熱を出して危険な状態にあると聞いたが、忙しくて様子を見に行く暇などなかった。せめて顔くらい見せてやってくださいと世話と監視を命じたタウトライバに言われたものの、そんな余裕もなく一ヵ月が過ぎた。
「いつもと違うお庭が見たい」
何処に行かれたことがないか解らないので、皇帝の父達に尋ねて向かったことのない庭へとお供させていただいた。
「デウデシオン! これは何だ?」
見る物全てに興味を持たれ、次々と質問してくださる陛下に、
「申し訳ございません。不勉強で解りませぬ」
全てお答えすることが出来なかった。
「陛下、帝国摂政でもわからないことはありますよ」
膝をつき陛下と御話している時、視線を感じ陛下に気取られないようにその方向を見ると、病み上がりのザウディンダルがいた。
『あ、あの子……だれ?』
窓硝子に手をあてたまま泣き出すザウディンダル。
”駄目だったろうか? クレメッシェルファイラ”
“とっても良い名前よ”
“ザウデード侯爵グラディウスのように幸せで、周囲も笑いが絶えないようになればいいな”
“いつも楽しいよ、デウデシオン。デウデシオンと一緒だと楽しいよ”
“本当にお前はいつも笑っているな”
「デウデシオン」
「どうなさいました? 陛下」
「余は知っておるのだ」
陛下は摘まれた花を手に持ち、嬉しそうに話される。
「何がでしょうか?」
「そなたが余の兄であることを」
その表情に蔑みもなにもなく、純粋に笑顔で言われた。
「私は陛下の兄では……」
「“しせーじ” なのが問題なのだそうだな。余が明日 “ぜんいん” を “しょし” と “にんてい” し “しゃくい” もさずけてやろう。だからデウデシオンは余の兄となれ」
言わされている箇所は解ったが、
「本当でございますか」
「うん」
「ありがとうございます!」
受け取れるのならば、認定してもらえるのならば!
「それで、余の頼みを聞いてくれるか?」
「何でも言いつけてください」
陛下は手を差し出してきて、
「握手してみたい」
そのように言われた。
私はその手を私は握り締め微笑むと、陛下もにっこりと笑われた。
― ザウデード侯爵グラディウスのように幸せで、周囲も笑いが絶えないようになればいいな ―
その対象はザウディンダルではなく、今手を握り締めている陛下でなくてはならないのだと。
私はその為に摂政となったのだから。
陛下のご希望で手を繋いだまま庭を後にした。その姿をザウディンダルは見ていたであろうが。
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