ALMOND GWALIOR −292
「陛下、到着いたしました」

 奴隷たちだけが住む、帝国外惑星に白い戦艦が降り立った ――

 帝星近くに住んでいた奴隷、それがこの開拓奴隷たちの祖先である。彼らの祖先の一人が、いつか退位した皇帝がこの惑星にやって来ると言っていた。
 奴隷たちは、その言葉を信用していた。何故なら彼ら祖先は皇帝のことを”よく”とは言わないが知っていたからだ。

 彼らの仲間の一人を后に迎えた第三十七代皇帝シュスターク。

 彼らの住む村の近くに降り立った白い戦艦から降りて来たのは、この惑星の夕焼けよりも赤い、真紅で真直な髪を持つ男。
 祖先たちが言っていたお人好しな美形とは違う、皇帝という存在を初めて見た奴隷たちが一目で”皇帝”だと解る威圧感。
 赤毛の皇帝に付き従うのは、黒髪に赤の多い服を着た目つきの鋭い男。

 一人の老人、彼らの最年長で”大爺”と呼ばれている彼が前に進み出る。
「お前か。盟約通り参ったぞ」
 両手を広げ、風を受ける舞う真紅の髪。奴隷たちは大爺一人を残して、膝をつき彼を仰ぎ見る。
「お待ちしておりました、陛下」
「確かに待たせたであろうな。余は大皇サフォント、約束通り退位した皇帝だ。本来であればこの場に皇后ロガと同じ琥珀色の瞳を持った伴侶を連れてくる予定であったのだが、それは叶わなかった」
 皇帝であった人が語る”ロガ”に大爺は体を震わせる。
 大爺が幼かった頃”ロガ”の友人であった大婆が語った名。
「教えてください、陛下。この大爺の大婆が”あの方”と約束を交わした時からどれ程の時が流れたのか」
「今は四十七代皇帝が君臨しておる。余は第四十五代皇帝であった」
「あなたのお孫様ですか? 大皇サフォント陛下」
「そうだ」

 こうしてこの開拓惑星は皇帝直轄領となり帝国に組み込まれた ――

「そなたはここに残るのか」

 大爺は生まれ育った惑星に残ることを希望した。
 大皇サフォントが帝星へと行きたい者は名乗り出るように告げると、最初に若い男が名乗りを上げ、それに数名が続く。

 大皇サフォントは彼らを用意してきた宇宙船に乗せ、帝星へ届けるように命じ、当人はゾフィアーネ大公シャタイアス=ゼガルセアを連れて前線へと引き返した。
 彼らは両親や大爺たちに見送られ帝星へと向かった。艦内では彼らの希望に添えるように、教師陣が用意されており、知りたいことは何でも教える。
 初めての宇宙空間移動、そして初めて見る帝星。
 彼らは退屈などすることなく、旅を終えた。

―― ゾフィアーネ大公シャタイアス=ゼガルセア閣下が戦死 ――

 会ったことのある人物が「戦死」という、彼らには馴染みのない死に方をしたこと知ったが、長らく「戦争」から隔絶された世界で生きて来た彼らには、それがどのような物なのかは解らなかった。
 白亜の大宮殿に着陸し、宇宙船から降りたカイ。最初に帝星に行きたいと声を上げた若者の目に飛び込んで来たのは、大皇サフォントが搭乗していた戦艦と同型で色違いの宇宙船だった。
 緋色一色の宇宙船を前に、カイは息を飲み足を止める。
「テルロバールノル王家の旗艦!」
「そうです」
 案内の一人が丁重に答えた。
 彼らが乗った船がなぜテルロバールノル王の旗艦が滞在する港に降りたのか?
 その理由はカイの祖先ロレンにあった。

**********


 ロレンは無事に試験に合格し、希望の部署に配置されることが決まった。
「そりゃ良かった」
 弟の合格を聞きながら、シャバラは自分の荷物をまとめる。
 ロガやシャバラ、ロレンやゾイが生まれ育ったこの衛星は近々閉鎖され、立入禁止となる。そしてこの衛星に住んでいる奴隷たちは全員、開拓団として外惑星へと送られることが決まった。
 いつかはそうなるだろうと、覚悟という程ではないが、納得していた奴隷たちは、抵抗することもなく荷物をまとめて旅立ちの準備をする。
「シャバラはゾイと一緒に行けるから、嬉しいんだろ」
「……まあ、なあ」
 兄のシャバラがずっとゾイに好意を懐いていることは、ロレンどころか、好意を寄せられていたゾイ本人も知っている。
 ゾイは男性を嫌っていることを知っているので、男女の関係になろうと積極的にアプローチすることはなかったが、ずっと彼女を見守っていた。
 その見守りも開拓団入りで出来なくなるな ―― なので最後に思いを告げようと考えていたシャバラだが、

「仕事辞めた。一緒に開拓団入りして、外惑星へ行く」

 ゾイの思いもかけない宣言に、驚き、首を傾げ、そして喜んで……思いを告げるそびれてしまった。

 本来開拓団は、各地の奴隷を移民管理局コロニーに集め、そこで無作為に振り分けするのだが、ロガの身内とも言えるこの衛星の奴隷たちは、全員ひとまとめにされ、選りすぐりの優秀で誠実、そして精神的に豊かな技術者たちと共に、確認されている中でも一際豊かな惑星に降ろされることになっている。
 後半の部分は奴隷たちは知らないが、前半の”ひとまとめ”は聞かされているので、彼らは今までと変わらず仲間と一緒にいられることを喜んでいた。
「二度と会えないけれど、俺とお前は兄弟だからな。頑張れよ、ロレン」
 その中で、一人帝星に残ることになるロレン。
「うん」
 弟の栄達を喜び、開拓という未知の仕事に僅かな不安と、ゾイと共に向かえる喜びを抱えてシャバラは蓄えの全てをロレンに託す。
「驚くなよ、ロレン。開拓民に金なんて必要ないんだからよ。でも、大事に使えよ」
「あ、ああ。シャバラも気をつけろよ」
 兄弟の永遠の別れは、あっさりとしたものであった。
 衛星に迎えの船がやって来て、全ての奴隷を乗せて一度帝星へと連れてゆく。そこでロレンはみんなに見送られ船を降り、他の奴隷たちは移民管理局コロニー行きの宇宙船へと乗り込んで出発の時を待った。

 最後の一人、ゾイがまだ来ていないのだ。

 奴隷たちに説明はなかったが、ゾイは最後に皇后となったロガと会ってくるのだろうと、誰もがそう思っていた。
 そんなゾイが泣き腫らした目と、ロガの父親の旅行鞄を持って戻って来た。
「もう少し遅れるから」
「どうした?」
「ボーデンを埋めてくる」
 ゾイは手に抱えていた旅行鞄に視線を落とし、泣き声に近い頼りない声でシャバラに答えた。
「そっか……俺も一緒に行っていいか?」
「どうだろう? 頼んでみないと」
 衛星へ連れて行ってくれる移動艇の操縦士に、シャバラの同行を願い出ると、
「構いません」
 すんなりと許可された。
 二人は広々とした移動艇に乗り込む。
 ボーデンの遺体が収められた旅行鞄を置くスペースはあったが、ゾイは鞄を膝の上に置き二人は向かい合って座った。
 宇宙を望むことが出来る窓。その窓枠はシンプルで素っ気ないものではなく、派手ではないが技巧を凝らした彫刻が施されている。
 薄紫色の柔らかな絨毯、座り心地のよい椅子。なにもかも、価値を知らない奴隷の二人にも感じ取ることができる程に高級。
 管理区画に着陸し、
「本官はこの衛星に降りることを許可されておりません」
 操縦士はその場で待機する。
 二人は人気のなくなった故郷を通り抜ける。つい昨日まで自分たちが居て、生活していた空間だが、まるで別の世界のような面持ちとなり、死よりも深い静寂を湛えたままかつての住人たちを受け入れた。
「ロガに会ってきたのか」 
「陛下と親王大公殿下にもお会いしてきた」
 ゾイが会った”親王大公”は第一子にして、帝国に久しぶりに生まれた皇女デキュゼーク。一歳を過ぎ、そろそろ”お姉さん”になるシュスタークの愛娘。
 第二子の皇女を慈しみ育てているロガの膨らんだお腹を、ボーデンにしていたのと同じように優しく撫でながら妹の誕生を心待ちにしている、ロヴィニアらしからぬ少々滑舌の悪い未来の皇帝。
「ナイト、良い奴だったろ?」
「ナイトって……確かに良い人だった。あれで本当に皇帝なんてやっていけるのかな? って思うくらい」
 満開の桜の花びらが、二人を導く。
 地面を埋め尽くす薄いピンク色の小さな花びらを踏みながら、墓地へと辿り着いた。死刑囚の墓は移動され、目印であった墓石は全て撤去されている。
 抉られた土の窪みの中でくるくると回る無数の花びら、放置されたままになっている、墓穴を掘るための重機。
―― あの重機を操って、地面を上手に掘ってたなあ
 ゾイは操縦席を眺めながら顔を半分隠し、重機を操るロガの姿を思い出した。
「怒ると恐いんだぜ、ナイト」
「そりゃそうでしょう。だって皇帝陛下だもの」
 シャバラが重機に飛び乗り、機動スイッチを押すと、重機は問題なく動いた。精密機械とは正反対の、頑丈さを求められる単純作業用重機は、四年程度放置されていても壊れることはない。
 もう人がいなくなる場所なので、死臭を気にして深く掘る必要などはないので、二掻きほどして、浅い穴を掘る。
 ゾイはその穴に身を乗り出すようにして鞄を置いた。
「最後にボーデン、見せてくれよ」
 重機を停止させてシャバラが近付き、最後のお別れをさせてくれとゾイに申し出た。留め金を開き蓋を開く。

 そこにはシャバラも見慣れたみすぼらしい犬が、満足げな表情を浮かべて眠っていた。

「ナイトのことだから、最高の扱いしてくれただろうに……みすぼらしいまんまだな」
「本当にね。シャバラ、このボーデンの口元の白い花が秋桜、皇帝の花よ。胸元にあるのは白い朝顔。腹の近くにあるのが白い蒲公英、そして背中にあるのが白い夕顔。四隅を飾っているのが白い――」
「鈴蘭。ロヴィニア王家の花だったか?」
「そう」
「へえ……秋桜に朝顔に、夕顔に蒲公英に鈴蘭かあ。初めて見た……ボーデンはお前が縫い合わせた布だけで、帝国の花なんて要らなさそうだけどな」
 シャバラは立ち上がり、近くの桜の木から花を一房千切りボーデンの耳元へと置く。
「じゃあな、ボーデン」
 鞄を前にして泣いているゾイの背後に回り、肩に手を置き、泣き止むのを待つ。
 そうしている間に桜の花びらが数枚入り込んできた。
「ボーデン……見守っててね」
 ゾイはそう言い蓋をおろし鍵をかける。
 二人は向かい合って脇に寄せた土を手で盛ってゆく。土まみれになった手で、地面をならしその汚れたままの手を繋ぎ、風に乗り舞う花びらを背に受けて二人は故郷を後にした。


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