ALMOND GWALIOR −285
 皇帝の挙式終了から三ヶ月。さきの会戦の事後処理や、襲撃の後始末などに忙殺され、デウデシオンはザウディンダルと滅多に私的に会うことができない状態にあった。
 そんな忙しさがやっと一段落き久しぶりの逢瀬 ―― となったのだが、バロシアンによって直ぐに邪魔された。
「私だってお楽しみを邪魔したいわけではありません。殺す前に報告を聞いてください!」
 使命感に己を奮い立たせ、死地のほうがまだ”まし”な寝室へと押し入ったバロシアンは、ベッドの上で服を乱して抱き合っている二人を前に向かって叫ぶ。
「なんだ?」
「皇后が妊娠しました。性別は女、皇太子殿下は皇女です」
 皇后は全宇宙の重圧に負けず、結婚から三ヶ月で次期皇帝を身籠もった。デウデシオンは乱れた洋服を直しもせずに、起き上がり号令をかけて部屋から飛び出した。
「付いてこい! ザウディンダル、バロシアン」
 
 ザウディンダルとの時間も大切だが、皇太子誕生となれば、我慢して駆けつける必要がある。

 ロガと皇帝がいる皇后宮へと走るデウデシオンが先を走るランクレイマセルシュを見つけた。ロガの懐妊に最初に気付くのは、当人ではなくメーバリベユ侯爵。気付いた彼女が主であるロヴィニア王に一番に連絡するのは当然のこと。
 彼がロガを害するような男ならば、メーバリベユ侯爵も先にデウデシオンに連絡をするだろうが、ランクレイマセルシュはロガとその子を確実に守る ―― 自分の利益を最大に考慮して。
 腹に宿った皇女を皇太子に押し上げるためには、彼とデウデシオンは協力しあわなくてはならない関係だが、全部協力し合うわけでもない。
「帝国宰相! ここはお任せください!」
 バロシアンが野球選手がベースに滑り込むときのように、ランクレイマセルシュの足を刈り取り、動きが止まった彼に今度は、
「ああーあたまがーすべったー」
 誰が聞いても”棒読みです”としか言えない台詞を吐きながら、ランクレイマセルシュの腹に頭を埋め込ませて、デウデシオンに親指を立てて「行って下さい」と無言で語りかける。デウデシオンも同じように親指を立てて合図を送り、あとはひたすらロガと皇帝の元を目指した。

「陛下! 皇后。帝国宰相で御座います!」

 ランクレイマセルシュは息子を皇君にしようとし、
「ヴェッティンスィアーン第二公子が皇君、ケスヴァーンターン第二公子が帝君、リスカートーフォン第二公子が皇婿、アルカルターヴァ第二公子が帝婿と決定した」
 実際”そう”はなったが不満であった。
 ランクレイマセルシュは自らが皇帝から直接息子の地位を得たかったのだが、途中妨害にあい、結局帝国宰相が配分して与えられる形になってしまった。
 直接拝命したものと、代理から渡されたものでは、随分と違うのだ。間に人が入ることで、無理強いできなくなる。
「だから我にも教えれば」
 息子を皇君にしようなどとは考えていなかったザセリアバは、周囲を出し抜こうとして出し抜ききれなかったランクレイマセルシュに、抑揚のない馬鹿にした口調で声をかける。
「うるさい!」
 アキレス腱を固められて逃げられなかったランクレイマセルシュは「そんなこと、言われなくても分かっている。だが教えん」と、自分の行動を反省することなどなく、次はもっと上手くやると決意する。

 皇帝シュスタークは、一世一代皇帝としての全てをかけて奴隷一人を生涯の伴侶としたが、これから生まれて来る皇女は無難な夫選択となった。
 夫の配置もロヴィニアとケシュマリスタのどちらが「皇君」になるか「帝君」になるかが争点であって、エヴェドリットとテルロバールノルは「皇婿」と「帝婿」しか残っていない状態であり、結果皇帝を輩出したことがあり、多数の「無性因子抹消能力」を所持するエヴェドリットが皇婿を取り、最後にテルロバールノルに帝婿が割り当てられた。

 こうして皇后が妊娠し、仕事が増えた結果 ――

「また一週間会えてないの。可哀相」
「キュラ……」
 デウデシオンとまた会えなくなったザウディンダルの所へ”からかいに”来たキュラティンセオイランサ。その彼の暴走を諫め、ザウディンダルを慰めるためにやって来たカルニスタミア。
 ザウディンダルはクッションを抱き締めて、ソファーの上で頬を膨らませていた
「キュラが来た時点で諦めろ、ザウ」
「こいつがお前のこと慰めるなんて、ありえねえしな」
 来なくてもいいのに付いてきたエーダリロクとビーレウストが合いの手を入れ楽しむ。
「一週間に一度は会えているのじゃろう?」
「そうだけどさ」
「欲張りになるのは分かるが、もう少々我慢せい」
 カルニスタミアに諭され、ザウディンダルはますますクッションに顔を埋める。―― 何時から自分はこんなにも欲張りになったのだろう ―― と。
「帝国宰相のほうが余程我慢しておるじゃろうよ」

―― うわ、キュラ怖ぇぇ
―― だからよ、カル。誠実な態度はいいんだけどよ

 全てにおいて完璧で誠実な男は、時に不誠実にもなる。キュラティンセオイランサのフォローをしているつもりだが、他者、それも元恋人に対する優しい態度は、癇に障るらしく表情が引きつっている。
 ただカルニスタミアは完璧なので、そうなることを分かって慰めていた。
 帰ってから責められ、詰られ、機嫌を取ることを前提に。
「ところで、ビーレウスト」
 カルニスタミアに優しくされて簡単に機嫌がよくなる自分に腹立たしさを感じながら、少々甲高い、聴覚を潰す寸前の声で”あること”を尋ねた。
「なんだ、キュラ」
「アルテイジアがたまに大宮殿に来ていること、知ってる?」
 挙式が終わったあと、ビーレウストはアルテイジアを解放した。実験が終わったので、後は用無し――とも言える。
 望み通りの領地を与え”じゃあな”と告げ、ビーレウストは彼女の前を去った。その後彼女は声帯を治し声を得て話す訓練をし、帝星の高級住宅地に一軒家を買い、仲良くなったミスカネイアやアニエスの元を頻繁に訪れていた。
「知らねえ。言われるまで、そいつの存在自体忘れてた」
「君らしいね」

 アルテイジアは別れてから一度もビーレウストの前に姿を現すことはなかった。ビーレウストに忘れられはしたが、不快な感情を残さなかったことで、他の者たちに非常に凜とした女だという印象を強く与えた。

―― 背を向けた瞬間に分かりました。鮮やかな赤いマントがひるがえった時、あの方は私のことなど忘れてしまったことを。ええ、そういうお方なのです。不実なのではなく、そんな王子だったからこそ ――

**********


 ロガが無事に妊娠八ヶ月経過した頃 ――

 相変わらず忙しくほとんどデウデシオンに会えない状態だったザウディンダルは、突然その当人に呼び出され服を手渡された。
 ゆったりとした締め付けのない、ワンピースのような服。ベージュ色で足首までの長さがある。この服にザウディンダルは見覚えがあった。
 正確には記憶のなかで見た記憶の主たちが着ていた服。
「両性具有が塔の中で着る服だ。お前を閉じ込めるわけではない。信じろ、ザウディンダル」
「うん」
 ザウディンダルは着るように命じられ袖を通し、そのまま謁見の間の前まで連れて来られた。謁見の間に大勢の人がいる気配。
「ザウディンダル」
「なに? 兄貴」
「これからも忙しく、お前と会えない日が続くだろう」
「うん」
「だが以前のように寂しいからと、他の男と付き合うことは許さない。分かったな」
「う、うん! もちろん、誰と……」
 ザウディンダルの返事を聞く前に、デウデシオンは命令を出す。
「剣を持て!」
 一本三人がかりで運ばれてきたのはダーク=ダーマ襲撃の際に、ヴィクトレイが持っていた剣。
 その剣を前にしてデウデシオンはしっかりと結い上げられている髪に指を通し、高価なピンやクリップを破壊し髪を解く。いままで固く結い上げていたにも関わらず、解かれた髪にはいっさい跡は残っておらず、やや色の濃い銀髪が涼やかな音を奏でながら広がった。
 そうして剣を二本受け取り、謁見の間の扉を開けさせる。
「ザウディンダル、私についてこい」
「え……あ。だって、この格好じゃあ……」

 謁見の間の扉が開かれると、そこには四大公爵を含む帝星に滞在している要人が一人を除き一堂に会していた。
 出席していなかったのはロガ。体調を考慮し今回は席を外してくれるようデウデシオンが依頼した。
 謁見の間で待機していた者たちは、扉が開き現れたデウデシオンが両手に剣を持っていることに空気が緊張を帯び、四大公爵やシュスタークの脇に控えているタバイが動きかける。
「皆、動くな。余が命じるまで動くな。デウデシオン、近寄ってもよいぞ」
 シュスタークがそれらを制した。

 両手に一本ずつ、二本の大剣を持ったデウデシオンは周囲の驚きなど無視し、シュスタークだけを見つめて皇帝の前に進み出るに相応しい速度で近付く。
 風にたなびく銀髪と、静かな狂気を湛えた眼差し。
 謁見者たちの最前列にいる四大公爵の側を通り抜けると同時に、下に向けていった鋒を頭上へと掲げ、歩くのではなく斬りかかる時にするように、大きく踏み込む。
 玉座に座ったまま微動だにしないシュスターク。
 その背もたれの両側に刃が食い込む。刃はシュスタークの首の位置で、殺す気はなかったと言い逃れできないほどの力がこもっていた。
「何のつもりだ? 帝国宰相」
 右の刃を掴み止めたザセリアバが尋ねる。左側の刃を阻んだのはラティランクレンラセオ
「ケスヴァーンターン、リスカートフォン、大丈夫だ。下がれ」
 シュスタークは何時もと変わらず、二人を下がらせた。
 デウデシオンは握っている剣を手元で交錯させるようにし、シュスタークの首に刃が近付く。今にも首を切り落とされそうになっている皇帝は周囲の焦りや困惑を無視して、
「望みはなんだ? デウデシオン」
 いつものように、だが”いつも”は決して言うことのない言葉を口にした。
 その声は穏やかで落ち着き、なによりも望みを知っているかのようであり ―― 
 シュスタークはもちろん望みを前もって聞いてはいないが、なにを望んでいるのかは理解できた。

「私は陛下の両性具有が欲しい。下さいとは申しませぬ。皇位の代わりに寄越せ」
―― ここで拒否されたら、私はザウディンダルを殺して自殺する ――

 謁見の間入り口で呆然としているザウディンダルの耳にも届いたデウデシオンの希望。その場に居た者たちは、デウデシオンから目を離せない者もいれば、ザウディンダルを見る者もいる。

 全ての者がデウデシオンの殺意を感じとっていたが、それが向けられている相手を正確に判断できなかった。
 デウデシオンの視線を受け止めているシュスタークだけが、真に殺害しようとしているのがザウディンダルであることに気付いていた。
 皇帝は両性具有の生殺与奪を握る。皇帝のシュスタークが両性具有のザウディンダルを生かしたいと思った。ならば取れる解決策は一つだけ。
「ザウディンダル。余の元へ参れ」
 座ったままのシュスタークが、手を前方へと伸ばしザウディンダルを手招きする。
 呼ばれて動けるような状態ではないことを理解しているカルニスタミアが列から出て、ザウディンダルの側へと歩み寄る。
「陛下がお呼びじゃ。待たせては駄目じゃぞ」
 背中を押し硬直を解き、手を引いて玉座前の階段まで連れてゆく。
「ここから先は呼ばれている者しか昇れぬ」
 皇帝の玉座は謁見者との境として六段ほど上に作られている。一段一段の作りは低く、先程デウデシオンがしたように一歩で踏み込むことも可能な程度の段差だが、それは決して簡単に越えてはならない「差」であった。
「あ、うん」
 その階段を躓くことなどないように、裾を持ち上げ注意深くザウディンダルは昇り、手招きしている手の側へと寄った。
「陛下」
「ザウディンダル。余の手を握ってくれ」
「はい」
 シュスタークに言われた通り、差し出されている手を握ると、何時もロガに向けている優しい私人の笑顔を一時ザウディンダルにむけてから、かつて皇帝でしかなかった頃のように無表情となり宣言した。
「ザウディンダル・アグディスティス・エタナエル。余の治世安定のためにパスパーダに仕えよ」
 握られている手をシュスタークは引き、肘掛けに戻す。
「あ……」
「答えなど要らぬ。お前は余の命令に従うものだ」
 絶対の命令が下された。
「治世安定のため両性具有をパスパーダに与える。手を出せパスパーダ」
 シュスタークは握っていたザウディンダルの手をデウデシオンに渡した。
「イグラスト。玉座に食い込んでる剣を二本とも外せ」
 控えていたタバイを呼び、玉座の背に食い込んでいる大剣を外させた。そびえるような高い背もたれに亀裂が走り、その自重により折れ謁見の間に轟音が響き渡る。
 シュスタークは立ち上がり、タバイより剣を一本受け取ると、次に自分の実父であるデキアクローテムスに「持ってくるように」手で合図を出す。
 呼ばれたデキアクローテムスは、言われたものを持ち近付く。
 箱の模様に周囲がどよめく。白い箱、描かれているのは花びらが一枚落下している秋桜。その箱に入っているものは「副帝」の称号以外ない。
 膝を折り箱を掲げ、シュスタークは副帝の証である小刀を手に取った。
 シンプルで飾り気がまったく無い、かつてはサバイバルナイフと呼ばれていた、シュスター・ベルレーが軍人時代に支給された品の一つ。
「受け取れパスパーダ」
 片腕にザウディンダルを抱き締めているデウデシオンに、両者を同時に差し出した。
「ありがたく」
 デウデシオンはザウディンダルから手を離すことなく大剣を受け取り、シュスタークはザウディンダルに小刀を受け取れと眼前に差し出した。
「両性具有を所持するのだ、副帝くらい持っていなくてはな」
「……」
「デウデシオンの代わりに受け取ってやれ」
 ザウディンダルは震えながら両手を差し出し、シュスタークより副帝の証を授かる。両手が空いたシュスタークは純白の重いマントを両手で払うように舞上げてデウデシオンに退出を命じた。
「下がるがよいパスパーダ。さあ、皆の者見送ってやれ。簒奪に失敗した憐れな大公を」

 両脇に控えている者たちに、襲いかかるなとも命じた。

 デウデシオンはザウディンダルを腕一本で抱き上げ、剣を持ったまま悠々と、刺すような視線も憤怒の眼差しも、憎悪も全てはね除けて、扉を開かせることなく、足で蹴り破壊し謁見の間から去ってゆく。
 歪んだ扉の隙間から二人が見えなくなるのを確認して、背もたれの折れた玉座に腰をおろし、デキアクローテムスに着衣の裾を直させながらシュスタークはこの場に残された全員に聞こえるよう大きな声で語りかける。
「余はデウデシオンを驚かせようと思って、秘密裏に副帝の用意をしておったのだが、余の方が驚かされてしまったな」
 デウデシオンを罰するように進言するべきかどうか? その言葉を発するのは非常に難しい。刃を向けられた皇帝に罰する気配はなく、だが不問にする訳にはいかないほどの大事である。
「陛下!」
「どうした? ヴェッティンスィアーン」
 爽やかな空色の着衣を纏った外戚王が声を上げた――ところで、この出来事に関しデウデシオンが負わされる刑罰の方向が定まった。「金」である。
「副帝もあの両性具有も陛下の御心のままでよろしいのですが、謁見の間の扉は許せません! 然るべき補償をさせてください!」
 デウデシオンが副帝として存在できるのは、シュスタークが即位している期間のみ。対するランクレイマセルシュは次の皇帝も手中に収めているも同然。
 故に副帝に関しては欲しいとも思わないので、彼はいつもの彼である
「そうか。そうだな。あの扉の修繕に幾らかかる?」
「エーダリロク!」
 ”待っていました!”とばかりに、胸元から小型の端末を取り出し破壊された扉を認識し、計算を開始するエーダリロク。
 何故この場に、端末を持って来たのだ? と誰もが思いつつ、何時でも損害を正確に計算し請求できるように持ち歩いているのだろうと――簡単に納得できてしまった。
「はい。ヴェッティスィアーン公爵殿下。……陛下! 試算いたしました!」

 当たり前だが謁見の間の扉は、室内扉としては最高額である。

「おのれ! 帝国宰相! 許さんぞ!」

 ランクレイマセルシュの叫び声を聞きながら、カルニスタミアやビーレウストなどの王族たちが王族以外の者たちを退出させる。
「エーダリロク! 玉座の修復にかかる金額は!」
「玉座は扉よりも、もっとかかるぜ! なにせ……」

 謁見の間に外戚王の叫びが響き渡り、他の三王が”お前に資金提供を求めぬから黙れ。そのまま怒りで死んでくれても構わぬがな”と、いつも通りの光景となり、一応の解決となった。

 修理代に関しては。

「それで、エーダリロク。俺たち王族全員残して、なにを教えてくれるんだ?」


novels' index next back home
Copyright © Teduka Romeo. All rights reserved.