ALMOND GWALIOR −247
追い出されて噛みつかれてボーデンを離してもらい、謝り倒して一息ついたシュスタークの元に、
「陛下……どうなさったんですか?」
「余も解らぬ、エーダリロク」
「そうですか。そういう事もありますよね」
積み木を作って渡してきたエーダリロクがやって来た。
ボーデン卿との格闘話を聞きながら、
「勝手に入っちゃ駄目だよ、エーダリロク。后殿下が陛下すら追い出したんだから」
キュラに言われて頷き、ドアに付いているボタンを押してノックする。
「あれはなんだ? キュラティンセオイランサ」
シュスタークは黄金のドアに何かが付いていることに気付いた。
「ブザーですよ。あれを押すと向こう側に音がして”誰か来た”って解るんです。普通はドアをノックするんですけど、王の私室って扉は厚くて、とくにここの王様の私室は扉の彫刻もびっちりで……陛下、僕がボタンを押さなかったのは、陛下が訪問したからですよ。あれは訪問者の身分が低いまたは同等な場合だけ使われるものです。もともとこの部屋はテルロバールノル王の私室ですから、訪問者は全て身分が下であるという前提で作られてるんですよ。そこに陛下がお出でになって、后殿下が陛下に”だめー”と叫んだりと、この部屋の前提を覆してるんで、僕はボタンを押さなかったんです。解っていただけましたか?」
「そうか、そうだったのか。解ったぞ、キュラティンセオイランサ」
皇帝は危険区域でもない限り、何処へ立ち入ることも自由だ。ましてその先が妃の居る場所であれば、誰も止めはしないし許可を取ることなどしない。
ロガがシュスタークに向かって物を投げたのをリュゼクが阻止しなかったのも、二人の間で”それ”が許されているのならば、危険物でもない限り、皇帝に怪我を負わせるような勢いでもない限り、手を出すことはできない。それらの前提の元”ぽすり”とするのを見ていたのだ。
「陛下、頭洗いませんか? ボーデン卿の涎で大変なことになってますから」
「では洗うか……なあキュラティンセオイランサ」
「はい、なんでしょうか? 陛下」
「余はロガの”だめぇ”が、ちょっとばかし可愛いと思ってしまったのだが、これは正常だろうか? 拒否の言葉に可愛らしさを感じてしまうのは、おかしいことではないか?」
「すこぶる正常です。自信を持ってください。このガルディゼロ侯爵キュラティンセオイランサがケシュマリスタの家名をかけて断言します、すこぶる正常です。さ、髪洗いましょう」
愛しい妃の全てに蕩けそうになりながら髪を洗わせ、投げつけられた縫いぐるみに関して、キュラとタカルフォスの二人と会話を弾ませていた。
合図をしてから入ったエーダリロクは、ザウディンダルに近付きガウンを脱がせて胸を見る。
「胸が膨らんだか。触るぞ」
「ああ」
触るというよりは、揉む感じで。
”ぎゅっ”と絞られた胸から、母乳が勢いよく飛び出し、
「…………」
「うわ! 顔にかかったぞ! ……どうした? エーダリロク」
思い切り顔にかかった。右頬のあたりにかかった母乳が伝い唇の辺りにも滴っていたので、取り敢えずエーダリロクは舐めてみた。
「変な味だな」
昔は”これ”を飲んでご機嫌になっていたのかと思うと、しみじみ……とはせず、
「味わうなよ! やめろ!」
「俺だって味わいたいわけじゃない。どうせ味わうなら爬虫類のほうが」
「それはそれで、なんか嫌だ」
エーダリロクは何時も通り。
「まあいいや。ちょっと来いよ」
ロガとミスカネイアを残し検査機のある部屋へと連れて行かれ、身体をスキャンされる。
「俺の予想が間違ってなけりゃ……」
モニターに映し出された身体と、構成物質の数値を指でなぞりながら、
「間違ってなかったら?」
「ビーレウストを助けることができる」
「どういう意味だ?」
ザウディンダルには良く解らないことを口走る。
エーダリロクは決してビーレウストを助ける事を諦めてはいなかった。ただ助ける方法を模索していただけである。
天才がその頭脳を持ってしても、すぐには思いつかない。
それがアニアス……とは言うまい。それが宮廷料理人というものであると言っておこう。
隣の部屋でロガとミスカネイアが届いた素っ気ないブラジャーをレースで飾り立てていることも知らずに、エーダリロクから毎度よく聞かされる異父兄の暴走に、なにをしたら良いのだろうか? 考えつつ話を聞く。
「水分がいつもより多目に取れる」
「……そうなのか?」
「母乳には体内の栄養素が混じってるから、それを補強するためにも……アイバスに美味しくて栄養価の高い飲み物を作ってもらってくれ。分量はロッティスに計ってもらえ」
「じゃあさ、アイスココアとかカプチーノとか飲んでも?」
「大丈夫だ。だからアイバスを早く呼び出してくれ。もうかれこれ三時間くらい経ってるんだ」
**********
ブラジャーのパッドとブラジャーの装飾を終えたロガは、先程のことを謝ろうとシュスタークの所を訪れた。
「ナイトオリバルド様……」
「ロガ!」
「先程は済みませんでした」
「いや。その……ザウディンダル怒ってないか?」
「大丈夫ですよ」
ザウディンダルはただいま、ミスカネイアにレースで飾られたブラジャーの装着方法とパッドの入れ方を習ってそれどころではない。
ソファーに並んで座り、シュスタークはずっと持ち続けていたタオル地の小さい物体を差し出す。
「ところでこれはなんだ? タカルフォスは”遊ぶための縫いぐるみです”と言っておったが」
背が倒れる椅子に座り、髪を洗われながら縫いぐるみを掲げて、両脇で監視しているキュラとタカルフォスに「見た事もない」形のものに興味を持ち質問を重ねた。
「はい、そうです」
「だがこれで遊ぶのは子供だとも言っておったぞ」
”だから犬、すなわちボーデン殿の物ではありません”彼は力強くそう宣言して、キュラがそれを伝えていた。
「そうです」
「誰かに贈るのか?」
「いいえ……子供が生まれたら、遊ばせたいな……と思って。気が早いのはわかってるんですけれど、妊娠から出産そして三歳になるくらいまでは行事と式典がたくさんあるから、作ってるような余裕はないって……」
「たしかに」
シュスタークは手のひらに収まっている”たぶん兎ですよ。二足歩行の兎はいない? そうですけど。陛下は市販の縫いぐるみ見た事ないでしょうけれど、こういう感じで特徴だけを持たせた元とは全然違う形で作ることも多いんですよ。むしろリアルよりは子供受け良いと思いますよ”キュラに受けた説明を思い出しながら、アイボリー色の耳の長い”うさぎ”に力を込める。
「二人目からなら余裕もありますって言われたけれど……一人目の子にも遊んで欲しいから」
ロガにとっては一人目も二人目も同じだが、皇帝シュスタークの第一子と第二子はたとえ同じ母親から生まれたとしても、同じ存在にはなり得ない。
第一子の妊娠は大大的に報じられ、誰もが「腹」に頭を下げて、皇帝もその子の未来を飾るために様々な行事を執り行う。
「そうか。この先忙しい日々が続くから、この艦にいる間は思う存分作るといい」
帝星に到着すると同時に凱旋式典が始まり十五日間の式典が終了した翌日から、シュスタークとロガの一ヶ月に及ぶ挙式が始まる。
誰もがこの期間に妊娠して、式典が途切れることなく続くことを期待している。
そのことはロガも理解しており”もう隠さなくてもいいですよ”明言すらしていた。
「はい……ナイトオリバルド様」
「なんだ?」
皇帝の正妃になることも、皇太子を産むことも決心はついたが、
「子供たくさん産んでいいんですか?」
新たなる不安が生まれた。
「……」
「その……あの……私が産んだ子が次の皇帝になるってみんなに言われて。でも私が産んだ子全員は皇帝にはなれない。私には先日襲ってきた僭主さん達のように”皇帝になりたい”っていう気持ちは解らないんですけど、私が産んだ一人が皇帝になったら他の子も皇帝になりたいと考えてしまうんじゃないかなと思って。それが二人だけの喧嘩じゃすまなくて、おおきな戦いになったりしたら……私は嫌です」
《暗黒時代は恐い。再来は避けたい》
誰もがそう思い、考えて行動している。僭主の襲撃はあり、それは暗黒時代の残滓だと言う。帝国は恐怖して、皇帝は多数の子を作らなかった。
幾らでも作れたはずのザロナティオンクローンもルーゼンレホーダただ一人。ルーゼンレホーダは正妃に対する含みもあったが、それ以上に継承者が増えることを恐れてクルティルザーダ一人だけ。
ディブレシアもシュスタークも同じであった。
もう終わったと言いながら、まだ恐ろしく極力避けている。
僭主の襲撃にも遭遇したロガは被害の大きさと、これが起こった根底を知り、自らが正妃となり皇帝の子を一人以上産むことは帝国全土に危険が及ぶのではないかと不安にかられた。
”一人だけにする”と言われたら、ロガは従うつもりだった。抵抗できないということではなく、この世界に争いをもたらすことを避けるためだと、襲撃から理解し自ら納得できた。
「そうだなロガ……それについては後日説明するから、今は待ってくれ。たしかに不安に感じても仕方のないことだ。だが皇帝である余が明言しておこう。皇帝の座を受け継ぐ子が一人だけというのは避けるべきことだと」
だが帝国そのものであるシュスタークの考えはまた別であった。それは安全策ではないが、帝国はそれを望み変えるつもりで”多数の子”を”ロガと共に”儲けるつもりであった。
「ナイトオリバルド様」
「それとな、ロガ。一人にしか皇帝の座をくれてやることはできないが、それ以外の面では余は全てを平等に扱うつもりだ。それが子に通じるかどうかは別だが」
「はい。陛下の子をたくさん産んでもいいんですね?」
「ああ。余個人として、山ほどのロガの子に囲まれて笑って過ごしたい」
「ナイトオリバルド様」
ロガの身体の負担を考えれば無理なことも、どれ程親王大公が生まれようとも、皇太子以外は十歳前後で婿や嫁になるために、嫁ぎ先に引き取られてゆくこと、二人は帝星から出ることなどできないことも知っているが、それがシュスタークの希望であった。
「どうしたんですか? ナイトオリバルド様」
目を細めて微笑み手に持っていた縫いぐるみを撫でる。
「いいや、手触りもよく可愛いものだな」
「少しでも遊んでもらえたら嬉しいなって」
「遊ぶであろう。ロガはこういう物を作るのが得意なのだな」
「得意っていうか、私料理が苦手で顔もこうだったから、せめてお裁縫くらいは出来ないと! って思って」
「そうか……余の子たちは全て幸せだ。生まれる前から断言できる」
「ナイトオリバルド様?」
撫でていた手をロガの背中に回し、シュスタークはロガに口付ける。ロガも目を閉じて応える。
しばしのキスの後、離れて二人とも頬を赤くして背を向けて、
「その……まあ山ほどの子供も、生まれる前からの断言もその……まあ、もうちょっと待ってくれ」
シュスタークは縫いぐるみの顔を突きながら、手出しせずに二年間がもう暫く延長されることを宣言。
「は、はい。いっぱい縫いぐるみ作ります。ナイトオリバルド様も如何ですか?」
「い、いいな。作ってもらおうとするか!」
二十五歳皇帝として正しい姿なのか? と問われたら……臣民は”正しい姿だ”と答えるしかない
「うわー見てて恥ずかしいな。ベッドシーンのほうが恥ずかしくないもんだな」
「失礼なことを言うな、ガルディゼロ」
「僕恥ずかしくて見てられないから、ちょっと席外すから、タカルフォス」
「おい! ガルディゼロ」
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