ALMOND GWALIOR −241
ロガは人気のない脱衣室で着換えて髪を拭き、シュスタークと共にやって来たボーデンの隣に座る。
「はあ……なんとなく落ち着く」
ロガは壁に背を預け床に腰掛け、丸くなっているボーデンの頭を見て思わず本当の気持ちを声に出してしまった。
正妃と定められて以来、ロガは敷物もなにもない床に直接座ることも、壁に頭をぶつけるような勢いで寄りかかることも出来ないでいた。
柔らかなクッションが嫌なわけではなく、背中の曲線にあった背もたれが鬱陶しいわけでもない。
ただロガは慣れることができなかった。
いつかは自分の体型に合わせた特注の椅子の方が”良い”と言えるようになるかもしれないし、
「なるのかな……」
なれないかもしれない。
だが今のロガはまだ昔と似たような床に座り、壁に背を預けるほうが安心できた。もちろん床は綺麗で、場所によっては柔らかい絨毯が敷き詰められているので、以前自分の家に住んでいた時とは違うのだが。
ボーデンは顔を上げて、ロガの手を一舐めしてまた頭を降ろす。
広い脱衣所の隅でボーデンと一緒にいる。
「ボーデン、いつも一緒にいてくれてありがとう」
「……」
ロガの問いに尾を面倒くさそうに振って答えるボーデン。何時までも変わらないその態度は、安心というよりは懐かしさをくれる。ロガにとってボーデンとはそのような存在。
「ナイトオリバルド様、ザウディンダルさん」
浴室から出て来た二人を見つけて、ロガは用意していたタオルを持って走って行く。
「ナイトオリバルド様、髪を拭きますね」
「ああ、頼むロガ。身体は余が……」
今はロガに頼っているが、シュスタークの最終目的は二人で湯から上がった時は一人で身体を拭いて着換えをすること。「長い長い道のりだ」思いながら身体を《撫でている》シュスタークの隣にいたザウディンダルが、
「ザウディンダルさん! ザウディンダルさん!」
湯あたりを起こして倒れかけた。
「……だ、だ……いじょ……」
目の前がまっ暗なのに「頭の中がぐるぐる回っている」状態のザウディンダルが、膝をついて床に手をあてて倒れてしまうのを必死に堪えて返事をする。
「長湯させてしまったか! ザウディンダル」
「ミスカネイアさんに”大丈夫、任せて下さい”って自分で言ったのに……なんてことに」
体調が万全ではないので致し方なく、元来身体が強くはないので珍しいことではないのだが、ロガはミスカネイアに《ザウディンダルさんのこと、任せてください》と言った手前、
「ごめんなさい、ザウディンダルさん」
「いや、あの……」
涙ぐんで詫びていた。
「いや、ロガ。悪いのは余であって……その、なあ」
「俺も大丈夫だと思って。その……ねえ、陛下」
「あ、ああ」
シュスタークとロガが眠るベッドに横たえられて、
「このままで治りますから。ミスカネイア義理姉さんには報告しなくてもいいですよ」
ザウディンダルは簡単に答えた。もともと体調が良くても少し長く風呂に入っただけで、眩暈がする体質なので”いつもです”と気軽に答えた。
「本当ですか!」
**********
「邪魔し過ぎじゃない?」
翌日シュスタークの元を訪れたキュラは、三人が仲良く寝ている姿をみて、まさに苦笑いしてそう呟いた。
「ヒステリー様が見たら、怒鳴るとか喚くとかそういうレベルじゃ済まないよね」
ザウディンダルを挟んでシュスタークとロガが眠っているのだ。
横になったままザウディンダルが意識を失ったので、知らせる必要は無いと言われていたがミスカネイアを呼び、
「大丈夫ですよ。ご心配をおかけしました」
「いえいえ。あのミスカネイアさん」
「なんでしょう? 后殿下」
「今日ザウディンダルさんを此処に泊めてもいいですか? せっかく休んでいるのを移動させる必要もないと思うので」
ロガのお願いに、
「余からも頼む。余がザウディンダルと風呂で話し込んで倒れさせてしまったので。余もロガも少々、小心者? 心配性? とまあ、その翌朝も元気な顔をすぐに見たいので」
今回の原因でもあるシュスタークも後押しして、ザウディンダルは皇帝の私室に泊まることとなった。
泊めることを許可したミスカネイアも、まさか皇帝夫妻がザウディンダルの両脇に寝るとは思ってもいなかったのだが。
「……キュラさん! 怪我は良くなりましたか?」
目覚めたロガが自分を抱き締めている”ザウディンダルの腕”を優しく解き、身体を起こす。
「はい。それにしても、陛下もザウディンダルのやつも、お疲れのようですね」
本来なら先に目覚めなくてはならないザウディンダルや、元々眠りが浅かったはずのシュスターク。
「ええ……あ、もうこんな時間」
「お疲れでしたら、まだお休みになってください」
「いいえ。私は起きます。ナイトオリバルド様は……寝かせておいたほうが」
ラードルストルバイアに”起こせ”と言われていたものの、今日のシュスタークの寝顔は格別に幸せそうで、ロガは思わず起こすのを躊躇ってしまう。
キュラも「なんでこんなに、ザウディンダル抱き締めて幸せそうなんですか陛下。……でも幸せそう」思ったが、
「起こしてください。ザウディンダルを抱きしめて二人きりで寝ていると結構問題になるので。陛下が抱きしめて寝ていていいのは后殿下だけですから」
ここは起こさなくてはならない。この二人が一緒にいるのは”政治的問題”になるので。
「あの……はい」
ベッドから降りて反対側に回り、シュスタークの肩を申し訳なさそうに揺するロガ。本当に控え目で、起きられるのだろうか? そう思える程度。
「おお、ロガ。……おはよう」
「おはようございます、ナイトオリバルド様」
それでもシュスタークは起き、周囲をまったく気にせずにザウディンダルにシーツをかけ直してやり、
「キュラか。元気にしておったか」
何時も通り声をかける。
「おはよう御座います。元気にしておりました。それで陛下、ボーデン卿の朝ご飯の時間が、刻一刻と迫っておりまして。よろしければ僕とタカルフォスで……」
現在宇宙で最も偉いに違いない犬、ボーデン。
ロガの危機を救ったかの犬に朝食を差し出すと、自らに課していたシュスターク。むろん食事を自分で作るのではなく、入れられた皿をボーデンの前に差し出すだけなのだが、本人にとっては重要な仕事であった。
シュスタークは飛び起きて、そのまま支度へと向かった。もちろんロガもその後をついてゆく。キュラは用意が整うまで、寝室で待つことにした。
「君、邪魔し過ぎじゃない?」
さすがにシュスタークの声で起きたザウディンダルだったが、身体が起きただけでまだ意識は目覚めていない状態。
「……自分でもそう思う」
キュラはベッドの上で上半身を起こして、まだ呆けている状態のザウディンダルの背中に自分の背を合わせ、互いの反対側を向いている状態にして座る。
「帝国宰相、無事でよかったね……なんて言わないよ。あの人が生きてると、ラティランクレンラセオが蠢動して僕の面倒が増えるだけだからさ」
だが ―― 死んでくれたらよかったのに ―― と思いはしなかった。ボーデンの朝食のために着換えているシュスタークやロガのことを考えたら、帝国宰相は生存してもらわないと困る。キュラにとって皇帝シュスタークは立場的にも感情的にも、在位してもらわなくては困る存在。
―― 死んでくれたらよかったのに ―― キュラがそう言えるとしたら、帝国宰相が殺害されても二人に何ら被害が及ばないか、キュラ自身が守ってやれる立場でなくてはならない。キュラがそんな立場で権力を持っていたら、ラティランクレンラセオに使われることもない。だから、考えた結果《無事でよかったね……なんて言わないよ》となる
ザウディンダルは聞いてから背中を離し向き直り、キュラの背中に額を押しつけた。
「ごめん」
意図していなかった返事に驚いたキュラだが、振り返ったりはせずに黙っていた。
「俺さ、キュラがカルのこと好きなの解ってた」
ザウディンダルの突然の告白は、感じていた驚きを打ち消す程の衝撃をキュラに与えた。キュラは自分が衝撃を受けていることを気取られまいと背を向けたまま。
「俺、解ってたけど……俺よりカルのこと好きなの知ってたけど……」
―― 自分が思っているよりも自分は賢くないなあ
ザウディンダルにまで気付かれているとは思っていなかったキュラは、苦笑いを浮かべている下唇を一噛みして、何時も通りよりも素っ気なく”気付かれていたことなんて知っていたよ”とばかりに返す。
「カルニスタミアのことを好きなのは否定しないよ。君は僕がカルニスタミアのことを好きだと知って、罪悪感でも持ったの?」
「ああ、持った。俺さカルのこと好きだけど、お前の好きとは違うんだ。そういう意味での好きじゃない。そのことに気付いてた」
「答えるつもりっていうか、話したいなら話せば? その理由」
―― ザウディンダル、余もそなたも然程寿命は長くはない。言いたいことは言わねば時間が足りなくなる。……そうだ、余の中に存在する…… ――
「単純に言うと憧れだ。カルと一緒にいると広い世界に触れられるような気がしてな。兄貴たちと一緒にいるのは楽しいし、心も安らぐけれども、世界が小さいってのかなあ。両性具有なんだから狭い世界で身を小さくして存在するべきなんだろうけれど……何だろう……」
ザウディンダルはキュラの背に額を押しつけながら、テルロバールノル独特の刺繍が施されたシーツを見て、カルニスタミアと過ごした日々を思い出していた。
まさに王子の優しさで、年下ながら全てを許してくれる度量。その度量を前にして、たまに劣等感を覚えて八つ当たりしても許してくれる。
ザウディンダルには手に入れられない芸術品を帝星の自宅まで運び込み、二人きりで観賞したこともある。
テルロバールノル王家の楽器であるハープを、優美に力強く奏でる姿。榛色の柔らかい髪、健康的な白い肌にシュスタークよりは若干薄いが、まさに地球を移した蒼と翠の瞳。
「やっぱり憧れだな。絶対に届かない相手が声をかけてくれた……浮かれてたんだろうなあ」
両性具有であるザウディンダルにとって、シュスタークよりも遠く触れることなど叶わない存在。
キュラは”それを恋って言うんじゃないかな?”思ったが、当人がそうではないと言って、敵が減るなら余計なことを告げる必要もないだろうと。
「ビーレウストやエーダリロクでも良いじゃない」
「あいつら大宮殿在住の王子だろ。カルは実家を追われてもテルロバールノルの王子って感じがする」
王家の正統なる王子と両性具有の異端。
”終わらせてみれば”それは物語のような一時だった。
「カルニスタミアがカレンティンシス王の怒りを買って、王国追い出された原因は君だけどね」
「そうだった……」
「君ってさ、割と何でも持ってるよね」
むしろザウディンダルが持っていない物の方が少ない。当人がそれに気付かない限り、持っていない物ばかりを見ていることになる。だが持っている物が多いということは、それに関係する様々なことに責任を負うことも必要になってくる。
「そうだな、色々持ってる。二つの性も二つの……」
―― 血も ――
敗北し僭主になり果てた一族の末裔としての責任。この血の責任や責務を果たすことができるのは、皇帝のシュスタークですらできない。
ロガは奴隷の血を持って皇后になる。それは自ら決めて立った。ザウディンダルはザウディンダル以外の者にはなれないが、本当にザウディンダルになるためにハーベリエイクラーダ王女の血に決着を付ける必要がある。
「そうだね。あ、陛下の準備終わったみたいだから、僕は陛下のところに行く。時間潰しに丁度良かったよ」
”整いました”と召使いからの連絡を受けてキュラは立ち上がった。
「そうか。あ! そうだ、キュラ! カルは人に会えるくらいに回復した? 聞けば大怪我だったって」
「回復したってここの将軍様から聞いたよ。僕は要注意人物だから会えないけれどね。じゃあね」
黄金髪に白い肌ケシュマリスタの特徴を兼ね備えたキュラの笑顔。ザウディンダルには見慣れた筈のキュラの笑顔が、何時になく美しいものに見えた。
寝室に一人取り残される形になったザウディンダルは、高級で豪華な掛け布団を興味深く見る。豪華”そう”や高級”そう”ではなく、間違いなく「豪華で高級」
「高級そう……なんて言ったら、叱られるよな。ここの王様に」
皇帝の寝所に高級品以外を置くと思うか! と怒鳴る姿が、簡単に思い浮かべられる。
「……」
あまり考えないようにしていたザウディンダルだが、自分がカレンティンシス王と元を同じくしているとはとても思えなかった。
だが自分ではいくら思えなくても真実。
「兄」からも「エーダリロク」からも、そして「シュスターク」からもザウディンダルの父親はテルロバールノルの僭主であったとはっきりと言われた以上、真実として揺るぐことはない。
「ご飯食べられるかしら」
「ミスカネイア義理姉さん」
ミスカネイアが運んできてくれた、傍目から見たら遊んでいるのか? としか見えないような小さな料理が並べられたトレイを受け取り、
「もしかしてアニアス兄?」
「そうよ。デウデシオン様の生存が確認できて大喜びで作ってたの」
「そうか。……あのさ、ミスカネイア義理姉さん。これ食べたら少し出かけてもいい? 体調はもう……」
カルニスタミアに会うことに決めた。
帝星帰還後では忙しく面会するまで時間がかかるので、どうしても艦内で出来る事なら二人きりで話をしたいと願った。それが己の破滅に繋がろうとも。
「行き先を教えてくれるかしら? ザウディンダル」
「カルのところに行って話をしたいんだ」
「そう。じゃあ一応リュゼク将軍に連絡を入れておくわ」
「ありがとう」
「お部屋は近くだから、護衛も必要ないでしょう」
忙しいミスカネイアが部屋から去って、一人でトレイに乗っているアニアスの力作を目で楽しみ、舌でも楽しんで食べ終える。その当たりにタイミング良く《面会許可出たわよ。行ってらっしゃい、ザウディンダル》ミスカネイアから連絡が来た。
「ミスカネイア義理姉さんがリュゼク将軍に許可もらったのかな? いや、違うよな」
ミスカネイアとリュゼクは先日の僭主による皇帝襲撃の際に意気投合し、忙しい合間をぬって既に一度会合を持っていた。
義理姉の新しい関係を知らないザウディンダルは、パジャマを脱いで柔らかくなった身体と、昨日よりも膨らんでいる胸を鏡に映して項垂れる。
落ち込むくらいならば鏡にその身を映さなければ良いのにと指摘されそうだが、ザウディンダルとしては《一晩寝たら治っている》ことを期待しているので、どうしても見てしまいロガの憧れるサイズの胸を前に困惑と不安を吐き出す。
「胸嫌だなあ……早く萎まないかな……え?」
膨らみを掴んで予想外の事態に遭遇したザウディンダルは、ますます混乱し、
「早くカルニスタミアに会って、相談に乗ってもらわないと!」
手元にある物で応急処置を施して、カルニスタミアの元へと向かった。
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