ALMOND GWALIOR −235
 ザウディンダルは激痛で意識が朦朧としていた。
 僭主の襲撃直前にラティランクレンラセオから投与された妊娠を促す薬が、投与した本人も意図していなかった副作用を引き起こした。

 一時的に成熟させ妊娠できるようになっていた子宮は、胎児は存在しなくとも、妊娠状態を作りあげた。
 想像妊娠などとは違い、胎児以外は全て揃っている子宮。
 急激に成長する子宮の痛みは、
「想像を絶するもんだろうな」
 ザウディンダルの意識を失わせ、そして引き戻す。
 薬の投与ができない状態のザウディンダルエーダリロクがしてやれることは、ほとんどない。

《あわれだ。どうにかしてやれんのか?》
―― 無理だ。講じられる手段は全て封じられている状態だ

 出来ることは膨れあがる腹部を計器で測定し、
「腹部が2p増えた……これ以上腹が大きくなったら皮膚が裂ける。裂けるよりも切ったほうが……ああああ、どっちだ」
 皮膚や組織を切り、ザウディンダルの核の一つでもある子宮を自由にするか、子宮をも切り裂き、作られ始めた胎盤をも切り剥がすか? を、銀色の髪を毟りながら悩んでいた。
 エーダリロクは出産についても知識はあるが、両性具有の疑似出産については知識も経験も、資料もなにもなく、
「ロッティスの方が強いだろうよ。五人は産んでる筈だからな」
 呻き苦しむザウディンダルと、臓器の状況を確認しながらエーダリロクはそれしか言えなかった。
 そんなエーダリロクに見守られているザウディンダルは、苦しさと激痛の他、もう一つ重要な《状態》に陥っていた。

**********


 ザウディンダルはある所にいた ――

”これは? ……塔?”
 まったく覚えのない場所なのに、既視感がある。
 そして外側から見ていないのにも関わらず、自分が巴旦杏の塔にいることを理解できた。戦艦が降下してくる音が聞こえた――

「一体何が?」

 ザウディンダルは自分の意識と別の意識が存在することに気付いた。ザウディンダルがいま見て、感じているのは、戦艦が迫っていることが分からない。
「キディラファニア」
”キディラファニア……って”
 両性具有は秘密裏にされているので、よほど表の歴史に関わらない限りはその名を知られることはない。
 キディラファニアはザウディンダルも知っている。
「サディラクライシア! この音はなに?」
 暗黒時代の引き金になった二人の内の一人、女王キディラファニア。
 サディラクライシアは問いに答えることなく、キディラファニアを抱き締める。その抱擁は息ができぬほど。
「済まない」
「なにが?」
「私とお前はここで殺される……」
「なにが?」

”逃げ……られない!”

 この後なにが起こるのか? ザウディンダルは知っている。
 二人は皇帝の命令により巴旦杏の塔ごと吹き飛ばされる ―― 
≪防衛システムを作動させました≫
 塔を維持しているライフラが攻撃を伝える。激しくなってゆく攻撃、周囲の木々や草花、小川が一瞬にして消え去る。キディラファニアを抱き締めるサディラクライシアの腕の力は増してゆく。
 それは生命の危機を覚える。この腕に抱かれて死んだのだろうかと? とザウディンダルが思う程に。
 だが終わりは違った。
 ザウディンダルが知っている通りの終わりを迎えてしまった。塔が大きく震える。
≪防衛システム85%破損……さようなら。また会える日まで≫
 ライフラは別れを告げたあと、
≪防衛システム93.1%破損≫
 終末の始まりをカウントダウンする。塔が壊れた時、暗黒時代が始まる――
 天井が吹き飛び光の束が降り注ぐ。

”あああああ!”

 ザウディンダルがどれ程叫ぼうが、二人には聞こえない。
≪破損率……≫
 途切れたライフラの声、差し込んでいた光が遮られる。キディラファニアは先程まで自分を抱き締めてくれていたサディラクライシアの腕を抱き締める。
 サディラクライシアの体は右腕しか残っていなかった。
 巴旦杏の塔を破壊し、下降してくるダーク=ダーマ。昇降口から現れた純白の着衣をまとった皇帝。
 防衛システムがなくなった巴旦杏の塔の上空で拳銃を構える。
「殺して! 陛下! わたしを殺して!」

 抱き締められていた時は死を恐怖していてキディラファニアだが、サディラクライシアを喪失が死の恐怖を上回り死を願う。

「叶えてやろう。両性具有」
 引き金にかかる皇帝の指。ザウディンダルは目を閉じた。

**********


 キディラファニアは感じなかっただろうがザウディンダルは死の恐怖を感じた。そして震えながら目を開くと……そこは壊れていない巴旦杏の塔であった。
 上階にいたザウディンダルは”降りなくては”という感情と共にゆっくりと階段を下りてゆく。自分が素足であることに気付くと同時に、その爪先が自分の物ではないことにも気付く。
 素足が脳に伝える感触。ひんやりとしていて、素足で歩く建物に使われるようなタイルではない。ザウディンダルは立ち止まり、辺りを見回す。
 全体的に古く寂れている。人の気配はなく、冷たいタイルは所々ひびが入っている。
 塔の壁に張り付くような螺旋状の階段。中心部の手すりではなく、壁側にザウディンダルは体を預けた。窓があり、外界を望める。
”夕べの園だ!”
 遠くに見える黄金で作られた夕べの園と、窓を覆う蔦と風に揺れる葉。
 心地良い筈の緑の匂いだが、塔内の冷たさに触れるとその生きた匂いは彩りを失ってしまう。

 そして窓に映った顔 ――

 憂いを帯びている眼差しと、滑らかな黒髪。
”テルロバールノル系の女顔だ”
 人間の時代から続く美を残した、作り物には決して現れない顔。
 両手を見下ろす。手袋をはめていない白い手。手を返すと整えられた形のよい爪。
 ザウディンダルはよろけながら、階下を目指す。
 一段下りるだけで胸が締め付けられ、肌が傷むのだが、階下に向かわなくてはならない気持ちが強かった。
”中心を飛び降りたら早い”
 手すりに手をかけて飛び降りようとするのだが、体の持ち主ではないので、考えたように動くことはできなかった。
「イデールサウセラ」
 階段を上ってくる人物がザウディンダルが意識として存在する両性具有に声をかけた。
”アルトルマイス帝だ……この両性具有はイデールサウセラ……知らないなあ”
「ベルティルヴィヒュ」
 イデールサウセラは皇帝を名で呼び、階段に腰を下ろす。皇帝はイデールサウセラを抱き抱え、階段を下りてゆく。
「母が帰ってきた。いまこっちに向かっている」
「泣いてる?」
「いいや。泣いていない」
「君の父親に愛想尽かしたのかなあ」
「だと良いのだが」
 地階につき、大きな窓へと近付く。
 窓の外にいるのは、ザウディンダルと同じ藍色の瞳の帝后グラディウス。

 そして世界が暗転する

 先程とは比べものにならないほどの体調の悪さ。座っているのは当然、横になっても苦しく、どうすることも出来ない。
「僕は君とずっと一緒に居たいんだよ! だから、食べてよ! 僕を食べてよ!」
 自分を食べてくれと懇願するイデールサウセラと、
「いつか誰かにこの思い出を知られてもいいのか?」
 二人だけの記憶を他者に見せるのを恐れるアルトルマイス帝。
「知らない。そんな未来のことなんて知らない。明日命尽きる僕が、そんな未来のこと考えると思う?」
 アルトルマイス帝は宥めるようにイデールサウセラの頬を撫で、持って来たと鞄を開く。薬剤に浸されている布でイデールサウセラの腕を拭く。
「これなに?」
「麻酔薬だ。感覚、ないだろう?」
 アルトルマイス帝はその白い肌に爪を立てる。
「あ……本当だ」
 シンプルなナイフを取りだし、肌に当てて削ぎ切り、目の前でその肉を食べる。
「これで良いか?」
「やだ、全部。僕を全部食べて」
「……やってみよう。だがそれはお前が死んでからだ、イデールサウセラ」
 アルトルマイス帝の膝に頭を乗せて、塔の内壁を眺める。

”楽譜?”

 ザウディンダルは壁に書かれた楽譜に気を取られている間に、意識がイデールサウセラではなく、その両性具有を食したアルトルマイス帝へと移っていた。
 彼の腕にイデールサウセラはもうおらず、楽譜を見つめながら旋律を歌う。その彼の脳内に現れたのは、

”ケシュマリスタ……ラティランクレンラセオじゃない、テルロバールノル王でも、エーダリロクの兄貴でも、リスカートーフォン公爵でもない。キュラでもキャッセル兄でも……比べられないくらい……綺麗だ”

 ザウディンダルが衝撃を覚えるほどの美しいケシュマリスタ。

「アルトルマイス親王大公殿下」
「何?」
「抱き上げてもよろしいでしょうか?」
「うん。高い高いは好きだ」
 余を抱き上げて微笑んだ彼女は美しかった。
「親王大公殿下は三歳になられましたか」
「三歳だよ」
「我は三歳の時、あの塔に入りました……殿下、お幸せになってくださいね」
「うん」

 ああ、あの時もっと色々な事が言えたなら……そして、今もそう思うよ。この想いの全てをイデールサウセラ、お前に伝えられたなら――

”もう……止めて。もう止めてくれ……”

 ザウディンダルは他者の記憶の波に飲み込まれ、体温を奪われて、必死に逃れようとしたのだが、ザウディンダルの血がそれを許さなかった。

**********


「……」
《どうした?》
 ザウディンダルの体調管理ようにつけられた器機だが、どこもかしこも異常値を叩きだし警告音が重なり煩いので、それらを切り数値を目視で確認していたエーダリロクは、警告されない部分の異変に気付いた。
「ザウディンダルの脳の一部の動きがおかしい。おかしいってか、俺とあんたが会話している時とよく似た動きをしている。脳のこの部分が、こんな感じに活動するのは俺以外見たことがない。ラードルストルバイアと話している陛下も”こう”かも知れないが。誰かと話しをしているのか?」
 今までの身体検査の結果や、些細な言動などを思い出してみるも、エーダリロクには思い当たる節がなかった。
《この女王はヒドリクの末の姉であり兄だ。誰かが潜んでいたとしてもおかしくはないが……》
「でもザウは両性具有だ。嘘をつき通せるとは考えにくい。それに俺が両性具有に誤魔化されると思うか?」
《……思わんな。ならば今、初めて出会ったのではないか?》


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