ALMOND GWALIOR −232
ハネストに護送を任せ、艦内を隅々まで調査し僭主全員を確保、あるいは殺害したことを確認して、タウトライバは事後処理を始めた。
予測していた襲撃なので段取りも担当も決まっており、処理は滞りなく迅速に行われていた。
「……」
降伏の証として名簿を手に入れ、それを見ながら僭主の死体検分を行っていたタウトライバは一体の死体の前で足を止めた。
一際小柄な少年サーパーラント。血に濡れた金髪が額にべっとりとはりついている。死亡確認項目の一つとして、検死官が閉じられている目蓋を指でこじ開けた。深い緑色であった瞳は色褪せ、その目に薬剤を二滴たらす。
眼球は薬剤に反応することなく死亡が確認された。
全ての死体の検分を終えて、腕を組みながら溶かされてゆく死体を見届ける。
最も小さな袋、そして映し出される「サーパーラント」の名。
―― 子どもを使う作戦は嫌だな……
サーパーラントと歳の頃が変わらない息子を持つタウトライバはそう思った。作戦を実行した彼はその気持ちを表すことはできない。そして内心思うことも本来であれば許されない。
―― 私たちが勝ったから、兄弟が死ななかったからそう言えるのだが
溶液に溶けてゆくサーパーラントを眺める彼の表情は、一切の感情が排除された、指揮官そのものであった。
だが内心は違い、タウトライバはその感情に少しばかり倦む。自己愛なのか偽善なのか幼稚なのか? どれでもないような……。一つ言えることは、彼からこの感情が消えることはないということ。
**********
「なんだ?」
カルニスタミアを連れてテルロバールノル王の旗艦に乗り込み、治療室の一角を占拠し《瞬間移動によって負傷した痕跡》を残さず治療するために、手動で治療器を動かしているをエーダリロクの元に緊急通信が入った。
《なにごとだ?》
―― さあね
”カルニスタミアの大事だから、余程のことが無い限り繋ぐな”とテルロバールノル側に命じていたのにも関わらず回線が開かれたことで、一瞬緊張したがその緊張はすぐに解れた。
『セゼナード公爵殿下』
「どうした? タカルフォス」
画面に現れたのはタカルフォス副王と異形化しているタバイ。
「開かない?」
『はい』
二人はミスカネイアとボーデンがいるシュスタークの私室前までやってきたのだが、扉が開かなくて困り果てていた。
『なんでもレビュラが、后の父の遺品を使って、特殊なロックをしたようでして。他の部分と違い独立しているので、回復させるにしても……』
「あ、そういうこと」
”扉が開かない”と聞いた時点で「団長なら壊せるのに、なんでまた」と考えたエーダリロクは、タカルフォスの言いたいことを理解した。
ロガの父の遺品で制御されているので、扉や壁を壊した際に連動して遺品も壊れてしまう恐れがあるのではないか? と尋ねてきたのだ。
軍使用機器であればタカルフォスも解るが、民間用のものに関しては《貴族は貴族専用のものだけ知っていればよい》意識が徹底している一族に属しているタカルフォスには、未知の領域。
この意識の持ち主なので、平素ならば破壊しても良いという行動に出るのだが、持ち主が「皇帝の正妃」なので、出来る事なら壊さないで……と考えて連絡を取った。
「ちょっと待ってろ」
エーダリロクは解ったとばかりに、カルニスタミアの治療に使っているのとは違う端末を開き調べ始めた。
《調べられるのか?》
―― 大丈夫。以前、あの機械直した時に、少しばかり細工しておいたから。俺専用機とだけは繋がってるんだよ
《大したものだな》
然程苦労することもなく、調査は終わった。
「タカルフォス」
『はい』
「扉を壊しても、壁を破壊しても大丈夫だ。后殿下の辞書には何ら影響は及ばない。団長に壊してもらえ」
『ありがとうございます』
破壊許可を出して、再びカルニスタミアの治療へと戻った。
―― それにしても、カルニス。まさか瞬間移動までできるとはなあ。
《全くだ。それもあの短時間に、あの回数は驚異的だ》
**********
「破壊しても平気だそうです」
タカルフォスの言葉にタバイは頷き、透過されている壁の向こう側にいる妻のミスカネイアに、離れるように手を動かした。
意図を理解した彼女が壁から離れてから頷いて、両手を広げて壁の突き刺す。もっとも強固な作りとなっている皇帝の私室の壁はいとも簡単に引き剥がされ、軽々と通路に投げ捨てられたのだ。
投げ捨てられた壁は廊下の天井に突き刺さり、その時の衝撃が”軽々”が勘違いであったことをタカルフォスに教える。
まさに轟音といっても過言ではない音を上げた壁。
タカルフォスも軍人で弱さとは無縁だが、この「異形」の強さは桁違いだった。
破壊した箇所から体をくぐらせて、タバイは部屋へと入る。
「貴方!」
ミスカネイアは護身用というよりは、自害用に持っていた武器を投げ捨てて、夫へと向かって駆け出した。そして彼女は異形化している夫に抱きつき、本来ならば口がある部分に何度も口付ける。
「酷い怪我」
「……」
穴が空き裂けている飛膜や、肉が削げて骨が剥き出しになっている腕。折られてしまった角。
それ以外にも身体中のいたるところに細かい怪我を負ったタバイ。その傷一つ一つを撫でては《口》に口付ける。
「平気だ、なんて顔しないの。貴方は自分の怪我に無頓着過ぎるわ」
ミスカネイアは泣きながら両手でタバイの顔を包み込み、
「怪我なんかしないで」
無理だと解っている言葉をぶつける。
「……」
タバイは精一杯の意思表示として、頷いてみせた。
「あなた……あなた」
言いながらミスカネイアは口付け、タバイも口はないが角度をつけて顔を傍に寄せる。
「うわぁ!」
その甘いような空気を破壊する叫び声と、ほんの僅かに遅れて響いた”物が壊れる音”に、二人は驚き視線を向けると、そこには目を覆いたくなる惨状が広がっていた。
**********
「え? またタカルフォスから? なんだよ」
エーダリロクは”なんだ?”と思いながら通信を開くと、そこには”貴族の尊厳”が涙や鼻水と共に流れ出してしまっている、タカルフォスの姿があった。
「ど、どうしたんだ? お前」
《ぷっ……》
タカルフォスの顔に、ザロナティオンが笑い出す。
ザロナティオンが笑うと、同時にエーダリロクの表情も緩む。
『ぶえええええ!』
「落ちつけよ、タカルフォス」
《ぶは……はははは!》
―― ちょっと笑わないで! あんた、笑っちゃだめだって! 笑いたい理由は解るけど
『ぶええええん! ひぇええん!』
《ぶははははは! ぶははははは!》
無表情伯爵家タカルフォス。その当主が人前で声を上げて泣くなど、あり得ない。
気分の悪いことがあろうとも表情を変えずに、淡々と悪口を並べ続ける一族。
―― 笑っちゃだめだって! あんた、笑い過ぎだって! 気持ちは分かるけれど
「泣いてるだけじゃ解らねえぞ! おい、タカルフォス!」
『ひえぇぇぇん!』
「ちょっ! 団長! ロッティス伯爵!」
眠っていたボーデン卿は、その煩さに目を覚まして、通信機の前で大騒ぎしている三人を見たが、すぐに興味を失って再度眠ることにした。
「壊した?」
泣いているタカルフォスでは話が通じなかったので、ミスカネイアが”現状”を語った。タカルフォスは、ボーデン卿とともに皇后の大事な私物である”辞書”も持ってゆこうとしたところ、生来のおっちょこちょいが発動して、手から見事に落としてしまった。
タカルフォスの運動神経があれば、手から滑らせても床に叩き付けられる前に体を沈めてキャッチ出来るのだが、
『ぶえ……手のば……のば……こぶし……ぶえええええ!』
受け止める際に、目測を誤るか癖かは解らないが、拳になって破壊してしまったのだ。タカルフォスは故意ではないにしろ破壊してしまった拳を掲げつつ、右手で左手首を握り締めて断罪する。
「あー壊れた所を見せろ」
画面越しに見たエーダリロクは、頭こそ抱えなかったが、下手に受け止めようとしない方が良かった状態の破損具合を目の当たりにした。
目の当たりにはしたが、
「大丈夫だ。重要なパーツの破損はない。俺なら修復できる、ただし俺以外は修復できない」
―― 修理の際に手を加えておいて良かった……
以前修理した際に《長く使えるように》と、エーダリロクが削りだした特殊パーツにしておいたことが功を奏して”処置なし。廃棄以外の道は無し”は回避された。
『おがね……おがね……しさん、が……しさん……』
”確実に直せる”となると誰もがエーダリロクを思うかべるが、エーダリロクは《ロヴィニア王子》である。当然無料で引き受ける筈がない。
むしろロヴィニアが無料で引き受けたら、それは命は無い物と思えと言われるくらい。
「あー金ね。お前資産はアルカルターヴァ公爵の支配下だよな。俺がお前のところの王と交渉するから、まあお前は自分の王様を信用してろ」
タカルフォスの肩越しに画面を見ていたミスカネイアとタバイは、タカルフォス副王家が破産するのではないか? と思った。
何故ならば、画面向こう側にいるエーダリロクが、それはもう”金は貰うぞ”と笑みを浮かべていたからだ。
無表情伯爵家も有名だが、ロヴィニアの胡散臭い笑顔も帝国では有名だ。銀の髪と白い肌、そして鋭さを感じさせる眼差しが特徴のロヴィニア容姿は、黙っていると涼しげなのだが、笑った瞬間にそれはもう《強欲です》と名乗りをあげる。
笑顔が「金を寄越せ」と如実に物語る。目は口ほどに物をいうどころではない、ロヴィニアの「金寄越せ笑顔」
その笑顔があまりに有名なので、ロヴィニア一族は腹に含みがなくても、笑うと「金寄越せ」と言っているように取られてしまう。
エーダリロクとしては交渉中《破産するほど金は請求しない》と安心させるためにも笑いたくはないのだが、生きていた頃に無表情な祖先と対面したことのあるザロナティオンは眼前の泣き顔のタカルフォス伯爵が「つぼ」に入ってしまい、
《む、むひょう……む……ひょじょ……一族……ははははは!》
笑いが止まらなくなったのだ。
大笑いするザロナティオンを必死で押さえ込むエーダリロク。結果、非情なまでに威圧的な薄笑いを浮かべて会話するはめになった。
―― 絶対あいつら、破産させられるって勘違いしたぞ
《まあ、良いではないか。勘違いされたら、そのまま破産させてやれ。そしてロヴィニア伝説が強化されてゆくだろう》
”欠片一つ残さず拾って、すぐに俺のところに持って来い”と指示して通信を切ったエーダリロクは、自分の笑顔を見て頬杖をつきながら、もう片手でカルニスタミアの治療を続けつつ、カレンティンシスに連絡を取った。
「まあ、ヒステリーカレティア様としちゃあ、俺に口止め料も支払いたいだろうし、タカルフォスとカルニス両方の料金を決めちまうか」
カルニスタミアが「瞬間移動」の能力を持っているとエーダリロクが吹聴して回ることはないが、カレンティンシスは相応の金を支払うことで、安心できるという面もあるので、受け取らないわけにはいかない。
「アルカルターヴァ公爵」
『セゼナードか』
「カルニスタミアの治療その他に関する料金だが」
『そのことか。この金額でどうじゃ?』
妥当と思える金額の提示ではあったが、三度ほど交渉して、少しばかり金額を釣り上げて、双方にとって良い形でまずは終了した。
「それでよ。もう一つ交渉ごとがあるんだが」
『なんじゃ?』
次にエーダリロクはタカルフォスの失態と機器復元について話はじめたのだが、
《タカルフォス……ぷっ!》
―― 思い出すな! 笑うな!
ザロナティオンが思い出し笑いを始めて、顔が歪む。カレンティンシスの前で笑い出すわけにはいかないエーダリロクは、必死に顔を引き締めるが、
『貴様、タカルフォス家を破産させるつもりじゃな!』
警戒させるには充分な顔となった。
薄ら笑いを浮かべたエーダリロクからの交渉に、カレンティンシスも身構える。
「破産させられても文句は言えない失態だとおもうけど」
『確かに……じゃが……じゃが……その、貴様が笑うと……』
こうしてある程度値段交渉をしてから、頭を掻いた。
「いやあ。ロヴィニア笑顔の威力って凄いもんだな」
―― お前の兄であるヒドリクの傍系王が凄いからな。あの美しいケシュマリスタ容姿の笑顔で、あそこまで強欲さを露わにすることが出来るとは、凄まじい限りだ。ところで、お前の兄は無事だろうか?
「さあ、大丈夫じゃねえの? あの人は……まあ、あれでロヴィニアだし。エヴェドリットや帝国を売っても生き延びるタイプだ。交渉の余地は幾らでもあるからな」
僭主の襲撃を確認してから四時間二十八分後、帝国側の勝利で完全決着がついた。
CHAPTER.09 − 4時間[END]
《お前の兄であるヒドリクの傍系王が、一人勝ちを収めようと暴走したりはしないだろうか?》
―― それは平気だ。帝国宰相生死不明が、兄貴の野心を加速させるって心配してるんだろ?
《そうだ》
―― 無理。残念ながらラティランの野郎が無傷で残ってる。陛下が考えたのか、直感なのかは解らないが、後方にケシュマリスタ軍が残ってることを考えたらある程度で”収める”必要がある。兄貴はさあ、帝国宰相を隠れ蓑にして外戚の甘い汁を吸ってる。もしもこのまま帝国宰相が消えたら、今までよりも大人しくならないと反感を買っちまうだろう。その辺りのさじ加減は出来るだろうけどさ。ラティランにとって、兄貴と帝国宰相は邪魔だが、それは二人にも言えることだ
《危うい均衡と言いたいところだが、何時でも世界の均衡は危ういものだ》
「勝手に死ぬなよ、帝国宰相。あんたが死んだら俺が困るんだからよ」
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