ALMOND GWALIOR −228
現れたのは完全異形化したタバイ。
「撃つのを止めよ、ビーレウスト。それはタバイだ」
シュスタークの指示にビーレウストは銃を撃つのをやめたが、銃口は向けたままでシュスタークの前に移動してくる。
「タバイさん……」
ロガはその言葉に、現れた存在を凝視した。
顔はザベゲルンとは逆で口だけがない状態で、耳を覆うかのように巻角があった。
巻角は現在右側しか確認できないが、実際は左側にもある。戦いで負傷し、角が欠損したのだ。そしてロガからは見えないが、髪が背骨を覆うたてがみに変質している。
シュスタークの前で膝をつけ、翼を折りたたむ。ディストヴィエルドを持っている腕の肩関節部分は可動域が制限されていないので”ぐるり”と回し、体の後ろに隠すようにして、頭を下げた。
「……」
タバイには語るための口はなく、触れて伝えることのできるエターナ=ロターヌの力を持たない。シュスタークはロターヌ=エターナではないから、考えていることを触れて読み取ることはできない。
なにが起こったのか? など解る筈もないが、
「終わったのだな、タバイ」
シュスタークの問いかけに、下げていた頭を更に下げ床に擦りつける。
「ならば良い。委細は後日聞く。これからの事だが……ラティランクレンラセオがどうなったか、解る者はおるか?」
皇帝としてケシュマリスタ王の状況を知っておく必要があって口にしたのだが、その場にいる殆どの者の表情が”殺意”に満ちたことに、驚きは隠せなかった。
「どうした? 皆の者?」
ザウディンダルやカレンティンシスは様々なことを言いたいのだが、この状況下で長々と説明するわけにもいかない。
「ラティランクレンラセオは陛下の警備に不備があったことから、僭主と繋がっているという可能性もあります。ここはラティランクレンラセオを信頼しない方向でご指示を出していただきたい」
リュゼクの言葉にロガとタバイ以外の全員が頷く。
「艦を襲撃した僭主の一派が同時に帝星襲撃も起こしましたが、これは帝国宰相の支配下にありますので、さほど状況は悪くないでしょう」
ザウディンダルの驚いている表情と対照的なエーダリロクの表情。
「陛下にはこのまま儂の旗艦に移動してくだされ。部屋の用意は万全とは言えませんが整えさせておりますので」
シュスタークは考えをまとめて、指示を出すことにした。
「わかった。まずはケシュマリスタ全軍には、この区域に駐留するように命じよ。疑いが晴れるまで待機とラティランクレンラセオにカレンティンシス、お前が伝えよ。見張りなどは要らぬからな」
「御意」
ラティランクレンラセオは失態を回復するために、行動を律するだろうことは想像がつく。疑いを晴らすことは、彼の今までの経歴からすると容易なことだった。
「そしてテルロバールノル全軍は帝国軍と共に帝星へと向かう。ロヴィニア軍が帝星付近にいるとは言え、今回の僭主は……エヴェドリットだな? ビーレウスト」
「はい、エヴェドリットのビュレイツ=ビュレイア王子系統僭主です」
着衣などから判断できてはいたが、思い込みだけでは駄目だろうと聞き、
「ふむ。ロヴィニア軍が弱いとは言わぬが、僭主が強すぎるということもある。エヴェドリット軍を先行させよ。ザセリアバには機動装甲で帝星まで向かうことを許可すると。これもカレンティンシス、お前が伝えよ」
当然の援軍を送ることにした。
僭主を刈るのは、その僭主が属する王家という決まりがある。それを遂行させてやるのも皇帝の采配。
「御意」
「タバイ、カレンティンシスが指示を伝えに行く際の護衛となれ。カレンティンシスに然るべき警備がついた後は自由に行動せよ。カレンティンシス、良いな」
「はい」
「リュゼク、そなたは余の警備についてもらう」
本来であればリュゼクとタバイは守るべき主が逆なのだが、テルロバールノル旗艦に向かう際に、完全異形化したタバイでは混乱が起きてしまう。それともう一つ、
「ありがたき幸せ」
リュゼクに対する”皇帝の信頼”を表すこと。
国王弑逆という大罪犯の娘リュゼクは、シュスタークの傍には近寄れないでいた。リュゼクはテルロバールノルを代表する軍人だが、皇帝の警備という重大任務を与えられないでいたのだ。
”任を与えてもよいのではないか?” と考えていたシュスタークだが、切欠がなく声をかけられなかった。その好機が目の前に現れたことに気付き”これでリュゼクを解放してやれる”と、自らを守る任を与えてやった。
これにより、リュゼクは解放された。
父公爵カプテレンダが無罪となったのではなく、リュゼク自身の解放。それはカプテレンダに罪を負わせて治世を安定させたカレンティンシスには、決してできない解放。
「エーダリロク、その首と体、そしてあの死体の処理を任せる」
シュスタークの指示に従い、タバイはディストヴィエルドの体をエーダリロクに差し出した。エーダリロクは髪の毛を腰のベルトに通してぶら下げ、体を掴み引き摺りながらサーパーラントの死体を回収して、
「畏まりました。カルニスタミアの治療器の調整もあるので、先に下がらせていただきます」
「解った。任せたぞ」
その場を立ち去った。
「ビーレウスト、そなたはロガの警備だ。余はザウディンダル、キュラティンセオイランサの両名も連れて行きたい。良いな? カレンティンシス」
キュラがラティランクレンラセオに《本心から》忠誠を誓っていないことはカレンティンシスも知っているが、ケシュマリスタの危険な存在であることは間違いない。
その受け入れは悩むところだが、リュゼクが”お任せ下さい”とばかりに、自らの胸に手をあてて、軽く会釈をしたのでシュスタークの意見を受け入れた。
「御意」
「はい。では行きましょうか、陛下」
ロガの警備を命じられたビーレウストは銃の状態を確認し、通路に向けて聴覚を解放して敵の有無を確認し何事もないことが確認できたので”さあ、どうぞ”と誘ったのだが、シュスタークにはもう一つ”したいこと”があった。
「待て。タバイ」
「……」
「ビーレウスト、余のマントを外せ」
「はい」
白いマントはすっかりと血を吸いどす黒くなり、穴が空き裂けてもいた。
ビーレウストが外した自分のマントを見て、少しばかり躊躇ったシュスタークだが、
「僭主と間違えられては困るからな。良くやった」
タバイに近寄り、背中には腕と翼があるので邪魔になるだろうと、負傷している右腕を隠すようにして、マントをかけてやった。
「……」
異形化したタバイの表情は変わらないが、マントに触れて頭を下げている姿に、言わずとも理解することができた。
だが通じるのは稀であり、世界には言わなければ解らないことの方が多い。
「あの……タバイさん」
「……」
だからロガは近付き両手を伸ばし、腹から顔をのぞかせている凶暴そのものに見える犬の頭を撫でながら”未来”を語りかける。
「これからも、よろしくお願いしますね、タバイさん」
特別なことが起こったわけではないが、世界は少しばかり優しさを取り戻した。そう誰もが感じ、心の奥を満たした僅かな輝きをもった潤いに疲れた体を奮い立たせた。
”それでは”とカレンティンシスは後始末に向かう為の指示を出す。
「では行く……」
「お待ち下さい」
「どうした? リュゼク」
「殿下に今この場で話しておかなければならない事が!」
シュスタークに”会話する時間をください”と訴える眼差し。その美しさと強さに、
「お、おお。話すが良いぞ、リュゼク」
重大なことなのだろうとシュスタークが許可を与えた。
「殿下!」
「何じゃ、リュゼク。陛下をお待たせしてまでのことじゃから、重大事なのであろうな?」
「はい……そこにいるレビュラの事ですが」
「……」
ザウディンダルの覚悟も決まっていた。
「レビュラがどうした?」
「このデーケゼン公爵リュゼク・フェルマリアルト・シャナク=シャイファ。レビュラ公爵と行動を共にし、その才は生かすべきだと感じました。是非ともレビュラ公爵を殿下の部下として迎えてください」
「お前がそこまで言うとはな、リュゼク。言いたいことは、それだけか?」
「はい!」
「解った。リュゼク、儂に近寄りマントを外せ」
「はい」
カレンティンシスはリュゼクに自分のマントを外させ、シュスタークがタバイにしたのと同じように、
「リュゼクがあそこまで言ったのじゃ。良くやったな、レビュラよ」
ザウディンダルの背にかけてやった。
「あ……あ、ありがとうございます」
あまりにも突然の出来事に、ザウディンダルは上ずった声で言うのが精一杯だった。、
「では行け、リュゼクよ。そして行くぞ、イグラスト」
「……」
タバイとカレンティンシスは皇帝の命令を伝えるべく、その場を去った。
「ガルディゼロ、大丈夫か?」
《馬鹿じゃねえの。どう見ても大丈夫じゃねえだろが》
―― その……その、言葉の綾というか……
”確かにそうなのだが”とラードルストルバイアの的確な言葉に、照れながらシュスタークは、
「平気です、陛下……! 陛下!」
「では行こうか」
キュラを抱き上げた。
「降ろしてください! 陛下! あの、陛下!」
「とても歩けそうな顔色ではなし、この顔色のガルディゼロを歩かせるほど余は冷たくはないぞ」
そのような問題ではないのだが、キュラにはシュスタークの手を払いのけ、飛び降りる体力はもう残っていない。先頭に立っていたリュゼクは振り返り、眉間に皺を寄せたが、状況が状況なので口を開くことはなかった。
「あの、陛下! 僕は后殿下の警備……」
護衛の数を考えれば、キュラを運ぶ人員が足りないのは解るが、解っていても皇帝に抱きかかえられて、テルロバールノル王の旗艦になど行きたくはないのが心情というものだ。
「今だけは私がキュラさんの警備しますから」
キュラを抱きかかえたシュスタークの隣に立っているロガはキュラの負傷した腹部に手を伸ばし、鎮痛効果のあるスプレーを使い切ったあと優しく傷を撫でた。
「心強かろう?」
「……もう……」
痛みは残っている。調子は悪く、今にも気を失いそうではあったが、冷たかった体がほんの僅かだけ暖かくなったようにキュラは感じた。
「レビュラ公爵」
「はい! リュゼク将軍」
「今回は何度レビュラ公爵に何度助けられたことか。公は軍人であり儂も軍人である。また互いに協力しあう事もあるであろう。その時は期待している。だから……儂のことも”信用しろ”」
それだけ言い、リュゼクはシュスタークを促して歩き出した。
後方の守りにあたるビーレウストと、突然のことに動きが止まったザウディンダル。
何故言わないのだろう? その驚きを持ってリュゼクの後ろ姿をみつめるザウディンダルに、
「……」
「手前、なにしたんだ? ザウディス」
何があったんだ? とビーレウストが声をかけてきた。
「え?」
「あの将軍さまが、手前を”公爵”って呼ぶの初めて聞いたぜ」
ほとんどの上級貴族は、両性具有に爵位など痴がましいとばかりに「領地名」は出しても、決して爵位はつけない。テルロバールノルの上級貴族ともなれば、他王家属の上級貴族相手でも爵位を付けないことも珍しくはない。
そして彼らは、たとえ皇帝の前であろうともこの姿勢を崩すことはない。
影で悪口ではなく、正面切って格下認定しているような状態。そんな選民意識の塊で、両性具有嫌いの急先鋒が「プランセデウカ・レビュラ」と呼びかけたのだ。物事に興味をあまり持たないビーレウストでも不思議に感じてもおかしくはない。
「エーダリロクが知ってるんだから、当然お前も知ってるだろうけど。ちょっと流れで、俺の出自をあの人に……言っちゃった」
「ハーベリエイクラーダって名乗ったのか?」
「うん……」
「へえ。あの将軍さまは後で言うような性格じゃねえから、いんじゃねえの」
―― 僭主の末裔が生きていた。だが記録では滅んでいる ――
その二つの状況から、リュゼクはリュゼクなりに判断を下したのだ。他王家の”僭主”の対応に関して深く追求する気持ちはビーレウストにはない。
だがあの場で明かさなかったということは、おそらく誰にも言うつもりはないのだろうとは解った。
何故なら、ここには帝国宰相がいない。
ザウディンダルを僭主の末裔として処分するとしたら、あの場で正体を暴露するのが最善だった。引き延ばし、帝国が態勢を立て直してからでは”遅すぎる”
「ああ」
「キュラみたいに、抱えてやろうか?」
「要らねえよ」
「そうかよ。それにしても手前も度胸あるな?」
「何がだよ」
「ん……まあ、色々あるが今一番度胸あるなとおもうのは、アルカルターヴァ公爵のマント羽織ってその旗艦に向かおうとしている所だろうな。目立つぜ」
リュゼクに自分の出自を語ったザウディンダルの気持ちもビーレウストには解らなかった。
頭が悪いわけでもないのに、教えたらどうなるか? 解っていただろうにと思いながら、前方を歩いている三人と抱えられている一人の後をついてゆく。
「そうだな。でもまあ……脱ぐわけにもいかないだろ」
平和など望まない平穏など必要のないビーレウストだが、今のこの瞬間の言い表すことのできない”優しげな空気”に頬が微かに揺るんだ。
「そりゃそうだ。で、こいつは何なんだ?」
なにが自分でも嬉しいのか解らないまま、ザウディンダルの足元を付いて回るS−555改を指さす。
「エーダリロクが改良した清掃機でさ、なんか付いて来るんだよ。こいつのお陰で命拾いしたところもあるから、持って帰って邸の掃除をしてもらおうかなと」
「それも、いいんじゃねえ?」
六人と清掃機は無事にテルロバールノル王の旗艦へと辿り着いた。
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