ALMOND GWALIOR −209
―― 生き抜く技を磨いた結果、邪魔というか……まあ、そのくらいの男だから生かしておいたんだけれどもね。それにしても、どこにいるのやら

 ラティランクレンラセオは褐色の肌を持つ弟を思い出しながら、画面越しにカレンティンシスと向かい会う。

『ラティランクレンラセオ』
「カレンティンシス」
 この二人は画面越しでは精神感応はない。
 だが互いに何をして、なにを知られたのか理解できてしまった。
『……』
 僭主にとって「ここ」が襲撃に最適であるということは、ラティランクレンラセオにとっても同じこと。
 カレンティンシスの体で行った数々の実験がここで使われた。
「お前は私が何をしたのか解っている。だが現状から、私を自由にして事態を収拾させるのが、最も賢く最も効率良く、最も確実であることもお前は知っている」
 実験を知りながら、なにをしようとしているのか? 理解していながら黙していたカレンティンシスは無言になる。
 大いなる保身―― 王国の名誉の為。それが許されることではないのは解っているが、カレンティンシスは守らなければならなかった。
 結果、本当に守らなくてはならない皇帝を、危機的状況に追い込んでしまったカレンティンシスは、決断しなくてはならなかった。
『……』
「さあ、私を自由にしろ」
 才能もあり普段の職務姿勢も真面目なラティランクレンラセオ。
 皇帝を見失ったことは咎だが、失態を取り戻す機会を与えられてもおかしくはない《日々》をラティランクレンラセオは過ごしていた。
 ここでラティランクレンラセオを自由にしては”いけない”カレンティンシスはこの狡猾な男を前にすると判断を下すことが苦しくなる。
 知識はある、理解している。自由にしては、未だ行方不明のヤシャルが危ないことも、ラティランクレンラセオに皇位を簒奪される可能性が跳ね上がることも、重々承知しているのだ。
 だがカレンティンシスの奥に潜む「人を信じる」という両性具有の特性が、ラティランクレンラセオの美しい表情に引きずり出される。
 幼い頃に無条件に信じた男。叔父よりも信じ、実弟を預けるほどに信頼した男。
 あの時の信じた気持ちを踏みにじりながら、共に自分の中の様々な感情も踏みにじる。
『リュゼク』
 この決断だけは間違うわけにはいかなかった。
「はい」
『貴様はどのように考える』
 ラティランクレンラセオの後ろで、彼を睨み続けている、本当の軍人であるリュゼクにに意見を求める。
「王よ。無能は何処までいっても無能。この男は陛下をお守りするという、ありがたきお時間をいただいておきながら、全うできなかった無能。よってこの男が現状を打破するというのは、痴人の妄想でしかありません。この男は儂等に保護されるだけの価値しかございません」
 求められたリュゼクは驚いた。王が王の処遇を尋ねるなど、彼女の想像の範疇にはない。同時に彼女は、頑固で選民意識の塊といわれる王以上に、選民意識の持ち主でもあった。
『王相手にそこまでいいきるか、リュゼクよ』
「殿下の為を思えばこそ。儂はこの男は王だとは思っとりませんしな。さて殿下、儂はここで時間を無駄に過ごすわけにはいかんので、戦場へと戻ってよいでしょうか?」
『解った、行け。死ぬことは許しはせぬがな。ラティランクレンラセオのことは任せろ』
「それでは」
「……
『待っていろ、ラティランクレンラセオ。これから儂がダーク=ダーマへとゆく。アロドリアス、それまで”警備”してやれ』
「御意」

―― さて、後はどうなるかなあ。ちょっと楽しみでもあるけれどね

**********


 襲撃開始より少し前――
 旗艦ダーク=ダーマの近くを航行する、上級将校専用艦の一つ、艦名マグライヅオルートスには聖域があった。
 いかなる者、そう皇帝すら立ち入ることのできない神域を越える場所。皇帝の料理人アイバス公爵アニアス=ロニ・ラディラクス・フォレンビンレン以外、いかなる存在も立ち入ることのできない場所。即ち台所である。
 皇帝は立ち入ろうと思えば立ち入ることが出来るのだが、帝国宰相が絶対に皇帝を近づけないように近衛兵団団長に指示を出していた。

―― 台所というか、調理しているアニアスの傍に近づけたら危険だ

 団長もそれには完全に同意であった。兄弟の中でもっとも攻撃力を持ち、帝国でも有数の戦闘能力を持つ団長だが、料理中のアニアスとはあまりことを構えたくはなかった。
 弟であるということもあるが、それ以上に……触りたくはなかった。大事な弟であることに変わりはなく、育ち盛りの息子たちの栄養を考えて、最高の味の料理を作ってくれる「良い弟」なのだが、調理から食するまでは団長の危険を察知する感覚が逃げろ告げるくらいに、近付きたくはなかった。

「今日も自信作が完成です」

 アニアスは縁が金で描かれた秋桜で飾られている白皿に”今日の后殿下のお菓子”を盛りつけるという、大事を終えて一息ついた。
 今日の菓子はシュークリーム。シンプルでスタンダード、誤魔化しの利かない一品。
 飾るパウダーシュガーは白だが、微妙に色合いの違う白を五十種類用意し、それらをの一粒まで計算しつくし飾り付ける。
 アニアスは料理に全身全霊をかたむけ、自らに厳しく、プライドがあるので、自信のある菓子以外は決して皇帝と后に出すことはない
 添えられる紅茶の茶葉も一つずつ自らの目で確認している。皇帝と后のお茶の時間に出す茶に使われる茶葉は、専用に作られた茶葉一トンを最終的に料理人が厳選し、使われるのは100グラムに満たないという、エヴェドリットの存在を狂気の沙汰と言えないレベルでもある。
 そんな聖域に閉じ込めておかなければ危険な男、アニアス。
「あとは、キャッセル兄とガルディゼロ侯爵のところに焼き菓子を届けに行こう」
 先の戦闘でシュスタークの華々しい攻撃の補助を引き受け、生死の境を彷徨った兄キャッセルも同じ艦におり、日々弟アニアスの献身的な介護、主に料理だが、非常に献身的な介護を受けていた。
 キャッセルは重傷であったこともあるが、僭主襲撃を控えていることと、元来”完全に”狂っているため、見舞いに来る者はほとんどいなかった。
 その兄の所に見舞いにきてくれたキュラティンセオイランサに、弟として心よりのお礼を兼ねて菓子を出すことは当然のことであった。
 なにより、次の后殿下の警備はキュラティンセオイランサなので、お茶菓子を持ってダーク=ダーマに向かう際、同行してもらう必要もある。
「ダックワースと、マフィンと、あとはじゃがいもの……ん? クラタビアから連絡ですか。なんでしょう」
 自分が作った菓子を食べてもらう ―― その至福の時は、
「僭主の襲撃……ですか?」
『はい、そうです。アニアス兄。それとは別に、マグライヅオルートスで奇妙な行動を取っている者が確認されましたので、それに関する書類を送りました。あとは……』
「……」
『後のことは、よろしくお願いしま……』
「僭主めぇぇ!」
『それでは私、ユキルメルは指揮官として仕事があるので、これで失礼します』
 僭主の襲撃により、遠ざかってしまった。

―― キャッセル兄、無事でいてください……

 激しい攻撃に晒されること確実なダーク=ダーマ、それも総司令室を守らねばならない過酷な状況に置かれることになるユキルメル公爵は、少し離れた艦で療養中の兄キャッセルを気遣った。同時に、兄アニアスを放棄したダーク=ダーマ艦内の陛下の食糧庫に隔離しておくべきだったと、少しばかり後悔した。

 その少しばかりの後悔は、行動に移していたならば大きな後悔になるところであった。

**********


 吊された食糧を無数の「瞳」が見つめる。
「足音……一人は人間、もう一人は……これか」
 防衛作戦のために早い段階で放置されることになった皇帝専用の食糧庫に、その人物は潜んでいた。

『ザベゲルン=サベローデン。眼窩すら持たない男です。母親であった前当主は、人の姿を取ることのない異形でしたので、異形であることは間違いありません。はい、触手型です。攻殻能力は所持していないとは思いますが、成長段階でどのように変わったかは。もう二十年も前に見たきりですので。強かったですよ”あの時”の陛下に匹敵するほどに』

 襲撃僭主の頂点に立つ男ザベゲルン。皇帝の食事を作るための材料を保管する場所。運び込む通路は秘密にされており、専用の貨物船離着陸港がある。
 倉庫に潜んだ彼は、自らのザンダマイアスで専用港の通路を塞いだ。食糧庫近辺は、空調が厳重に管理されている。
 それは皇帝と食事を共にとる、后に影響が及ばない為。后ロガは人間であるために、脱出する手段と経路は限られている。よって、ある程度僭主側がコントロールでき、捕らえる為の罠に誘い込むことが、皇帝よりも簡単であった。
 いま彼、ザベゲルンの耳には食糧庫が閉鎖されたため、人が通るはずのない搬入路を歩く足音が届いている。
 一人は成人男性、そしてもう一人は、小さく軽く、頼りない足音。
 皇帝の近くにいる、これほど力のない足音を立てるのは后、ただ一人。 

「奴隷、そして…………我が永遠の友、我が前に来い!」

 ザベゲルンは背から無数に生えている触手で《もろい》天井を引き裂いた。

**********


「キャッセル様。急用が出来たから帰る。また今度詳しく聞かせてね」
 慌てて部屋を出て行ったキュラティンセオイランサを見送り、キャッセルは見せていた重要な書類を片付けてベッドから降りて立ち上がる。
「高速で頭を回転させてるみたいだ」
 目の前の風景が形が解らないほどの速さで通り過ぎて、戻って来るような酷い眩暈。どこに立っているのかもあやふやになるほどの眩暈だが、キャッセルは気にせずに歩き出す。
 部屋から出て、キュラティンセオイランサが無事に艦から出ていけたのか? を確認するために。ドアに向かって歩いている自信などないが、壁にぶつかってから伝って歩こうと、気楽に考えながら。
「あれ? まっ暗になった……声は聞こえてるから良いか」
 絶対安静という言葉をあまり理解していないキャッセルは、ふらふらと歩き続ける。ドアが開く音が、キャッセルの感覚で204度の方向、約八メートル先から聞こえて来た。
「キャッセル兄」
 キャッセルが足音を聞き分けるよりも先に、部屋に入ってきたアニアスは声をかける。
「その声はアニアス……あ、見てきた、見えてきた。えっと……」
 見え始めた周囲に、目測と角度が間違っていなかったことを確認して、この怪我が治れば、まだまだ機動装甲に乗って戦えると”安堵”した。
「大変です!」
「えっと、襲撃? だよね」
「襲撃も一大事ですが、それとは別に艦内にケシュマリスタの不穏分子が侵入しております。一人見つけて、事情を聞くためにじっくりと捌いたところ、彼らの狙いはガルディゼロ侯爵だとか」
 ”捌く”は誤用でもなんでもなく、本当に生きたまま捌いて情報を引き出す。アニアスの技術を持ってすれば、瞬時に痛みを感じさせず、恐怖をも沸き立たせず、捌かれた本人が自らを見て、感動に震えたまま死ねるほどの技術を持っているのだが、事情を聞き出すという点では不適なので、このような場合、気合いを入れて下手に捌く。
 今回は情報を急いで引き出すために、専用の手入れしていない切れ味の悪いナイフを使ったのだが、それでも気を抜くと、肉と腱の間に華麗にナイフが滑り込み、音も痛みもなく削ぎおとしてしまったくらい。
「……アニアス、銃頂戴」
「畏まりました」
 キャッセルは銃を構えて、壁伝いに通路に出て歩く。”目に入った相手を全部殺しながらキュラのところに行こう”と、やはりふらりふらりと。
「アニアスは、主犯を聞き出して」
「あ、それは聞き出しております。ブラベリシスです」
「ケシュマリスタ王の部下?」
「そうです。あのブラベリシスです……どうなさいました? キャッセル兄」
「ラティランクレンラセオの命令じゃないだろうなあ。具体的な例は思いつかないけれど、あの王はキュラをこんな形で排除しないはずだ。でも主犯が分かってるのなら、一緒に行こうかアニアス」
「はい! キャッセル兄。戦いにおいては役に立たない私ですが、精一杯努力します……どうしました? キャッセル兄」

―― お前の弟、そうアニアスだ。ありゃ、戦いたくない相手だなあ。ああ? エヴェドリットらしくない? 我等だって好みはある。殺したくなる相手と殺したくならない相手はあるんだよ。そりゃあ確かに強いが、強けりゃいいってもんでもないってか……お前の兄の団長だって、弟って部分を差し引いてもやり合いたがらないだろう。そういうことだ。

「ちょっとシベルハムのことを思い出してね。……行こうか、アニアス」


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