ALMOND GWALIOR −167
夫が皇帝とともに出陣したのを見送り、子供たちと夫の生還を心待ちにするのが妻であるアニエス、彼女のいつもの過ごし方だった。
だが今回は違った。
違うことばかりであった。
「じゃあ行ってきます! 母上」
「では行ってきます! アニエス叔母様!」
「それでは行って参ります、伯母様!」
そう言って息子と、いつも一緒にいる夫の兄弟の息子たちが任務のために彼女の前を去った。
「気を付けてね」
「はい!」
「はい」
「はい☆」
笑顔で出て行った子供たちが乗った移動艇に、自宅の庭から手を振った。
青空に吸い込まれていった移動艇を名残惜しそうに見つめながら、彼女は手を振り続けた。もう片方の手はお腹の上に置いて。
―― 女を作る計画があるんだ ――
腹の中には夫ととの間に出来た子供。だがその子は他の男の指示に従って作られた子であり、自らの過去を清算するものでもあった。
アニエスは夫であるタウトライバが前線に出向いている時は、住まいを移動する。
帝君宮に住んでいるアルテイジアの元で過ごすのだ。ビーレウストの愛人である彼女は周囲に人がいないことをシュスタークが気にして、彼女に少しで良いから仲良くしてやって欲しいと頼んだのだ。
以来彼女は夫とビーレウストが出陣している時は、自分の子たちと従兄弟の子供たちを連れて、アルテイジアの住まいへと向かう。
普通の家ならば煩いし迷惑であろうが、人一人住むには大きすぎる宮では、十五人たらずの子供では、騒がしいどころか見ていて苦にならない。
アルテイジアも滅多に来客のない宮が、この時ばかりは元気よく騒がしくなるのが楽しみだった。
「今回はミスカネイア殿も従軍なされましたので、私も滞在することにましたわ」
ミスカネイアは元々は残る人員だったが、ロガの従軍で急遽共に出ることとなり、その間の自分の息子たちの世話をメーバリベユ侯爵に依頼した。
正確には「私がやります」とメーバリベユ侯爵が立候補したのだが、形としては依頼になっている。
「お子さんの状態は」
今回の妊娠は生まれるまで夫や周囲にはできるだけ秘密にしておく必要がある。
「なにも問題ありません、メーバリベユ侯爵」
「ゆっくりと休んでくださいな。子供たちのことは私とアルテイジアに任せきるつもりで大丈夫ですわ」
「心強いですわ」
彼女はメーバリベユ侯爵たちの言葉に甘えて、体を休めた。
「いつもより眠いわ……」
妊娠中眠気が強くなる傾向のあった彼女だが、今回の眠気はいままでの四人妊娠したものとはまた違った。
自分の体質が変わったせいなのか? それとも……
―― 女の子を身籠もっているからかしら ――
ベッドに横たわりながら、そんなことを考えているうちに彼女は眠りに落ちた。
**********
夫は戦争に行きたくないと私にいう。
「恐怖ではなく、君や息子たちと会えないのが辛い」
夫の言葉に嘘はないことは解っているが、夫の表情に曇りはない。
心の底から戦争に行きたくはないと思っているようには見えない……私はそう感じた。戦争が「好き」な人は珍しくはない。
私のような普通の人生を送ってきた貴族には解らないけれども、夫のいる階級では珍しくはないし、尊ばれる傾向にあった。
軍事国家。その階級の頂点に近い位置にいる夫。
三人目の息子を産んで二ヶ月が過ぎた頃、両親から届いた手紙に、幼馴染みが戦死したと書かれていた。
戦死者のリストを見ると、確かに死亡していた。
ふと思い立って、抱いていた息子をベッドに降ろしてモニターに向かい直り、私が卒業した大学のリストと戦死者リストを重ねてみた。
半数とは言わないけれども、三分の一は戦死していた。同期が戦死した戦い。その指揮を執っているのは夫のシダ公爵タウトライバ。
「……」
重苦しいとは違う、だが”そう”としか表現のできない空気を一杯に吸い込み、私はモニターを消して息子のとなりで目を閉じた。
軍人で総指揮官に近い地位にある夫と結婚したら「こうなること」は解っていた。頭では解っていたし、以前ならば理解とともに感情を抑えつけることが出来ただろうが、今は無理だった。
生まれたばかりの夫によく似た息子の小さな唇からもれる吐息を頬に受けながら。
”気分転換は必要よ”
ミスカネイア義理姉様にそう言われた。私は多分疲れた顔をしていたのだろう。それは息子ではなく……
自由な時間を得た私は、夫の学生時代のことを知りたくなった。
夫は私とは違い、上級士官学校しか通っていない。帝国最難関と言われる軍人学校。軍事国家で出世するためには必要な通過場所。
学生になる以前から夫とは知り合いだったが、学生生活そのものに関して尋ねたことはあまりない。
アルバムを開くと、そこには初めて私が会った頃の、若いというより幼さの残る夫がいた。
そして公表されている成績を見た。
上級士官学校の成績は公開で、全ての生徒の成績が配布されるという。
夫の成績は上から二番目。
入学してからずっと次席。一度たりとも首席を誰にも譲ったことのないジルオーヌという皇王族。
夫が現在、陛下の代理を務めることが出来ているのは、首席をとったから。ジルオーヌという女性が死亡しなければ、夫は代理総帥の座には就けなかった……いいえ、就かなくて済んだはず。
彼女はどうして死亡したのか? 上流階級の事件は一般には出回らない。だから私は真相は知らなかったが……夫の学生時代の記録の中に、彼女の死に関する書類が大量にあった。
「……」
彼女の死亡現場の写真を見た。最初画面に映ったものが何なのか解らず、五分近く凝視して理解できたと同時に洗面所へと走り吐いた。
直視できない有様の「死体」
夫と同じ皇室特有の黒髪に、深く美しい蒼と輝かんばかりの銀の瞳を持つ、整った顔立ちだった女性だったと判断できる箇所がない程の破損。
ニュースなどで聞く「怨恨の線で捜査」という言葉が繰り返し頭の中で響く。
私は部屋へと戻り、死体写真ではなく書類に目を通した。初めて見る「報告書」というもの。事細かに書かれているジルオーヌの過去と死因。
犯人は見つからないまま。
私は報告書を見て、なにか足りないような気がした。
報告書を見たこともない、警察の仕事も知らない私でも”おかしい”と感じるなにか。
「怨恨の線で……捜査!」
大量の報告書はあっても、捜査したという書類がない。
皇王族の前途有望な女性がこんな凄惨な殺され方をしたというのに、捜査していない。私は覚悟を決めて、もう一度彼女の死体が映っている写真を見た。
様々な角度から写されている。そして死因究明の為の解剖。
悲惨な彼女の死体を前にしているうちに「悲惨」や「凄惨」そして「残酷」という言葉が私の中から消えていった。
この死体にそんな感情はないような気がしてきたのだ。
そう感じたところで、私は自分がおかしくなったのかもしれないと、記録を片付けて少し横になった。
―― ああ、ごめん。これお祝いにならないのか。うまく皮剥がせたと思ったんだけどなあ
「……ああ……」
彼女、ジルオーヌの死体にあったのは……あったのは……
私は夫に尋ねることが出来ないまま、日々を過ごした。誰に聞く事もできなかった。私が聞いて良い相手は夫だけだ。
義妹にあたるメリューシュカが、前線での夫の映像を持ってきてくれた。
前線にいる夫がどんな生活をしているのか知りたいと、以前メリューシュカに言ったのを覚えていてくれたのだ。
前線にいるときの夫は、とても楽しそうだった。
私たち家族には会えないが、前線では自由にかつての家族と会うことが出来る。そう私たちが拒否してしまったガーベオルロド公爵キャッセルさまに。
撮影したのはメリューシュカではなく、夫であり弟であるクラタビアさま。
兄弟同士で仲良く過ごして居る姿に、私は夫が戦場に行きたがる理由を理解した。帝星で私たちといる時は会ってはいけないと命令された夫は、前線で兄と昔と同じように過ごしている。
『キャッセル兄さん』
私が夫から奪ったものは何なのか? 与えることが出来るのは……
「貴方、聞きたいことがあるのですが」
「なんだい? アニエス」
「ジルオーヌ=ジルデーグ・サクティアールス・ベルディンドの真実を教えて」
「……」
「私はなにがあっても、貴方の味方です。だから教えて」
私はここで貴方を受け入れる。受け止めるのではなく、受け入れる。貴方の全てを受け入れるということは、
―― 弟のことよろしく頼みます……と言うように言われて来ました、アニエス。私はタウトライバの兄キャッセルです
キャッセルさまも受けれいることだと、私は覚悟を決めた。その第一歩とも言える。
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