ALMOND GWALIOR −152
「戻られましたよ」
 ディブレシアの身の回りの世話用のザンダマイアスの一人から報告を受け、皇君は安らかな寝息をたてているキャッセルの頬に口づけして寝室をあとにした。
「お戻りになりましたか、ティアランゼさま」
 右肩から右胸のあたりまでが吹き飛び、腕や指があらぬ方向に曲がっているディブレシアは、水色のソファーに座っていた。
 皇君はディブレシアの足元に跪く。
「後片付けをしてこい。さすがは帝王。二十年かけて体機能を上げて、戦闘経験を積んだ余だが防戦一方であった。あれを相手にするのは無謀であった」
「殺されなかっただけでもお見事だと思いますが」
「帝王は余を簡単に殺害できた。帝王はなにかを探っていた」
 ディブレシアは帝王の実力は研究し、理解していたので、自分が逃げ果せた理由が、己の実力ではないことは早々に理解した。
「ロターヌ=エターナ? でしょうか」
「かも知れぬ。まあ余の真意を知ったところで、用意が整った”現在”は、帝王であってもどうにも出来ぬであろうが。それで薬とザンダマイアスは?」
「キャッセル似のザンダマイアスはあと二日ほどいただきとう御座います。薬は装甲車に、確認は明日にでも。デウデシオンの宮に運び込むのは、アイバリンゼンがバロシアンと共に帝星を去った後に」
「よろしい。下がれ」
「御意」
 皇君は立ち上がり部屋を後にしようとした。
「ザンダマイアス」
「はい、何で御座いましょう? ティアランゼさま」
「余を殺す好機だぞ? どうだ? 殺害せぬか?」

―― いやあああ! やめて! やめて! お願い、やめさせて! ティアランゼ! ――

「我輩は鎖に繋がれた小象です。小象ほど可愛らしくもありませんが、あくまで”たとえ”で」
 子供の頃に捕らえられた象は当初は抵抗するが、逃れられないことを理解すると諦める。その後は逃げようとはしない。成長し鎖を引きちぎる力を得ているのだが、試そうとはしない。
「そんな我輩は、今では鎖を引きちぎることも、杭を引き抜くことも出来ると自分で知っておりますが……自由になった後の行き先はありません」
「行き先がないのが怖いのか?」
「はい」
「その行き先が破滅であっても良いと?」
「破滅ならば破滅で良いのです。我輩は隔離され繋がれ、そして消える……程度しか知りませんし、我輩自身はそれだけで充分だと思っております。たとえ貴女様が全ての頚木を取り払ってくださり、繋いでいるしがらみを粉砕したとしても、我輩はここにいるでしょう。お試しになりますか?」
「もう試している。お前は”いつだって”余を殺せるのに殺さなかった。ザンダマイアス、帝王、またはエーダリロクに、余に関するヒントを与えよ」
「どのような?」
「自ら考えるが良い。繋がれていようとも頭は動くであろう」
「畏まりました。ご希望に添えるよう努力いたします」

**********


「エーダリロクは意識が戻っていないのか」
「はい」
 カルニスタミアは巴旦杏の塔の調査に携わり大怪我をしたが、翌朝には傷口は完全に塞がり何時も通りの状態となっていた。
 エーダリロクの部屋が爆発し、当人も相当な怪我をしたと聞き、見舞いに訪れのだが意識が戻っていない状態だったので、付き添いのメーバリベユ侯爵と少々話しをして、
「それではエーダリロクによろしく」
「お見舞い、ありがとうございました」
 シュスターク宛に”所用で予定よりも遅れましたが帝星を出発いたします”という挨拶文を送り、ヘルタナルグ准佐と共に帝星を発った。

「……」

 窓から帝星を見下ろしながら、昨晩の皇婿との会話を思い出していた。

**********


「ロガ? 何処だ? 隠れているのか?」
「カルさんのことも信頼してます! ナイトオリバルド様、御用は終わりましたか」
 扉を少しだけ開き身を滑らせて皇帝の下へと戻って行ったロガを見送ったあと、カルニスタミアは”皇帝が誰と話をしていたのか?”が気になり、その相手を追った。
「皇婿」
「カルニスタミア! なぜここに」
 周囲に注意して歩いている王子と、訓練された軍人では相手にもならない。
 カルニスタミアにあっさりと見つかり、気付けば進行方向に立たれ道を塞がれる形となった皇婿は驚きの声を上げる。
「それは儂の台詞じゃよ。隠れて陛下になにを話しておったのじゃ」
「言わなくてはならないか?」
「儂は陛下のお心を読める男じゃぞ」
 ”隠しても無駄だ”と告げる。皇婿は口の中で舌の先を軽く噛んで少し考えて口を開いた。
「陛下にザウディンダルを殺害しようとしたことを謝罪した」
「ザウディンダルを殺害じゃと? 貴殿に殺害できるとはとても思えんのだが」
「……」
 皇婿はカルニスタミアが取り乱す気配がないことに驚きはしなかった。カルニスタミアという王子はまさにテルロバールノルの王子。感情を制御する方法を知っている。
「本気で殺害するつもりなどなかったのであろう?」
 ザウディンダルに関しては随分と制御できていなかったが、別れるという距離を取ったことで、王子らしさが戻ってきた。
「儂は本気じゃった!」
「本気ならば兄に言えば良かったのではないか?」
「どういう意味……だ」
「ザウディンダルがハーベリエイクラーダ王女の末裔だから、僭主狩りの規則に従っただけであろう。誰も貴殿が殺せるなどとは思っていないからの配置だとも思うが」
「ザウディンダルがハーベリエイクラーダ王女の末裔だといつ知った」
「貴殿が最も良く知っているはずじゃ。何故隠していた、ロディンザリンド公爵よ」
「……」
「儂とザウディンダルの関係か?」
「違う」
「では王家に対する叛意か?」
「違う!」
「やはり儂と兄貴に対する嫌悪感か」
「……」
「個に対する嫌悪感と僭主情報を隠すことは、王族であれば分けて考えるべきであろう」
「……」
「じゃがそれ分離させずに、報告せぬ理由とした根源はなんじゃ? ロディンザリンド公爵」
「聞くか?」
「聞きたいと同時に、貴殿は儂に語りたいのではないか? ロディンザリンド公爵セボリーロスト」

 カルニスタミアはこうして皇婿の口から《ザウディンダル誕生までの経緯》を聞くこととなった。

「そうか」
 聞き終えたカルニスタミアの態度に、
「動揺一つしないのじゃな、カルニスタミア」
 語った側のほうが動揺した。
 カルニスタミアも《酷い話だ》とは思うのだが、それを表面に出すことはない。感情を表に出すなと育てられた男は、最愛の相手が誕生した経緯を聞いても耐えた。
「そうではないかと思っていたのでな」
 理由なく殺害する他王家も存在し、普通の人々も理由なく人を殺害することもある。だが、父親が暗殺される理由らしきものをも発見できたことで、不思議なほどに安堵していた。
「なに?」
 ――人として尊敬できなくなろうとも、親子であったころの感情は消えないのじゃな―― 王や王族としてみた場合、ザウディンダルの親に対する行為は否定できない。だが人として見たときは軽蔑する。父親は王であり、そして己の親であった。父・ウキリベリスタルを王としてだけではなく、人としても見ることが許されている数少ない存在であるカルニスタミアは首の痛みとともに胸の奥が痛んだ。生きている間に父親の本心を聞けなかったことを残念に思いながら、カルニスタミアは皇婿を解放した。
「さて兄貴に叱られるために部屋へと戻るか。手数をかけた、ロディンザリンド公爵。また会うこともあるであろう。その時は今までと同じ態度で接して貰おう。動揺されては兄貴にばれる恐れもある。それは貴殿も望まぬであろう」

 皇婿は去ってゆくカルニスタミアの後ろ姿を見つめ続ける。

「責めもしなければ、なじりもしない。動揺もしなければ……儂の判断は間違っているのかどうか、それすらも……」
 皇婿はカルニスタミアに答えを望んでいたが、カルニスタミアはなにも言わずに去った。自分がいままで取った行動が間違いであると責められるだろうと思っていた本人の感情は、なにも触れられることなく去られたことで行き場を失ってしまい、嗚咽となり涙とともに溢れ出した。

―― 父の暗殺に叔父が絡んでいると考えて、間違いなさそうじゃな

 窓の外にはすでに帝星はなく、カルニスタミアは思考を切り替え、全ての注意を前線へと向けた。再度このことを考えるのは、シュスタークの初陣が終わってからだ――と。

**********


「そうなるな」
「なるほど」
 頭を吹き飛ばして療養中になったエーダリロクの専任警備となったアシュレート。
 エーダリロクは誰にも襲撃されてはいなことになっているので、とうぜん傍にいるのに理由が必要だ。
 メーバリベユ侯爵も傍についているのだが、彼女は妃であり「エーダリロクに人には言えない秘密の依頼をした」シュスターク自らが、
「余の代わりについていてやってくれ。本来ならば余が傍に……余が傍にいたら、エーダリロクの容態が悪化してしまう!」
 後半はともかく皇帝自ら”付き添って欲しい”と命じたこともあり、誰も口を挟みはしない。
 それでアシュレートが病室に待機する理由は、
「全く療養にならねえし」
「そうだろうな。それで、パイプオルガンの音響だが」
 皇帝出陣式典の施設打ち合わせも任せられることになった。
 それだけではなく、次々と持ち込まれる軍備関係の書類。
「髪生やす暇もねえ」
 エヴェドリットが新兵器開発を依頼したくて、エーダリロクを襲い病室に監禁したのではないか? と言われるくらいに。
「生やしてきていいんだぞ。再生機に入れば一瞬だろうが」
「そうだけどよ」
 再生機に入れば本当にすぐなのだが、エーダリロクは自分の記憶が戻るまで、もう少しだけ待ってみようと考えて、頭髪はそのままだった。
「ナイトキャップ姿が似合わないというか恐ろしいから、我としては元に戻して欲しいいがな」
 頭にはメーバリベユ侯爵手作りのコットンレースキャップが被せられている。
「アシュレートに怖いって言われる筋合いはねえ」
 目つきの悪さならリスカートーフォンにも劣らないといわれるヴェッティンスィアーン。その容姿のを体現している王子が被るとあまりにも……なのだが、被っている当人は、これらに関しては無頓着なので、言われるままに、そして被せられるまま。
「お前と話し合いの時間が出来るから、聞きたいことでもあるか? と、ザセリアバに連絡したところ”帝国騎士の量産についてどこまで研究が進んだか”について詳しく聞けと言われたのだが。どうだ?」
 警備につくまでの経緯をザセリアバが知っているかどうかはアシュレートには解らないが、金銭のやり取りは王二名の間であったので念のために連絡を入れたのだ。
 アシュレートが個人で金銭交渉してもよいのだが《後が怖い》
 王子同士で金銭やり取りならばまだ抵抗のしようもあるが”がめつい”と名高いロヴィニア王と金銭交渉はできるかぎり避けるのが、王族としての処世術の一つ。
「……あー良い所まで行った……けどよ、そこら近辺が頭吹っ飛んだ際に一緒に吹っ飛んで、どこかにあると思うんだけど」
「思い出せる範囲でいい」
「やっぱりザウが関係してくる。ザウのどこかと、バロシアンのなにかを調べれば……というところまでは解るんだが。あとは……帝星に帰還するまでには思い出してまとめておく」
「レビュラとハーダベイな」
 アシュレートはザウディンダルが「ハーベリエイクラーダ王女の末裔」であることは知らないが、特殊な戦闘能力は相当調べて知っている。”強さ”に関して研究を重ねるのが趣味なので、ザウディンダルのことは当然調べて知っていた。
「それとセルトニアードもなんか関係してたような気がする」
 ディブレシア関係の記憶のほとんどはザロナティオンに封印保護されている状態のエーダリロクだが、ザロナティオンに知らせていなかった部分はいくつかあった。
 その一つが、ザウディンダルと同じ純粋な人間によって帝国に持ち込まれた「軍妃の瞳」こと「ヴァイオレットの瞳」
 ディブレシアの産んだ者の中ではジュゼロ公爵セルトニアード一人だけ。この部分と《ザウディンダルのある部分》を重ねて説明しようとしたところで、記憶が封印されたのだ。
「ジュゼロが? ともかく、お前の作成した報告書が読める日が楽しみだ」
 記憶を共有することはできるが、記憶の網羅できるわけではない。とくにエーダリロクは処理能力という部分ではザロナティオンも及ばない。よってザロナティオンは下手にエーダリロクのブラックボックスにも似た思考回路とそれを動かす”情報”部分には、許可なく触れ中をみるような事はしない。記録と情報と思考回路の激流に体を持たない”自分”が飲み込まれることを、過去の経験として知っているためだ。消え去るのであればザロナティオンも身をまかせることが出来るが、消えずに意識が千切れて本体の記憶に悪影響を与えることも解っているので、自分を失わないようにしている。
「おう! 原理はほとんど出来上がってたのは確かだから、待っててくれよ」
 出陣式典の打ち合わせを終え、アシュレートは良い機会だと今回の僭主を用いた作戦につての雑談を始めた。
「ところで今回の僭主を使った計画についてだが」
 詳細な打ち合わせは終わっているし、作戦に関しても文句はない。
 完全なまでに利害だけで組み上がったような作戦だが、まったく感情が見えないので逆にアシュレートは疑いを持った。
 エヴェドリットですら殺害する際に”こいつ気に食わないから”という感情で殺し方を変えることがある。感情というのはどうしても深く関わってくる。それを徹底的に排除してしまうと逆に苛立ちをあたえる。
 私情が交じっていたところでアシュレートやエヴェドリット勢は作戦を変えろとは言わない。だが間にある空気の異常なまでの清浄さにアシュレートは逆に私情、それも負に属する感情をに気付いた。
「ジルオーヌ計画のなんだ? あ、まだ仮称だったか」
 ”仮称”ジルオーヌ計画
 現時点では作戦名85559996。遂行され成功したときに付けられる作戦名が「ジルオーヌ計画」と決まっている。
「なぜあの一派を選んだのか? そしてその一派の殺害された女の名を作戦名に使う理由は? お前は知っているかエーダリロク」

**********


それと……あとで付け加えりゃいいか

―― そうなる。そうでなけりゃ、わざわざ薬物中毒にするほど合成髄液を注入する必要は無い。死んでいるならまだしも、この二十年間生きていて俺たちの思考を操っていた女が、もっとも重要なポイントを他人に任せて、任せたヤツが死んでいる状態に甘んじる理由は”ザウだけはディブレシアの暗示が掛からない”それしかない――

薬に詳しいやつが配下にはなっていない。皇君は薬には詳しくない……まずい! 帝国騎士の統括者は薬を自由に扱える! あの二人の関係が始まったのはいつ頃からだ?

**********


「なるほどな」
「作戦には関係ないとも言える。でもさ、どれかを選ぼうとした時、真っ先に思い浮かぶのも事実だろうよ」
 作戦名の由来とそれにまつわる事柄を、ざっと説明して”もっと詳しく聞きたかったら、叔父貴に聞けよ。話を通しておく”とエーダリロクから言われ、アシュレートは納得した。
「お前達が出陣してから聞きに行くとしよう。その近辺の話は、我の叔父が既にないので解らないことが多いのでな。ところで、その帝国宰相一派だが、全て我等に情報を渡していると考えるか?」
「まさか! ロヴィニアだってエヴェドリットだって、帝国宰相に全部の情報は渡してないだろ?」
「たしかに」
 実際ロヴィニアとエヴェドリットも、相手に完全にこちらの手の内を見せているわけでもなく、相手が情報をどれ程所持しているのかも解らない。
「失礼してもよろしいでしょうか?」
 それらの会話はメーバリベユ侯爵のノックにより一度中断された。
「なんだ?」
「昼食をお持ちしました」
「はいっていいぜ」
 二人は侯爵手作りの昼食で腹を満たした。
「どうぞ」
 侯爵は二人がどのような話をしていたのかについて尋ねることもなく、だがわざとらしさなどなく給仕し、食事は楽しく進んだ。
 全ての料理を食べ終えたあと、
「王より殿下への命令です」
「…………后殿下が従軍ね」
 《療養中》のエーダリロクに新たな任務を知らせる書類を差し出す。
 二人がいる状況で書類を出すのだから、アシュレートが見てもいい部類のもので、エーダリロクの前にある書類を一枚掴みあげてアシュレートも目を通す。
「連れて行かれるのか。そこまで手放したくない程に寵愛されているのならば……」
 シュスタークが后殿下ことロガとベッドで一緒に寝るだけで、手を出していないことは上級階級には知られている。隠しておくと妊娠しないロガが責められることになるので、寝室においての二人の状況は、逐一公式発表しなくてはならないのだ。
 ”寵愛されているのならば、抱かれたら”と言いたくなったアシュレートだったが、皇帝が目の前にいるコットンレースキャップを被った童貞王子と名高い男の従弟であったことを思いだして言葉を濁した。アシュレートほどの身分があれば、多少のことは言っても罰せられることはなく、言おうとしていたことは全ての人の気持ちなので不敬とは取られない。
「なんで俺のこと見るんだよ! そりゃ良いとして后殿下が従軍の警備体制についてお前にも確認して欲しいから全部目通してくれるか」
「了承した。その後だが、后殿下が従うというとなると大宮殿の警備変更も必要になる。その相談にも乗ってもらうぞ」
「了解。その頃には帝国宰相から変更部分の書類も届いてるころだろうよ」

―― その実力俺に見せてみろ《ジルオーヌ》


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