ALMOND GWALIOR −139
 中から聞こえてくる「あぅ……兄貴、いやぁぁ」という泣き声混じりのザウディンダルの叫びと、切羽詰まった「体を捩るな、挿しづらい」というデウデシオンの声を聞きながら、バロシアンは入り口に背を預けて待っていた。
 ”終わった”と呼ばれて部屋に入ると、恥ずかしさに頬を朱にしたザウディンダルがベッドの上で扇情的な足をあらわにしているのが目に飛び込んできた。
―― いつか義理とはいえ母になる人……とはとても思えない。兄という気もしませんけれどもね
「ザウディンダル兄さん。本日は私も此処で休むように言われているのですが、よろしいでしょうか?」
 未来の義理母で兄で姉で、さらには叔父で叔母なザウディンダルにバロシアンは持参した枕を抱き締めながら笑顔を向けた。
「もちろん。かまわないぜ。どうした、バロシアン」
 だがザウにとってはバロシアンは「弟」なので警戒も葛藤もない。
 そしてミスカネイアの”医師として”の意見により、
「もう少し広いベッドのほうが良いでしょうかね」
 左側にバロシアン。
「いや、このくらいで大丈夫じゃないか?」
 右側にザウディンダル。
「……早く寝ないか、二人とも」
 二人の間にデウデシオンという配置で、一つのベッドに眠ることになった。
 接触嫌いなデウデシオンは当初「端」を希望したのだが、バロシアンに、
「え……だって私が触れていいんですか? というか二日連続全力で殴られるのは御免です」
 耳元で囁かれては拒否もできず、バロシアンとザウディンダルを分断するように間に入ることとなった。
 二メートル越えの成人三名が眠ることが可能なベッドなので、一般的に言えば大きい。実際に眠っている三人にはやや狭く感じられる。だが三名が触れられる程度でありながら、寝るのに差し支えはない大きさのベッドが必要だったので、これで丁度良かった。
「……」
「……」
「……」
 三人とも眠りに落ちる気配がない。三者とも”誰か”の寝息を聞きながら、目蓋を閉じたいと思いながら、天蓋を見つめている状態。
 然程長くはない沈黙を経て、デウデシオンが起き上がりベッドから降りて庭へと出て行った。ベッドに残された二人は、
「どうしましょうか? ザウディンダル兄」
 横になったまま、語り合う。
「どうすりゃ良いんだろうな……少なくともベッドから降りなけりゃ叱られないと思うぜ」
「そうでしょうね……それにしても、二十過ぎて夜ベッドから降りて怒られることを恐れるというのも……」
 バロシアンは持参した枕の位置を直しながら、心持ちザウディンダルから離れた。

**********


「はあ……」
 二人が居る部屋からは見えない庭へと出て、飾り石にデウデシオンは腰をおろして溜息をつく
「兄さん」
「タバイか」
 時をおかずしてやってきたタバイは、腕に外套とランプを持ち、酒瓶とグラスを載せたトレイを持って隣に座った。
 トレイを置きデウデシオンの肩に外套を被せ、
「兄さんの髪が降りているのを見るのは、本当に久しぶりですね」
 言いながらグラスに酒を注ぐ。
「そうか」
 渡されたグラスを持ち、ランプの耐熱硝子に映る自分の顔を見て”老けたな”と、他人事のようにデウデシオンは感じていた。
 二人で乾杯し、硬い音が夜空に消える中、酒を喉に流し込む。
「寝室、別に用意させておきましたが」
「いいや……そうではないのだ」
 人口の月が照らし出し、流れる雲が作り出す影の下。
「……」
「二人がいなくなったら、どうしようか? と考えると、眠りに落ちることが出来ない。お前は不安に駆られたりしないか?」
「朝目覚めると、隣に妻が居ない……というこでしょうか?」
「そうだ」
「不安を感じたことはないですが」
「私は不安なのだ。眠っていて気付かないうちに、この手からいなくなっていたら……。なんというのか、傍にいると護りきれなかった時、自分の至らなさを目の当たりにすることになり、狂ってしまうような気がするのだ。そんな感情ばかりが私を支配し、眠気など訪れる気配もない」
 ”仲良く一緒におやすみ”ではなく”この両手にいる弟ではない弟たちを護らなければならない”という意思が強く働き、眠りすら遠ざける。
 特異で奪われることの多かった人生は、普通の安らぎを感じる思考を育ててはくれなかった。
「どうなんでしょうね。ですが私は兄と一緒に眠っていた時は、とても安心できましたよ」
 それでもかつて、幸せだった頃があった。
 豪華な大宮殿の一角で貧しく腹を空かせながらも、兄弟だけで笑い一緒に眠っていた頃があった。
「……タバイ、いま幸せか?」
 彼らは今、様々な物を得た。
「幸せですよ」
 人並みの幸せも、その一つ。
「降りるのならば、降りてもいいのだぞ」
 妻子があり、後ろ暗いことにはあまり関わらないタバイは、デウデシオンとの距離が開いていた。兄弟のなかで、もっとも距離が開いているといっても良いほどに。
 幼い頃は最も近かった兄弟で、権力の座を目指した時は一緒だったが、何時しか違う道を歩んでいた。兄弟ではあるが別の人間なのだから当然だが、それだけでは無い距離。
「それは命令であろうとも、聞けません。私は復讐してこそ、幸せになれる」
 だが同じ方角を向いている。
 復讐を描き、それを目的地として見据え、進んでいた。
 同じ道を歩んではいないが、同じ復讐を目指している。デウデシオンは自分の道は復讐を通過するしかないが、タバイは復讐を避けることも出来るだろうとも感じている。

 妻子がいるのだ、危険な道を歩ませる必要はないと。

 デウデシオンは弟の妻に直接的には特別な感情はなく、甥たちも同じである。だがタバイに幸せをもたらす存在であるから、デウデシオンにとっても特別な存在となる。
「復讐しても残るのは虚しさだけと言うではないか。いま幸せなのだ、今更復讐する必要もなかろう」
 美し過ぎる”人間の”一般論を語り諭す。
 だが人間は”そう”であっても、復讐心の塊ともいえるロターヌ・ケシュマリスタの血を引く彼らには、それは当てはまらない。
 身の内に巣くう復讐心。たとえ道に外れた、独善的なものであっても、復讐を完遂させたときは必ず喜ぶことが出来ることを《遠い記憶》として知っている。

 夫であったシュスター・ベルレーに対する裏切りを成功させたときのロターヌ・ケシュマリスタの至上の歓喜は、途切れることなく彼らに伝わっている。

「私は幸せと復讐、どちらかを選べと言われたら、迷わず復讐を選びます」
 抗いがたい本能に近い《復讐の歓喜》
 その中にいながら、互いに互いを考えるのだ。
 そタバイは口には出さないがデウデシオンこそ復讐しないほうが良いのではないかと考えていた。
 互いに相手は幸せになってくれると良いと願う。同時に違う道を歩いているのだとも感じる。昔同じ部屋で、一枚のタオルケットにくるまって眠っていた兄弟は、敵となり味方となり、
「お前も強情だ」
「兄さんほどではありませんよ」
 それでも並んで座り夜空を見上げる。
 グラスに残った氷で少し遊び、
「部屋に戻る」
「それでは」
 デウデシオンは立ち上がり、部屋へと戻っていった。

**********


 ベッドの上で、二人仲良く帝国宰相デウデシオンのことを話していた、バロシアンとザウディンダル。
「そうですね……あっ! 帝国宰相の足音が!」
 二人ともデウデシオンの足音を聞き、枕に顔を押しつけて必死に寝たふりをする。
 戻って来たデウデシオンは二人が起きていることには気付いているが、
―― ザウディンダルは早く寝た方がいいのだが。怒るのも……
 実年齢二十過ぎの弟二名を怒るのもおかしいだろうと「眠っている二人を気遣っている」ような動きでベッドにはいり、間に体をねじ込んで両手で二人の肩を抱いて目を閉じた。
 暫くして両方の手のひらに、触れられている二人の手のひらが乗った。

 やはりデウデシオンは眠ることはできず。デウデシオンの隣で安心して眠っている二人の吐息を聞けば聞く程に復讐心が募ってゆく。
―― この思考は狂っているのだろうか……
 愛し子の寝顔と吐息で復讐を思いとどまるという事例を読んだことはあり、知ってはいる。だがデウデシオンの身の内にある復讐心は、知って尚収まる事はない。
 もう自分から奪ってゆく権力を持っているものは殆どいない。
 権力を持っている相手も、デウデシオンの権力の強大さに出来るだけ摩擦を起こさないようにする。
 治世や利権では衝突もあるが、兄弟たちが奪われることは……

―― ザウディンダル以外は奪われることもない、か

 十年近く前からデウデシオンもこの思考回路がメビウスの帯となり、そこを延々と巡り歩いていることは解っている。
 生まれた瞬間から捩れて始まった人生。
 その帯から逃れるためにするべきことと、その先にあるものを考えてデウデシオンはまた捩れた思考のなかを彷徨い歩く。落ちることもできず、底なしの沼に足を取られるわけでもなく、ひたすら彷徨い歩き続ける。

 翌朝デウデシオンの肩はやや張り気味、バロシアンもやはり体が凝り、ザウディンダルは熱を出した。
 ザウディンダルは当然であろう。
 一昨日殺されかけて、昨日は甥っ子たちの猛追を食らったのだ。
「執務途中に抜けてくるから、大人しくしていろ」
 思わず本音がこぼれ落ちたデウデシオンに、
「えー日中はミスカネイア義理姉様が座薬さして下さるって。あ、ごめんなさい”みな”まで言いません」
 バロシアンが笑いながら攻撃を仕掛ける。
 まさに”しまった”という表情のデウデシオンに、
「日中はミスカネイア義理姉さんにお願いする」
 ザウディンダルは口元までブランケットを引き上げて、必死に抵抗した。
 汗をかいた体、ミスカネイアに見られるのも恥ずかしいが、デウデシオンに見られるのはもっと恥ずかしいと。
「あらあら、振られてしまいましたね。帝国宰相」
「……行くぞ、バロシアン。ザウディンダル、大人しく寝ているんだぞ」

 二人が部屋から去ったあと、昔熱を出すとまめに様子を見に来てくれていた頃のことを思い出し、ザウディンダルは顔の半分までシーツで隠して、熱で潤んだ瞳を細めて微笑んだ。
「あ……試験勉強の監督……は無理だから、カルに手紙書くか」


novels' index next back home
Copyright © Teduka Romeo. All rights reserved.