ALMOND GWALIOR −129
 僕はベッドの上で君の夜着の袖口を、力を込めないで引っ張る。
「君が陛下の所へ行ったら、余計話がややこしくなるよ」
 陛下がザウディンダルのことを知ってしまったとの連絡がカルニスタミアに届いたのは夕食前だった。
 当然食は進まず、酒も口を湿らす程度で、さっさと夜着に着替えて、あとは黙っているだけ。
「やはりそうか……」
 僕としては面白くない。
 誘いをかけても”今日は……”って断られちゃって、僕も早めに着替えて背中あわせでベッドに座ってる。
 無造作に投げ出されている手”向かおう”としたら止めようと、その手を見つめていた。
 僕に袖口を引かれて、再びベッドに体を預ける。
「ねえ、カルニスタミア」
「なんだ」
「止めた僕が言うのもなんだけど、君は由緒正しい王家の王弟だから、陛下に両性具有の処遇にたいして意見することはないだろ」
「……」
 無言か。益々腹立たしい。
「じゃあ、仮定の話でもしようか。君はさ、ザウディンダルが塔に収められたらどうする? この場合は帝国宰相がどうでるとかは無しで考えようよ」
「取る方法は二つだな」
 一つじゃないんだ。君は視野は広いし色々なことが思いつくけど……
「一つ目は王座を獲り、開放するように他王を説得する」
 多分そうだろうと思った。じゃあ二つ目は?
「もう一つは、最初の一つとは逆に簡単にできる。自殺することじゃ」

 だから僕はザウディンダルが嫌いなんだよ

「自殺ねえ」
 君の口からこぼれ落ちたその言葉は、
「心配するな。今日はしない」
「さあ、どうかな。僕は見張るからね」

 僕の未来にあるものであって、君の未来にあって良いものじゃない。

**********


「陛下にはお会いできなかったか」
「陛下はどのようにお考えなのであろうか?」
 帝国宰相が傍に居ない時は、四人一組でなくては皇帝に会う事ができない四王たちは、会えずに廊下を引き返しホールまでやってきた。
 四人全員足を止めて、互いの表情をうかがう。
 自分以外の三人が考えていることはなにか? どのように動かなくてはならないか? 自らの行動が王国の繁栄と衰退に直結する王として、協力するべきか? 一時の協力関係を持つとしたら、誰と、どのような条件で?
 それらを瞬時に導き出さなくてはならない。
「待つしかないようだな」
 最初に口を開いたのは、ラティランクレンラセオ。
 言いながら目を細めて笑う。その笑顔の裏は探る必要もないほどだが、ラティラン自身もそのことは知っているので、とくに焦りはしない。
 ラティランは自らが最も優れていると思っているが、三王を完全に愚かだと思っていない。野望を持ち実行に移す時、敵となる可能性のある相手の実力は、正確にそして正当に判断しておかなくてはならない。
「そんなことは解っておる、ケスヴァーンターン。ヴェッティンスィアーンもリスカートーフォンもそれで良いな?」
「それしかないであろうな」
「そうだろうな」
 四王はそれだけ頷き、各々の部下を待機させている扉の前へと向かった。

 ラティランが実力を正確に理解しているのは、精神感応が開通しているカレティアではなく、ランクレイマセルシュ。
 原理が明確で、思考がずれることのない男性。
 ラティランはカレティアの思考を覗くことができるが、僅かに存在する女性の部分の”思考”が完全な男性であるラティランには理解できない面があった。
 女性の部分も”女性のみであり支配者”ならば理解できたのだが、カレティアは完全な女性ではない。
 カレティア自身、自らの内部にある特殊な女性を理解していないために、ラティランであっても非常に計り辛いところがある。
 知っていることと、理解できることは違う。
 ラティランがカレティアに対し、長い時間をかけ様々なことを行ったのは判断を正確にするためでもあった。それでも、複雑な女性が邪魔をしている。
 最も解らないのは、同じ男性ではあるが”思考が本能に食われる”ザセリアバ。
 戦いに興じることを好む、ある種の単純さが存在するが、その単純さは深く突き詰めると複雑さを持つ。
 彼らの行動原理の全てが殺害であり破壊であるが、その原理が何によって生み出されいるのか、理解ができない。
 彼らの奥底にある澱みでもなく、狂気でもない存在。

「さて、どうしたものか」

 ラティランは部下とともに部屋へと引き上げた。

 ラティランクレンラセオとカレンティンシスが部屋から出るのを待ち、二人きりになり再び近付いて、背中を合わせて両者手を組み天井を眺めた。
「さて……ランクレイマセルシュ」
「どうした? ザセリアバ=ザーレリシバ」
 感情、または本意が流れることを拒否したい時、両者は背を合わせて話しをする。
「我は帝国騎士量産のために”お前ら”と手を結んだ」
 ”お前ら”とはランクレイマセルシュと帝国宰相。
「そうだな」
 帝国騎士量産のために、わざわざ僭主の陽動に引っ掛かって見せ、帝星に僭主が攻め込むと解っていても、素知らぬふりをしている。量産する技術を持つのがエーダリロクで、道標が”ザウディンダル”だからこそ成り立つ関係。
「お前らのうちの片方が脱落したら、我は降りる」
 誰か一人でも欠けてしまえば、それは成り立たない。今ですら計画を立てただけであり、完全に目論見通りに進むという確証はない。
「降りてどうするつもりだ?」
「言う必要はないだろ」
 ”純粋”な利害で手を組んでいるだけであって、曖昧さや甘さなどは一切存在しない。
「確かに」
「じゃあな、ランクレイマセルシュ」
 それを解っているからこそ、背中から離れ部下たちが待機する場へと向かうザセリアバの足音を聞きながら”当然だろうな”とランクレイマセルシュは判断した。
 一人残り佇む。佇むその姿、全体的に見れば美しさは彫像と評しても良いが、表情は完全に彫像ではない。
 明かに血肉と、それ以上の物が通っている強欲なる支配者の一人。
「さて。どうしたものか……本心からザウディンダルを塔に封じたいと考えているのはカレンティンシス……いや……」
 カルニスタミアと別れ《銀狂》の指示のもと、仕事をこなしているザウディンダルに対して、カレンティンシスの態度が軟化しているのはランクレイマセルシュにも解った。
 仕事を終えた褒美を、わざわざアルカルターヴァ公爵の名で直接送った辺り、仕事に関しての実力を認めているのは解った。
「私とザセリアバ、カレンティンシス、おそらくラティランクレンラセオも……ふむ、塔に収める理由はあれど、塔に収めた損失のほうが大きいな」
 法も儀礼も慣習も利害の前には捨てられる男は、全てを見渡す。
「だが収めて帝国宰相の暴発を誘う方が、私の利になる。……塔に収めても研究はできるだろうが、立入たがらんからな」

―― 立ち入れるのに、入ろうとはしないからな。銀狂殿下は

**********


 アシュレートは籐で編んだ椅子と、硝子テーブルが規則正しく並ぶ待機室で、一人で本を読みながらザセリアバを待っていた。
 陛下にお会いするということで正装したザセリアバに従うため、アシュレート自身も正装して。硝子の天板テーブルに肘をつき豪華な装丁の本を開く。
 やや前傾姿勢になっているので、長く真っ直ぐな髪が硝子の上に広がりを作っていた。
 噛み締めるように読んでいたこともあるが、二十頁も読み進まないうちに聞こえてきたザセリアバの足音に”やはり会えなかったか”と呟きつつ、本を閉じ立ち上がった。
「どうであった?」
「陛下には会えず終いだ」
 足音にも声にも喋り方にも、どこにも怒りが感じられないザセリアバに”こいつも会えるとは思っていなかったのだろうな”と理解し、待機室の隣にある王族のみ使用できる部屋へと促す。そちらは人気のない待機室とは違い、給仕たちがおり全てが揃っている。
 二人は椅子に腰を下ろして、先程アシュレートが本を読んでいた時のような体勢で額が触れるほど顔を近づけた。
「帝国宰相に阻止されたのか?」
「違う違う。あの女官長殿下が、頑として通さなかった」
「メーバリベユ侯爵か」
「アシュレート」
「何でしょうか?」
「シベルハムとビーレウストに明日帝星を出ると伝えろ。少々早いが帝星を出て、前線に向かう」
「……」
 頭髪の雰囲気と同じような雰囲気をもつ、細く真っ直ぐな眉毛が僅かに動き、頬も同じように引きつる。
「なんだ? 不満でもあるのか」
「我は帝星に残るであろう」
「お前が残るって言ったんだろうが。そのことに関して今更不満を言われると、我が腹立たしい」
「その不満ではない。あの二人のことだ、仕事を当初の出発予定日に完成するよう計算して、仕事をしているにちがいない。前倒しになったことで、そのしわ寄せは我に来るのかと思うと……それが不満だ」
 アシュレートも同じようなものだからこそ、大体の想像がついてしまう。
 そして額を合わせているザセリアバも、思い当たる節があるので、
「ああ、そういうことか。だが今から叩き起こして明日午前中までに完成させろと言っても無理だろうから。どうしても面倒であれば、資金提供はしてやるからエーダリロクに放り投げろ」
 自分の意志で予定変更したのだから、そのくらいはしてやると。
 面倒なことを命じている自覚はある。軍を予定よりも早くに移動させるのが、どれほど大変か? エヴェドリット王が解らないはずもない。
「本当に面倒になったら投げておく……いや、ビーレウストに残った仕事はエーダリロクに回せとでも言うか?」
「あいつ、それは聞かねえぜ。最初からエーダリロク丸投げはしねえ。お前だって、友人だからって、カルニスタミアに押しつけないだろ」
「カルニスタミアにそんなことをしたら、即座に縁を切られる。我とカルニスタミアの関係とビーレウストとエーダリロクの関係は若干違うような気もしたが、基本は同じなのだろうな」
「同じだろうよ。多分ビーレウストの頭が異常なまでイカレてたら、エーダリロクのヤツが肩代わりしてくれるだろうが、あいつ頭悪いわけじゃねえからよ。並の処理能力はあるからな」
「ビーレウストは天才過ぎるような気もするがな」
「天才? エーダリロクじゃなくて、ビーレウストがか?」
 思い当たる節のないザセリアバは、先程のアシュレートのようにケシュマリスタ容姿特有の柳眉が持ち上がる。
 アシュレートは額を離して、椅子の後ろに置いていた本をテーブルに乗せた。
「ああ。ビーレウストの本だ。お前、皇君から形見分けで頂かなかったか?」
 この本のために発注された皮。そして紙とインク。
 戦艦の側面に王家の紋様を飾る際に使われる箔押しの最新技術が使われた、著者はアマデウス。
「……」
 ザセリアバも何故か貰ってしまった《皇君の形見分け》
「どうした? ザセリアバ」
 ビーレウストと特別に仲が良いわけでもないのに”まあ、叔父王子の本だ受け取りたまえ”と、穏やかそうに見せて異形特有の圧力で押しつけてきた本。
 ”仕方ねえなあ”と開いた時の衝撃。
「アシュレート、お前それ読んで理解できたか?」
 そして全く理解できない文字の羅列に、大急ぎで本を閉じテーブルに叩き付けてなかったことにした。
 あまりにも「…………」であったので、他に受け取った輩も理解不能だろうと勝手に思っていたのだが、
「まあまあ。理解に時間はかかるが、理解できないものでもない」
 目の前の実弟は理解していると、読んだ箇所を指でなぞりながら説明をする。
「ふ、ふーん……」
 言われてみるとその通り……に感じられると同時に、生来の負けず嫌いが頭をもたげてきて”読めなかった”とは言えなくなってしまった。
 平素は下らないことに関して、すぐに負けを認められるのだが、同族同士であると意地が先行して認められないところがある。
 アシュレート自身もそういう所があり、同じような場面になったら同じような態度を取るが、今の彼にはそんなところはない。
「そうだ。その本、よかったらバルミンセルフィドに貸してやってくれないか。我も貸す……」
 帝星に残る近衛兵団は団長不在の間は、副団長のバイスレムハイブ公爵が預かるが、これは帝国宰相配下と言い換えても何ら間違いではない。
 そのほかに居座る「王国系武力」で最大なのはアシュレートが率いる一派。
 特にアシュレートはロヴィニア王からも依頼された形で、二王家分の帝星守備部隊を構成し、配下に置くことになっている。
 団長はアシュレートが二王家分の戦力を指揮する理由もなにもかも知っているが、あくまでも知らない素振りで折衝を続ける必要がある。
 実りがあるわけでもなく、会議をしても事案が動くわけでもないのだが、ともかくアシュレートと暫く帝星をあける団長は”兵力について”会議を重ねていた。
 その中で出た話題が[著者アマデウスの本]
 団長の長男が気に入ったという話しを聞き「良かったら貸してもらえないだろうか」と頼まれて、アシュレートは自らが目を通し終えたら貸すと告げた。
「貸してやる、貸してやる。ああ、貸してやるとも」
「どうした? ザセリアバ」
 そんな経緯「見た瞬間にビーレウストを殺したくなった」ザセリアバには関係のないこと。
「なんでもねえ。後の連絡は頼んだぜ」

**********


 私は一人皇君殿下の部屋で漫然と時間を過ごし、立ち上がって部屋へと戻った。
 今日デファイノス伯爵殿下はお疲れになったとのことで、体を洗い夕食後にすぐ寝室に入られた。
 なんだろう? 今日の大宮殿はとても”ざわざわ”している。
 緊張感があるという可愛いものではない。伯爵殿下の愛妾になってから、最上のオイルを使い滑らかになった肌が、ひび割れてしまったのかと錯覚するくらい肌に感じるものがあった。
 髪を洗い夜着に着替えて、この眠りを妨げる空気のなかで身を横たえて息苦しく何度も寝返りをうちながら、朝日が昇るのを待とうとしていたのだけれども、私に突如仕事がもたらされた。
―― ジュシス公爵殿下より、イデスア公爵殿下へ ――
 使者の階級や数。包まれていた布の色、便箋の色と封の模様から『王からの火急の命』と解る。
 解るのだが、部屋へと持ってゆくのが恐いのだ。
 伯爵殿下は人の気配があると眠られない。よって人の気配に敏感だ。あんなにも眠りが浅い人を、私は知らない。
 昔身を売っていた時命を狙われている客もいたが、その彼らですらあれ程に眠りは浅くなかった。
 ”本当に眠っているのだろうか?”と、疑うよりかなら”なぜ眠っていると嘘をつくのですか?”と尋ねた方が正しいだろうくらい。
 そんな伯爵殿下は、人が寝室に入ってくることを嫌う。そして入ってくるなと命じたのに、入ってきたものは、容赦なく殺す。
 王の命だとか関係ない。殺し目覚めた後に命令を知り、寝室を後にする。
 子供であろうが、老人であろうがお構いなしだという。
「なんだ? アルテイジア」
 でも私は逃れられる。
 私がセゼナード公爵殿下の研究に必要な”物”だから。
 私はベッドに近付き、手紙を差し出し、ペーパーナイフも差し出す。伯爵殿下は素手のまま受け取り、何時もと変わらない仕草で封を切った。
 目を通し折り曲げ、サイドテーブルに置き、
「返信の必要はない」
 そう言われて、私の手首を引きベッドへと押しつける。
 眠りの都から連れ戻された伯爵殿下は、私の夜着を引き裂き、胸に顔を押しつけた。


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