ALMOND GWALIOR −124
宮殿に連れて来て以来、ずっと一緒に寝ていたのだが……
「少々出てくるが、心配しないで先に寝ていてくれ」
「はい」
余が自由になる時間は……皇帝にしては結構あるのだが、ロガに心配をかけないでとなれば、ロガが眠りに就いた後しかない。ただロガと一緒に寝ると、余の方が先に寝てしまったりするので……まあその……不甲斐ない。
「フォウレイト、頼んだぞ」
「はい」
ロガの寝所のことは任せて、余は部屋から出た。
**********
皇君オリヴィアストルと帝婿デキアクローテムスはいつもと変わらずに、夕食を取り食後の談話を楽しんでいる……ように、召使いたちには見えた。
皇婿セボリーロストに連絡が入ったということは、この二人も当然《現状》を知っているのだが、
「どう思うかね?」
「解りませんね」
表面的には何一つ変わらなかった。
宮の主である皇君が召使いたちを下げ”さて、どうしたものか”と、互いに口元を歪める。笑いというよりは、歪めた。そう表現したほうが相応しい変化。
帝婿はアイリッシュコーヒーを口元に運ぶ。
「私はこれから陛下にお会いして、お話をしてこようかと」
「内容を聞いても良いかね?」
皇君は自領地の発泡水を舌の上で転がす。
「もちろん。誰にも言えないようなことを話す訳ではありませんし。話せないことでしたら、ここで嘘を言えば良いだけですから」
「確かに」
帝婿は皇帝に”ザウディンダルを塔に収容しない方が良い”ことを告げるつもりでいた。デウデシオンが皇帝に願うのと、帝婿が皇帝に教えるのでは、大きく違う。
帝婿としてはデウデシオンが”帝国宰相の座”に就いていてくれたほうが良い。これは彼の中にある利害関係と、宇宙を見渡した際の均衡から、退けてはいけないと、退けてしまった場合に起こると考えられる事件をふまえて説明するのだ。
「陛下が帝国宰相に”あの子”を下賜されれば、全ては済むのですがね」
「それが簡単にできたら苦労はせんよ」
皇君は帝婿とは別の理由で”帝国宰相の座”から、デウデシオンが失脚するのを阻止しなくてはならない。その理由は帝婿も、ずっとザウディンダルの傍に待機している皇婿も知らない。
「あと一歩なんですよねえ。帝国宰相の権力は」
「そうだね。あと一歩で、何者も近寄らせないほどになるのだが、その一歩が足りない」
「あれが彼の限界なのでしょうが」
「パスパーダ大公は自分を良く知っている。己の才能の限界がどこにあるのかも知り、その判断は誤っていない。彼は天才といっても許されるだろう範囲に存在しているだが、その才は政治ではなく軍事だからね」
デウデシオンの本質は軍事に向いている。
政治もできるが、優しい治世などには向いていない。弱者を切り捨てる政策なら幾らでも立案できる。だが彼はその半数以下しか実行しない。
皇帝の評判を落とすわけには行かない
デウデシオンは自らの権力の源である皇帝の評判が落ちることを恐れ、結果として”妥当な範囲の政策”で収めていた。
「軍事といいますか、セボリーロストは大丈夫でしょうかね? 彼は処刑などしたことはない男ですから」
「彼は人を殺すのは嫌いだね。今回は”人”を殺害する以上に恐いだろう。クレメッシェルファイラを思い出させる瞳を直視できるとは到底思えない」
「それですが、アイバリンゼンに薬を用意させたそうです。仮死薬を」
「仮死薬となると、当然蘇生薬も投与しなくてはならないな」
「平常状態でも危険な薬ではあるし、特にあの子はまだ薬物中毒が抜けてはいないでしょう? 早めの処置が必要ではないかと、おもうのですけれども」
「やはり君が陛下を動かすしかないのか。だがあまり急かすのも良くはないなあ」
すっかりと冷えてしまったアイリッシュコーヒーと、炭酸の弱くなった水を間に挟み、二人は一人がけソファーの背に体を預た。
二人がそんな会話をしていると侍従が入室し、皇君に訪問を希望する手紙と、ペーパーナイフをを載せた盆を差し出した。
封筒は赤みの強いピンク色で、蝋封はされておらずただ「〆」が書かれているだけ。
皇君は指にはさんで手紙を二回ほど回転させて、裏表を確認しただけで、
「連れてきなさい」
通すように命じた。
「その封筒と封の仕方は、アルテイジアですか」
帝君宮に置かれているビーレウストの愛人。
王族に呼び出されることもあるということで、ビーレウストが彼女専用の用箋を準備した。基本彼女は”ビーレウストの代理”という立場なので、色は全て赤みを帯びているもので統一されている。蝋封は彼女が「身分に相応しくありません」と申し出たために、書くだけで許可していた。
ちなみにこの「身分に相応しくない」はビーレウストの愛人として相応しくはないということ。
人殺しと戦争以外は面倒を嫌う王子は、よほどの事が無い限り蝋封も適当。以前、蝋封用の蝋を折って封筒の上に置き、アルコールランプを近づけて適度に解かして、書類に押す印をついたこともあるくらい。
大親友が「シールタイプ蝋封」を作ってくれて、やっとまともな蝋封が貼られるようにはなったが。
指先は器用なので丁寧に蝋封をすると、それは繊細で美しいのだが、本人としては指は人を殺すために存在しているパーツとしか認識していないので、自ら施す必要がある際でも雑きわまりない。
「ああ」
皇君は封を切り手紙を取り出す。
「ハーダベイ公爵と一緒だそうだ。あの二人、知り合いだったかね?」
「最近仲良くなったと、アイバリンゼンが言っていましたよ。フォウレイト侯爵が、アルテイジアにも気を配っている関係で、たまに家族での食事に案内しているとか」
「そうだったのか。我輩は全く気付かなかったな」
「アルテイジアは、お喋りな女ではありませんからね」
「あれが彼女の最高の美点だ。おや、来たようだ。二人とも、入りなさい」
二人はソファーに腰をかけたまま、来客者の方を見る。
訪問者の二人は挨拶をして、皇君に呼ばれるのを待った。
「来たまえ。人にあまり聞かれたくはない話であろう。傍に近寄りたまえ」
アルテイジアは”バロシアン”の付き添い。頻繁に皇帝の父親の元に使いに出されている彼女とならば、目立たずに話ができると考えたバロシアンが依頼したのだ。
「お願いです! 今夜私に陛下とお話をする機会を与えて下さい!」
皇君と帝婿は視線を交わし、宮の主である皇君が話しかけた。
「会話する機会ならば、幾らでも作れるであろう。何よりも”君の兄”の帝国宰相にお願いした方が、確実であろうに」
下げている顔から、上目遣いの視線。
彼は”帝国宰相”の目を盗み此処まで来た。そして”帝国宰相”が何をしようとしているのかも、感じ取っていた。それがはっきりと解る眼差し。
「鋭い視線だねえ。ふむ、どうするデキアクローテムス」
帝婿は卓上のコンソールを使い、
「おやおや、帝国宰相が動き出しそうだよ。待機していられなくなったようだ……アイバリンゼン曰く、陛下の元へと向かったとのこと。近衛兵団団長に面会阻止を依頼したようだが」
「塔に収めてくれと言いに行くのだろうね。そして帝国宰相が収めろといったから、陛下は収めると同意して、セボリーロストに殺害させる……か」
”塔に収められるか? 収められないのか?”
ザウディンダルが両性具有と皇帝に知られてから、半日も経っていない。
その半日にも満たない時間で、デウデシオンは忍耐の限界を越え、神経が焼け切れ最悪なことをしでかそうとしていた。
シュスタークにザウディンダルを収容するように、申し出ようとしているのだ。
―― 許可されザウディンダルが皇婿に殺害されたら、楽になれるという愚かな考え。その後の自分など全く解らないが、この長すぎる時間から開放されたくて仕方なかった ――
待機しているだけで、精神が摩滅してゆく帝国宰相。この長い年月、ディブレシアの虐待に年単位で耐えた男が、半日も持たない状態。
帝婿は卓上に両手をつき、億劫そうに立ち上がる。
「どれどれ。では、私が帝国宰相の気を引こうではないか。その間にバロシアンは陛下の元へと行きたまえ」
「そんな事ができるのかね? デキアクローテムス」
「貴方から聞いた、謎の一つでも教えてきますよ。恐らく今、大宮殿内を走り回っている《あの御方》の秘密をね」
「……なるほど。では行きたまえ、バロシアン。陛下はそろそろお休みになるそうだ」
床に額を擦りつけて感謝を述べ、バロシアンは立ち去ろうとした……のだが、
「入り口から出て行っては目立つし、なにより帝国宰相と鉢合わせしてしまう可能性もある。庭から出てゆきたまえ。君の身体能力ならば、陛下のお休みになっている皇帝宮まで簡単とは言わないが行けるであろう」
「はい」
バロシアンを見送ったあと、
「では私も行ってきます」
「そうか。後で我輩も、帝国宰相には会う事になるだろうけれどもね」
「おや? どこへ?」
「セボリーロストの所へと行ってくるよ。激情した帝国宰相が暴れ出すとも限らないからね」
「……代わりに”あの子”を殺してしまったりしては駄目ですよ」
皇君は人を殺すのに躊躇いや罪悪感はない。
故人となった帝君と”そり”があったのは、この部分が非常に似通っていた為だ。
大人しいと言われていた故帝君だが、彼が育てたビーレウストが完全にして、エヴェドリットとして、リスカートーフォンとして道間違わぬ”人殺し”となったのだから、故帝君の性質も伺えるというもの。
「あまり信用しないでくれたまえ。君は我輩のことをそう言うが、君だって簡単に人は殺せるであろう」
「私は貴方とは違いますよ。私は自分が得をしなければ、或いは殺したことで代金が手に入らなければ、殺したりはしません。でも貴方は、他人の為に”無償”で殺せるタイプでしょう。私は無償で人殺しなどしませんよ」
長い間一緒に暮らし、互いの特性を一族よりも理解しあっている二人は、各々がするべきことを開始した。
「さて。少し我輩に付き合いなさい、アルテイジア」
皇君は手を叩き侍従を呼び、
「新しい炭酸水と、アルテイジアの為に薔薇水を用意しなさい。そして椅子も」
召使いたちが一斉に部屋へと入り、帝婿用のソファーを運び出して、アルテイジアが座るための椅子を置く。
「さあ、座りたまえ」
二人は話すこともなく、向かい合い飲み終えた後にアルテイジアは、
「では我輩は出かけてくるよ。君は好きな時に戻りなさい」
椅子から降りて、頭を下げて皇君を見送った。
アルテイジアは暫く窓の外を見つめる。
”今日はガーベオルロド公爵閣下は、皇君殿下の元にお出でにならないのかしら……そう言えば”幽霊”の噂していた召使い姿が見えない……どうしたのかしら?”
**********
暗闇で黒髪を眺め続けていた帝国宰相は、
「……う……ああああ!」
我慢の限界がきて、暴れ出した。
デウデシオンの性質は、どちらかといえば凶暴な部類にはいる。
暴れ破壊し、まだ指に絡まる髪に口づけたかと思えば再び咆吼を上げ、洗面所の蛇口を破壊し、あふれ出る水で指に絡まっていた髪を流そうとするも、排水溝に吸い込まれる寸前ですくい上げる。
どうして良いのか? 自分自身で考えることを拒否するが先が見えてしまう。無視しようとしても、それは沸き上がってくる。
デウデシオンという男が生きていることと、ザウディンダルを殺すということは、切り離しようがない。
それを誰よりも知っている男は、気が狂いそうな時間に耐えなくてはならない。
デウデシオンは”ザウディンダルよりも先に死ぬ”それだけはできないのだ。かつて愛した彼女の末路が、最後まで見届けるように縛りつけている。
ザウディンダルが死ぬ姿は見たくないが、死ぬまで権力を持って庇護”したい”のだ。誰のためでもない、彼自身のために。
ザウディンダルが死んだらどうなるだろうと考えると気が狂いそうだが、狂ってはいけないのだ。
狂った自分がザウディンダルに対し、何をするか? 自分自身がよく理解している。
最後まで守り通そうと考えるほどに、生きて行くことが苦しくなってゆく。それが自分勝手な想いであることを知っているゆえに、口に出すこともできない。
デウデシオンは洗面所から浴室まで全て破壊し、溢れかえる水を浴びて呆然としていた。
奇声と咆吼が交互に、そして明かな破壊音。
ザウディンダルが眠っている部屋までは遠く音は全く届いていないが、主の乱心は使用人たちを恐怖に陥れる。
怯える召使いたちを表向き専門の執事が連れ出し、隣に住んでいる団長の元へと連れていった。
一人残ったアイバリンゼンは、崩壊した浴室で冷水を浴びているデウデシオンに声をかけることはせず、体を拭くためのタオルを無言でさしだした。
受け取ってもらうまで無言で。
冷水で激情は去ったが、その冷たさは思い起こさせた。
昔水しか出ない浴室で”彼女”を抱き締めた日々と、それが途切れた後。
デウデシオンは着替え、邸を出ようとする。
「閣下、どちらへ」
「陛下にお会いしてくる」
怒鳴ることもせず、行き先を誤魔化しもしなかった。
ただ振り返った時の表情は、四十年近く共にあったアイバリンゼンですら、見た事のないもの。「”息子”はあんな表情もするのだ……」アイバリンゼンは、呼吸が止まった。
親であるならば、子供のどのような姿をも認めろというが、とてもではないが認められない表情。
息子が処刑を命じる横顔も、放たれた暗殺者を自殺できないように処置し、拷問をくわえている時の姿も、アイバリンゼンは目を背けなかった。
優しい息子だったことも忘れてはいない。責任感がやや強く、兄を気取ることの多かった、背伸びした姿。
どれもアイバリンゼンは認めていたが、今の表情は”息子ではない”と、信じたかった。
あの表情で皇帝に会う。
それが何を意味するのか、皇帝の父たちと親交のあるアイバリンゼンは理解している。
「帝太婿陛下へ連絡しなくては」
連絡後アイバリンゼンは武器を携え、皇婿とザウディンダルが待機している部屋へと急いだ。
**********
「陛下」
「バロシアン」
バロシアンに呼び止められた。
「陛下、どちらへ向かわれるおつもりで。いえ、巴旦杏の塔へ向かわれるのですね」
「何故解った!」
言っておきながら凄く間抜けなのだが……この先は夕べの園と巴旦杏の塔しかないのだから、二つに一つなら直ぐに解るだろう。
「后殿下が陛下のことを心配なされ、今日あったことを私に教えてくださいました」
「あ、ああ」
明らかにロガに心配をかけてしまったようだ。
余は顔に出やすいからな、諸々が。
「陛下。塔の中で女王を知られたのですね」
「お前達は知っているのか」
「はい」
「少し話を聞かせよ」
巴旦杏の塔に向かうつもりだったが、行った所で≪ディブレシア≫と<ライフラ>が交互に語るのを聞くだけになりそうであるし……他の意見も聞くに越したことはあるまい。色々な意見は判断材料になり、迷う理由に……何にせよ、近くの部屋に入り余はバロシアンから話を聞くこととした。
「何故今までザウディンダルが女王であることを余に知らせなかったのだ」
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