ALMOND GWALIOR −106
 エーダリロクが巴旦杏の塔の情報をちらつかせて ”釣り上げ” ようとしているハセティリアン公爵妃。
 彼女に関してのエーダリロクの推理は、ほぼ完璧であった。
 一つだけ解らず解明する必要は無しと判断を下した ”デ=ディキウレと公爵妃結婚に至るまでの経緯” 真実に辿り着いたとき、エーダリロクはただ声を上げずに笑うのみ。
 誰に何かを語ることもできずに、笑ったのは本当にエーダリロクだったのか? 《彼》 であったのか、それは誰にも解らない。

**********

 帝国宰相は自らの直属の秘密警察長官ハセティリアン公爵 デ=ディキウレ を呼び出す時、声など上げない。歩調を何時もと変えるだけ。何処に忍んでいるのか、帝国宰相でもわからないが兄弟で取り決めたその “歩調” だけで、デ=ディキウレは、
「どうなさいました? 長兄閣下」
 必ずや帝国宰相の執務室から繋がる地下迷宮の一室に必ず控えている。
「先入観がないとは恐ろしいものだな、デ=ディキウレ」
 暗視能力がついていることが前提の眼球をもつ彼等が支配する宮殿の、逃走用経路は一切の明かりがない。暗闇でも問題なく見える、それが基本であり絶対である。
 真暗闇の中で、帝国宰相は口が堅い弟に “事実が漏れないようにせよ” と命じるために説明を始めた。
「何が?」
「后殿下がカレンティンシスとカルニスタミア、そしてザウディンダルが兄弟のように見えると。当初はザウディンダルが姉でカルニスタミアが弟だと思っていたそうだ」
 カルニスタミアとザウディンダルは体格などは全く違うが、似通った所がある。それは最初から血統的に近いと知っている者でなければ感じることはない程度だが、似ている箇所は確かにあった。それは小さなことだが、ある事を知るものには足がかりとなる。ある事とは、両性具有は血縁に強く惹かれる性質を持つ事だ。
 かなり強引にカルニスタミアから仕掛けた関係だが、それが維持されているのはザウディンダルの中に潜む両性具有が近親者を好む性質も影響している。ザウディンダルはデウデシオンを好いているが、本人の中にある自覚しない血がもう一人の近親者であるカルニスタミアにも確かに惹かれていた。
 理性では兄、感情では関係のある血縁カルニスタミア。
 普通に言えば優柔不断だが、それは生まれ持った性質でもある。
 本人の理性では決して押さえ込めない、第四の本能と言っても過言ではない性質。その事を踏まえて、帝国宰相はカルニスタミアとの関係を黙って見つめていた。
 両性具有は近親者を好むように作られている。はっきりと言えば近親者を肉欲の対象としてみる傾向が強い。
 ケシュマリスタ王はザウディンダルがカルニスタミアの近親者であることを知らないで仕向けた。だが帝国宰相は知っている。
 弟であり妹であるザウディンダルが自分に対し感情を持っていることを世間一般に隠さないのは “両性具有だから近親者に惹かれている” ことを他者にはっきりと示し、その上で拒絶する。その結果を持って『帝国宰相にあてつけでカルニスタミアと寝ている』という方向に世の中の考えを誘導していた。
 皇帝にすらそのように語るほど、彼等は情報を操作している。
 ザウディンダルは自らがカルニスタミアの血縁だと知ってしまったが、それをカルニスタミアに知られてはいけないのだ、自王家の僭主を狩る王子に知られてはいけない。

 カルニスタミアがビーレウストの口から既にその事を知っていることまでは、帝国宰相もハセティリアン公爵も知らない。
 カルニスタミアがこの事実を掴んでいることを二人が知るのは、この時から五年の歳月を要する。

「……ほぉ〜大したものですな」
 帝国宰相と共に情報を操作しているハセティリアン公爵は、欺瞞を突き破り真実を見抜いたロガに心の底から感心の声をあげた。
「父親が違うと陛下が告げたところ、セボリーロストが父親ではないか? と申されたそうだ。皇君か皇婿か? 二分の一の確率だが当てた」
「后殿下は皇婿がテルロバールノル王子であることはご存知ありませんよね?」
「知らぬであろう。名前から判断したら “ロスト” が付いているからロヴィニアだ。容姿もテルロバールノルが顕著に現れているわけでもない。フォウレイトに聞いたが、そのような話はしていないとの事だ。環境の激変で熱を出し寝込んでいる年端もいかぬ后殿下の枕元で “誰がどの家の第何子で” 等と語るほど無神経なのは配置しておらぬ」
「 ”ぱっと見” は似ていませんからな。言われて見れば似ていることは ”解ります” が。初めてではありませんか? 皇婿とザウディンダルの関係を見抜いた部外者は」
「ザウディンダルのことは、先入観で欺いているところもあったが……まさかそこまではっきりと解るとは」
 幾重にも幾重にも張り巡らせていた目眩しは、徐々に剥ぎ取られてはじめていた。彼が覆い隠したい事実も、そして別の誰かが覆い隠したい事実も。
「后殿下は他にも何か言われてましたか?」
「口外せぬようにと言われたが、カレンティンシスを最初女と勘違いしたそうだ」
 重苦しい会話に休憩を入れるつもりで帝国宰相は語ったのだが、その言葉にハセティリアン公爵は思うところがあった。
「…………」
「どうした? デ=ディキウレ」
「妻と共に詳しく調べてもよろしいでしょうか?」
「何か疑問でもあるのか?」
「実は声を変えるとき、カレンティンシスだけ女性の音域が入るのですよ」
 今までそれに関して疑問を持つことはなかったが、ザウディンダルとカルニスタミアを姉弟と判断したロガの洞察力を信じれば、その事に関して疑問を抱く必要が出てくるのだ。
「……」
「男性の声に女性の音域が入るのは “稀にあり得ること” です。事実その声を再現できる私にも存在するものですので、今まで何とも思っていなかったのですが。長兄閣下」
「何だ?」
「后殿下の正確な言葉は解りませんか? どのような順番で今の話になったのか? 后殿下はテルロバールノル王を女性だと思い、そしてザウディンダルとカルニスタミアを姉弟だと思った、なのでしょうか? それとも違う順序なのでしょうか? この場合、発言の順番が重要です」
「妃とともに調べてみろ。だがカレンティンシスの音声に女のものが含まれているとは知らなかったな。発言の音声分解などをした際にも確認できなかったが」
「記録に残らない方の声です。ビシュミエラの歌声ですよ、かの “射程を視る声”」
「機械声か」
「決して記録には残らない、生物の耳でしか聞くことができない原始にして未来の声です」
「あれならば、確かに……」
「私が知っている中で、カレンティンシス以外に “射程を視る声” を持つ者は二人おります。一人は陛下、もう一人はザウディンダル」
「テルロバールノルに “射程を視る声” を持つものが多数いるという事か?」
「陛下は全く関係ありません。四代続けてテルロバールノルの皇帝は出ておりませんので。陛下には最も遠い血筋。表面上は五代遡ればテルロバールノルですが、実際はほとんど流れていない状態です」
 三十四代皇帝ルーゼンレホーダはザロナティオンの完全なるクローンだが、対外的にはザロナティオンと正妃との間に生まれた子となっている。
 体裁をつくろう為に正妃とされたのがテルロバールノルの王女。世間から見れば三十四代の外戚はテルロバールノルなのだ、事実は違っていても記録にはそう残されている。
 三十四代で失敗した≪後期ザロナティオン≫の完全なるクローンがシュスターク。その中には≪射程を視る声≫の持ち主であるビシュミエラが含まれているので、その声を持っていても詮索する必要はない。
 語っている当人を除けば残るは二人。ザウディンダルはかなり弱いが射程を視る声を持つ。同じく弱く持つのがカレンティンシス。
「あの男を女性だと思ったことはありませんでしたが……あの男が “男性であり女性でもある” と考えますと、今まで合致しなかった幾つかの符号が、ぴったりとあてはまります」
 帝国宰相、ハセティリアン公爵とその妃、近衛兵団団長、帝国最強騎士、そして帝国軍代理総帥の六名が探っても探りきれない一つの出来事。それは≪巴旦杏の塔≫を復元したのが、先代テルロバールノル王ウキリベリスタル。
 彼がザウディンダルの祖母にあたる男王クレメッシェルファイラとその家族を捕らえ、ディブレシアの前に引き出した。両性具有の子が子をなせば高確率で両性具有になることを、王であるウキリベリスタルが知らないはずがない。
 両性具有を殺すことは出来ないが、両性具有が産んだ単一性の子は殺しても何の罪にもならない。それなのに彼はわざわざ五歳と三歳の息子をディブレシアの元に引き出した。彼の行為は両性具有を欲していたとしか思えない。
 だが彼が “何故” 両性具有を欲したのか? そこまでは解らなかった。
「デ=ディキウレ。何度も言うが、巴旦杏の塔を復元したのは先代テルロバールノル王ウキリベリスタルだ」
「あの王はザウディンダルがまだ幼少で、陛下と交渉も持っていないのにも関わらず、ザウディンダルを登録して塔を稼動させました。あの王は何を焦っていたのか? 探してみるも私の力が足りないばかりに答えは掴めておりません。男であるシュスター・ベルレーの我が永遠の友は両性具有のエターナ・ケシュマリスタ。女王でしたね。傍若無人に強いザセリアバには二歩ほど劣りますが、近衛兵として何の問題もない強さを誇るラティランクレンラセオ。カレンティンシスは近衛兵には遠い位置にいます。そして両親を同じくする兄弟に無性がいるランクレイマセルシュは両方の性を持つ可能性は皆無……祖先の “人間” が強いのだとばかり思っていたのですが、もしかして」
「行け。デ=ディキウレ」

 このやり取りを、二人以外で知る者はハセティリアン公爵妃、ただ一人。

**********

 公爵妃はこれらの出来事を聞かされ、詳細を調べ上げるも最後の砦で阻まれる。その砦とは、エーダリロク。
 カレンティンシスの身体データを採取するためには、二種類のルートしかない。一つはカレンティンシス本人の長官コードを解明し、そこに潜り込むこと。
 もう一つは、次に権限を持つエーダリロクのコードを元にして探りをかけること。
 特にエーダリロクは帝国においてただ一人 《二つのコード》 を持っている。一つはロヴィニア王弟としてのコード、そしてもう一つは皇帝と全てを同じくする帝王のコード。
 通常使用しているエーダリロクのコードは ”偽造” ザウディンダルのことを隠し通すために帝国宰相が皇帝に対して ”偽名” を用いているように、エーダリロクはほぼ全ての人々を騙すために、自分の基本コードを完全偽造することを許可されていた。
 皇帝が唯一許可している 《偽造コード》
 皇帝の代理人である帝国宰相の部下であり、帝国宰相がもっとも囚われているザウディンダルにも繋がる可能性の高い ”カレンティンシス両性具有説”
 エーダリロクの偽造コードを簡単に ”偽造” できる立場であった。そしてエーダリロクは自分の書き換えやすい方のコードを偽造されるのを待っていた。その網に彼女がかかった時、エーダリロクは即座に取引を持ちかける。

「貴様には語れんが、帝国宰相には条件付で教えてやってもいい」

 その情報を受け取った彼女は、デ=ディキウレと話し合い、正体を掴まれたらしいことを含めて帝国宰相に告げる。
 報告を受けた帝国宰相は驚くでもなく、表面上は冷静に語る。
「お前の正体があの銀狂に知れていることは、知っていた。つい先日、ザセリアバの方から ”計算のやり直し” 要求がきてな、問いただしたところ、銀狂にお前の存在を当てられ、その後いくつかの協力を持ちかけられて断り切れなかったそうだ。それにしても、あの男……何処まで知っている」
 その後、他に言われた事はないかと尋ねられ、公爵妃にかわってデ=ディキウレがある情報の提示許可を求める。
 《ウキリベリスタルの暗殺について》
 取引というよりは恐喝に近い状態である情報の提示を求められ、二人は困り果てる。エーダリロクは真実を公表するつもりはないが、知りたいことがあるとして公爵妃に 《彼女の正体を秘密にしておく代わり》 にそれを求めた。

 真実は公表しないとしたエーダリロクの言葉をどこまで信用していいものか? 

 二人で勝手に判断を下すには、あまりにも相手が悪いと帝国宰相の指示を仰ぐ。聞かされた帝国宰相は、彼がこちらの情報を語りたがっているのだろうと判断し、カレンティンシスの 《正体》 を聞くために 《神殿》 へと入った。
 彼等の特殊な視力でなければ何も見る事の出来ない。皇帝と暫定皇太子、そして帝国宰相以外は立ち入ることのできない神殿。その暗がりで待っていたエーダリロクに背を向けたまま、帝国宰相は先に暗殺について語り始めた。
「先に言っていいのか? 俺が語らないで逃げたらどうする?」
「貴様はこの事件など興味はない。情報を伝え、私達の動きを監視するのが目的。だが私になんの見返りや情報も求めずに、この事実を語るわけにはいかない。そう、真実を語るに値する情報を求めているという姿勢で、これが真実であることを裏付けようとしている」
 互いに背を向けている銀髪の男二人は、周囲には何も無いただ広いだけの空間を見ながら、何時でも斬りかかれるように、逃げられるように、撃てるように体勢を整えて話続ける。
「俺がなんでウキリベリスタルの暗殺に興味がないと言い切れる? 俺はあの男の後任だぜ」
「貴様がウキリベリスタルに劣る箇所はない。あの男が手に入れられたもの、貴様の手に入らぬわけがない。私は銀狂陛下の性質は知らぬが、銀狂殿下の性質は誰よりも知っている。両性具有の管理者に値するかどうか? それを見極めたのは私だ。貴様がウキリベリスタルのような男であったら、私は貴様を殺害していた」
 帝国宰相の声は笑いを含んだ、普通の人は聞いた事のない軽い。その軽い言葉のなかに、棘ではなく罠が含まれていることをエーダリロクは感じながら言い返す。
「買いかぶりだ。今だってウキリベリスタル暗殺の真相を知りたくてあんたを呼び出した」
「本当に知らないのか?」
「あんたが知っている ”事柄” は知らない」
 帝国宰相はなにもないその空間に笑い声を響かせながら、銃を構えて振り返る。
「貴様は興味がないのに聞くのか? 時間の無駄ではないか? 貴様が本気であれば、ウキリベリスタルの暗殺に関して ”私が知っている事” 程度ならば、すぐに調べられた。調べられるように私は証拠を残している。だが貴様はその手がかりに触れていない。貴様に取ってあの暗殺は大きな出来事ではなく、また巴旦杏の塔に関係のない事柄だと既に判断を下しているからに他ならん」
 銃を突きつけられたエーダリロクは、瞳を閉じて頷く。
 証拠とはカプテレンダの証言と証拠品の食い違いのこと。エーダリロクならばそれを丹念に調べ、早い段階で帝国宰相配下の仕業だと突き止めることが出来た。
「降参だ。下手な取引なんて持ちかけるもんじゃねえなあ。実際俺は興味はねえが……」
 それらを詳細に調べず 《カレンティンシスに関しての口止め》 を優先し、先走りすぎたと、噛み締めながら額にあたっている銃口の冷たさを感じていると、それが離れた。
「興味はないか。だが興味はなくとも、解明はしてもらおう」
「……」
 離れた銃口と帝国宰相の言葉に、ゆっくりと瞼を開き首を傾げた。
「何を解明しろと? フューレンクレマウト(帝国宰相)」
 ロヴィニア語で帝国宰相と語りかけてきた 《銀狂陛下》 に、頭を下げることなく、見下すように話を続ける。
「暗殺については語ろう。だが暗殺の影にあった別の何かを探り出し、解明してみせてくれ」
「フューレンクレマウト、お前が自分で探れば良かろう」
「私では無理だ。私はウキリベリスタルに関しては憎悪を持ちすぎている故に、他の側面から見る事が叶わない。私の見方、そして暗殺の真実を探っているカレンティンシスの、テルロバールノル王家としての見方。私もカレンティンシスも、自分の見たいものしか見えない。そのことを理解はしているが、それ以外の考えを持つ事ができない。隠れている ”事柄” に辿り着けず、ウキリベリスタルが企んでいたであろう ”何か” を導き出せない」


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