ALMOND GWALIOR −101
「アジェ」
『ヴェッティンスィアーン公爵殿下』
「また仕事を依頼する。今日で四日目だ」
『ではエーダリロクを襲ってきますな。それでは』
エーダリロクは三日に一度は妻であるメーバリベユ侯爵にキスする約束を ”意図的に” しなかった。
「お前は何を手に入れる? エーダリロク」
架空の名で作っている個人的な預金通帳の数字を見ながら、ランクレイマセルシュは微笑んだ。通帳の桁が一つ増えたことも楽しいが、この先何をするのだろうか? と考え、後の報告を楽しみに待ちながら。
洋服に必要な機材を全て仕込み、それが来るのをエーダリロクは待っていた。
「そろそろ来るか」
自分の妻にキスをしないで、サドにして人体破壊で有名な伯爵に襲われる。これは最近宮殿では珍しいことではない。
「元気か? エーダリロク」
怪しげな笑顔で近寄ってくる、深紅の癖の強い髪を持つ軍人に、
「やあ、シベルハム」
エーダリロクはにこやかに答えた。
「逃げないところを見ると、何を企んでいる?」
何時もなら顔を見るとすぐに逃げ出すエーダリロクが、ロヴィニア特有の胡散臭さを隠しもしない笑顔での出迎え。
「このままあんたがはしゃいで、同じ趣味のペデラスト閣下の本部に連れて行ってくれたら嬉しいなあ」
赤い髪の下からのぞく瞳、その瞳孔が一瞬にしてエヴェドリットの狂人特有の、線のような細さまで縮瞳し、その後死者と間違う程に散瞳して笑い出した。
「了解した。では、まずスマキだ」
部屋の緞帳のようなカーテンを次々と引き外し、それでエーダリロクを巻く。これでもか! と言う程に巻いて、最後に自分のマントで巻く。
「これで逃げる事は不可能!」
「たーすーけーてーこーろーさーれーるー」
「ひゃほぉぉ! セゼナード公爵とったぁ!」
エーダリロクを右肩に乗せ、アジェ伯爵は全速力で駆け出した。その人を殺す時の笑い声を上げながら、宮殿を走り抜ける。
瞳孔の開きぶりは、どう見ても死んでいるような、そんな状態で彼は嬉しそうに駆け巡る。人間とは違って、瞳孔が開いたまま明かりの下を駆け回っても、全く問題はないアジェ伯爵である。
恐ろしい笑い声を狂ったようにあげている赤い癖毛のエヴェドリット王子が、獲物を持って走り回っている。
それだけで、誰もが部屋から出てこなくなるくらいの恐ろしい状況。
その状況を作ったまま、彼は馴染みの人殺し場所である帝国騎士団本部へと入った。
「キャッセルゥゥ! エーダリロクを一緒に拷問しようじゃないか」
人の死体を蹴り分けて、何時も楽しく拷問仲間のキャッセルに声をかける。
「シベルハム。構わないけど、エーダリロクだったら普通の部屋じゃあ逃げられるねえ。何処に監禁したらいいかなあ」
”いい感じ!” とエーダリロクは次なる希望を述べた。
「情報中枢管理室だーけーはーやめろよー。情報中枢管理室だけはやーめーろーあそこに入ったら、逃げーらーれーなーいー」
要するに、
「よし、情報中枢管理室だな」
「そうだな、情報中枢管理室だ」
そこに連れて行けと言うことだ。
アジェ伯爵とキャッセルは、きゃーきゃー、まるで黒板を爪で引っ掻いた音のような笑い声を上げながら、スマキ・エーダリロクを持って激突していった。
周囲の人達は、それに関して何も言わなかったし、見ることもしなかった。ただ一人、キャッセルの現在の稚児であり、僭主側に通じている下級貴族の息子サーパーラント少尉が、注意深く見つめていた。
「時期を待てとな……しかし、何をしているのだ? エーダリロクは」
「知らねえ。まあ、合図が来るまで少し待とうぜ、アシュレート」
メーバリベユ侯爵から連絡を受けた二人は、内部からエーダリロクによって届けられる筈の ”助けてコール” を帝国騎士団本部の前で堂々と待っていた。
情報中枢管理室のメイン集積回路を前にして、
「きゃーたすーけーてー」
エーダリロクは声を上げながら、機械の外装を剥がし内部に用意してきた機械を次々と繋いでゆく。その背後では、
「まてーエーダリロクー」
「にがさないぞーセゼナードこうしゃくー」
下手な叫び声と、それを隠すために壁などを叩き壊す。監視カメラなど、入った直後に破壊している。
「もうやーめてーくれー。お婿にいーけーなーいー」
「お前には妃がいるだろうがー」
「お妃をーたいせつにー」
間の抜けた声を上げながら必要な機械の取り付けを終えて、救助信号代わりの大砲を放ち、外に連絡をつけてからエーダリロクは二人に向き直り、足と頬を指さした。
そこを傷つけろという事だと、アジェ伯爵は頬に爪をかけ、キャセルは足を折った。その後、アシュレートとビーレウストが助けに来たのだが、
「大丈夫か! エーダリロク!」
「傷は全然浅くねえぞ」
「うん、浅くねぇ……」
それよりも傷が増えたのは当然のことだった。
救出部隊だった二人と戦った、
「楽しかったな、キャッセル」
アジェ伯爵と、
「そうだね、シベルハム」
キャッセルは、とても晴れやかな顔をしながら、滅茶苦茶になった帝国騎士団本部で、互いに肩を叩き合っていた。
治療を終えたエーダリロクの元に、この騒ぎの元である妃のメーバリベユ侯爵が訪れ、ベッドで横たわっている夫の頬にキスをする。
「よくやった、メーバリベユ侯爵」
「私は何もしておりませんよ」
ベッドに腰掛け、暫く情報交換も兼ねて近況を話し合った。
「じゃあ、陛下は后殿下と一緒に寝てけど一切触れてないと」
「そうですわねえ。胸を触ることすらいたしません。それどころかキスすら」
童貞王子ですら、情けない顔になってしまうほど、彼等の皇帝の行動は弱腰だった。
「そういう場合って、こう……后殿下から誘いとかは?」
「まだ慣れていらっしゃいませんから。陛下は触れたいようで、手を繋いだり腕枕をしたり、髪をずっと撫でたり、自分の上に座らせて包み込むようにしてお話を聞かせたりなさってますが、肝心の行為は」
《さすがお前の従弟だ、エーダリロク・ゼルギーダ=セルリード・シュファンリエル》
− あんた本人じゃねえかよ!
《いや、違う。……いや、違わないか?》
夫が内心で皇帝の奥手について、帝王と互いに罪の擦り付けあいをしているなど知らないメーバリベユ侯爵は、
「本当はもっとゆっくりとお話したいのですが、后殿下がまだ宮殿に不慣れなので戻ります」
立ち上がって礼をした。
「后殿下によろしく。それとなにか異変があったら報告してくれ」
「はい」
ベッドの上からメーバリベユ侯爵を見送った後、エーダリロクは目を閉じて眠りに落ちた。
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アジェ伯爵と一緒にエーダリロクを交えて遊んで、本部を破壊したキャッセルは帝国宰相に呼び出されて叱られ、覚えている限りの謝罪を淡々と述べてから、修復に関する書類を受け取り、執務室を後にした。
隣で一緒に謝罪してくれたタバイにも、ありきたりな礼をしてから、
「これは、ザウディンダルが本部に来てくれるという事ですか?」
書類にあった名を見て、笑顔になった。
「そうだ。兄が知らないうちに、技術庁の研修に入っていた」
「良いんですか?」
「ザウディンダルはもう二十五で、後見がセゼナード公爵では文句など言えんしな。それで……ザウディンダルが本部に行く際は、出来れば綺麗に片付けておけ」
片付けておくのは、塵や埃ではなく、
「内臓とか肉片とか?」
「そうだ」
もっと困ったものである。
何にしてもザウディンダルが仕事で自分の管理下に来ると喜んでキャッセルは本部に戻り、私室ででその書類を何度も読み返す。
「キャッセル様。食事をお持ちしました」
そうしていると、小柄で線の細い、金髪と深い緑色の瞳を持ったサーパーラントが、トレイに食事を乗せ運んできた。
「ありがと」
脇に置かれたシチューの入った皿を持って、掬いながらも画面から目を離さない。
「キャッセル様、何か楽しい事書かれてるんですか?」
内情を探るよう命じられているサーパーラントは、本当は覗きこみたくて仕方がないのだが、重要書類であればある程、勝手に覗いて殺害される可能性が高いので、慎重にキャッセルの気分を害さないように尋ねる。
サーパーラントが敵方に通じていること、キャッセルは当然知って傍においているので、ある程度の情報は与えなくてはならない。だが無条件に、そして簡単に与えてもいけない。
「私だけが楽しいことだろうね。見てみるかい? サーパーラント」
「良いんですか?」
「もちろん」
先日のエーダリロク相手の下手な芝居と違い、彼に対しては上手く演技を続けていた。
「修理に来られる方ってレビュラ公爵閣下ですか」
「そうだよ。どうした?」
「あの、私初めてレビュラ公爵閣下のフルネームを拝見したので」
ザウディンダル・アグティティス・エルター
それは偽りの名であるが、キャッセルはなにも言わない。弟であり妹であるザウディンダルの名はザウディンダルだけであり、それ以降の名前など彼にとって全く無意味なものであった。
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