ALMOND GWALIOR −81
 ビーレウストとカルニスタミアに通されることを許された女は、間違い無く上級貴族のしっかりとした教育を受けた女性と解る立ち居振る舞いの出来る女性であった。
 年齢よりも老けて見えるのは、死んだ筈なのに治外法権の惑星で生きて来た証。
 彼女に会う前にカルニスタミアは、前のガルディゼロ家の当主はキュラの祖父に当たるので、伯母の名前を知らなくてもおかしくはないとビーレウストが聞こえる程度の声で呟いた。
 ”そうだったな。祖父だったんだもんなあ”
 特に何の興味も持たずにその言葉を受け取り、共に話を聞いてくれと依頼し引き受けてくれたカルニスタミアの隣に座りながら、その伯母の語りを聞き始めた時に、

『知らなかったことを、フォローしてくれたのか……気にしなくてもいいのによ』

 気付つき納得していて、伯母の丁寧な挨拶を聞きそびれたが、ビーレウストにとってそんな事は全く問題ではなかった。ビーレウストにとって大切なのは友人、知人の心遣いであって、それ以外で大切なのは人を殺す事だけ。
「メディルグレジェット・ナッセルトバゼ・デリュセディーナ、ケシュマリスタ貴族に連なる栄誉にかけて、真実を」

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 黄金の髪に褐色の肌、そして皇帝顔の特徴を兼ね備えたその少年
 少年は満面の笑みを浮かべていた
 幸せだったのだろうと、その映像を見ている男は思った
 ”幸せだった” 過去形になっているのは
 男が今の少年を幸せだとは思わないからだ
 勝手に不幸せだと判断された少年は、男に向かって何と言うだろう

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 私は仕事を早退し、妹が入院した療養設備が豊富な病院へと向かった。
 忙しい時期で会社に泊まり込む日が続いていた中での連絡。早退するのは皆に悪いと思ったのだけれど、父が貴族の当主として一族の者を呼び出したとなれば、向かわなければ後で大変なことになる。
 いつもなら貴族としての呼び出しは迷惑だけれども、今日はどうしても行かなければならない事になって良かったと思っている。
 父が寄越した迎えの車に乗り込んでいる時、ロディルヴァルドが通りかかり、付き添ってくれた。
 隣に座った彼は私の手を握りしめてくれる。仕切りの向こう側にいる運転手には気付かれてはいないだろうけれど、かなり恥ずかしかった。
 本当は彼の手の上に、手を重ねたかったがそれはしなかった。私から拒んでいるというのに、そんな都合の良いことは……

『お前の言いたいことは良く解った。だが条件がある』

 私はガルディゼロ伯爵家の嫡子で、本来なら伯爵家を継ぐ為の様々な事を覚えなくてはならなかった。でも私はしてみたい事が多数あった。その一つが普通に仕事をすること。
 上級貴族の嫡子は、その惑星を納める領主として色々な事を学ばなくてはならない。もちろん専門の者を多数雇うが、最終決断を下すのは領主。その為、ある程度の知識は持っていなくては話にならない。
 私は妹とは違い優れた容姿を持っていなかったので、それを補う為にも必死で勉強をした。貴族の当主としての必死に勉強をするうちに、外の世界に興味を持ち、自分の生まれた世界が息苦しくなるとは思いもしなかった。
 学んだ事で息苦しさを知り、そして外に目を向けたとき、私は我慢ができなくなった。両親を説得し、跡を継がないことを許して貰えた。

 ただし条件は多数ある。でもそれらを飲み、私は自由になった。

 ガルディゼロ伯爵家は妹のシャディニーナが、私の婚約者だったアーディルグレダムと結婚して継ぐと決まった頃には、私は町中で小さな家を借りて就職口を探していた。
 小さな編集社に潜り込み、泊まり込む日々を送り、そんな中ロディルヴァルドと知り合う。フリーの記者だったロディルヴァルドがダジェル子爵の第二子だと知ったのが、夜を共にした後だった。
 騙すつもりはなかったと彼に言われたが、私は ”一夜の過ち” とした。そうするしかなかった。
 私が家を出る条件の一つに、上級貴族の男性と肉体関係を持たないことがあった。長子が家督を相続することが当然。私は家を出て相続権を放棄したが、それは家での取り決めであって貴族庁が定めた法令などではない。
 妹が継ぐ時になって始めて 『なぜ長子が継がないのか……』 という質問状があり、こちらから弁明する。勿論その時に語った所で容易に許可されるはずもなく、今父達が他の貴族との調整を行っている最中。
 他の上級貴族が私との間に子を作ってしまい、ガルディゼロ伯爵家の家督を狙う事は充分にあり得るので、私には、
『君の事が好きなんだ』

 その言葉を受け入れるわけには行かなかった。

 療養施設が充実していると評判の、街から少し離れた所にある木造の病院。かなり大きな敷地に手入れの行き届いた庭が病院を取り囲んでいた。
「正面からは入らないようにとのことです」
 人気のない駐車場に車を止めドアを開いた運転手はそう言った。妹が入院した理由は外聞が悪いと判断される類のもので、他の家との兼ね合いもあるからなのだろう。私の問題ならば、そんな事を言われても正門から入ったけれど、妹が、それも本来ならば私が受ける筈だった暴力を妹が受けての入院とあっては従わない訳にはないかない。
 裏口に向かうと見覚えのある顔が三人、絶えず小さく動きながら不安げに立ち尽くしていた。その中の一人が私の姿を見つけて、駆け寄ってきた。
「お嬢様!」
 懐かしい侍女の声に、私は少しだけ安堵し彼女の案内で妹の病室へと向かった。正門から入るとホールが見事だと侍女は教えてくれた。でも私はこの病院に正門から入ることはないと思う。
 妹の病室に入る前に、医師との面会があった。画面に映し出された妹は、ベッドの上で身を起こして虚ろな表情で、ただ起きているだけ。生気のない表情を直視するのは、私の身勝手が招いたことだけれども辛くて直視していられなかった。直視できないのはそれだけではないことを、私は自分が一番良く知っている。
 直視できなかったのは久しぶりに見た妹の美しさ、生気などなくとも生来の美しさがそれらを容易に補う。なによりも、木々の緑を抜けた柔らかな日差しが、妹の栗毛をより一層際立たせていた
 私は呼び出されたのだけれども、医者は ”今日は面会できません” と告げてきた。私は専門外なのでそれに何か言うつもりはない。それに両親は知っていて呼び出したのだろうし。
「僕が彼女の代理として会うのは?」
 全く関係のないロディルヴァルドの申し出に、医師は ”自分についてくるのはとめません” と言い ”様子を見てくるから” と囁いて部屋から去り、入れ違いに強ばった表情の両親にが入ってきた。
 挨拶をして侍女が淹れてくれたお茶には手をつけず、画面の妹を見て目の前の両親を見るを何度か繰り返す。
 ロディルヴァルドが妹に話掛けた所で、父は画面を小さくして音声を切り自分だけが見えるようにした。
 妹が入院する原因を作ったのはアーディルグレダム。私の婚約者だった男で、妹が伯爵家を継ぐ事になった後、彼は妹と婚約した。
 癖のある黒髪とあまり気分の良くない笑い声を真っ先に思い出してしまう、背の高い粗野な所のある侯爵家の第四子。
 婚約中に何度か会った事のある相手だが、私は彼が好きになれなかった。彼もまた同じだったようだ。
『美人の妹が良かった。なんでお前が跡取りなんだよ』
 そう言う男だった。だから彼は私との婚約が破棄になり、妹と婚約が整った時、さぞや喜んだだろうと私は思っていた。その頃、私は既に家を出て借りたばかりの何も無い部屋で寝っ転がり、殺風景な天井を眺めながら自由を感じていた。
 天井に絵が描かれていないアパートは、私にとって自由の象徴でもあった。あの見下ろすように描かれる絵画の数々が、私はとても嫌いだった。

 アーディルグレダムは粗野ではなく、暴力的な男だったとは私も両親も知らなかった。向こうの両親は知っていたらしいが、そんな事は貴族の婚姻に何の関係もないだろうという考えだったようで、私達には何も教えてはくれなかった。
 妹とアーディルグレダムの二人は旅行にいって、その先で暴力を振るった。性行為などはなく、ただ殴る蹴るの繰り返し。妹は殴られ内出血でショック死するところだった。
 暴力は婚約が成立してから直ぐに続いていたことは、アーディルグレダムの証言で判明した。事実が判明しても妹の負った深い傷 ”恐怖” は癒えるわけでもなく、アーディルグレダムが裁かれることもない。
 婚約解消で家同士は決着をつけた。そんな対応に腹がたったけれども、深追いしてアーディルグレダムやその実家が悪い噂を流すかもしれないし、暴力沙汰になったら実家が潰れる事になる可能性が高い。
 昔は諍いから武力衝突をした貴族もあったが、暗黒時代の余波で貴族が兵器を用いて攻撃などすると、簒奪の意志有りとして即刻処分される。
 最悪の暴力である武力衝突が認められないのは、良いことだけれども……

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 君が近しい人を大切に想っていることは知っている
 だからと言って、君が不幸になるのは間違っている
 君も幸せにならなければならない
 何故って? 君が幸せにならないと、私も幸せになれないからだ

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「あんたのせいで! 私の人生を犠牲にして ”自分の生きる道” を手に入れるあんたなんか!」
 私は妹を苦しめるだけの存在となった。妹に昔のように花の顔に笑顔を取り戻したくて、仕事の暇をみては妹を病室から連れ出した。
 最初は病院のホールで、そして庭に出て散歩し、徐々に外へと。両親は私が妹に良くない影響を与えるのではないかと心配していたが、それを無視して私は妹と出かけた。二人だけだと何かあった時に困るだろうとロディルヴァルドも付いてきてくれる。
 三人で行動する事が多くなった、そして徐々に妹の視線がロディルヴァルドの方を向いてゆき、私はそれに気付いた。勿論ロディルヴァルドも気付いた。
 妹がロディルヴァルドに好意を抱いたことを知った時、私も妹と同様の感情を彼に抱いていたことに気付いた。
 私は此処は身を引くべきだと考え、そしてロディルヴァルドに妹と結婚してガルディゼロ伯爵家を継いで欲しいと頼んだ。
 早くから家を出ていた自分には無理だとロディルヴァルドは言ったが、それは私が補佐するから是非とも妹の気持ちを汲んで欲しいと。貴族社会にずっといて、何時か貴族の当主の婿になってそれから……と考えたアーディルグレダムとは違い、私と同じような条件で貴族社会を捨てた、それもかなり早い歳で捨てた彼は貴族当主の補佐はままならない。
 妹のシャディニーナは美しく、跡取りではなかったので両親は割合甘やかして育てた。
 ”これだけ美しければ、夫は選べるからなあ”
 両親は楽しそうに、候補者の書類に目を通してそんなことを言っていた記憶がある。
 恐らく私が実家を出ず、アーディルグレダムと結婚して暴力を振るわれたとしても……両親は助けてはくれなかったような気がする。勿論私は黙って殴られているつもりはない。それを両親は知っているからこそ、妹を見舞った病院で、
”お前、もう一度アーディルグレダムと婚約しなおして、伯爵家継がないか”
 面と向かって私に言えるのだ。
 死にかけるほど妹を殴った相手と婚約し直して、家を継げと。

 ロディルヴァルドは妹との結婚を承諾した。ダジェル子爵家も、今までふらついていた息子が家督を継ぐ美女との結婚に乗り気だった。
 私がいなかったら、全てが幸せに収まるのだと思うと、虚しさから涙がこみ上げてきた。
 そしてロディルヴァルドが言った。
「シャディニーナとは結婚できない! 自分の気持ちを偽ることは出来ない」
 結婚式のその当日に、彼はそう言って私を愛していると両親に告げた。父は頭を下げているロディルヴァルドから視線を移して、
「彼はこう言っているけれど、お前はどうなんだ? メディルグレジェット。彼と結婚してガルディゼロ伯爵家を継ぐ気はあるか?」

 事態を知った妹は正気を失い、私は花嫁となった。


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