ファルメンタ
― キサ王妃 ―

 最初に壊したのはレンペレード館。後は価値もない館ばかり。
 レンペレード館を壊す時は、ずっと立ち会った。アグスティンは「そわそわ」しながらあたしの表情を盗み見ていた。
 レンペレード館が壊され瓦礫一つ残らず撤去された後は、あたしはそこに近寄りはしなかった。
「王妃殿下。全ての撤去作業が終わりました」
 その報告を受けて私は立ち上がり、何も無くなり庭となった場所へと向かった。
 あの人、帰ってきたのよね。
 隠れて、国民の誰にも知らせないで。卑怯者らしい戻り方よ。
「王妃殿下」
「私はあの男に会う気は無いから」
 アグスティンが出迎えて、話をしているはず。
 本当は出迎えに並んで欲しかったらしいけれど、誰が出迎えてやるもんかっ!

**********


 愛妾の館が建ち並んでいた敷地、館を取り潰して、誰が見ても「雑草が生い茂っている」としか言わないような庭を造らせた。
 道もなければ彫刻もない、噴水もなければ手入れも行き届いてはいない。
 そしてあの通路は封鎖させた。
 此処から外に繋がる道はない。
 恐らくこの辺りだったろうと言う場所に立って、私は膝をつき手袋を脱ぎ大地を撫でる。
「通路は閉鎖したんだよ。だってさ、あたし……弱いから、此処から外に繋がる通路があったら……」

 逃げちゃうと思うんだ

 あんなに貴族になりたくて名前まで変えて貴族の落胤とか名乗ったり、王族とかに憧れて ”メセア良いな!” とか言ったりしてたのに、いざその立場になってみたら逃げたいだなんて、無責任にも程があるけれども、それが正直な気持ち。
「カミラは強い。今なら良く解るよ」

 赤い髪の少女は強かった。

 何であんなに強かったんだろうかと思う。カミラの強さは一体何だったのか? 今でも解らない。
 あたしは弱いから、外に繋がる道を封じさせた。
 多分逃げる。怖くて逃げてしまう。
「王宮大きくなったよ。新帝国の新公爵家にして新王家だから増築しないといけないんだって! あたしが生きているウチには終わらなさそうなの。どんなに大きくする気なんだろうね!」
 増築の話を聞かされた時、あたしは真っ先に此処を確保した。
 此処には絶対に何も建てさせない、極限られた少数の人しか立ち入らせない事を皇帝陛下に認めて貰った。
「本当は、此処には誰も立ち入らせたくないんだけどね」
 カミラが笑っているような気がした。
 カミラは此処にいるんだと思う。インバルトボルグは帝国にいるけれど。二人が同じ人間であることは認めている。
 否定する気なんて無い。
 でも此処にいるのはカミラだ。

 この小さな敷地にカミラが残っていても良いじゃない。
 
 鼻の奥が苦しい。視界が少し歪む。泣きそうになっている自分に、あたしは声をかける。
 ”この程度で泣くんじゃない!” って。
 涙は流れないのだけれど、瞳は涙をたたえたまま。
 何時この流れない涙は止まるんだろう。止める方法は知っている、泣けば良いんだ。思いっきり涙を流せばいいことは知っている、けれども泣きたくはない。
 そうしていると、扉が開き伝令が何かを言ってきた。
 あたしは無視する。
 そして次にアグスティンが声を掛けてきた。”ラディスラーオが会いたい” 私は振り返りもしないで黙っていた。
 涙がこぼれ落ちそうになったから、目を閉じて指先で目尻を拭う。脱いでいる手袋を握り締めて、口の端を上げる。
「邪魔をする」
「本当に邪魔よ、ラディスラーオ」
 私は振り返った。
 言われた方は全く気にしてはいない。おろおろしているのは、少し離れた所に立っているアグスティンだけ。
 ラディスラーオは手に持っていた小さな箱を無造作にあたしに向かって差し出した。
「これは何?」
「受け取ってくれ」
「私は貴方からの贈り物を受け取る事なんて、生涯ない」

 ”もう許してやってくれよ” とアグスティンは言うけれど、あたしは許すつもりはない。

 受け取らないと解ったラディスラーオは、包装紙を乱暴に剥ぎ取り箱を開いて、贈り物自体を見せた。
「同じ物を買って返すと約束した」
 チークだった。
 あの日、カミラにあげた化粧品の一つ。……あの化粧品は何処に? 母さんが片付けてくれたのかなあ。
 ああ、目の前の男が差し出し小さなそれに、あたしは自分の情けなさを全身に感じる。喧嘩したけれど、死化粧頼まれたのにしてあげられなかった。
 カミラが刺された直後からあたしの記憶は無くなって、気が付いたら 《皇帝の勝利》 としてあの覇帝の手の中に在って、あたし達は会う事ができなかった。
 再会できたのは、あたしが王妃で公爵妃になってから。
「全然違う色よ」
「そうか、似ていると……」
「あたしがカミラにあげたチークは限定品だったし、大体そんな色じゃないわよ!」
 あたしはラディスラーオの手から取り上げて、そのチークを頬に塗った。頬の色が変わるまで塗りつけた。
「似合わないでしょ」
 そして投げ捨てる。
「……ああ、似合わないな」
「あたしがカミラにチークあげた時、あたしは十代だったのよ。今あたし幾つだと思ってるのよ! 三十半ばよ! もう使える訳ないじゃないの! ……本当に女心が解らない男よ……ね……」

 なんであたしが、こんな男の前で泣かなければならないのか?

「買って返すって、あんた何したのよ!」
 両手で顔を覆い、情けない泣き声で小娘のように叫ぶ。あたしはどんなに頑張っても、カミラのようにはなれない。
 この程度で泣いて叫んでしまう。
「驚かせてしまって、あれの手から落ちて割れてしまった」
 遠くに語りかけるような声に、あたしは顔を上げた。
 ラディスラーオはあたしの肩越しに、無くなったレンペレード館を観ていた。レンペレード館だけは残したらどうだ? と多数の人に言われたけれど、あたしは強硬に取り壊した。後悔はしてない。
「館、取り潰したの怒っている?」
「怒る理由などない」
「そう……」
 あたしはラディスラーオに会う度に罵ってきた。この男は黙って罵られてきた。でももう、罵る言葉がない。
「邪魔をした」
 ラディスラーオはあたしが投げ捨てたチークを拾おうとしたから、
「割れてる筈だから買って返すわよ」
 ラディスラーオは拾ったチークを見ながら笑う。
「買って返されても困る。俺は使わん」
 あたしは寄越せと手をのばし、
「あんたが困ろうが、あたしの知った事じゃない」
 躊躇っているラディスラーオからチークを引ったくる。
「そうだな」

 もう一度笑って去っていった。

 あたしはそのチークを握りしめて空を仰ぎ泣いた。何故この場にカミラが居ないのだろうかと。
 命に替えてまであの男を守った少女が、何故あの笑顔を見る事が叶わなかったのか?
「キサ……」
「だから会いたくないって言ってるのよ!」
 あたしの叫びに、
「多分見てたよ」
「……何が?」
 アグスティンはあたしを抱き締めながら、ゆっくりと語る。
「此処にはカミラが居るんだろ。多分お前の肩越しに、あの人の笑顔を見てたに違いない」
 あたしはゆっくりと振り返ったけれど、そこには誰もいない。
「それと、今でもその色似合うよ。若い頃と全然変わらない」
「当たり前じゃない。似合わないって言ったら、家からたたき出してやるわよ!」
 あたしは手を払いのけて、脇をすり抜けて歩き出した。
「ま、待てよキサ!」

 あたしは此処に来るだろう。
 何度も何度も足を運ぶと思う。逃げたくなる時に此処に来て、あたしは話掛ける。
 あたしは自分の為に ”カミラ” がずっと居て欲しかった。
 でも此処から逃げていったラディスラーオが ”カミラ” の元に戻って来た。今になってと思うけど、今までかかったのだろうとも思う。
 認めたくはないけど、あの男に返す。此処には誰もいない、でも私は此処で悩み泣くだろう。
「待ってくれ! キサ。そういう意味じゃなくてさ!」
 私の隣にいるのは冴えなくて情けないけれども、この人なんだ。
 あの男は、ラディスラーオは問いかけても答えてくれないカミラと共に一人生きていく。私は問いかけたら返事が返ってくるこの人と一緒に……

「あたし……いいや、私はもう良いから、あの人の隣にずっと居てあげなさい」

**********


 誰もがあの人を最早赦している、でもあの人は自分を赦していない。

 キサは今でも抵抗しているのだ。平民達が慕っていたエバーハルト皇子とガートルード姫の間に生まれた最後の王女を苦しめた男を。
 それがあの人が何よりも望む事だと知っているから、キサはあの人を嫌い続ける。


 最後に壊したのは、レンペレード館の秘密通路だった。最早外部に繋がっている事が知られてしまったこの通路は、潰してしまうしかない。
 壊す前に通路を通った。
 長年使われていなかった通路は埃っぽい。
「ん?」
 廊下の隅に丸まった布。何だろうかと手を伸ばしてみると、そこには化粧品が包まれていた。
 俺は廊下に座り込み、布から化粧品を取り出して一つ一つを確認する。
「これって……」
 割れていたチークに覚えがあった。俺が昔キサにプレゼントした限定品。何故ここにこれが?
 この辺りはインバルトの死亡後、早い段階で一斉封鎖されて……

「リタさんが隠したのか?」

 俺達はインバルトが奪われてゆくのを黙って観ている事しか許されなかった。
 彼女なりの、最も皇后から遠い立場に在って、慕っていた一人の平民の僅かな抵抗とも言えない抵抗。
 俺はリタさんに連絡を入れ、そしてあの人に連絡を入れる。
 あの人は困ったような表情を浮かべた後、この国に戻ってきた。
「キサに会っても」
 あの人は足を止めて、
「俺は妻を喜ばせる事も、女を楽しませる事も出来ない。出来る事と言えば悲しませる事ばかり……だから泣いたら後は頼むぞ」
 そう言って、キサの元へと近付いて行った。

 キサのあの人嫌いは徐々に有名になり、最終的には宇宙全域に知れ渡った。キサの言い分と抵抗の理由は理解されたが、強情な女だと誰もが思ったらしい。
 そして何時の頃からか 《ファルメンタ》 は ”抵抗” の意味を持つ言葉になってゆく。

 二人の平民の小さな抵抗。何も変える事は出来なかったけれども、一人の男を救った。

 ありがとう、私の王妃。兄を救ってくれて、ありがとう。


《終》


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