ビルトニアの女 外伝1
貴方を抱いた日
「無料では引き受けられない話だな」
「誰も無料とは言っていない。トリュトザは金を出すだろう。もっとも手前が金なんざ、欲しがるとは思えんがね」
「金など欲しいと思ったこともない。そうだな、私の愛人になれ」
「俺が手前の愛人に?」
「そうだ。その引き換えに、国王の座の安定と身の安全を保証してやろう。お前の愛しい男のな」

 冷たく笑う男を見たのは初めてだった。十六年の生では遭遇できなかっただけなのか? ここに来なければ出会えない稀少な存在なのか? 考えるだけ馬鹿らしいことなのかもしれないけれども。

第一話・威勢のいい少女・冷たく笑う皇帝


 襲われていた少女を背負い歩いていると、馬車が視界に入ってきた。八頭立ての馬車なんざ、国王でも街中では乗らない。
 そんな豪華で町中を走るに適さない馬車に乗っているのは誰か? 間違いなく『皇帝』だ。
 背負っている少女を助けた際に逃げた奴等が、仲間を引き連れてやってきた。数頼みは間違いじゃない。
 だが絶対でもない。
 町中で柄の悪い男達を切り裂いてはじき飛ばす。それを見ていて興味を持ち、八頭立ての馬車を止めて降りてきた男。
 褐色の肌に片眼鏡。
 濡れいているような黒い髪、そして紫色の唇。片眼鏡の向こうにある虹彩の無い瞳から見下ろしてくる。
 俺が捜していた、いや捜すのではなく ”会おう” としていた相手。
「オーヴァートだな?」
 確認するまでもない程の威圧感と、無視できない違和感。生まれが違うなどではなく、存在が違うとしか表現できない姿。
「そうだ。お前の名は?」
 俺が殺した ”生きのいい死体” を前に口を歪めて笑う表情は、精神が “何か” に蝕まれているように感じた。
「ドロテアだ、手前に話がある。ついでに、この生臭い屑片付けてもらおうか」

 熱を持ち居座っていた死臭に背を向けて、許可も取らずに馬車に乗り込んだ。

 馬車から降りる頃には、背負っていた少女は顔色を失っているが、落ち着きを取り戻しつつある。
 少女はマリアと名乗った。
 弟とは全く顔立ちも体つきも違い、両親の再婚による連れ子同士の姉弟なのかと思いつつ眺めていた。
 マリアと弟はそこで別の馬車に乗り換えて、家まで送ってもらうことにした。”ありがとう” と頭を下げる二人に、
「またな」
 声をかけて見送った。二人を乗せた馬車を見送る、馬車は居城の敷地内で、俺の視界には映らなくなった。
 何時までも立っていても仕方ないと向き直り、見るからに木ではなく、触れてみると石でもない、指先で弾いてみるとガラスではないことが解る 《居城》 内部へと進む。
 如何なる地上に存在する王宮よりも豪華な“別邸”
 案内の後ろをついて歩き、途中で稀代の大学者、アンセロウムに簡単な挨拶してまたしばらく進む。
 城内を歩くのにこれほど精神を消耗するとは思ってもみなかった。
 全く知らない場所というだけではなく、靴底に感じる得体の知れない建材がより一層精神を疲弊させる。
 先に到着していた皇帝が廊下に立ち、手招きをする。
 その手招きは、動きは確かに ”近寄れ” を表現していたが、拒絶しているように見えて足が動かなかった。
 俺の態度をどのように理解したのかは解らないが、皇帝は部屋へと姿を消した。立ち尽くしていても仕方ないことは解っているが、足は中々動かない。
 皇帝を見た時のぬぐい去れない違和感に上乗せされる、種類の違う違和感。恐怖感でもなければ、恐ろしいものでもない。
 長旅で疲れただけだと自分に言い聞かせて、俺は足を踏み出した。
 部屋は当然ながら広く、暗くて壁の辺りはよく見えない。
 俺の視界にはいってくるのは、少し大きめだがありふれたデザインのベッドだけ。
 皇帝は毛布もなにもない、そのベッドに腰掛けた。扉を閉めた記憶はないがゆっくりと明かりが狭まる。
 完全に閉じられるのだろうと考えていたら、途中で止まった。
 そこから漏れてくる明かりが、この部屋唯一の光源。
「それで、面会目的は? なんの目的もなく私に会うものは存在しない」
 薄暗い部屋の中で、表情を見て話したいと不躾と言われるような態度で近付く。皇帝は拒否せずに、近付いた俺を正面から見たまま話を聞いた。
「無料では引き受けられない話だな」
 聞き終えた皇帝は口の両端を上げた。
 これを笑ったと表現していいのだろうか? そんな感情しか湧き出てこない口の動き。目が笑っていないなどという表現では到底言い表せない。
「誰も無料とは言っていない。トリュトザは金を出すだろう。もっとも手前が金なんざ、欲しがるとは思えんがね」
 この大陸全ての支配者。
 金貨の元、金鉱から産出される金も皇帝の物であり、全ての国は皇帝に ”大陸使用料金” を支払っている。
「金など欲しいと思ったこともない。そうだな、私の愛人になれ」
「俺が手前の愛人に?」
「そうだ。その引き換えに、国王の座の安定と身の安全を保証してやろう。お前の愛しい男のな」

 ”愛しい男” か……懐かしいと言いたくなるほど、遠い表現だ。

「好きにしろ」

 座っている皇帝の上に乗り、服を脱ぎすてて胸を露出した。胸に触れてきた掌は大きく、俺の上半身を覆い隠してしまうかのようだった。
「年は幾つだ、ドロテアとやら」
「十六」
「私の十五歳年下か。まだ処女でも珍しくはない年だが、お前はすでに女か。立派な女とは言えないが」

 扉が閉まった音が聞こえた時、扉が閉まった事実に気付いた。その時俺は既に目を閉じて、明かりの反対側を向いていたから解らなかった。

 暗闇の中で、全てが冷たい男、肌も冷たい男から離れたくてもがいた記憶が残っている。

 暗すぎて何がどこにあるのか解らない、寒さしか感じない部屋。行為が終わって体を離され、やっと思い通りに動くことができるようになったので、ベッドに掛かっているシーツを引き剥がし丸まった。
 抱かれたというのに、体は酷く冷たかった。感情が関係するなんかじゃなくて本当に冷たい。
「お前は絶世の美女だなぁ。ミロも随分と美しい女を手元に置いていたな」
 シーツはすぐに剥ぎ取られ、また上に乗ってきた男は俺の顔が見えているらしく、語りながらパーツに的確に触れてゆく。
 土台人間とは造りが違う生き物だ、暗闇でも不自由しないのだろう。
「綺麗や美しいって表現するなら、さっきのマリアの方が余程上だろうよ」
 俺の肌に触れている皇帝肌は体温を持っていない。
 異常なまでの冷たさに鳥肌がたち、冷たい舌が体をなぞった痕に外気に触れてますます冷えてゆく。
「あのマリアという娘か。確かに美しいな。あの娘以上に美しい人間は生まれないよ。だがあの娘は綺麗なだけだ、美しいだけだ。綺麗なだけで不幸にする ”価値” がない」
「不幸にする価値? そんなもの必要ないと思うが」
 皇帝に触れられている箇所は、触れられた箇所は冷たい。普段はその存在をはっきりと自覚できない子宮が、冷たさで自己主張するほどに、壊れてしまうのではないかという程に冷たい。
「お前は不幸だろう? 今不幸になっただろう」
「さあね。俺が不幸になったかどうかなんて、手前に言う必要はない。まあ良いや、愛人になるのは構わねえ。学府移動手続きなんかは任せたぜ」
「それと郊外居住の届けも出してやろう。今日からここの家に住め」
「この部屋に住むのは御免だぜ。本を読む手段すらないからな」
「別に部屋を与えよう」
「そうかい」
「ドロテア、お前は何日私の傍にいるだろうな」
「知らないね。全て手前次第だろう? 噂をつなぎ合わせて考えりゃ、手前との関係、一ヶ月も持てば拍手喝采だろうよ。誰が喝采してくれるのかは解らないけどな」

 ”ミロは優しかったな” そんな最低なことを考えながら抱かれていた。
 乱暴な訳ではなく本当に感じさせるが、足りなかった。
 俺が皇帝に対して感情がない以上に、皇帝の感情は存在しない。なにも存在しない。だが抱いている。
 俺の体を抱いている皇帝、褐色の肌が闇に溶け込んで、暖かさも感じさせない皇帝と呼ばれる男は、女なんぞ吐いて捨てる程だろうし、手に入れようと思えばいくらでも手に入るだろ。
 色々と考えなけりゃならないことがあるだろうが、全くまとまらない。優しくなかろうと、興味がなかろうと、体は昂ぶり快感が背筋を駆け上がり、脳に辿りついて俺の思考を失わせる。

 目的の半分は ”これ” で果たした。

 ミロは王として君臨し続けることができるだろう。
 皇帝の庇護が十年もあれば、独立することもできるはずだ。覚悟を決めて国王になったんだからな。

 ”あのな……ドロテア……”
 
 喧しいくらいに良く喋る男だった癖に、最後の最後で言いたい事を言わないで王宮へと向かった。
 何が言いたかったのか? もう聞きたいとは思いもしないが。
 皇帝は俺がまだミロに未練があると思っているようだが、そりゃ思い違いだ。
 国王になったアイツには、別れを告げるつもりだった。言いそびれちまったが。
 『別れてきたかった』そうは思うが、もう叶わないことだ。
 ここまで遠くにきて皇帝の愛人になったんだ、俺の気持ちも理解するだろうし、諦めもするだろう。

 皇帝の愛人。欲しいものを手に入れるには、持ってこいの ”立場” だ。あとは一筋縄ではいかない皇帝に、どうやって話を持ち出して ”術を施して貰うか” だ。手玉にとれるとは思わない、出し抜けるともかんがえてはいない。
 それに関し今の段階では、暗闇の中を手探り状態だ。今俺が置かれている状態そのまま。
 空気の流れだけはあり、冷たい外気のようなものが肌に触れ鳥肌が立つ。
 せめて掛けるものくらい置いておけよと毒づきたくなるほどに、皇帝に抱かれると寒くて仕方ない。
「男は愛してもいない女を抱くことは可能だ」
「手前は俺の事を愛していないと言いたいんだろう? 不幸にしたいと。それで結構だ。だが覚えておけよ皇帝。男は愛していない女を抱くことは容易いらしいが、女も愛していない男に抱かれるなんざ容易ぜ。なにせ娼婦って職業は、最古の職業とまで言われてるんだからな」
「中々言うな」
「まあ、持って一ヶ月だろうからよ。良くしてくれよ」
 『優しくしてくれよ』や『仲良くしてくれよ』なんて言葉は当然ながら、出てこなかった。そして空気が笑っていた、冷たく冷たく笑っていた。
「ああ、良くしてやるさ」
 長旅で疲れた体をやっと休めることができた。体の全てが冷やされたまま眠りに落ちた。
 そして夢を見た。今日俺が助けた少女が夢の中でずっと泣いていた。

*********


 少女は泣き止やんでくれないので、酷く俺は困ってしまう。
 そして気づいた、どうやったら泣き止ませる事ができるのか、俺は知らない。

第一話・威勢のいい少女・冷たく笑う皇帝[終]


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