勇者ホフレが死んだことは些細なことだが、トルトリア王族最後の一人ゲルトルートが死んだことで、
「ここから、ここまでの条文は全部消さないとなあ」
手直ししなくてはならない箇所が幾つかあった。
オーヴァートは頬杖をつき、笑顔で条文の該当部分を、あの鈍色の瞳で見つめていた。
ゲルトルートの人生を大きく支配した文章は、オーヴァートが見つめている傍から《踊り出す》
言葉としてではなく、紙上から舞い上がり宙で踊りだし、単語が並びを変えてゆく。単語は条文ではなく、ある一人の人生を描き出した。
―― 死にたくない!
文章は《最後の意識》まで書かれていた。
「ボクは女を捨てた!」
剣を構えたまま四人に叫ぶ女勇者の斜め後ろに、壮年の騎士らしき男が控えていた。
「ドロテアに剣を向けて生き延びられた者はいない」
ゲルトルートを追い詰めたものは《なに》であったか?
―― 酒で身を持ち崩しているオットーに太刀打ちできないお前には勇者として生きることは不可能だ
ドロテアに剣を向けた理由は?
―― 本当にヤツから勇者証を取ったのか? エルスト
オーヴァートはなにを望んでいる?
―― 私の代で皇統は滅びるのだ
「エルセンよ皇帝の意志に従え」
オーヴァートがマクシミリアン四世やオットー、ゲルトルートそしてミロに向ける憎悪は、本人たちは意味が解らない。
―― 混血により死にやすくなった ――
それが憎悪の理由。皇帝はどれほど人間と婚姻を繰り返そうとも、皇帝であり続けるというのに、勇者は徐々に人間と同化し、作成した皇帝から離れ、脆く弱く、壊れやすく腐りやすく死にやすくなる。
「ふっふっふっ……簡単に死におって、オットーめえぇぇぇぇ!!」
オーヴァートの瞳には、絞首刑台で揺れるオットーの姿が写っていた。目の前にはないのに《写し続けていた》
「マルゲリーアもアレクサンドロスも、ヤロスラフも! ああああ」
腕を胸の下あたりに組み直し、オーヴァートは嗤った。狂ったかのように嗤ったが、既に狂っているので、普通に嗤ったとも言える。
**********
「開放呪文が刻まれてるってことだな」
「そうですね」
ドロテアたちは”棺”の調査を行っていた。見つかれば後は簡単で、最も面積の広い部分の縁を、もう一つの縁と合わせることで呪文が完成するように作られていた。
「三つの棺を合わせると、中心は正三角形か。滅びの三角そのままだな」
基本的な理論はなにも変わらないので、やることは王学府で習ったことと同じなのだ。
ミゼーヌと最終調整をしている所に、
「ドロテア。連れてきたよ」
エルストがビシュアを連れてやってきた。
「俺に用事ってなんだ」
ビシュアは”なにをやらされるのだろう?”と、顔にあからさまに出して尋ねた。ドロテアはその表情を見て舌を少しだけ出して、テーブルに置いていたある物を放り投げた。
「ほうらよ」
「なんだ?」
ビシュアは反射的に両手で受け取った。手のひらに入る程度の四角く重い金属のような感触のもの。これにビシュアは覚えがあった。人家に入り盗みを働いたとしても、手を出さない物品の代名詞となっている「預金証明書」
本人以外は決して金を降ろすことができない仕組みになっている古代遺跡を使用した《金庫》
「金だ」
「金?」
「手前を連れ回した代金。俺の全財産だ、足りないとは言わせねえよ。言われたところで、それ以上の金はねえが」
名義は当然《ビシュア》になっていた。
本人以外は作ることができない物なのだが、それをドロテアに問う者はいない。
「あんたの全財産!」
「一生遊んで暮らせる金額ってやつだ。それ持って、あとは好きな所に行けよ。なんなら目的地まで送ってやるぜ」
”さあ、お前の仕事はもう終わった”と。
ビシュアは正面からドロテアを見た。誰も触れることはないが、誰もが感じている。ドロテアは魔帝と戦って《殺した》あとに、この大陸から消えるのだろうということを。
勝つのではない、殺すのだ。
勝利するなどと言ったら、嗤われる。
ドロテアは勝つために行くのではない、殺すためにゆくのだ。人々は勝ったと言うだろうが、ドロテアにとっては殺すだけのこと。
「……行きたいところはある」
恐ろしい女だとビシュアは今、この瞬間も感じている。
でも近くで見ていられるのなら、最後まで見ていたいとも思う。
「何処だよ」
「エルランシェ」
「今すぐ行くのか?」
「違う。あんたが行くとき、一緒に連れて行ってくれ」
逃げたほうが、安全な国に移動したほうが良いと解っているのに、ビシュアは最後までついて行くことにした。
「解った。それで、手前俺に寄越すものあるんじゃねえか?」
ドロテアが左手を出しだした。
四本の指の手が”慈悲の粉”を寄越せと語りかけるが、
「ない」
肌身離さずもっている、この場でもポケットに在るのに、ビシュアは拒否した。
「そうかよ。まあ寄越したくなったら寄越せ。そのままでも、俺は構いはしねえがな」
**********
「オーヴァート」
嗤い過ぎて壊れそうになったオーヴァートは、やっとのことで嗤いを収めて、風にあたろうと外回廊へと出た。
「なんだ? ミロ」
そこでやはり夜風にあたり歩いていたミロと遭遇した。
「なにか探しているのか?」
出発前夜にオーヴァートを見かけたミロは、昔のように話しかけてみた。
「どうしてそう思う?」
「ほとんど城にいなかったからだ」
ドロテアがいるというのに、オーヴァートはほとんど城にいなかった。何処へ行ったのか? 誰も探しはしなかったが、ミロは気になっていた。
「……探している」
「なにを?」
「髪の赤い男を探している」
「髪の赤い男? 特徴はそれだけ?」
「それだけだ。見つけ辛い男でな……本当は連れて行って……」
死の王と皇帝。どちらが先に消えるのか。死の王が先に消えるとしても、自分が先に消えたとしても、その未来は解る。
「……」
「……」
絶え間なく聞こえてくる波の音の狭間に、想い出が途切れ途切れに混じる。
「じゃあな、オーヴァート」
オーヴァートは最初からミロを嫌っていたが、ミロは嫌っていなかった。
「ミロ」
崖にぶつかるまでのカルロス二世の恐怖も、死に行く時の声にならない叫びも、全て知っていた。ただ滅べばいいと願い、未来を変えるつもりはないと、その断末魔を味わっただけのこと。
「なんだ?」
「私のことを恨んでいるか?」
自分のことを好いていた少年の眼差し。そして王となり随分と本心を隠すことが上手くなった口元。それらが消えて、
「ああ! 恨むだけじゃ済まない程に。俺が持つ負の感情のほぼ全てを、あんたに捧げてるよ、皇帝陛下!」
向けられた憎悪に笑った。
部屋へと戻るミロと、その場に残り空を見上げるオーヴァート。
声を上げずに笑う男の目に涙はない、狂気だけがそこに存在していた。
第十八章
【その花は咲き乱れ終焉を高らかに告げる】完
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