ビルトニアの女
その花は咲き乱れ終焉を高らかに告げる【16】
 ミロの言葉通りマクシミリアン四世とパネは、ヤロスラフの瞬間移動により、瞬時にしてエルセン王国首都に到着した。
「到着したぞ」
「……感謝いたします」
「ありがとうございます」
 あまりの早い到着に二人は苦労した旅程を思いだし、微かにだが笑い合った。
 これが選帝侯なのだ、敵わない相手なのだと実感しながら。
「クナ枢機卿のいるところまで運んでもらえるだろうか? エールフェン選帝侯閣下」
「構わん」

 ヤロスラフが連れて行った先は、王城を失ったマクシミリアン四世が滞在している館。

 その門前ではオットーが取り巻きと共に、警備についている聖騎士たちと言い争っていた。
「なにをしているオットー」
「陛下……いつお戻りに。連絡は……」
 マクシミリアン四世を観た取り巻きたちが、一斉に逃げる体勢になった。逃げおくれようものならオットーに見捨てられることを、彼らは身をもって知っている。
 彼らは何人かの《取り巻きだった奴》を見捨てて逃げたことがある。見捨てられた方は、この世界にはもういない。
「下がれ。余は疲れた」
 逃げようとしている取り巻きたちの間に割って入り、門を開いて聖騎士や大僧正そして選帝侯と共に館に消えたマクシミリアン四世を見送る形になった取り巻きたちは大急ぎで好き放題していた痕跡を消しに走り、オットーは辛うじて回復した通信機の技術者にパーパピルス側に《王の帰還を知らせなかった理由》を問い質せと命じた。

―― エルセン王がこちらに来るという報告は受け取っていなかったが、私はかの王を歓待した。その私に対してなあ ――

 マクシミリアン四世もパーパピルス側に事前連絡無しで訪問した。事前に連絡を入れて拒否されてしまっては対処の方法がないので、敢えて連絡はせずに向かったのだ。
 パーパピルス国王自ら「通信の不調だ。こちらも調査する、そちらも調査したらどうだ? 城の破壊で誤作動を起こしているのではないか」と。
 学者でもある国王に言われて、エルセン側は「ご助言ありがとうございます」礼をして通信を切った。
 オットーはその後、証拠の隠滅が成されているかどうかを確認して周り、夜更けどころか明け方まで街中を右往左往していた。

**********


 マクシミリアン四世がエルセン王国に戻ってくる少し前の頃。

 まだ殴られたショック状態から脱していないゲルトルートと、彼女に付きそうという形で館に篭もったクナ。
 クナが滞在しているので、警備は当然聖騎士たちがおこなっている。
 その館にオットーが訪れて、
「昨日の無礼を詫びにきた」
 にやついた顔で、花束を持ってやってきた。
「誰にお詫びですか?」
「クナ枢機卿に」
「閣下は本日、祈りを捧げるとのことです」
 オットーとの対応にはフラッツが当たっていた。貴族出のゲオルグやイザボーではないのは、オットーを王族だと見なしていないという考えをはっきりと表すため。
「休憩時間くらいあるだろう」
「ありません。絶食をし睡眠もとらず祈る修行の一つです」
 クナはもちろん、そんな修行などしていない。この状況下でそのような事をしている暇はない。

―― 決して手を出すな
―― フラッツ
―― ガネッタ(オットーの私生児としての姓)は、一対一に持ち込もうとしているだけだ

 オットーは武の才能はあるが、レクトリトアードほど飛び抜けたものではない。一体一や武術の心得のない者たちの集団相手なら勝ち目はあるが、訓練を積んだ相手、とくに聖騎士のように集団攻撃の訓練を積んだ相手に自分がかなわないことを《理解している》。
 敵の能力と自分の実力を的確に判断できる優れた能力なのだが、その能力も持ち主のいつもの行動と弱者に高圧的な態度を取ることで、薄汚れた卑怯者にしかみえなくなる。
 もっともその判断力がまともに働き、この部分だけは行動を支配できたので、マクシミリアン四世は今までオットーに襲われずに生き延びることができたという側面も持つ。
 マクシミリアン四世を警備している騎士たちの動きを警戒して手を出せなかったのだ。
 マクシミリアン四世は故国でも自らを囮として罠を張っていたのだ。オットーの自制心の弱さと、見下すことでしか生きてゆけない性格を。だがそれは持って生まれた才能、くしくもハルベルト・エルセンから受け継いだ敵の自分の能力の彼我の差を正確を見分けることのできる能力により封じられていた。
 王と従兄はその玉座を争う血により、本人たちの意志にはない束縛があったのだ。

「お引き取りください」
「断る。是非とも会わせて”いただきたい”」

**********


 ヘイドは危険のない静かな部屋で、腰をじっくりと据えて魔法の教本を開き、丹念に魔法を練った。
 オットーの行動に危機感を抱き、力のない自分でも何かできることはないだろうか? と考えて、昔習っていた魔法で結界を張ろうとしたのだが、
「しっかりと勉強しておくべきだった」
 教本を前に、輝かんばかりの頭で項垂れていた。
「はいはい」
 ドアのノック音に、教本を閉じて思わず背後に隠す。
「クナ閣下がお呼びです」
「かしこまりました」
 思わず隠してしまったのは、あまりにも初級の本で恥ずかしいという気持ちがあったため。
 その気持ちがもっと以前からあれば、もう少しまともの術者になっていたのにな ―― そんなことを考えながら、ヘイドはクナの部屋へと行き、
「着替えなどを頼むぞ」
 そこで休んでいるゲルトルートを着替えさせる。
 傷は完治したのだがショック状態から抜け出せず、全く動けない。目を開き、瞬きはすれども呼びかけには答えず、天井の一点を見つめているだけ。
 ヘイドはゲルトルートを起こし、用意されていた食事を口元へと運び、肩を貸してトイレへと連れて行き、体を硬く絞ったタオルで拭き、着替えさせてから再びベッドへと横たえた。
 クナはその間、とくに手伝いはしない。
「妾にできることがあらば言え」
 そう言い、待機している。クナは自分の母性などを過信することなく、できないことに下手に首を突っ込まないことが最善であることを理解していた。
 仕事を終えたヘイドに、
「では妾と食事でもするか」
「ありがとうございます」
 同じテーブルに付かせて食事を取る。
 品数の少ない、質素な料理が続くがクナは何一つ文句を言わないどころか、
「ほぉ。カルマンタンがなあ」
「はい」
 ヘイドの語るカルマンタンの話などを聞き、むしろ満足していた。
 食事を終えたヘイドは食器をまとめながら、部屋を見回す。室内の装飾に興味があるのではなく、
「見事ですね」
「なにがじゃ?」
「結界です」
 館全体に張り巡らされた結界を、部屋の天井や壁越しに観ていたのだ。
「そうかえ」
 クナは顔の痣に手をあてて、力を高める。部屋が一瞬だが白く輝き、その輝きが外へと続く「陣」へと流れて消えていった。
「お見事ですよ」
「そうでもない。妾は波があるから、こうして何度かに分けて力を送り込まねばならぬ。パネなどは一度張ってしまえば、あとは中に居る間は定期的に維持することができるじょうじゃがな」
「私に比べましたら」
 ヘイドは先程、自分でも結界を張ろうとしたこと。
 そしてドロテアにアジトを見つけられた時のことを、短く語った。
「立派な魔法の先生に師事していたんですけどねえ」
「それで良かったのではないか。お主の魔法の才が取るに足らぬものだから、ドロテア卿は見逃したのであろう。お主がドロテア卿に匹敵するような魔法使いであったり、オットーのような性格であったなら、ドロテア卿は容赦なく殺したであろうよ。お主のしでかしたことは褒めはせぬし弁護もせぬ。だが今生きている。だから償うこともできよう。お主が償うのであれば、妾は赦すこともできる」
「……がんばります。食器下げてきます」
「ああ。その後はまた自由時間じゃ。ゆっくりと休め」
 クナの部屋を出て、洗い場へと食器を運び洗っていると、館がざわつき始めたことにヘイドは気付いた。
―― 陛下が帰還なさった
―― 選帝侯閣下が
 人々の声を聞きながら、ヘイドは食器を棚に戻して、部屋へと向かい再び初級の魔法本を開き、練習を開始した。

**********


「無事でなによりじゃ、エルセンよ」
「エルセン国内の状況は」
「良くはないのぉ。してどうであった?」
 笑顔のクナに《パーパピルス王国訪問の理由と結果》を問われ、マクシミリアン四世は少しばかり視線を下に落としたが、すぐに顔を上げてしっかりとクナの顔をみて、
「援軍の確約は取り付けた。これがその書類だ」
 返事をした。
 パネがクナの前に広げた確約書。
「セツも立ち会ったのか。ならば安心できるな。セツ”との”約束は信用できぬが、セツが約束を守らせるために立ち会う場合は、これ以上ない安心感をもたらすものじゃ」
 立会人の名を観て笑っているクナに、パネはやや早口でこれからのことを説明した。もちろん《大量殺戮》の部分は避けて。
「クナ枢機卿」
「どうしたのかえ? パネ」
「私は一度エド法国へと戻り、セツ最高枢機卿閣下からの指示を伝えなくてはなりません。私は魔帝との戦いの際に聖騎士と術者を連れて旧トルトリア領へと赴くよう命じられました。その間、クナ枢機卿閣下にエルセン王国に滞在するようにとのことです」
「解った。許可はこれから猊下からもらってくるのであろう? 届けてくれるのは、ヤロスラフかえ」
「そうだ」
「パネや。無理せずにな。急ぐお主等を引き留める訳にはいかぬが、ちょっとばかり協力してくれぬか? 昨晩ゲルトルートがオットーに殴られてのぉ。怪我は治したのじゃが、妾の力ではこのショック状態は治せん。どちらか治してやってくれぬか?」
 クナは二人を連れてゲルトルートの部屋へと向かった。
 未だ焦点の合わぬ瞳で、天井を向いている状態。
「任せておけ、クナ」
「手数をかけるのぉ、ヤロスラフ」
 ヤロスラフがゲルトルートの顔近くに手を持っていっただけで、合っていなかった目の焦点が合い、表情が生まれて体を動かし始めた。
「誰か、ノイベルトに戻って来るよう言え。ではな、ヤロスラフ」
 廊下に控えていた召使いに命じ、二人を見送る。
「ああ。行くぞパネ」
 クナが結界を張っている館に、そのままゲートを開きエド法国へと消えていった。
 ノイベルトと入れ違いに、クナはマクシミリアン四世の元へと赴く。
「どのようにして知らせる?」
「広場で宣言をする。その後、確約書の写しを持って街を歩いてもらいたい。聖騎士たちに頼んでもいいだろうか?」
「了承した。妾が書き写し、署名もしようぞ」
 まずは広場に人を集め、約束を取り付けたことと、確約の書類があることをマクシミリアン四世が宣言し、聖騎士たちは確約書の写しを台紙に貼りつけ、街を歩き人々に”援軍は来る”と、約束しつつ歩きまわった。首都は彼らで、それ以外は戻って来たヤロスラフに写しを持って、地方都市へと向かって貰い、その場にいるエド聖職者たちが丹念に説明して回り、混乱を押さえることができた。

 首都に残った四人の聖騎士、ゲオルグ、フラッツ、イザボー、アニスは魔帝との戦いに赴くことはなく、エルセン王国でクナを守る任についた。
 四人とも魔帝との戦いに赴きたかったとも、行きたくはなかったとも言わなかった。その事に関しては触れることはなく、目の前の戦いを必死に終えるために戦い、生き延びるために戦い、そして無事に天寿を全うした。
 ゲオルグだけは聖騎士退団後に故郷のホレイル王国へともどったが、故郷がエド法国であるアニスは当然としても、それ以外の出身であるイザボーとフラッツもエド法国で人生を終えた。

 当面の目的を果たし終えたマクシミリアン四世は、
「あの時”行け”と言ってくれたとこ、そして”善くも悪くも国王”と言ってくれたこと感謝している」
 クナに感謝の言葉を述べた。
「そのように改まらずとも。妾としては旅の話を聞きたいのじゃが、その前にゲルトルートのことじゃ」
 クナから話を聞いたマクシミリアン四世は《これ》に関しても、決着を付けることを決めた。
 停滞していた世界が動き出すことは、やはり善いことばかりではない。悪いことや、目を背けたくなることもある。むしろ後者の方が多いかもしれない。
「ヘイド」
 マクシミリアン四世の口元に茶菓子を運び、飲み物を運び、座る位置を変えていたヘイドは、
「はい、クナさま」
「エルセンがゲルトルートに会いたいと。起きているかどうか、確認してきてくれ」
「畏まりました」
 ゲルトルートの部屋へと向かい、躊躇いがちにノックして《会える状態かどうか?》を尋ねた。入り口に出て来たノイベルトに話かけたのだが、起きていたゲルトルートの耳にも内容は届いたらしく、
「お会いします」
 力無い声が聞こえてきた。
 あまりに弱々しい声に、思わずノイベルトの表情をうかがったヘイドだが、
「ホフレ様が会いたいそうですから」
 そう言われてしまっては拒否もできない。
「では今すぐ会えると伝えてきます」
 ヘイドは相変わらずの鈍足で急ぎながら、クナの元へと戻った。

「それでは私は外で」

 クナに抱かれて訪れたマクシミリアン四世に頭を下げて、ノイベルトは部屋から出て廊下で待機した。
 ベッドもカーテンも豪華だが、妙に寒々しい部屋。
 ベルトルートは国王の訪問に起き上がろうとしたが、
「そのまま聞け」
 クナはそう言い、あとは黙った。二人の会話に口を挟むことは決してしなかった。
「ホフレ……いや、ゲルトルート」
「……」
 数十年ぶりにマクシミリアン四世から呼ばれた、己の本当の名前・ゲルトルート。
「諦めろ」
「マクシミリアン陛下……」
 かけられた言葉に、シーツを握り締めてマクシミリアン四世を凝視する。
「お前は女を捨てた勇者として生きてはゆけない。酒で身を持ち崩しているオットーに太刀打ちできないお前には勇者として生きることは不可能だ。強ければ良いというものではないが、強くなくては救えない。それは余が知っている」
「……」
「お前は向いてはいない。お前は姫なのだ。由緒正しい姫であることに意味のある人間であって、男装し人々を導くことは不可能だ」
「…………」
「あの頃は余もお前も幼かった、だから理解できなかったのだろうが……本当に人を導けるのならば、男装などする必要はない。真の支配者たり得る女ならば、そのままで人は付いてくる。そうであろう?」
「……はい」
 それはゲルトルートも感じた。
 クナの元に集う人々と、それに応えるクナの実力を。
「お前には軍人も支配者も向かない。その両方を兼ね備えなくてはならない勇者は当然不可能だ。余はエルセンの勇者の認定を廃止する」
 始めた時に終わりをしっかりと決めていなかった。
 ドロテアがかつて言ったように「魔王を倒したってこと、どうやって確認するつもりなんだよ」と。
 ”間違い”が多々あった。それらから目を背けてここまでやってきたが、マクシミリアン四世は背を向けていた間違いと向かい合い、そして認めて片付けることにした。
 国を維持するとしても、終わらせるにしても、片付けをしなくてはならない。エルセン王国において、それをできるのはマクシミリアン四世だけだった。
「……」
「生活に不自由はさせぬから安心して姫に戻れ」
「……」
 返事はすぐにはできないだろうと、
「返事は後日でいい。枢機卿、退出したい」
「解った。では失礼するぞ、ゲルトルートよ」
 クナに抱えられてマクシミリアン四世は部屋を去っていった。
 マクシミリアン四世を抱えながらクナは、なんとか扉を開こうとしていると、廊下にいたノイベルトが気付き、扉を開いてからすぐに廊下で再度頭を下げる。
「ノイベルト」
「マクシミリアン陛下」
「ホフレは本日をもってゲルトルートに戻す。生活はエルセン王国で身分に見合ったものを用意するから安心しろ」
「ありがとうございます」
 ノイベルトの笑顔に、ゲルトルートのこの先の人生が幸せであるだろうと思いながらマクシミリアン四世はクナの部屋へと行き、ゲルトルートのことに関して依頼をした。
 マクシミリアン四世はまだ国の去就をはっきりとは決めていないが、国を無くする場合でもゲルトルートだけは苦労させたくはなかった。
「私財で定住地な……良かろう。そのような意味での寄付か、受け取っておこうぞ」
 混乱してから寄付しては間に合わないだろうと、マクシミリアン四世はまず私財の十分の一をクナに預けたいと申し出た。その私財をゲルトルートの生活費に充てたいと。
 理由を聞き「ならば半分くらい預かろうぞ」とクナは笑い返した。
「それにしても勇者を廃止するとはな」
「本物がいるのだ、滑稽であろう」
「まあのう」
「祖父はなぜ認定で勇者を作ろうとしたのだろうな」
 既に亡いジョルジ四世の意思は、当然解らない。クナもマクシミリアン四世もジョルジ四世の意図は分からない。

 当のジョルジ四世自身、自らがなぜそんな事を考え、実行したのか? 解らなかったのだが。

 ジョルジ四世の勇者を作ろうとした《理由》それはエルセンの血にあった。彼らの中に《勇者をもう一体作る》という意思が残っていたのだ。
 もう一種類の勇者エピランダを作成するまでは成功したが、最後の勇者レクトリトアードを完成させることはできなかった。
 彼らは他の勇者の存在が解る。解るからこそ、最後の勇者が存在していないことも感じ取っていた。
 カルマンタンはエルセン文書により、最後の勇者に足りないものに気付き、セツと《配合》することにより完成させた。
 カルマンタンが最初に住み着いたのがアードの村であったことから解るように、当初はアードとエピランダを組み合わせて勇者を作ろうとしていたのだ。
 だが両者の年齢が上手く合致しないままアードの一族は滅び、最後の一人となる勇者の誕生を待ち、ついに造り上げた。
 もしもアードとの間に《エピランダの勇者》が完成していたら、ジョルジ四世は勇者認定は行わなかった。彼の血によって「勇者誕生」が無意識に解るためだ。
 セツと情をかわしたエセルハーネが、妊娠してすぐに買い戻された理由でもある。
 無理矢理勇者を作るという行動は、正しくなかったであろうが、彼らはその為に存在していた。知らぬ間に動かされて、そして任務を遂行した。

「なにはともあれ、本物の勇者が二名。うち一名は妾としては勇者とは呼びとうないが、まあ勇者じゃからなあ。あとは任せようぞ」
「そうだな」

 血に込められた真実を知ることはできないが、その役目を既に終えたことは感じ取っていた。
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