マクシミリアン四世の依頼は、
「確約する」
あっさりと受け入れられた。
「……」
「何だよ? 必要ねえのか?」
あまりのことに呆然としてるマクシミリアン四世の前で、バダッシュに用意させておいた書類にセツ立ち会いのもとサインをする。
「違う……あまりにも簡単に……」
その気の強そうな文字で綴られた、どこにでもある有り触れた名前「ドロテア」
亜麻色の短めの髪と白い首。僅かに見えるやはり白い、柔らかそうな耳朶。
「俺は手前だけに構ってる暇はねえんだよ。国一個守るだけでいい奴と俺の仕事の量を一緒にするんじゃねえよ」
何時ものと同じ挑発的な態度を取りながら、マクシミリアン四世の前にサインをした確約書を置く。
「時間を取らせて悪かった」
「まあな。ところで代理のサインはヤロスラフでいいか?」
「お願いしたい」
立会人が当事者の代理もするわけにはいかないので、
「その為に俺はここにいたのだがな」
もう一人用意しておく必要があった。
それとは別の理由もドロテアにはあった。
「さてと、これで確約書も完成したし。あとは日程の調整だが、どうだ? ミロ」
確約書を丸めて立会人であるセツが筒に収めて、聖職者特有の印で封を施す脇で、次ぎの問題の解決にドロテアは即座に取りかかった。
「三日で全部を終わらせる」
「そうか」
マクシミリアン四世は己の懸案は終わったので、自分のことではないと聞いてすらいなかったのだが、
「おい、マクシミリアン四世。明日からしばらく俺に付き合え」
「何故だ!」
「お前も国王歴長いから解るだろう。国王が往来でのたうち回って、さようならなんて出来ねえんだよ。そんなにすぐに帰りたかったら、人目忍んで城まで来いってんだ。民衆だって花びらを投げて見送る必要があるから、花も調達しなけりゃならねえしよ。特別会計で金庫開けなけりゃならねえしさあ。ただでさえ軍備調達で特殊会計と伝票で大騒ぎだってのに」
ミロの”国庫から金出す手間”を再三語られて、覚えのあるマクシミリアン四世はなにも言う事ができなかった。
「悪かったな……わかった三日滞在する。それで……」
「帰りはセツのゲートって計算できたんだろうが、ヤロスラフに送られていけ」
「良いのであらば」
「良いよな、ヤロスラフ」
「問題はない、ドロテア。誰が拒否するものか」
―― 恐いからね ―― そう心中でいつも呟くエルストは部屋にはおらず、ヒルダとマリア、そして力仕事ならと現れたイリーナとザイツと共にマクシミリアン四世が滞在するための部屋を整えていた。
「……」
「……」
レクトリトアードはこの空白を奇妙に感じたが、深くは追求しなかった。
まるでなにかを待っているかのようなその空気に、動くことができなかったのだ。
なにをするべきかはっきりと解らないレクトリトアードは、どうして自分がここにいるのか? という疑問を持ち、心の中で首を傾げる。
マクシミリアン四世滞在用の部屋は調度品がなにもなく、運び込まなくてはならない。王が使う調度品ともなると重さも尋常ではない。―― 「レクトリトアード」である自分であれば、苦もなく運び込めるのに何故手伝いに回されなかったのか? ――
それについて尋ねようとした所で、室内に動きが出た。
トリュトザ侯の訪問。
明日のスケジュール開始時間を聞きに来たトリュトザ侯に、
「エルセン王の警備はドロテアたちに一任する。いいな」
「……はい」
ミロは要人警護という重大な役割を国外の面々に任せると命じた。本来であれば自分の国の部下だけで固めるものだが、ここでは部下たちは信用がならない。
国も地位も前歴も、種族すら違う集団の方が”配下よりも”信用できると口にはしていないだけで、言ったも同然の行為だった。
トリュトザ侯も自らを筆頭に覚えがあるので、黙って引き下がった。
国王と二人きりであれば異論も唱えたが、警備対象であるマクシミリアン四世と他国の要人の前ということで引き下がるしかなかった。
「今日の警備はレイだ」
「あ、ああ……解った、ドロテア」
ドロテアはレクトリトアードの返事を聞く前に、
「おい、ヤロスラフ」
「なんだ?」
―― ヤロスラフは”出かけるなど言ってはいない” ――
「出かけるって言ってただろ。明日は用事はないか?」
―― ドロテアは”出かけるなどとは聞いていない” ――
「……ああ。ここが終わったら出る。俺は目的地にはすぐに辿り着けるからな。それと、用事は今夜だけだ。明日からはマクシミリアン四世を警備してやろう。だが今夜からは用事があって”ここを離れる”。セツもお前もいるから問題はないな、ドロテア」
二人はそんな話しなどしていなかったのだが、ドロテアの満足がゆく答えが返ってきた。トリュトザ侯が退出し、部屋は再び静かになるが、それは底に溶岩の対流のようなうねりを抱えた偽りの静けさだった。
「レイ、先にマクシミリアン四世が滞在する部屋に行け」
「解った」
レクトリトアードも部屋から去り、
「正門から出て行くとするか」
「門番に今日はオーヴァートも帰ってこないって、それとなく教えていってくれ」
ヤロスラフも部屋から態々徒歩で出ていった。
瞬間移動が可能な選帝侯がわざわざ城正門から、皇帝の行方を門番に告げる。ここまであからさまな罠を張ったら解る。
「どういうつもりだ?」
マクシミリアン四世は”おとり”罠にかかるのは、
「トリュトザとの決別かな」
トリュトザ侯爵リュイ。
即死の罠ではなく、ゆっくりとだが確実に死に至る罠。
「……まあいい、使われてやろう」
囮に使われるマクシミリアン四世にとっても、この罠にトリュトザ侯がかかったら、大きな決断を下す必要がある。
**********
ドロテアはマクシミリアン四世を篭に入れて、滞在用の部屋へと運んだ。
大きなベッドに小さなマクシミリアン四世。
「俺たちは一度全員部屋を出る。その後にエルストが人目に付かないよう戻って来る。寝返りはエルストがやる。それでいいな」
「ああ」
もちろんエルストはそんな話は聞いていない。
「具体的にどうするんだ? 寝返りって」
「三十分おきくらいに、仰向けにしたり俯せにしたり、クッションで横向きにしたり適当にやれ」
「解った」
それ以上の説明はせずに部屋を出て、扉の前に立つレクトリトアードに”じゃあな”と告げつつ、背後にいる【クレストラント】と【アード】に”来い”とドロテアは合図を出して部屋から遠ざかった。
二つの霊体ははすぐに戻りレクトリトアードの耳元で、
【話すが反応するな。これからエルストがくるから、無視して室内に入れて】
【しばらくしたらセツ最高枢機卿が、いまクレストラントがいる辺りから招くから、警備を放り出して駆け寄って】
と指示を伝えた。
警備を放り出すのはまずいだろうと思ったが、
【行けば理由を教えてもらえるから。大丈夫俺たちが代わりに見張ってる】
そのように言われて、レクトリトアードは心の中で返事をして、その時を待った。
洞窟にでもいるかのような潮風の反響音と、濡れた空気に佇みながらレクトリトアードはその時を待った。
廊下の灯りが揺れ、同じように揺れた影の先にセツの姿を見たレクトリトアードは、指示通りに駆け出す。
そのまま部屋の入り口が見えないところまで行き、それを確認したトリュトザ侯の配下の者たちが、大急ぎで教えに向かった。
マクシミリアン四世の滞在期間中、トリュトザ侯は二人きりで会う時間をミロからもらえなかった。娘をオットーの妻にすると言い出したことに対する「警戒」という名目で。
だからその警戒をかいくぐり、会って話をしようとしていた。
それが罠だと知らないのか。知っていても自分で対処できると思っているのか。それは結末のみが語ることである。
ドアがノックされた時、エルストに体勢をかえて貰い、マクシミリアン四世は眠りと覚醒の狭間にいた。
「誰だ?」
「夜分遅くに済みません。私はパーパピルス王国の世襲大臣トリュトザ侯と申します」
「……」
エルストは唇の前に人差し指を立て、片目を瞑り、もう片方の手で”どうぞ”と言った風に促す。
「警備はどうした」
明日からは護衛に選帝侯がつくと明言したので、トリュトザ侯は今夜しか密会できる機会はないと焦り行動に移した。
「おりません」
―― 罠だと解らぬのか? ―― マクシミリアン四世は思いながら、
「鍵はかかっていない。入りたくば入ってくるが良い、世襲大臣トリュトザ」
囮でありながら獲物を仕留めた。トリュトザ侯はこの部屋に入ったことで、ミロと完全に決別してしまった。
「失礼いたします」
部屋に入ってきたトリュトザ侯は、エルストの存在に全く気付かなかった。
”盗賊とは聞いていたが”マクシミリアン四世は表情を変えずに、部屋の隅にいる男の存在感の無さに感動しつつ、トリュトザ侯と会話をする。
挨拶もそこそこにトリュトザ侯は「オットーを引き取る」と提案してきた。オットーの国内での蛮行は近年目に余るものがある。マクシミリアン四世も知ってはいるが、オットーに対して次ぎに刑罰を与えるとなると「死」しか残っていない。
自分の身が”こう”でなければ、すぐにでも処刑するが、どうしても踏み出せないでいた。
そのマクシミリアン四世に「エルセン王のことを思って」と、言っているトリュトザ侯自身まで欺きながら話続ける。
オットーをフィアーナの女婿として迎え入れる。
「パーパピルスで《相応の地位》を与えれば、オットー殿も満足するでしょう」
その《相応の地位》が問題だ。
「具体的には?」
「そこまでは未だ。あまり先走るのもなんですから。ですがその際にマクシミリアン四世陛下がお力を貸してくだされば。僭越ながらお二人の間に生じた”わだかまり”もなくなるかと」
マクシミリアン四世は仰向けで天井を眺めたまま黙って話を聞く。
―― どこまで力を貸せというのだ。玉座に就かせるまで貸せというのか?
上滑りしてゆくトリュトザ侯の話。話が上滑りしてゆく場所は徐々に冷たくなり、思考を冷静にする。
娘を王妃にしたいという目論見があったにせよ、かつてエルセン王国の《マクシミリアン四世》からの干渉を《ドロテア》を持って排除し、ミロを玉座に就けたトリュトザ侯。
玉座に就け、邪魔だったミロの当時の恋人を遠ざけることには成功したが、目的であった娘を王妃にするという願いは叶わず時が流れて、いまここで敵対していた王に従兄弟を欲しいとすり寄ってくる。
《時が解決してくれる》と言い、それは真実かもしれないが、全て良いように解決するわけではない。
―― フレデリック三世はトリュトザを切り捨てるであろう
トリュトザ侯が話せば話す程、マクシミリアン四世はオットーを殺さなくてはと思う。今まで殺さなかったのは勇者の作った国が滅びることを恐れてのこと。
だがそれも限界がきた。
新たな勇者の台頭。旧勇者の血の濁り。誰の目からみてもはっきりと解る、世代交代の時期。右側で世襲の大切さを語る貴族の言葉は、マクシミリアン四世自らが語り、自らにも言い聞かせていた内容。
だが他者からそれを熱っぽく聞かされると、覚めてゆく。本当はマクシミリアン四世も解っていたのだ。もう未来はないと。
解ってはいたが、それを認められなかったのだ。
縋る玉座があり城があった。王都があり人々がいる。トルトリアのエルランシェのように崩壊したわけではないから”王であろう”とマクシミリアン四世は思った。
それはもう王と国ではなかった。歴史がマクシミリアン四世を生かしてくれているだけであり、国と共に王が在るという形ではなかった。
もう国に未来はない。過去だけが必死にマクシミリアン四世を支えているだけのこと。
「話したいことはそれだけか、世襲大臣」
娘を嫁がせたいと迂遠に語る世襲の大臣もまた、過去が彼を立たせているだけであり、もはや未来はない。
「はい」
過去は必要だが、過去だけでは限界がある。未来と過去に支えられて生きて行かない限り国は立ちゆかない。
「では下がれ」
トリュトザ侯の滅びる様をマクシミリアン四世は想像ができる。そして自分も似たような滅びを向いていることも解った。トリュトザ侯と違うのは、マクシミリアン四世にはまだ回避する僅かな余地があること。
「あの……」
「考えておく。良い返事を期待して待て」
扉が閉ざされ遠ざかる足音に深く息を吐き出す。
トリュトザ侯が全く気付かなかったエルストが近付いてきて、何事もなかったかのようにシーツを直してマクシミリアン四世の体勢をかえ、無言で遠ざかった。
「おい、エルストとやら」
「はい」
「……なんでもない」
マクシミリアン四世は話したくてエルストに話しかけたが、共通の話題がないことに気付いた。ここで話したい相手は、
―― フレデリック三世……か。
視界に映らなければエルストの存在はまったくなく、部屋に一人でいるかのような気分になる。
その中でマクシミリアン四世は考えた。
―― オットーに玉座をくれてやるつもりはない
手足を失った恨みなどを排除して考えても、マクシミリアン四世はオットーを玉座に座らせたくはなかった。
それが自分の持っているエルセン王の地位ではなく、かつて戦争で奪おうとしていた相手の国のものであっても。
自分が欲しいからというのではなく、パーパピルスのことを考えればオットーは殺すしかないと。
―― だがそうなれば、トリュトザが助けるであろうな。十年前であれば誰も考えもしなかったであろう。五年前でもそんな心配はなかっただろうが、今は……。殺すべきだった。あの時ヘレネーと共に殺すべきだった。王は判断を誤ってはならない。殺すべき相手はその時に殺さねば……
オットーを殺害しようとしたら、トリュトザ侯が助け、そのまま両国間は戦争に突入する。マクシミリアン四世自らが仕掛けた戦争は、すぐに混乱を呼び起こし、戦争の火種をまき散らす勇者の末裔は憎悪の対象となる。
そんな結末をマクシミリアン四世は迎えたくはなかった。
ならばどうするか? 自ら国を終わらせるしかない。その際の国の譲渡先は……
―― フレデリック三世と二人きりで話が出来るだろうか……無理か
巡り巡ってパーパピルス王国に辿り着いた。まだ受け入れてもらえるかどうかも解らず、国の終焉を人々に納得させることができるかどうかも解らないが。王として国の未来を定めて、それに向けて《歩み》だした。
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