ビルトニアの女
その花は咲き乱れ終焉を高らかに告げる【5】
 ゲルトルート姫、あるいは勇者ホフレは亡国トルトリアの騎士ノイベルトと共にマクシミリアン四世の元へとやってきた。
「マクシミリアン陛下、およびと」
 聖騎士たちは旅装を解いていなかったので用意はすぐに整い、マクシミリアン四世の用意が整うのを待っていた。
 マクシミリアン四世は体は小さいが、日常生活を送るために、かなり特殊な道具を多数使用している。全てを持って移動するわけにはいかないので、それらを吟味するのがマクシミリアン四世の旅支度であった。
 それらを粗方選び終えたところで到着したホフレに、
「時間がないから手短に説明する。ホフレ、お前はクナ枢機卿の護衛を務めろ」
「陛下」
「余はこれからパーパピルス王国へと向かい、この先確実に訪れる戦いの為に兵力を……ドロテアに借りてくる。その間の国はクナ枢機卿に委任した。移動に際しクナ枢機卿が自身の護衛であるパネ大僧正と聖騎士たちを借り受けた。その間にクナ枢機卿に何かあっては、この崩れゆくエルセン王国はもはや立ちゆかぬ。いいな、ホフレ、そしてノイベルト。クナ枢機卿を守れ」
 そこまで心配してくれずとも良いのにな―― クナはそうは思ったが、ここはマクシミリアン四世が譲らなかったので、仕方なしにだが受け入れた。
「かしこまりました」
「陛下。帰還をお待ちしております」
 二人の言葉に満足し、エルセン王国マクシミリアン四世は聖騎士たちと共にパーパピルス王国へと向かった。
 国王がこの時点で聖騎士を伴い国を出たことに”国を捨てたのではないか? 自分だけ逃げたのではないか?”動揺した者も大勢いたが、クナはそれらに話かけて説得し、誤解を解いて回った。
 まだ瓦礫が撤去されきっていない街中の広場で祈りを捧げ説教をし、ヘイドが張った下手くそな日よけの下で聖典に目を通す。
 壊れた城は全くの手付かず。
「酷い状態ですなあ」
「…………」
「クナさま?」
「確かに、お主が言う通り酷い状態じゃが……これはもしかしたら……」
 ヴォルカンタン城の破壊された様を見て、クナはある考えが頭を過ぎった。
「もしかしたら?」
 この城を壊したのは《勇者》
 セツとは違い、勇者でしかない男が破壊した勇者の末裔の城。
 これは破壊されるべくして破壊されたのではないか? と。なによりも、ヴォルカンタン城が破壊されたことにより、マクシミリアン四世は自由になれるのではないか?
 勇者が勇者に囚われている男を開放するために必要な行為だったのかもしれない……そうクナは考えたが、言葉にするのは避けた。
「いいや。何でもないわ。さて今日の夕食はなにを用意してくれるのじゃ? ヘイドよ」
 ”いずれ”そのようになろうとも”いま”は語ってはならない。この国は魔帝が倒れるまで、勇者の末裔の国であらねばならないのだ。エド法国が神となった勇者の代理人の支配する国であるのと同じように。
「申し訳ございません。昨日と同じです」
「よい。では用意してくれや」

 恐れることはなにもないぞとばかりに余裕を見せ、クナはマクシミリアン四世の帰還を待った。

**********


 マクシミリアン四世一行は、エルセン王国国境から、ややマシューナル王国よりの国境を進みパーパピルス王国に入る。

 マクシミリアン四世の体は長距離の高速移動に適していない。
「マシューナル王国の縁を通る形のゲートを作り、パーパピルス王国へと向かいます」
 出来る限り”マクシミリアン四世”に負担をかけないようにするには、他の者がその分の負担を負うことになる。
 その役割がパネ。
 パネは移動を”ゲート”で行うことにした。魔方陣などを描くことに関しては、エド法国で最も有能な聖職者は地図にポイントを書き込み、聖騎士たちに一応の安全を尋ねる。
 ゲートを開く場所に危険なものがないか? や、ここは軍事的に避けた方がいいなど考慮しなくてはならないためだ。また所々に原因は解らないがゲートが開きにくい場所(レクトリトアードたちの村)などがあるので、それらを迂回する必要もある。
 ゲートでの移動はそれらも加味し、様々な制約を受けつつ計画を立てる必要があった。
「大陸行路を観てみたかった気もするが、致し方ないか」
 地図を眺めながらマクシミリアン四世は呟く。
 大陸行路というのは、トルトリア王国の首都近辺は、棺の力などの空間に影響する力の為に、ゲートが使用不可能だったことが理由で作られた。
 どうせ作るのならば最短距離がいいだろうとして、国を一直線に横断する道を造ったので、ゲートでの移動と大陸行路を使用した場合では、術者の能力にもよるが、一般的には大陸行路を使用したほうが早く移動できる。
「そんな無謀なゲートを作成して大丈夫なのか? お前の体が持たないのではないか?」
 本当に急いでいるのならば大陸行路だが、マクシミリアン四世の熱が篭もりやすい体型では、大陸行路を休み無しに突っ切るのは危険なので、国境線を踏むように移動ゲートを設置するようにしたのだが、かなり無理をしているのはマクシミリアン四世の目にも明かだった。
 魔力を使って開く以上、最初のゲートでの移動距離と、その日最後の移動距離が同じになるはずがないのだ。魔力は使えば使うほど疲労し同量を放出はできない。
 だがパネが描いた移動距離は一日中同じ距離を移動する計算になっていた。
「往路だけですので。復路はセツ最高枢機卿にお願いします」
 片道だけの計算と理論だった。
「上から五段目の計算式、間違っているぞ」
 地図にびっしりと書き込まれた式を見て、マクシミリアン四世が指摘する。慌てて見直したパネは、書き間違いに気付くと同時に、
「あ……国王はご存じなのですか?」
 この”魔法を決して使おうとしない”国王が魔法の式を知っていることに驚いた。
「知識としては知っている」
 魔法を使えればマクシミリアン四世の生活はもっと楽なものになる。
「……失礼ながら、その潜在的な法力の量。私などよりもはるかに上です」
「知っている」
「何故、魔法を使われないのですか?」
「知識としては知っているが、実際の魔力放出などは学んだこともない。理論は知っていても使えん状態だ」
「魔法を使われた方が……」
「この手足のない身に、幾ばくかの自由が得られるだろうがな……ただの意地だ。自分が剣聖であったエルセンの子孫であるという。……もう少し余が柔軟であれば、また未来は違っていたのだろうがな」
「今からでも全く遅くはありません。どうぞ自由を得てください」
 パネの言葉に頷きつつ、マクシミリアン四世は目を閉じた。
 マクシミリアン四世は自由になるのが恐ろしかった。国王であることは手足を失う原因でもある程に重い。
 だから自由が利けば、自分は逃げてしまうのではないかと恐れたのだ。
 悲しいことに手足がない、未来も繋げない自分が、魔法で自由を得て逃げたとしても、誰も負ってこないだろうことも解っていた。
 いつの間にか消えたカルマンタンの存在よりも、消えゆくだろうと。
 手足があり子が成せるのであれば、国王の座から降りることはできないが、それらがないマクシミリアン四世は逃げることは容易だった。
 だから習得しなかった。
 奪われた自由と、自ら拒否した自由。その二つの不自由さを持って国王の座に就いていた。
 まだ少年だったマクシミリアン四世には玉座しか縋り付く物はなかった。では今はどうか? と言われると、やはり縋り付く物は玉座しかないが、その頃とは違い捨てる覚悟も出来ていた。この考えが生まれてきたのはヴォルカンタン城がレクトリトアードに破壊されてから。
 視覚として失われた玉座を前にして、これが失われるものであることを全身で感じ取った。自らがその座を失うことがあったとしても、奪われるだけでありなくなるとは露程も思っていなかった物の喪失。
 それはマクシミリアン四世の考え方を大きく変えた。
 街や城壁の修復を急がせ、城を後回しにしたのは決して民のためを思ってのことだけではない。マクシミリアン四世の内側に現れた自らを否定するような存在を吟味したいが為に、あえて修復を遅らせた。

 玉座がない間に決断を下さねばならない。

 マクシミリアン四世は誰に言うわけでもなく、誰に言われたでもなく、だがそのように考えて過ごし、そして旅立った。

 マクシミリアン四世にとって旅は苦難の連続だった。絹と真綿にくるまれた存在であった彼にとって、地べたは硬く夜の虫や動物の鳴く声は騒音であり眠りを妨げる。
 日中の移動時間に休めば良いと他の者たちは言うも、手足がなく体温調節にも難があるので、日差しが熱すぎて眠ることができない。
 簡単な料理や野営の用意、簡易の結界を張り安全を確保することなど、聖騎士たちはマクシミリアン四世ができないことを多数している。
「……」
 それらを眺めながら、自分という存在は《なんなのだろうか?》と白昼夢なのか微睡なのはっきりとしない”境”に漂いながらマクシミリアン四世は横になっていた。
 薄い布一枚の上に横になっていたマクシミリアン四世は、響いてくる足音を聞き覚醒する。
「何者かがこちらへとやってくるぞ!」
 白銀の髪に隠れてしまっているマクシミリアン四世をフラッツが、
「失礼いたします!」
 乱暴に引っ張り、盾の影に隠す。
「何名だろうか?」
「声が大きい……行くか?」
 声から「追う者たち」と「追われる者たち」が存在していることは解った。そして追われる者たちが追いつかれてしまったことも。
 マクシミリアン四世を無事にパーパピルス王国に送り届けるのが聖騎士たちの使命であって、追われている者たちを助けるのは役目ではあっても、今は命令を受けて動いているので、それを優先しなくてはならない。
「救出できるか!」
「ご命令とあらば」
 マクシミリアン四世が”見捨てろ”と言ったら、聖騎士たちは見捨てるが、救出しろと命じられたならば、その方向に動く。
「では命ずる! 救出せよ」
「三人ゆけ。私は防御陣を完成させたあと、援護する」
 パネはマクシミリアン四世を防御する陣を描き、フラッツは三人に「任せろ」と合図を送る。ゲオルグ、イザボーそしてアニスは藪の中へと分け入った。
 助かれと願いながら、自らの周囲が結界で包まれるのを見ていることしか出来ないマクシミリアン四世は、いつもと同じ無力感を毒により捩れてしまった脊柱を隠している背中に感じていた。

**********


 襲われていたのは避難途中の村人たちだった。
「多いのか」
「はい」
 彼らは貴重品と全財産を持って、指示された街へ移動する途中だった。
「みんな全財産を持って移動しているので。それに狙って盗みを働く者が増えたそうです」
「そうか……そこまで手が回らんからなあ」
 ドロテアは首都とそれに準ずる街には神を援軍として送ると言った。準ずる街に関しては曖昧ではなく「どこ」かは明言している。
 当然のことながら、大陸全土の小さな村などは援軍は送らない。彼らをどうするのか? は、その国の支配者の自由にさせた。
 小さな村など襲われないだろうとそのままにしておくか? もっとも近い援軍が送られる街まで避難するように命じるか? ドロテアはなにも言わなかった。
 表面上は善人でありたい支配者たちは、村人たちに非難を命じた。
 貴重品を持って移動しろと命じ、魔帝が倒されるまでの滞在期間中は避難地区を国庫で維持し、寝床と食事は賄うことにしたのだ。
 これが村人たちに対する善意なのか? 街に住む人たちに対しての為政者の人気取りか? その両方なのか? どれであろうが、逃げる者たちには関係がない。
 だが避難する途中が危険だった。
 貴重品を持って移動している村人たちに狙いをつけて襲う者も急増している。
 マクシミリアン四世たちが遭遇したのは、まさに”それ”であった。
「村人を全員避難させるのに、軍を割く程余裕はありませんからね……まあ、マシューナル軍の内情は解りませんが」
 助けたのはマシューナル王国の民。
「……」
 首都から外れた小さな村に住んでいた彼らでも、目の前にいるのが”有名”なマクシミリアン四世であることに気付き、深々と礼をした。
 数名の子供が手足のないマクシミリアン四世を物珍しそうな目で見つめ、親が大慌てで謝り頭を強かに何度も叩き遠ざけた。
「パネ」
「はい」
「ここから余とお前だけでパーパピルスに行けるのではないか?」
「行けるとは申しません。”行け”と命じてくださいませ」
 パネは地図を開き、ゲートの計算し直す。
「ではここからは二人きりだ。聖騎士たち。お前たちはその者たちを避難場所へと連れて行き、そのままエルセン王国へと戻れ」
 彼らが指定された避難場所はエルセン王国に近く、マクシミリアン四世たちにとっては、来た道を引き返すに近い。
 本来はすぐさま拒否しなくてはならないのだが、先程の襲撃で死者こそは出なかったものの、怪我をした者たちも多数いる。
 治療してやりたいのは山々だが、ここで唯一治癒魔法を自在に操れるパネには、治療に力を回す余裕はない。治してやれぬのならば、せめて無事に送り届けてやりたいと誰もが考えた。
「ここからならば、最初に立てた計画よりも一日多くなりますが、二人でも大丈夫です」
「だそうだ。お前たちはあの者たちを無事送り届けろ」
 聖騎士たちはならば誰か一人だけでも聖騎士を連れていってくれと頼んだが、完全に拒否された。
「あまり時間はかけられない」
 言いながらパネは荷物の選別を始める。
 最低限の食料と寝具をまとめ、
「非常事態だ。予備の一本くれ」
 フラッツから小斧を受け取った。
「慣れない方がふるうと怪我を」
「慣れているとは言わないが、上手いとだけ言っておこう」
「?」
 かつて父親が罪人の首を刎ねていた、出来れば一生触りたくはないと思っていた刃物である斧を持ち、まとめた荷物を袋に詰め込んだ。
「あの!」
 村人たちも水辺でもないここには長居できない。夜が来る前に水辺まで移動しなくてはならない。特に彼らは負傷者を抱えているので、早めに発つ必要があった。
「なんだ?」
「この篭使ってください」
 一人の女が篭を差し出した。
「あの人が作った、丈夫さだけが取り柄の篭です。荷物も……あの国王様も入れて運べると思います」
 女の申し出に驚いたパネだが、
「女」
「は、はい!」
「礼を言う。代金はあとで払おう」
 マクシミリアン四世はその提案を受け入れた。
「要りませんよ。聖騎士さまたちを付けてくださるんでしょう。それで充分ですとも」
 目尻に笑い皺を作った彼女はそれだけ言って遠ざかり、夫の隣で頭を下げた。
「私は大丈夫だ。お前たちも必ず送り届けろ」
 寝具で巻かれ固定されたマクシミリアン四世は、パネに担がれゲートの中へと消えてゆき、それを見送った聖騎士たちも歩き出した。

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